2020年12月13日

それでも少年は生きていく

横浜で映画「異端の鳥」を観る。3時間近い白黒映画である。

舞台は東ヨーロッパのどこかの国。ドイツに攻め入られ、侵略されている国だが、特定の国名やそれを著す言語は出てこない。そうするとどこにもない国のようだが、どこにでもある国でもあると言える。

チェコ人の監督、マルホウルはこの映画をデジタルではなく、古典的なモノクロのネガフィルムで撮影した。デジタルとは異なる輪郭とコントラストが際立った映像は、こんなに鮮やかだったのかとあらためて再確認させられた。

ホロコーストを逃れて親から田舎の祖母の家に預けられた物言わぬ少年が主人公。小さなその家で、少年がたどたどしいながらピアノを弾いているシーンが冒頭にある。

ある日、祖母が当然死し、同時に事故で住んでいた家が火事で燃えてしまい少年は居所を失ってしまう。

彼は各地の村落で差別され虐待される。凄まじい偏見と暴力。不条理の海を少年はそれでも一人でわたっていく。登場する人物たちの邪悪さ、粗雑さ、人間の皮を被った獣のような普通の村人たち。

まるでいじめのゲームでも見ているかのように、行く先行く先で少年は出会った大人たちから蹂躙され痛めつけられる。そして、それでも彼は生きていく。だんだん子供なりに人間性を失っていきながら。

映画には説明的なナレーションや少年の内なる台詞などは一切ない。寡黙な少年の心情を映画の観客が知る術は、彼の表情しかない。時にうつろに、時に大人たちの心の奥底をのぞき込むような眼差しに引き込まれる。

この映画の原作は、1965年にポーランドの作家イェジー・コシンスキーが発表した小説「ペインテッド・バード」。映画の半ばで、鳥売り男が出てくる。その男が、あるとき一羽の小鳥の羽に戯れにペンキを塗って空に放つ。鳥は空を舞う仲間の群れに入って行くが、群れの仲間から小突かれ、突っつかれ、やがて無残な姿で墜落する。

羽の色が自分たちとは異なるペンキを塗られた鳥は、異物であり、異端であり、排除されるというメタファーである。東ヨーロッパ各地の村を流れて行くユダヤ人の少年もまた異物であり、異端と受け取られたために動物、いや虫けらの扱いを受ける。

普通の人々の残虐さと狭量さ、かれらこそ人間であっても動物のような精神性しか持ち得ていないことを訴えている。そうした人間たちは、自分たちの群れに属さない存在は拒絶し、放逐して何にも感じるところはない。すでに人間としての理性や情緒を失ってしまっているのだ。

それらのすべて、とりわけそうした人間のもつ偏見の根底には無知がある。


2020年12月12日

タダほど高いものはないから

グーグルが利用者へのサービスポリシーを変更すると発表した。いつかやるだろうと思っていたが、予想より早かった。

そもそも「無料」だから何も言えないし、こちらも工夫次第でなんとかしのげる。しかし、それも彼らは織り込み済みで、またいつかもっと厳しくポリシーを変更してくるか分からない。信頼しきっていたら、大変なことになりそうだ。

僕にとっての最大の影響は、これまでグーグル・サイトを学生などとのファイル共有の場にしていたのが、そう簡単にできなくなったことである。 

しばらくは様子を見ながら、いざとなったときの対応策を検討しておかなければと思っている。

2020年11月14日

グーグルの気味わるさ

YouTubeであるアプリの設定の仕方を動画で確認しようとDuckDuckGoで検索をかけたところ、匿名性に関する警告が表示された。「YouTube(Google社)に匿名性はありません。ここで見るビデオはGoogle社によって記録されています」と。実にはっきりと述べている。


情報としては知っていたものの、このような表示を見せられると、このまま安易にアクセスしてよいものやらどうか一瞬たじろぐ。

そういえば、Google Photos がその方針変更を発表した。まあ、いつかはやるだろうと思っていたが、現行の写真保管のデータ量にキャップ(上限)をかけることにするらしい。

ユーザーとすれば、使用料を彼らに払って使っているサービスではないので何をやられても文句の言いようがない。

ただ、これをきっかけに、多くのユーザーがグーグルのサービス利用に関してより注意を向け、このままタダという目先の小さな利益を追って個人情報を垂れ流していってよいのか自分の頭で考えるきっかけになればと思う。

話をYouTubeに戻せば、彼らは広告収入を広告主から得ていながら(この仕組みは民間放送テレビやラジオと同じ)、さらに同時にユーザーの個人情報を収集し、販売して稼いでいる。 大もうけできるはずだ。

2020年11月9日

犬の散歩にウンチはつきものだから

冠雪した富士山を眺めつつ、朝の空気を吸いながらススキの道を散歩をしていたら、道端にDog Poop Boxと書いた缶を収めたちいさな屋根付きの箱を見つけた。上の段にはビニール袋の箱が置いてある。

誰がこれを設置したのか。たぶん自分自身ワンコを連れて散歩をする人だろう。自分も使えるし、他の犬好きにも喜んでもらえると。この缶の大きさだと、2、3日に一度は回収をしなきゃならないけどね。



2020年11月6日

70円のエアメール

駅に向かう途中、書き損じのはがきを持って郵便局へ立ち寄った。鞄の中から取り出したのは、返信しなかった往復はがきの片割れが5枚ほどと机の引き出しに残っていた国際郵便はがきだ。

机を整理していて、古い手帳やらメモ帳の下から出てきたエアメール専用のはがきには、70円の切手が印刷されている。いつそれらを購入したがまったく記憶がない。10年以上前なのは確か、いや20年前くらかもしれない。

国内で使う普通のはがきが63円だかから、どうせこのままでは使えないだろうと思って窓口に出したとところ、「いまもこのまま使えますよ」と言われた。

はがきの代金はここ数年少しずつ上がってきたが、この国際郵便はがきは今も変わらず、立派にエアメールで送れると言われた。

Eメールでメッセージが送れる時代に、エアメールといえども葉書でメッセージを送る人がどれだけいま日本にいるのか、思わず考えてしまった。おそらくはほとんどいないとはいえ、こうした手段がまだ残っていることにはなんだか感謝の気持ちがわいてくる。

手書きのエアメールなんて書いたことない人がもうほとんどなんだろうけど、われわれの世代にとっては今も懐かしく、ちょっぴりお洒落な響きと感傷をかき立てるアイテムである。

2020年11月5日

地球から1番近い星、2番目に近い星

空気が澄んできて、天気がいい夜は星がたくさん見えるようになってきた。

ベランダに出てみると、正面に月と火星が。

スマホには天体観測用のアプリがいくつか入っていて、その中のひとつは星にカメラを向けると、星座と星の名前を示してくれる。無料のアプリなのに便利で重宝している。

2020年10月26日

気仙沼で秋刀魚を

秋の気仙沼にやって来た。一ノ関から気仙沼線に乗換えて気仙沼駅。そこから先はBRTと呼ばれる鉄道の代替交通機関として走っているバスで南気仙沼駅へ。もともと鉄道が架設されていたところが舗装され、バス路線に替わっている。 

南気仙沼駅前で待っていてくれたタクシーの運転手さんの案内で街を回る。まず街全体を見下ろせる場所へ行きたいという僕の希望で連れて行ってくれたのは、安波山という小高い山。

そこの駐車場から街を見下ろしたが、その場所は3・11の時に気仙沼に来ていたサンドウィッチマンが、地元の方に連れられて津波から避難してきた場所だったと聞いた。

街のなかは静かだ。夜は9時頃を過ぎると、あらかたはひっそりとしている。黄色い街路灯が冷たい光で地面を照らしている。

日中はいつも旅先でそうするように時間がある限り歩き回ったが、気になったのは子どもをまったく見なかったこと。もちろんいないわけじゃないだろうけど、なぜだろう。

安波山の展望台から市内を見下ろす

町の産業は、土木業だけが栄えている

昨年ほどではないが、ことしも秋刀魚の漁獲量は少ない

2020年10月21日

近藤等則の死を悼む

ジャズトランペッターの近藤等則が亡くなった。71歳。死亡理由は明らかにされていない。

80年代なかば、ジャズの歴史をモチーフにラジオコマーシャルのシリーズを制作していた時、アドバイザーをお願いしていたジャズ評論家の油井正一さんから「面白いから」と彼の音楽を薦められた。

既存の音楽集団に属することなく、独自の理論と音作りで世界を文字通りわたりながら活動していたミュージシャンだった。 

2020年10月11日

人は、本によってできている

部屋の片付け(つまり物を減らす作業)をしていたら、岩波書店が発行している古い『図書』がでてきた。1997年の臨時増刊号で、岩波新書創刊60周年記念と題字の上に描かれている。

特集タイトルは「私の薦めるこの一冊」。岩波書店が各界で活躍している人たちにアンケートを送り、回答を返してくれた429人の「岩波新書の一冊」についての思い出やコメントが紹介されている。

「岩波新書にこんな本があったんだ」という発見だけでなく、評者と本の意外な取り合わせが面白くて、トイレに置いてしばらく眺めていた。

劇作家の人が数学に関する本を「学生時代に読んで、忘れられない」と書いていたり、天文学者が禅の本を取り上げていたり。取り上げられている本にもまして、なぜこの人がこの本を、と創造するのがとても楽しい。

一方で、政治家が政治思想史の本を取り上げていたり、歴史学者が歴史の本をこの一冊と言っていてもなんだかね。

自分が回答するとしたら、どの一冊だろう。永六輔さんの『大往生』かな。

2020年10月7日

どこへ行くのか、民放放送

武漢型肺炎感染拡大以来、この半年は自宅で仕事をする機会が増えた。時を同じくして、テレビをつけている時間も以前に比べて伸びたのが分かる。きちんと見ている、聴いているわけではないが、なんとなく仕事のBGM的に流している。

主にチャンネルを合わしているのはCNNかBBC、そうでなければNHKの地上波かBSだ。

民放局(地上波もBSも)を見ることは、最近ではTBSの「報道特集」などごく一部の番組を除いてほとんどない。

民放を見ない理由は特にない。あえて言えば、見る理由がないから。どのニュース番組も主張がないし、ゴールデンタイムの番組もほとんど何のためにやっているのか意味が分からない。しかもやらたと1つの番組が長い。

今日の民放各局の夕方以降の番組は、NTVが夕方のニュース番組(バラエティ?)が2時間10分、その後の同じくバラエティが2時間、続いてドラマが2時間(まあこれは分かる)。

テレ朝は夕方のニュースが2時間5分、続くクイズ番組が3時間10分、ニュースが1時間20分。

TBSは夕方のニュースが3時間10分、続くバラエティが3時間。

テレ東は、夕方のニュースが2時間35分、その後のバラエティが2時間。

CXは夕方のニュースが3時間15分、続くバラエティが2時間、さらに2時間のバラエティが続く。

多彩な選択肢と時間の過ごし方が可能な現代で、どのくらいの人がひとつのチャンネルのまま3時間見続けると考えているのだろう。ただこうやって時間単価あたりの番組製作費を抑えているとしか思えない。

これまで僕は、いくらネットの時代になってもマスメディアのパワーと影響力は残ると主張してきたが、それにしてもこんなコンテンツじゃあ、民放局はどこも近いうちにどうなるかホントわかんないね。

だって番組編成を見る限り、どこももう半分死んでるも同様だからサ。

 

アップデイトという弊害

最近では、エクセルで関数を使って計算する機会は以前ほどなくなった。それでもたまにやんなきゃならないことがあって、スプレッドシートを開き作業する。

そうしたとき困るのは、アイコンやボタンの位置が以前使ってたときと感じが違っていること。ソフトの機能はさほど変わってないのに操作性だけが大きく変わっていて、昔の勘ではそのまま使えない。

さっさと計算を済ませたいのに、そのまえにエクセルの使い方に新たに慣れるという手間がかかるのは愉快ではない。

もういい加減、見た目を変更するだけのアップデイトは止めにして欲しいものである。

OSのバーションがどんどん変更になるのも考えもの。セキュリティ強化などが目的なのだろうが、それにしても手元でのアップデイトには手間がかかる。集中して作業しているとき、スクリーン上にOSアップデイトの案内などが出ると気が削がれるしね。

複数のパソコンを一緒に使ってると、各機のOSのバージョンの違いにより使えるソフトが異なる不便も発生する。

もうこの辺にしたら、と言いたくなるが、売らなきゃいけない方としてはそうもいかないのだろう。

下はコンサルタントをしている友人の「スタジオ」写真。企業研修などはここ(彼の自宅)からライブでやっているそう。MacBookが3台あるけど、うまく同期を取りながらやっているんだろうなあ。


2020年10月3日

DXは、80年代のSISに似ている

DX(デジタル・トランスフォーメーション)という言葉を聞くと、1980年代後半から90年代によく耳にしたSIS(戦略的情報システム)という言葉を思い出す。

あの頃、日本ではNECが中心だったろうか、当時まだ業務用コンピュータの中心をしめていたメインフレームとそれを動かすアプリケーションを販売するために大規模な広告を通じてSISを世に知らしめた。
ある会社の社長が、部下に向かって「君、秋葉原に行ってSISを買ってきてくれ」と言ったとか言わなかったとか。
戦略的な情報システムがあるわけではない。情報システムを戦略的に活用するかという人間の思考があるだけだ。
最近巷でよく言われてるデジタル・トランスフォーメーションにも同じ匂いを感じる。デジタル・トランスフォーメーションという何か便利な仕組みや仕掛けがあり、それを組織に導入することで業務改革が実現できたり、競争力を高められるとでも言いたいような話が多い。
今まで手書きしてた社内メモをメールに替えるのもデジタル・トランスフォーメーションだ。情報をデジタルにし、使いやすくするというだけのこと。中身は変わらない。
デジタル情報を何のためにどのように使うかは、人間のアタマ次第。意味のないデジタル投資にいくら金を費やしても、それだけでは自社の競争力を高めることができないのは明らかである。
基本に立ち返り、自分たちのビジネスは何なのか、自分たちの顧客は誰なのか、顧客にどういった価値を競争相手より上手に提供できるのかを知り、そして目的と目標をはっきりした上で、初めて経営者はデジタル・トランスフォーメーションをどう使うか決めることができるはずだ。
新しい言葉に振り回され、周りに遅れまいとデジタル投資をしさえすれば自分たちの組織は戦略的に動き始め、自動的に利益をあげられるとひょっとしたら多くの日本の経営者たちは夢想してるのかもしれないが。

2020年10月2日

いきなり馬脚を現した新政権

いやあ、驚いた。日本学術会議が推薦した新会員候補を菅首相が拒否した。学術会議が推薦書を提出した105人のなかから6人の任命を拒否した。

官房長官の加藤勝信は、「首相の下の行政機関である学術会議において、政府側が責任を持って(人事を)行うのは当然」と言ってのけた。

前代未聞。同会議が設置された目的からすると、首相に任命権そのものや拒否権があるとは思えない。気に入らぬものは徹底的に排除する精神のあらわれ以外のなにものでもない。

時の政府から拒否された以下の方々は、実はわれわれにとってとても重要な研究者であることが分かったよね。きちんと覚えておきたい。

【任命されなかった6人】 (ハフポストから)

■芦名定道(京都大教授 ・キリスト教学)
「安全保障関連法に反対する学者の会」や、安保法制に反対する「自由と平和のための京大有志の会」の賛同者。

■宇野重規(東京大社会科学研究所教授・政治思想史)
憲法学者らで作る「立憲デモクラシーの会」の呼びかけ人。 2013年12月に成立した特定秘密保護法について「民主主義の基盤そのものを危うくしかねない」と批判していた。

■岡田正則(早稲田大大学院法務研究科教授・行政法)
「安全保障関連法案の廃止を求める早稲田大学有志の会」の呼び掛け人。沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設問題を巡って2018年、政府対応に抗議する声明を発表。

■小沢隆一(東京慈恵会医科大教授・憲法学)
「安全保障関連法に反対する学者の会」の賛同者。安保関連法案について、2015年7月、衆院特別委員会の中央公聴会で、野党推薦の公述人として出席、廃案を求めた。

■加藤陽子(東京大大学院人文社会系研究科教授・日本近現代史)
「立憲デモクラシーの会」の呼び掛け人。改憲や特定秘密保護法などに反対。「内閣府公文書管理委員会」委員。現在は「国立公文書館の機能・施設の在り方等に関する調査検討会議」の委員。

■松宮孝明(立命館大大学院法務研究科教授・刑事法)
犯罪を計画段階から処罰する「共謀罪」法案について、2017年6月、参院法務委員会の参考人質疑で「戦後最悪の治安立法となる」などと批判。京都新聞に対し「とんでもないところに手を出してきたなこの政権は」と思ったとインタビューに答えている。

2020年9月17日

徐々に、徐々に、なんだろうけど

関西へ取材を兼ねて出張してきた。

まだまだ新幹線で移動する人が少ないので、そのメリットを生かしての移動である。Go To 何とかを使ったわけではないが、それでも宿泊料は驚くほど安い。ホテルが気の毒になるくらいだ。

夕食後、京都市内の四条通りを歩いたところ、まだ9時前だというのに人の流れがとても少ない。


スターバックスもこの通り閑散としている。

2020年9月13日

大坂なおみがUSオープンで優勝

素晴らしい試合だった。コロナ禍で観客がいないなか、また Black lives matter の声が社会で高まるなか「自分はアスリートである前にひとりの黒人女性です」と語り、7回の試合ではそれぞれ、ジョージ・フロイド氏ら警官によって命を奪われた犠牲者の名前を白く抜いた黒地のマスクを披露した。

もちろんそうしたメッセージの確かさと力強さだけでなく、肝心の毎回のプレーも目を見張るものだった。

何年か前は、大坂といえばゲームの最中に精神的に不安定になり、コーチがまるで子どもをなだめるかのように話しかけているシーンがたびたび見られた。彼女は、まだ10代だったはず。

おそらく当時は(今もそうかもしれないが)、周囲の大人たちの駒として動かされていた苛立ちや不安が強かったのだろうと想像する。

まだ22歳だが、外から見ていても本当に成長したのが分かる。

「ニュースからの情報ばかりにならないようにして、自分の考えをつくるように心がけている」
https://www.afpbb.com/articles/-/3304344




2020年9月10日

日本企業は、ここでもまた失敗する

「日本企業が「ジョブ型」の雇用制度の導入に動き出した」で始まる新聞記事を目にした。
「ジョブ型」には括弧が付けられている。強調のしるしだ。こうやってメディアは自分たちの新たなネタを作っていく。
ここでいうジョブ型雇用は、考え方として目新しいものでも何でもない。旧来の日本型の雇用形態とされてきた新卒の一括採用、終身雇用、年功序列とは異なる企業と個人との関係のことだ。ほとんどの外資系企業は、何十年前からそれが当たり前だ。
記事の中にこんな一節があった。
全社員のジョブ型雇用への移行を目指す富士通。総務部門はジョブディスクリプション(職務記述書)と呼ばれる文書の作成に追われている。
これを読んで、残念だが富士通は彼らの考えてるジョブ型への移行は間違いなく失敗するだろうと思った。
それはなぜか? 理由は簡単だ。まず、総務部門がやる仕事ではないのだよ。次に、全社員のジョブディスクリプションをいきなり整える必要性がどこにあるのか?
それぞれのポジションにおける必要な職務内容は、その上司であるマネージャーやディレクターしか分からない。例えば、同じ企業のマーケティング・マネジャーでも、担当する事業(ビジネスユニット)によって求められるジョブ・ディスクリプションは個々に違う。
そうしたことを総務部門が事務的に作文したからといって、ほとんど意味をなさない。
また全社員のジョブ・ディスクリプションを一気に整えようと考えるのも間違っている。採用や評価の方法を変えず、一括で新入社員として採用した人たちの各配属セクションにおけるジョブ・ディスクリプションを作ったからといって何になるのだ。
ピントがずれている。

2020年9月4日

大学はいつまで閉じこもるのか

武漢型肺炎の感染拡大防止を目的に、いまだに大学の封鎖が解けない。
今は夏休みだが、休みが明けた後の秋学期も我々のところは基本的にオンラインで授業をやってくれと言われている。
一つには感染拡大初期に、京都産業大学で感染者クラスターが発生したことが原因だ。メディアで広く報道され、一説では大学に多くの非難が殺到したらしい(大学にどうしろと言うのだろう?)。
また、そのことで京都産業大学の学生を就職説明会や採用面接から意図的に外すという企業があったらしい。大学でそうした感染者が出たからといって全ての学生が感染してるわけではない。そうした企業の姿勢は、明らかな差別行為である。
感染者が出たことで大学が世間にさらされるのなら、それを理由に学生の採用を差別した企業ははっきりその名を社会に公表されてしかるべきだろう。
ところで、感染者に占める死亡者の割合をみると、年代別に大きな違いがあることが分かる。
https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000647797.pdf

70代以上は6%だが、10代や20代は統計データ上は0.0%だ。これは割合では感染者1000人中1人もいないことを示している。

一方、気をつけなきゃいけないのは60代、70代だ。つまり、大学が三密とやらを避けることで感染拡大防止を謳うのは学生のためではなく、そこに勤務する年配の教授らへの感染リスクを避けるのが目的じゃないのかね。
幼稚園や小学校、中学校、高校がすでに生徒たちに登校させているにもかかわらず、大学は一体いつまでこんなヘタレを続けるのだろう。何か起こった時に問われる責任を負いたくないと考えているだけとしか思えない。
現に.実験や実習をともなう授業は従来どおり大学内ですでに再開されているではないか。実験や実習科目はいいのに、講義科目はダメという理屈が分からない。理系の学生たちは文系の学生に比べて免疫力に優れているので感染しない、感染しても重症化しないという秘密のデータでもあるのだろうか。

2020年9月2日

印税の小切手から日本の銀行について考える

外国から郵便物が届いた。開けてみると、ポンド建ての小切手が入っていた。
英国の出版社(Routledge)から出した本の印税の支払いである。金額は大したことがないが、突然やってきた臨時収入には少しうれしくなる。
問題はその小切手をどう国内で換金、現金化するかだ。とりあえず自分が口座を持つ都市銀行に電話してみた。三菱なんとか銀行と三井なんたら銀行だ。
だがどちらも外貨建ての小切手は、今は取り扱ってないらしい。本店に持っていったら何とかしてくれそうか一応尋ねてみたが、本店でも取り扱ってないという。

じゃあこうした小切手はどうやって現金化したらいいのが聞いてみたが、どちらの銀行も「他行の事はわかりません。ご自分でお調べください」とつれない。

間違ってても構わないから、あなたの銀行員としての知識で何か顧客にアドバイスできることはないのかと少しだけ食らいついたが「間違ったことをお伝えすると、お客様にご迷惑をおかけすることになりますから」と型通りの返答。それしかできないのであれば、人間よりAIの方がまし。
ところでネットで見たら、2018年あたりから日本の銀行は外貨小切手を受け付けなくなっている。マネー・ロンダリング防止が目的らしい。ということは、金融庁からの指示なのだろう。僕の場合、マネー・ロンダリングもへったくれもない小遣い程度の金額なのに、なんだか不条理だ。
どうしたらいいか途方に暮れる。小切手を見ると、金額の上のところに発行元としてBNP Paribas London と書いてあるので、試しにBNPパリバ銀行の東京支店に電話してみた。
だがその東京支社は法人相手のビジネスをやってるだけで、個人客との取引は何もしておらずどうしていいかわからないらしい。ここでも何かアドバイスはないのかと尋ねてみたのだが、そうしたら「発行元の当行ロンドン支店に連絡してみてはいかがでしょう」と言われた。
一瞬言葉につまったが、ひょっとしてそれもありかな〜と思って、じゃあ貴行のロンドン支店の連絡先を教えて欲しいと尋ねたら、わからないからご自分で調べてくださいと言われた。あちゃー。
銀行ってのは、まったくどいつもこいつもって感じだナ。今度外国に行った時に換金するしかないのかなと思いつつ、BNPパリバの人が「通常、小切手の有効期間は6ヵ月です」と言っていたの思い出してちょっと暗い気分になった。

2020年9月1日

ヤマザキマリとブレイディみかこ

いま、書いたものがすこぶる面白いと思う書き手が2人いる。ヤマザキマリとブレイディみかこである。2人とも日本を飛び出して外国で彼の地のパートナーと暮らし、家族や周りの人たちと生活をするなかで書いている。ヤマザキの場合は、描いているというべきか。
1967年生まれのヤマザキマリは絵画を学ぶためにイタリアに渡った。1965年生まれのブレイディみかこは、ブリティッシュ・ロックに憧れて英国に向かった。ともに自由な精神を持ち、それぞれ絵画や音楽にとどまらない幅広い興味関心の域を持っている。
観察が鋭く、少なくとも一般的な日本人とはちょっと違う独特なものの見方や考え方を持つ彼女らの柔軟な発想にはっとさせられる。2人とも決してエリート的な教育を受けているわけではないが、その豊かで柔軟な知性は素晴らしい。
彼女らの他にも日本を出て、外国の地で日本や日本人について書いてる人はたくさんいる。 多くは行った先の社会にしっかり浸り、その国(例えば米国やドイツ)は本当にすばらしい、それに引き替え日本という国はどうして…といった論調で今自分が暮らす国を手放しで礼賛するか、あるいは逆に外国に来て日本のことをあらためて見直し、日本って国はなんてホントに素晴らしいんでしょう、とばかり日本を盲目的に礼賛しつつ、自分が暮らす国に厳しい批判の目を向けるかのどちらか。
そのどちらも、外国の地で暮らしてる日本人の心情を思うと理解できなくもないが、そうしたものの見方は多くが片手落ちである。
それに対してヤマザキマリもブレイディみかこも、とてもバランス感覚に優れ、相対的にかつ広い視点から物事を見てる点に感心させられる。そうした彼女らの先輩とも言うべき存在が塩野七生かもしれない。
異文化の中で日本と外国の両者の違いを柔らかな目で見て、そして表現力豊かにそこでのできごとや感じたことを書くことができるのは、なぜみんな女性なんだろう。