2020年8月27日

座らない生活を始めてみた

仕事をする時も、食事も、テレビを見るのも新聞を読むのも座ってだ。これまではそうだった。

当たり前のようにそうしてたが、長時間座ることは体によくないらしい。確かに座ってばかりいると、腹筋や背筋が緩んでくるのが分かる。

そこで立って仕事をすることにした。高さを調整できるテーブルを購入し、机の上に載せて使い始めた。僕はもともと猫背気味なので、あえて今は少し高めに設定し背筋が伸びるようにしている。

なかなかいい。ずっと同じ姿勢だと足が疲れてくるので、ときおり足踏みしたりしながら続けている。

もともと本を読むとき、家の中をぶらぶら歩きながら本を読む習慣があるので、それにも都合がいい。わざわざ「よいしょ」と立つ必要がないからだ。そのまま本を手に読書の旅に出ることができる。

今のところは、座ったままより集中できる感じが続いている。

2020年8月24日

こういう日々だから、花火の音が聞きたい

厳しかった猛暑が今日はゆるんで、日中は過ごしやすかった。このところ連日、エアコンをかけっぱなしにしていていたが、久しぶりにそのスイッチをオフにした日曜日だった。

やっと残暑も収まってきたのかもしれない。秋の訪れが待ち遠しい。

振り返ってみると、今年は花火とは縁のない夏だった。ほとんどの花火大会が、武漢型肺炎対策で中止になった。花火の音を聞くことがないまま終わる、侘しい夏の終わりになった。

花火には何も実用的な機能はない。ただ、ドーンと打ち上がって、大空でパーンとはじけ、パラパラパラと消えていくだけだ。

だが、夏を夏として人々の記憶に刻むその色と音は、これまでずっと日本人の夏のひとときに欠かすことができないものだった。

2020年8月23日

なぜ怒らない、男性社員

ゼミ生の中に、組織におけるダイバーシティ推進をテーマに修士論文の研究を進めている学生がいる。

ダイバーシティーと言っても、一言で言いあらわせられるものではない。種々の観点から定義できるが、最近メディアなどで取り上げられているもののひとつにジョブ型かデモグラフィ型かいう区分けがある。だがそれだって定義が曖昧で、両者の違いがはっきりしているとも言えないんだけどね。

それはさておき、日本企業のお粗末な大多数の経営者らにとってはダイバーシティもその本質を理解するには至らず、ただ人材多様性の別語としか理解されていない。それも一言で言えば、女性管理職の登用のことと受け取られている。

それはダイバーシティーが意味する表層のひとつであり、本質的な議論はそれとは別途に存在してる。だが、難しいことを言っても理解できない経営者らには、まあそうしたものとまず考えてもらうのも一法だ。そして、たとえ形式的であっても、とりあえずは女性を組織のできるだけ中心部分に送り込むことは無駄なことではないように思える。

「おれたち、<ダイバーシティー>を理解してるもんね」と言いたい経営者らは、女性社員の中からこれぞと思った(各部署から選抜させた)女性社員を対象にした管理職登用への資格取得のための特別研修を社内で実施する。

その根底にあるのは、経営者と人事部で女性社員を持ち上げてやっているという「してやってる」意識だ。選ばれて参加を促された女性たち自身は、そうした不自然な扱いに対して違和感を感じているという人が多いらしい。

聞いてみると、「なぜ女性だけの研修なのか?」と疑問を述べる。そうしたやり方では、自己肯定感が持てないと言う。そりゃそうだろうナ。その感覚は、まっとうだ。

一方で、経営者や人事部は鈍感の極地ともいえる。そうしたことにすら気がついておらず、彼女たちと会社のためという<好意的差別主義(benevolent sexism)>に染まっている。

もうひとつ、僕が不思議なのは、そのような企業で男性社員が声を上げないこと。同じ階層で女性だけが幹部登用を前提にした研修を与えられているのなら、それに対して異議を唱えるのが当たり前だろう。

だが、男声社員が会社に対してそうした場面で異議申し立てをした例を知らない。情けないとしか言いようがない。

この国では、ビジネスパーソンとしてまともな意識をもってるのは一部の女性だけのようだ。日本のほとんどの企業の経営者らはやっぱり基本のところが判っていないし、それらをロールモデルとして会社生活を過ごしている多くの男性サラリーマンも、残念だが思考停止のままだ。

2020年8月19日

あの夏はどこへ

猛暑が日本中で止まらない。静岡県内では、なんと40度を超える温度を観察した。国内史上最高気温だ。

熱中症患者の数もうなぎ登りで、昨日は30人の方がなくなった。病院に救急搬送されたなかで、初診時に死亡が確認された数だ。おそらく救急車で病院に運ばれなかった人、そして搬送された人の中でもその後亡くなった方が他にもいるだろう。

だから、実際は30人の数倍の人が熱中症で一日になくなっていることが推察される。武漢型肺炎(COVID-19)で昨日亡くなった人は全国で16人だから、われわれが本当に心配しなければならないのはどっちか分からなくなる。

それにしても、以前からいわれていることではあるけど、日本はもう熱帯に属する国になった。少なくとも夏の季節はそうだ。

昨年の夏、30年前に英国の大学院で一緒だった友人がシンガポールから訪ねて来た。学会出張で東京に来たという。早稲田大学の近くのレストランで食事をしたのだが、シンガポールの天気はどう?と尋ねたら、笑って "Same, same..." と。ややあって、 "Hot, very hot, very very hot..." だって。

つまりシンガポールには四季なんかなく、暑いか、とても暑いか、ものすごく暑いかってことらしい。思わず笑ったが、このところの日本の夏もまったく同じじゃないかと思う。

子どもの頃、夕方になると井戸から水を汲み、庭に打ち水をした。熱気が蒸気としてす〜と消えていき、気持ちよい風が庭に吹くのを感じる一瞬。そのあとは縁台を出して、そこでスイカを切ったり、冷えた麦茶を飲んだり、将棋を指したり。

あの夏の日はどこへいったのだろう。

2020年8月14日

ハリケーン イサイアス

先週、アメリカ東部をハリケンーンが襲った。ワシントンDC、フィラデルフィア、そしてニューヨークへと北上した。http://www.asahi.com/international/reuters/CRWKCN2500JE.html

NYに住む知り合いのところでは停電した。この暑さのなかでだ。おかげで日没と共に就寝、日の出と共に起床の日々が始まったと言っていた。

僕がコロンビア大学に研究員として行っていた2012年には、超スーパー級のハリケーン・サンディがNYを襲った。
https://tatsukimura.blogspot.com/search?q=%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%B3

彼女によると、今回のハリケーンはそれほどでもないらしいが、このところ何年かに一度はハリケーンのためNYは停電になっているという。

間違いなくこれも異常気象のひとつ。だが、そうした異常がしだいに異常でなくなってきている。

鳥と間近に空を飛ぶ感覚

映画「グランド・ジャーニー」は、実話に基づいた話らしい。鳥が好きでしょうがない野鳥の研究者とその家族が、絶滅危惧種とされているカリガネを孵化させ、自然に戻そうとする。

クリスチャンと息子のトマが、北極圏に近い場所から越冬地までカリガネたちを率いて軽飛行機で「飛ぶ」。 実話ではスウェーデンからドイツの越冬地までだったのが、フランス映画だからか、この物語のなかではノルウェーからフランスまで鳥たちを誘導しながら飛ぶ話になっている。

童話の「ニルスのふしぎな旅」を連想させる。実際、鳥たちの中で一匹だけ種類の違うカモの名前は、その童話にも出てきたアッカという名前がつけられている。

とにかくよく調教された鳥たちとの飛行シーンが素晴らしい。調教されたというより、鳥たちが彼らを親と思って一緒に飛んでいるのだろうけど。野鳥と一緒に空を飛んでいる気分になれるだけでも、今のこの時期に見る価値はあった。


ところで本編とは関係ないが、映画の主人公のトマはフランスの中学生。グランド・ジャーニーは、その彼が過ごす5週間のバカンス中の出来事だ。5週間のバカンス!だぞ。

そして彼は、その5週間を母親が離婚した父親とその間一緒に過ごすために、母親とその今の恋人にネットもまともに入らないようなところに連れてこられた。

日本の単独親権の考え方のもとでは、子供のこうした過ごし方はまずあり得ない。

この国で少子化がいつまで経っても解決の方向に向かわない理由の1つだ。

2020年8月10日

PSJの論文を投稿

7月最終週で大学の授業がすべて終了し(そう、今期はすべてZoomを使ってのオンライン授業だった)、その翌日からは投稿論文を書いていた。

F・ライクヘルドらが提唱しているNPS(Net Promoter Score)の問題点を修正した日本版NPSともいえるPSJ(Promoter Score Japan)に関するものである。

これまで海外の学会で一部を紹介してきたテーマだが、年初からの武漢肺炎の影響でまったく海外出張に出られなくなってしまったので、今年はしかたなく国内学会へ参加することにした。

PSJ®は、日本の消費者を対象にした顧客推奨度を測定するための独自の新たな指標だ。

早稲田大学マーケティング戦略研究所と僕でその商標を持っている。論文は締め切りまであまり時間がなくていささか忙しかったが、今日で一段落といったところ。

このあとは、ペンディングにしてしまっている前期授業の成績評価を早く終わらせなければ。

2020年8月5日

学生らと打ち上げ

昨日はマーケティング授業の履修者有志で呑み会があり、誘われて参加。

呑み会といっても例によってZoom上のことだけど、今のところはこれもしょうがない。授業ではできなかった話をしたり、学生らと少しプライベートに関する話もできたのがよかった。こうした機会がないと、やはり人間同士の距離感が縮まっていかない感じがするからさ。

2時間ほど酒を飲みながら(学生たちはあまり飲んでなかったみたいだけど)多岐にわたるあれやこれやの話をし、最後に記念写真(↓)を撮って終了。なかなか、おもしろかったよ!

彼らが画面上で指で示しているのは、「K」のマーク、らしい。

2020年7月31日

前期授業が終了

今週で大学の前期の授業が終わった。Zoomを使ってのライブ授業や講義ビデオを事前に撮影し、それをオンデマンドで学生が見られるようにしたり、初めての経験が多かった。

4月の時はどうなるかと思ったが、意外と教師も学生も世の中の状況が分かっているだけに強い違和感はなく、やり方に前向きに慣れようと努力し、協調的な雰囲気がいつの間にかできていた。

パソコンの画面からだと発言や質問もやりづらかろうというのは、こちらの勝手な思い込みに終わった感じだ。チャットの書き込みで質問を投げてきたり、システム上の挙手反応で質問の意思を示したりするのは学生にはストレスがなくていいのかもしれない。

画面上に並ぶ学生たちには、お互いに妙な序列を感じていなかったようだ。教室という場と違って体の大きさや声の大きさ、身なりや持ち物といった付随する情報がない分、学生たちがフラットな雰囲気のなかで自由に発言できる空間だったのだろう。

2020年7月24日

人気のないキャンパスは寂しいね

入構制限のため、夜間になるといっそうひっそりと静まりかえる大学キャンパス。照明も最小限になっていて、気を付けないと水たまりに踏み込んでしまう・・・。いつまでこれが続くのか。早く大学に賑わいが戻ってくるといい。

11号館前から大隈講堂方面。時計台の左は大隈さん銅像のシルエット

2020年7月19日

副業だからといって、相手の足下を見すぎではないのか

自宅他でリモートワークで人が働くようになって、4ヵ月目に入った。

サラリーマンは月曜から金曜日、朝から夕方までオフィスで働くもの、というのが日本社会の基本だったのがあっという間にリモートワークに取って替わられつつある。まだ少数ではあるが、リモートで働くことを基本にするところも出てきた。

そうした流れを汲むように、ヤフーが副業で働く人材を募集し始めた。戦略人材として100名。他社の正社員でありながら副業でヤフーで能力を発揮してくれる人を求む、というわけである。

試みは大変面白いと評価できる。だが、新たな事業プランや企画を立案する「アドバイザー職」としてオンラインで月最大5時間程度働き、月5万円の給料は求めている能力の割には安すぎるんじゃないかね。

2020年7月11日

グーグル漬けから抜け出すために始めたこと

個人情報を流出させられたことを書いたが、それを機に個人情報の取扱いについて考えることにした。

対象はネット企業、とりわけグーグルに渡っている個人のさまざまな情報だ。

検索はgoogle、メールはGメール、地図はgoogleマップ、ファイルの共有はgoogleドライブ、写真の保存はgoogleフォト、予定の管理はgoogleカレンダー、動画の共有や閲覧はYouTube、ブラウザーはChrome・・・と自分が何者で、どこでいつ何をしているかがグーグルに丸裸になっている。

グーグルに蓄積される個人の情報は日々積み重なっていく。使い勝手が良く、しかも無料なので負担やストレスをあまり感じることなく、当たり前のものとして使っているが、これって自分を売り渡していることだと思うようになった。

しかも、どれも無料だからわれわれ利用者はグーグルがサービスの変更やその廃止を決めても不平を申し立てられない、考えてみればとても危ういサービスなのだ。

グーグル社が保持している我々の情報はgoogle takeoutというツールを使ってデータのアーカイブをダウンロードして確認するできるらしい(まだやったことはないが)。そして「マイ・アクティビティ(myactivity.google.com)」にアクセスして、個人で「広告」の履歴を削除することはできる。

しかし、ユーザーが削除したデータがグーグルのサーバーから消去されるか、それとも匿名化された状態でグーグル内に保持されるかは、グーグル社の方針によって決まるという。

つまり、いったんグーグルにわたった個人の情報は、現時点ではどうやっても彼らの手元に残り、加工され、売り渡されると考えた方が良さそうだ。

そこで僕は、武漢肺炎禍でパソコンの画面に向かう時間が増えた中、自分なりのチャレンジを始めた。以下のような変更だ。

★検索は、google → DuckDuckGo(全然問題ない)
★メールは、Gメール → Fastmail(快適)
https://ref.fm/u24279104
★地図は、googleマップ → Appleマップ(問題なし)
★フィル共有は、googleドライブ → dropbox、evernote、その他いろいろ
★写真のクラウド保存は、googleフォト → Amazonフォト(遜色なし)
★予定の管理は、googleカレンダー → Fastmailカレンダー(問題ない)
★動画の共有は、YouTube → Vimeo(これから)
★ブラウザーは、以前からFirefoxとSafari

一番悩んだのがメールだ。これまであまりにGメールに慣れすぎているし、データの蓄積も半端ではない。だが、最終的に選択したFastmailはとてもいい。使い勝手もいいし、信頼できる。有料だが、そこはサービスを受けるものとして当然と考えることにしている。
https://ref.fm/u24279104

そうそう、いまだ移行をどうしたらよいか決めかねているのが、グーグルが運営しているこのBloggerだ。1,000を越えるこれまでのブログ記事をそのまま写真ともども問題なく移行できる先をどうしようか。

2020年7月9日

個人情報の漏洩に合う

JICA(独立行政法人国際協力機構)の下請け先組織のひとつに、一般社団法人日本国際協力センターという団体がある。

JICAの国際プロジェクトを引き受けたときの相手側の実働部隊がそこで、謝金もそこから支払われた。

振込先の僕の銀行口座や住所、電話番号などが外部に情報漏洩したことが確認されたと連絡があった。該当の銀行に連絡し、不審な入出金(入金はないだろうが)やアクセスがないかを確認してもらったところだ。

併せて、そのセンターには、僕に関する情報はすべてデータベースから消すように依頼した。彼らがセキュリティの専門会社に調査させたところ、不正アクセスは海外のサーバーからだったと聞かされた。

まさか自分が情報漏洩の対象になるなど考えていなかったが、それこそが勝手な思い込みだった。

2020年7月8日

吉日と言われても

現在住んでいるところの掲示板に、NTT東日本の貼り紙があった。来週の月曜日に建物内の回線を調査するという案内である。それはいいのだが、その案内に「2020年7月吉日」とあるのを見つけた。結婚式の案内でもないのに、何かヘンだ。


2020年7月6日

様式美、とは言わないが

新型コロナウイルスによる緊急事態宣言と休業要請。多くの分野がそのために大きな変化を求められた。

将棋の世界で何が起こったか。オンラインで将棋を行うことは技術的には何ら問題はない。既にずいぶん以前からアマチュアたちは、ネット上で対局を楽しんできた。

だが、この時期に及んでもオンラインでの公式戦は行われていない。その理由は、伝統文化の様式美が重視されているからと聞いた。

へ〜え、と唸った。これをどう考えるか。オンラインでも簡単にできるのだから、そうすればいいじゃないか、というのは一法。きちんと対戦両者が将棋盤をはさんで向き合うという「型」、すなわち様式美が公式戦の対戦をそうであると形作っているというのも一法。

今日、この4月からの新学期で初めて学生と直接会った。研究室で、大学院生に修士論文の指導を行った。時間をおいて2人。将棋の対戦と同じで、Zoomでも可能。だが、やはり直接会って話していると話題の拡がりが画面上とは違うことに気づく。

こちらは様式美というほどたいそうなものじゃないが、ネット上とは異なる実感を久しぶりに充分に感じられたのが収穫だった。

2020年7月5日

Black Lives Matter

今年5月、米国ミネソタ州で黒人が白人警官から暴力的に押さえ込まれて死亡したことから、Black Lives Matterという言葉がクローズアップされ、日本語で「黒人の命も大切だ」と訳された。

それに対してあるジャーナリストなどは、その日本語が黒人差別の事実を矮小化していると批判している。何を批判しているのだろう。「黒人の命が大切だ」と言いたいようだが、これまでの歴史と人種の問題を契機に起こってきた数々を考えれば「黒人の命も大切だ」と表現するのがもっとも適切に僕には思える。

そういえば、マイケル・ムーアが制作し、2018年に公開した映画『華氏119』にも黒人らがBlack Lives Matterと権利の主張を掲げて行進しているシーン(下の写真)があった。一瞬だけど。

『華氏119から』

2020年7月3日

あじさいの藤森神社

藤森(ふじのもり)神社のあじさい園へ。もう花の盛りは過ぎていて(6月後半が見頃だったと言われた)、咲き誇っているというより頑張って生き残っているという感じだったが、それでもまだピンク、白、紫などの大輪のあじさいが眩しい緑の中で数多く姿を見せていた。

2020年7月2日

千本ゑんま堂

打合せで久しぶりに京都へ来た。夕方から、北野天満宮の北にある千本ゑんま堂を訪ねた。寺の名前は引接寺。かつての結界に位置しており、閻魔大王を祀っている珍しい寺だ。

午後7時から風祭りという特別祈願会に参加した。梶の葉に願い事を書き、それを祈祷いただいたのち、お堂に貼られた紐に吊して願をかける。これは七夕の時に願いごとを書く短冊の原型である。吊された梶の葉は時間が経つにつれて願いごとを書いた葉の表が丸まり、自然と他には見られないようになる。


2020年6月29日

光をなくしたアップル

アップルのCDO(最高デザイン責任者)だったジョナサン・アイブが、昨年退社したことをふと思い出した。

昨日、新しいMacBook Airが届いたーー。これまで使っていたのは2013年版のMacBook Pro。自宅と研究室で同じ機種を使ってきた。だから、新しい機種はいくぶんキーボードのタッチなどに違和感を感じなくもない。しかし、そうしたことは次第に慣れるのだろう。

新しいだけあって起動が早いのがいい。

ただ、光るリンゴマークがないのに気がついた。それまで使ってきた機種は、電源を入れるとリンゴのマークがディスプレイの光を使って白く光った。

使っている時、そのリンゴマークの光は利用者には見えず、また当然ながら性能にはまったく関係ない。ただのデコレーションである。

しかし、それこそがアップルの証明だったのに、なんとも残念な気持ちだ。Airでは、2018年のモデルからトップのリングマークが光らなくなっていたらしい。


新しいMacBook Airを手にして、もうひとつ不満なのは充電のためのコネクターが変わったこと。それまでの充電コネクタは、MagSafeという名前が付けられていて、本体と磁石でくっつくことで充電をするものだった。

コネクタを本体に差し込むわけではないので、充電コードを足か何かに引っかけてしまった際にもすぐに外れ、本体には何も損傷を与えないように考えられていた。こうしたユーザー思いのところがアップルらしかったのだけど。

もうひとつ、細かいことだが、MagSageコネクタからUSB-Cタイプの充電コネクタに変わってから、そこにあったちっちゃなLEDのランプがなくなってしまった。充電時は橙で、充電完了時は緑で点灯していた。

どれもノートブックの性能そのものには関係しない。しかし、だからといって無駄というものではなかった。どれもが、すこぶる「アップルらしさ」を象徴する「デザイン」だったのだ。

 20年以上にわたってアップル製品のデザインとソフトウェア部門の責任者を務めていたアイブの目が行き届かなくなっていた、あるいは彼がその現場から退いていたということじゃないかな。

2020年6月21日

花の名は「ハナノナ」で

朝から横浜地方には大雨注意報が出ていたが、幸い雨は降らず、むしろ涼しくて散歩にはもってこいの天気だった。

裏の土手にいろんな野草が咲き乱れているのがしばらく前から気になっていて、それらの名前を知りたくて、ネットで「野草図鑑」を買おうと探しているうちに、花の名前をAIが教えてくれるアプリがあることを知った。

さっそくApp Storeで探してみると、従来の図鑑を電子本にしたものとスマホで撮影するとデータベースから検索して名前やその他の情報を示してくれるものがあった。

利便性から言えば後者で、なかでも千葉工業大学が開発した「ハナノナ」というアプリは優れものである。それに無料なのがありがたい。

使い方は実に簡単、アプリを起ち上げ、そのままスマホで植物の写真を撮るだけ。瞬時に、その写真に花の名前を表示してくれる。データベースをもとにしたこうした限的的なAIの使い方こそ、AIが一番役に立つ側面である。

散歩の楽しみが倍になった。