2013-01-06

フリーダ・カーロ博物館

メキシコを代表する女流画家であるフリーダ・カーロの博物館を訪ねた。ここはもともとフリーダの家だったところで、彼女が生まれ、晩年は夫のディエゴ・リベラと過ごし、そして亡くなったところである。


メキシコ人画家らしい、自由奔放なイマジネーションと神秘性を感じさせる作品や彼女が生前好きだった創作に影響を与えたであろう遺物が数多く展示されている。

庭には、どこから集めたのか分からない、名前など表示のない民間信仰のオブジェがいくつも置かれていた。

左の像は、まるでスターウォーズのヨーダのようだ

2013-01-04

原因不明のフライトキャンセル

メキシコへ向かうためにラガーディア空港へ。この空港を利用するのは初めてである。

同じニューヨーク市内の空港でもJFKに比べればこぢんまりした空港であるが、到着した時そこはやけに混んでいた。チェックインのための航空会社のカウンター前には恐ろしいほどの長い列。それになかなか進まない。どうしたのか・・・。

実はフライトが何便もキャンセルになり、一人ひとりに対してカウンターでその便の振り替え処理をやっていたのである。僕の乗る予定だった便もキャンセルされている。原因は知らされない。

とにかく列に並ばなければとそうしていると、係員が航空会社の電話番号が書かれたメモを客に手渡して回っている。僕ももらった。再予約のためにここに電話しろということらしい。何だこれは、と思いつつも携帯電話でダイヤルするが、つながらない。


とにかく状況が分からないまま、列に並び続ける。なかなか進まない。およそ一時間ほど並んで、やっとカウンターの順番が来た。空港の一部が安全上の理由で閉鎖されたためにフライトがいくつかキャンセルになったと言われた。その理由も尋ねたが、分からないとのこと。理由を知らされないのが、一番不安感を感じる。

フライトは、ダラス経由だったのがマイアミ経由に変更になり、当初の予定から1時間ほど遅れて出発した。どうも米国ではこうしたことはよくあるらしい。


2013-01-02

Kindle Paperwhite

12月31日に、アマゾン・ドットコムからキンドル・ペーパーホワイトがニューヨークの住居に届いた。キンドル・ファイヤーHDかどちらにしようかと考えた末、主要用途とバッテリーの持ちを考えてペーパーホワイトにした。初代のキンドルに次いで、これが2台目。

日本国内で販売されている同機の3G接続対応モデルは日本国内のみの対応なのに対し、米国内で販売されているモデルは世界中で3Gが無料で使える。その違いのせいなのか、米国内モデルの方が値段が高かったが、海外でも使える方がよいと思いこちらにした。


まず、アマゾンのキンドルサイトで、日本に置いてきた初代キンドルのライブラリーとデータを同期する。とてもスムーズで、あっという間に終わる。

本体は軽く、持ちやすく、そしてEインクは読みやすい。ベッドに寝転がったり、トイレで読んだり、お風呂に浸かりながら使ってみたが、いい感じだ。ただし、電源スイッチは下ではなく上の方に付けた方がよかった。

日本のアマゾンのサイトで、W・アイザックソンの『スティーブ・ジョブズ』をダウンロードしてみた。こちらもあっという間である。

但し、キンドル版の書籍の値段がスゴク高い! 2分冊で、それぞれが1,995円、両方で3,990円。日本語版のハードカバー書と同じ値段だ。ソフトカバー書なら、一冊1,050円である。原著は分冊になってはおらず、価格はハードカバーで18.8ドルしかしない。

日本のアマゾンのサイトでは、わざわざ価格のところに「出版社によって設定された価格です」と表示してある。


講談社のような影響力の大きな出版社は、いまもって顧客の事より書店に対する配慮が欠かせないのか。それとも、版元(Simon & Schuster)との取り決めでもあるのだろうか。アマゾンへのコミッション以外はほとんど限界費用がかからないのだから、もっと安くしてもらいたいものだ。

2012-12-30

米国Newsweekが廃刊

雑誌のニューズウィークが、今週号(2012年12月31日号)を最後に米国での紙媒体での発行を停止することになった。今後はネットだけでの発行になる。


79年の歴史を持つ、言わずとしれた米国の有力雑誌である。広告収入の減少に歯止めがかからなかったのが主要な理由とされている。時代の趨勢だろう。

昨年の春に米国に来て驚いたことの一つは、雑誌の定期購読料が驚くほど安いということ。例えば、New Yorker誌は店頭で一冊6ドル99セントするのが、年間定期購読だと一冊あたり1ドル49セントだ。ニューズウィークのライバル誌であるタイムに至っては、一冊あたり59セントである。

書店やキオスクへの流通マージンがかからないとはいえ、こうした価格ではほとんど利益はでないはずで、広告収入のための部数確保が最優先されている。しかし、人は雑誌の値段が安くなったからと云って、もともと興味がないものを読もうとはしない(価格弾力性が低い)。しかも、日本のように電車通勤者が多くない土地柄である。この国ではテレビのチャンネルも訳がわからないほど多い。当然いまはネットでもニュースやコメンタリーを探して読める。

ところで、日本版ニューズウィークはまだ健在のようだ。
http://www.newsweekjapan.jp/

Newsweekの現在のロゴマークは2011年に新しくなっている。しかし、最終号の表紙に写真に写っているビルに取り付けられたロゴはそれ以前のものだ。写真が新しいものだとしたら、同社はサインを作り直す金にも事欠いていたということだろうか。

5年後、この国のどれだけの新聞と雑誌が店頭で売られ続けているか、興味深いところである。(個人的には、紙とネットとそれぞれの利点があるので、両方あってほしい)

2012-12-24

カサブランカ空港で欺されかける (モロッコ /12 最終日)

11時過ぎのマドリッド行きフライトに乗るため、朝6時半にマラケシュで迎えの車に乗り込みカサブランカ空港へ向かう。朝食は前日にホテルに頼んで作ってもらったモロッコ風サンドイッチで道中に済ます。

空港の出国審査を終えてゲートに向かう途中、現地通貨がまだポケットに残っているのに気付いた。両替所がないか探すが見つからない。仕方ないので、免税店で何か適当に買い物でもして使ってしまえとうろついていたら、空港のインフォメーション・カウンターがあったので、そこで両替所を尋ねることにした。

そこには女性が二人。顔を見合わせて、ここにはない、との返事。そして、一人が隣のもう一人を指し「彼女のベスト・フレンドが両替してくれるかもしれない」と言うではないか。そして、やおら立ち上がったもう一人が両替してくるからと手を出した。僕は金額も確認せずポケットの現地通貨(ディルハム)をすべて彼女に渡した。彼女は金額を数える風でもなく、あそこで待っててと少し離れたベンチを指さした。

僕も一緒に行くと申し出たが、首からぶら下げたIDカードをこちらに見せ、自分しかその友人のところへいけないからと言うや、向こうへ駈けていった。待つこと15分、その女は帰って来ない。カウンターに残っているもう一人にどうなっているのか聞いても、要領を得ない。搭乗は既に始まっている。

インフォメーション・カウンターのすぐ脇で女の帰りを待っていたら、そいつが帰ってきたが、こちらがまだいることに気付くやいなや、踵を返してまた向こうへ駈けていった。僕はやっと状況を理解した。空港職員であるはずの女2人にダマされたのだ。

そのままそこにいても、金を持ってトンズラした女は帰ってこないだろうと思い、諦めたふりをして一旦インフォメーション・カウンターを離れて10分後にまた行ったら、何もなかったような顔で座っている。金をだまし取ってやったトロイ日本人は、てっきりもうモロッコの地上から消えたとでも思っていたのだろう。

突然また現れた僕を見ても、さして驚いた顔をしなかったのはこうした詐欺の常連か。金を返すように言ったが、何を言われているのか分からない振りを始めた。フライトの搭乗時間はほとんど終わりかけている。ゲートまでは5分くらいかかる。

相手を睨みつけつつ、カウンターのテーブルを平手で打ちながら「ゲット・マイ・マネー・バック」とゆっくり大声で5回繰り返した。一体何事かと周りの客が全員こちらを振り向く。すぐにセキュリティーのバッジを下げたスタッフが2人やってきた。事情を手短に話し、その女から金を取り返し、処分は任せてゲートへ走った。間に合ったが、ゲートは閉まる寸前だった。

僕をカモろうとした女たちは、コイツら。



座席についた後、汗を拭きつつ、動き出した飛行機のなかでさっきのことを考えてしまった ーー「こんなことがあるんだ」。結局、残った現地通貨は使われることなく、両替もされず、そのまままたポケットに戻って来た。こんなことなら奴らにくれてやってもよかったかなと思いつつも、こうした客を舐めた真似を許すと他の日本人客もやられることになると自分を納得させた。

モロッコよさらば、である。

2012-12-23

マラケシュ2日目 (モロッコ /11)

早朝5時半にアザーン(Adhan)と呼ばれる礼拝の時間を知らせる合図が近所のスピーカーから流れてきて、いやがおうでも目を覚まさせられる。すぐ近くにモスクがあるらしい。顔を洗ってフナ広場へ向かった。

宿から続く通路

昨晩の喧噪が嘘のように、きれいに屋台が片付けられた広場

マラケシュにも猫がたくさん
人の歯と入れ歯を売っている
夕方になるとまた広場いっぱいに屋台が広げられる
マラケシュのシンボル、クトゥビアの向こうに沈む夕日

2012-12-22

マラケシュのフナ広場 (モロッコ /10)

マラケシュの中心地が旧市街のジャマ・エル・フナ広場である。だだっ広い広場だが、夕方からさまざまな屋台が建ち並び始める。ヘビ使いなどの大道芸や民族楽器の演奏や踊り、漫談などが繰り広げられる。





ターバンを巻いたおじさんが吹く笛でコブラが鎌首をもたげるという古典的な大道芸や、民族楽器の演奏に合わせて民族衣装を着た、顔を半分くらい隠した娘がただ踊りまくるという(はっきり言って芸のない)芸が多いなか、僕が気に入ったのは、ただ子犬2匹と鷹とハツカネズミを客に見せているだけという下のおじさん。動物たちに何をさせるというわけでなく、ただ時折子犬にミルクを飲ませてやるだけという平和な「見せ物」である。



宿泊したホテルは、この広場からさらに奥の込み入ったエリアのなか。グーグルマップで確認しようにも、そこにたどり着く道が表示されない。広場にあるコーヒーショップから電話して迎えに来てもらった。



2012-12-21

ワルザザートで宿泊 (モロッコ /9)

きょうは砂漠の町メルズーガからワルザザートへ移動。遠くにオートアトラスと呼ばれる山脈を眺めながら、広大な大地の中を車でひた走る。


夕方、ワルザザートのリヤドに投宿。部屋の鍵は南京錠である。中にいる時、もし外から施錠されたら外へ出られない!? 部屋に電話はない。



砂漠の日の出 (モロッコ /8)

キャンプ地には何故か猫がいた。その猫はなぜか夜中僕のテントに入って来て、毛布を被った足下あたりに丸くなって寝ていた。

その重さと寒さで朝の5時半に目が覚め、テントの外へ出た。砂漠のなかには人口の光は何も入ってこない。頭上はまさに満天の星だ。いくつも星が流れる。寒さに震えながらも、砂の丘に立ち朝日を待つ。1時間半ほどして、空が明るくなってきた。

東の空に、うしかい座のアルクトゥルスが輝く

朝日を顔に受けながら、砂漠で野xソをする。快感である。


2012-12-20

砂丘を往く (モロッコ /7)

夕方、1時間半ほどラクダに揺られて宿泊地のテント場へ向かう。


ラクダ引きに導かれて進む

砂漠に沈む夕日

遊牧民の家 (モロッコ /6)

モロッコ、6日目。今朝、砂漠のなかで生きる遊牧民の家を訪ねた。

遊牧民は定住居を持たないものとばかり思っていたが、彼らは年がら年中移動しているわけではないらしい。移動するのは、定住地周辺では羊や山羊が食べる緑がまかなえない季節だけである。

確かに考えるまでもなく、それが合理的なやり方。無目的にあちらこちらに移動しても仕方ない。水も食料も限られた砂漠で生きるには、合理に則ったやり方が自然と求められ、それができた者だけがこうして生き延びていける。

日中、昼寝をしたり、客を迎えるための簡易テント



砂漠の狐? (モロッコ /5)

砂漠独特の生き物がいる。サソリなどがその代表だが、現地の人が「キツネ」と呼んでいるこの動物もそうだ。耳が大きく、目がつり上がっている。イタチとキツネの合いの子のような感じだけど、正しくはなんていう動物なんだろうか。


2012-12-17

フェズの旧市街は迷路だ (モロッコ /4)

午前中は、フェズのメディナ(旧市街)をガイドを雇って歩く。ここは全体が迷路のようになっていて、住居がひしめき合っている。車などは入ってこれない。道に拠るが、細いところは馬も無理だろう。狭いところでは、人が行き違うのがやっと。そうやって外敵の侵入を防いでいたのだろう。

昼食にラクダの肉を食べる。赤身の肉で、あまりクセがない。美味しいといえば、美味しい。 その後、一人でメディナを3時間ほど隅々まで歩く。当然、自分がどこを歩いているか分からなくなるが、肝心なことは方角を掴んでおくこと。そうすれば、迷路から出られなくなるということはない。







2012-12-16

巨大なモスク (モロッコ /3)

カサブランカの中心街から車で5分ほど、海に面した場所にモロッコ最大、世界で5番目の大きさを誇るモスクがある。

早朝、敷地を散策していたら、建物の下からモスクのスタッフ(らしき)3人組が手招きをする。中を見せてやる、と言っているらしい。

その中の一人がガイドよろしく、僕をモスク内に先導してくれる。そして、次々に場所を指定しては、そこに僕を立たせ、どんどん写真を撮る。手慣れたものだ。

そして最後に、指先でお札を数える仕草をしてみせ、金をせびる。別れ際には、口にチャックを引く仕草してニヤリと笑ってみせた。

2012-12-15

ろう学校生の喧嘩(モロッコ /2)

カサブランカのホテルにチェクイン後、近くを散歩に出かけた。夕方の時間、聾唖の子どもたちが建物からたくさん出てくる。ろう学校があるのだろう。歳は中学生くらいの子がほとんど。

歩道で何人かがつかみ合いをしている。喧嘩らしい。小競り合いのような感じだが、彼らは話ができないためにとても静かな争いだ。一人の子が5、6人に虐められ、こづき倒されているように見える。

やられた子が立ち上がり、相手グループの中心的な男の子に向かっていく。胸ぐらをつかみ、肩を殴り、怒りを示した後は、いったん手を離し手話で相手に何か伝えようとする。今度はやられた子が相手を蹴飛ばし、背中を何度もどつく。そして、その手で今度は手話で意志を伝えようとする。

相手に掴みかかりながら罵声を浴びせたりすることができないから、途中で手を止め、手話が交互に入る。子ども同士が喧嘩をするのは、自然なこと。だけど、この喧嘩だけは見ていて切ない思いがした。

モロッコへ 〜 エル・ジャディーダは猫の町だ(モロッコ /1)

マドリッド経由で、朝10時過ぎにカサブランカに到着。ゲートを出たところにいるはずのドライバーがいない。手配を依頼した現地の旅行代理店に電話をかけようと空港をうろつく。空港職員らしい男性に公衆電話を尋ねて案内してもらったが、2台ある公衆電話のどちらにも「故障中」の貼り紙がしてる。

どうしようかと思っていると、その職員が「国際電話か国内か」と聞いてくるので、国内と答える。すると彼はやにわに携帯電話を取りだし、相手の電話番号を教えろという。旅行会社にダイヤルした後、こちらに携帯を渡してくれた。ドライバーはゲートで待っているらしいので、こちらがどういった身なりをしているかなど伝え、ドライバーから僕を見つけてくれるように依頼する。

そして、空港職員に礼を言って携帯を返却して立ち去ろうとすると、前を立ちふさがれた。で、親指と人差し指をスリスリして札を数える仕草をする。礼をくれ、ということだ。もともとそれが目的だったのだと、その時に分かった。ジーンズの尻のポケットから1ドル紙幣1枚取り出し渡す。これじゃ少ない、もっとくれと言ってくる。もう1枚渡して、無理矢理押しのけまたゲートへ向かう。ひょっとしたら、公衆電話に貼ってある故障中の貼り紙はウソだったのかもしれない・・・。

これが今回のモロッコ旅行のスタートである。

その後、 カサブランカ空港から大西洋に面した港町、エル・ジャディーダへ向かう。ここはかつてポルトガルが支配していた海辺の町である。猫が多い。