東京、大阪、兵庫、京都の4都道府県で明日から多くの商業施設が営業を休止する。3度目で、短期集中とか言ってるが、なぜ短期集中なのか理屈は分からない。何のデータの裏付けも証明もない。「精神」だけだ。
そもそも、前首相の安倍晋三が新型コロナ感染拡大による東京五輪の延長を2年でなく1年に決めたとき、その理由として「ワクチンの開発はできる。日本の技術は落ちていない。大丈夫」と語ったそうだ(朝日新聞4月24日)。「日本はアメリカに負けない」と主張した先の大戦中の大本営と同じ。
科学的なデータや冷静な分析はそこにはない。こうあって欲しい、だからそうなるに違いない、という希望的観測のみ。
ひょっとすると、今やこれは日本という国のレガシーか?
ニュースによると、都内にある4つの寄席は25日に発令される宣言後も興行を継続することを決めたらしい。
都内の寄席は昨年6月以降に定席を再開後、場内の換気をするため、休憩を増やしたほか、フェースガードをつけて高座に上がる漫才師もいるなどの対策をとってきたという。興行を続ける理由について、浅草演芸ホールは、都からの無観客開催の要請文に「社会生活の維持に必要なものを除く」とあると指摘したうえで、「(落語や漫才などの)大衆娯楽である寄席は『必要なもの』に該当すると判断した」と説明する。都や政府がこれを取り締まるには、寄席が「不必要なもの」であることを証明しなければならない。自分たちがはっきり線引きもせず、責任逃れで曖昧なことしか言わないからこうした声が出る。
寄席に携わる人たちの声には自信と矜恃を感じる。それと強い危機感も。必要なものか、不必要か、役人が寄席についての議論で寄席やってる連中にかなうわけない。「おととい来やがれ!」だろう。
今日、昨年亡くなったチャドウィック・ボーズマンが主演する「21ブリッジズ」を観に行ったのだけど、映画の始まる前に売店で生ビールを頼んだら、申し訳なさそうに「午後7時以降はビールはお売りできないんです・・・」と言われた。
あ、そうか、と思い踵を返したが、考えてみると、映画を観賞しながら劇場内でビールを飲むことで感染が拡大するのだろうか。7時以降はダメというのは単なる形式。
形式にこだわっているから、日本のワクチン接種率はいまだ1%にも届かない。一方、下図のようにイスラエルは60%を超え、あれだけ一時は感染者数の爆発的な増加で苦しんだ英国は50%近い接種率を実現している。
英国はワクチン開発に成功したことに加え、NHSが主導してボランティアを募ってワクチンの接種を広く、素早くやった。医療に従事した経験があるなしを問わず、大卒で(基礎的な知識の証明)かつ犯罪歴がないことを条件に誰でも応募できるようにした。
椅子に座り注射を受けているのは練習台の人形 |
ボランティアたちは研修を受けたのち、全国各地の施設で人々のワクチンの接種にあたった。その結果、いまでは国民全体の半数がワクチン接種を終えて、通常に近い生活を取り戻すことにつながった。
日本では今も注射をすることが認められてるのは医師と看護師に限られているが、何が本当の課題なのかを考えれば、これまでの政府の多くの対応がいかに焦点がぼけているものの連続だったかが分かるはず。保健所でのPCR検査を始め、GO TOなんとかやら。
戦略的な思考はそこになく、場当たり的なことばかり。これまでも、そしてこれからもそれが続くと思うと暗い気持になる。
ところで、高度な外科手術を支援するロボットが既に世の中にあるなか、いまだ注射ひとつロボティクス技術でできないのはどうしてなのだろう。