いま、日本と海外の双方で活躍している日本人俳優は少ない。渡辺謙や真田広之が思い浮かぶが、それ以外に誰がいるかすぐには思い出せない。
その渡辺謙が、自分の俳優人生を振り返ったドキュメンタリーがあった。その中で、渡辺は外国で仕事をすることの難しさや戸惑いについて語っている。
彼はイーストウッドが監督をした「硫黄島からの手紙」で主人公である栗林中将を演じ、それ以前には42歳の時、トム・クルーズと共演をした「ラスト・サムライ」でアメリカ映画に出演した。
海外で働く上ではバランスを上手にとってやっていかなければならない大切さについて渡辺は話すとともに、海外での仕事場を「違うことが面白い」と語る。同じ映画を作っている人間といっても、ベースにある文化やそれぞれの現場での感覚も違うと。そこでの違いが面白いと言うのだ。違いを面白いと思う感覚。これがあるから海外で外国人スタッフと仕事ができるのである。
彼が言っているのは映画撮影の現場での日本とアメリカでの違いだが、そうした違いは意外とどこにでもある。そこで思い出したのが、僕が教える社会人大学院でのあるクラスの中での話。学生は60名強だったろうか。彼らをグループに分け、毎回授業の冒頭でそれぞれのグループごとにこちらが指示をしたテーマについてディスカッションをさせ、各グループごとに考えをまとめさせた。
同じグループだと考えが固定化し面白くないだろうと思い、まず学生たちにアンケートをとった。現在のグループ編成について(1)このままで良い(2)編成を変えた方がよい(3)どちらでも構わないの3択の質問に答えてもらった。
変えてほしいという2番目の回答が半分以上あった場合には、全体をシャッフルして新しいグループ編成にするつもりでいた。が、回答を見るとそう答えた学生はわずか1割ほど。
彼らがグループを変えて欲しいと思った理由は、おそらくメンバーに何らかの不満があったのか、もしくは不満がなくても新しい顔ぶれと討議をしたかったからだろう。別に不思議ではない。
そこで、グループを変えてほしいと希望してきた1割ほどの学生たちを別のグループに移行することにした。そうしたところ、当初、グループを変えてほしいと言ってたその何人かが「悪目立ち」するのが嫌だから元のグループに戻してほしいと連絡してきた。以前のグループのメンバーに対して自分が不満を持っていると思われるのが厭だという。
そのとき、「悪目立ち」と言う日本語を初めて聞いた。そんな言葉、いままで使ったことがなかったからね。不思議な言葉があるんだなぁと思いながら対応した覚えがある。
同調圧力、目立ちたくない、周りから浮きたくない、皆と違うと思われたくない。みんな、自分が思うところのコンフォート・ゾーンにいないと不安で仕方ないのだろう。
かつて渡辺謙は、自分の役者としての可能性を広げるために意を決して海外に出て行ったに違いない。そしてそこで、彼は「違うことが面白い」というひとつの感覚を得た。そのことが彼を世界で通用する俳優にした。
違うことを面白いと思えるか思えないか、その違いは日本の若いサラリーマンにとって思いのほか大きい。「悪目立ち」なんてものは、ないんだよ。