丸一日、坂本龍一の音楽を聞きながら仕事をしていた。
手元にあった『新潮』に掲載されていた、彼の連載(インタビュー記事をもとに構成)「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」をあらためて読むと、坂本の脱原発(NO NUKES)への思いが筋金入りで並々ならぬものだったことが伝わってくる。
彼は見ることができなかったけど、明後日4月6日は今年にはいって4度目の満月である。今日は十三夜、雲がなく空が晴れていたのでベランダから夜空にカメラを向けてみた。
F8、1/250、ISO100で撮影 |
日本の経営の特性、あるいは日本企業の硬直化を示す概念として、年功序列、終身雇用とならんで新卒一括採用があげられる。
同質化した社員がみんなで一緒に、同じ仕事を同じようにやることが組織のパフォーマンスをあげることにつながった高度経済成長期の製造業モデルである。
学校を卒業した学生が実社会に入る最初の儀式が、入社式。そこからスタートして、彼ら彼女らは年功序列や終身雇用、男性優位といった、すでにその合理性に綻びが出ている社内規範に組み込まれていく。
今日、多くの企業で入社式が行われた。報道でそうした写真を見たが、ほとんどはこれまで通りのいわゆる入社式である。新入社員の服装は、昔から変わらぬ紺色スーツ。社長らのスピーチも代わり映えしない。日本の「ザ・入社式」は不滅のようだ。
社長が若い人たちを一同に集め、壇上から「おれが社長」「おれが雇用主」「この会社はこういう会社」「お前らはその構成員」と喋りたいことから儀式としての入社式は始まった。ただそれだけである。
「多様性を尊重した職場で、個性を大いに生かして活躍して欲しい」とある大手電機メーカーの社長が壇上から挨拶しているのを見ても、多様性や個性がその会社で本当に尊重されているとはどうも思えない。
小学校、中学校、高校、大学と入学式が行われているから、その次は会社の入社式という日本的なひとつの惰性のなかの習慣である。たしかに学校は6、3、3、4という区切りがあり、ひとつのステージとして成立している。しかし、会社は違う。定年まで40年間そこにいる人もいれば、半年後には転職している人もいるだろう。
4月に入社した新卒と呼ばれる若者だけを対象にそうした儀式が行われるのも、考えてみればヘンではないか。新卒とか中途とかの境は設けない方がいいとぼくは思っている。同じ組織のなかで仕事をしているのは変わらないのだから。また非正規で働く人たちは、ここでも完全に透明化されている。
入社式は「社長が直接、社員に語りかける貴重な機会だから」や「同期の結びつき、結束を固めるためのよい機会」「人生の節目としてたいせつ」などという言葉が返ってきそうだけど、どれも勘違い。社長は入社式じゃなくてもつねに社員に考えを伝える必要がある。社長ならば、その手段はいくらでももっているはずだ。
同期の結束というのは、本人たちにとってはひとつの安全弁かもしれないが、年功序列意識を構成するベースになっている気がする。
入社の際のセレモニーが人生の節目と考えるかどうかは個人の考えであり、それが好ましいと思う人は家族や友人とプライベートで祝えばよい。
そもそも諸外国では、学校ですら入学式自体がない。オリエンテーションが行われ、続いて授業が始まるだけ。その代わり、卒業式は盛大に祝う。なぜなら、卒業はひとつのAchievement(達成)を示すからだ。それに対して、入学はただのスタート。お祝いする理由がない。
入社式で社長が入社してきた人に向かってうやうやしく「新入社員の皆さん、入社おめでとうございます」などと挨拶するのは本来はヘンなのだ。
あなたの周りにはいないだろうか。いつからそこにいるか本人以外誰も憶えておらず、もちろん入社式も歓迎会もなくそこで働き始め、いまではあなたの部署で欠かせない仕事をしてくれている、実は派遣や任期付きの契約で働いている人たちが。
英国から小包が来た。送付元名はWorld of Booksとある。英国にある書店のようだけど、本を注文した覚えはない。
宛名はぼく宛で間違いないので開封してみると、Julian Copeの"JAPROCKSAMPLER"という本が入っていた。この著者についてぼくは聞いたことがない。本のタイトルも初見だ。
おそらく英国の友人Pからのものだろうと踏んで、「届いた」とだけ連絡したら、無事届いてよかったと返信があった。彼はぼくとほぼ同年代。国は違えど、ロックを聞いて育ってきたのは同じ。
ジュリアン・コープは1957年生まれの英国のロック・ミュージシャン。メインストリームを走ってきたミュージシャンではなく(もしそうであれば知ってる)、かなりエキセントリックな音楽をずーとやってきている人物のようだ。
それはそうと、そうした英国のロック・ミュージシャンが、よくもまあというくらい日本の、それも60年代から70年代にかけて、つまり彼が10代の頃のファーイーストの国のロックをこれだけ調べたもんだと感心至極である。
本の巻末にAuthor's Top 50が掲載されていて、これがユニークで面白い。トップ50アルバムなんだけど、1〜3位はFlower Travellin' BandのSATORI、Speed, Glue $ ShinkiのEVE、Les Rallizes DenudesのHeavier Than a Death in the Familyがあげられている。
そのほか特徴的なところでは、天井桟敷のJ. A. シーザーや佐藤允彦のアルバムがそれぞれ複数枚取り上げられている一方で、はっぴいえんどやYMOは1枚も入っていないことか。(ところで今、ウィキペディアのYMOの欄を見たら、そこには既に坂本龍一が「71歳没」と記されていた!)
「全国子ども電話相談室」という、長年続いたTBSのラジオ番組があった。
ずいぶん昔のことだが、たまたまラジオをつけるとその番組が流れてきて、その日の質問は小学生の少女からのものだった。
「人間は、もともとは猿だったんですよね。いま、私の家で猿を飼っているんですけど、いつまでたっても人間にならないんです」というのが彼女の悩み(相談内容)だった。
まるで村上春樹の小説にでも出てきそうな素敵な相談だ。
猿といえば、立憲民主党の小西議員による「サル発言」である。彼が衆院憲法審査会について、「毎週開催ってサルのやることだ」と発言した件だ。
各党から発言の撤回や謝罪を求める意見が相次ぎ、小西氏は30日、「不快な思いをされた方々にはおわびしたい」と陳謝した。
参院憲法審の幹事懇談会後、記者団に対して話した先の発言だが、もう少し正確に引用すると「(参院憲法審では)毎週開催はやりたくない。毎週開催ってサルのやることだ。憲法を真面目に議論しようと思ったら毎週開催なんかできない」と言ったらしい。
また、週1回の開催が定着している衆院憲法審について「何も考えていない人たちだ。蛮族の行為だ。衆院なんて誰かが書いている原稿を読んでいるだけだ」とも語った。
それに対して党の内外から「侮辱」だとの多くの反発の声が上がり、日本維新の会幹部は「誠実に議論している人をサルに例えるとは、憲法を議論する資格がない。立民は厳しく処分すべきだ」と語ったらしい。その後、小西は党によって更迭された。
だが日本維新がいう「誠実に議論している」とは、いったいどういう状態を指しているのだろう。上っ面の言葉だけに聞こえるし、そういった人たちを猿と例えるのが、なぜにそれほどまでに問題になるのか。笑ってすませばいいだけだろう。
ぼくも小西氏の言うように、憲法について政治家が毎週毎週議論をするということが実質的な議論として成立するとは考えられない。審査会事務局(つまり役人)のシナリオのもとで表向きだけ飾る操り人形と化すだけである。
それは猿回しの猿のことを指す。
永田町の猿は、いつ人間になるのか。
先日、生成AIが利用できるようになって大学などの教育の場に大きな影響が及ぶということを書いた。
そしたら、友人のN山さんがこんな話をしてくれた。学生たちはもうレポートも卒業論文も修士論文も自分で書かなくなるでしょうと。
彼が言うには、生成AIに書かせた論文やレポートはまだその真偽を見分ける余地が残っている。だがそれを翻訳サイトでちょちょっと加工すればわからなくなるのだ。
生成AIに作成させた論文やレポート、あるいは学生がどこかで見つけてきた他者の論文などをネット上の翻訳サイトを使っていくつかの言語間で翻訳を繰り返し、最終的に日本語に翻訳させると、類似度判定のシステムを用いても見破ることはできない「オリジナル」なものができあがると。
そうだろうね。
そして、これを防ぐ手立ては今のところない。 学生ら自らの倫理観に頼るしかないのが心許ない。パンドラの箱が開いた感じだ。
ウクライナで繰り広げられている紛争は世界中の人たちが知っている。ロシア軍によって多くの民間人まで殺害され、街が破壊されている状況に世界中の人たちが胸を痛め、心を彼の地へ寄り添わせている。
だが、ウクライナに限らず、暴力的なチカラに抑え込まれ、途切れることのない人権蹂躙の行為が問われることなく放置されたままの紛争地は世界各地に残っている。その1つが、ミャンマーだ。
その悪行に胸が悪くなるようなミャンマーの軍事政権は、この1月に政党登録法という新たな法律を制定し、自分らの気に入らないと思う政党を選挙の場から排除できるようにした。
それを受けて、NLD(国民民主連盟)が解散に追い込まれた。自発的に自分たちで解散を決定したのではない。選挙への届出から排除されたNLDが、現地の選管から政党登録を抹消され、それに伴って解散処分とすると宣言されたのだ。
ミャンマーは何度か訪ねている。旧いパスポートで確認したら、初めて行ったのは36年前の1987年9月だった。当時の国名はミャンマーではなく、ビルマ。首都の名はヤンゴンではなく、ラングーンだった。首都と言っても街の中心部から少し離れれば、そこに水田が広がるのどかな静かな土地だった。
滞在中に現地の女性と知り合いになった。夕方、ホテルの近くを散歩しているときに偶然出会った彼女は、片言の日本語も話した。
その後、手紙をやり取りするなかで彼女がNLDというグループを支援していることを知らされたのは翌年の1988年、NLDが設立された年だ。そしてその翌年、1989年にビルマは国名が軍政によってミャンマーに変更された。
諸外国の中でその軍事政権をどこよりも早く承認し、かの国の呼び名をミャンマーに変更したのは日本政府である。日本政府は今もその国の軍事政権を支持している。あんなに一般市民を殺戮し、苦しめているというのに。
ミャンマーの軍政を後押しする日本の政治家たちの狙いがぼくには分からないが、よっぽど覇権主義に憧れを持ち、民主主義を嫌っているのだろう。
以前のノートを見ていたら、病院に通院した折にたまたま測定した血圧と脈拍数のデータが貼ってあった。13:00、13:02、13:03としつこく3度測ってある。確か待合室にあった測定機器に腕を入れたままで測ったものだ。
面白いことに、血圧には「家庭血圧」と「診察室血圧」という2種類がある。それらの標準値はというと、診察室血圧の方が家庭血圧に比べて5高い。自宅で測るのに比べて、病院などで測ると心理的な要因で5ほど上がるのだろう。
惚れている相手の前なんかだと5どころではない、30くらいはすぐに上がりそう。「恋愛血圧」とでも呼ぼうか。
人間のからだはきわめて複雑なシステムだから、ちょっとした状況の変化にもすぐに反応する。だから検査などでもし好ましくない結果など聞かされても、あまり信用しないほうがいいと思った。
野口悠紀雄さんならやるだろうナ、と思っていたことをやってくれた。
生成AIに、試しに評論や論文を書かせてみることだ。彼が使ったのはマイクロソフトのBingで、それに経済評論を書かせるという作業を実験的にやらせてみた。
僕は自分では使ってみてはいないので知らなかったが、Bingがアウトプットする文章には文字数制限が設定されている。しかしそれも、有料バージョンでそのうちそうした制約はなくなるだろう。
今回、3000文字程度の経済評論の仕上げを野口さんは想定したので、何回かに分けて生成AIに作業をさせた。生成AIが作成した文章そのものは紹介されていないが、それは一見すれば問題のない「立派な」評論だったようだ。
ポイントは指示を明確に出しさえすれば、それなりのアウトプットが期待できると言うことだ。
そして彼は、「経済評論や経済解説の多くが存在意義を失った」と述べる。失うだろうではない、失った、だ。生成AIが我われの周りで話題になってまだ1年にもならないというのに。ビジネスユースを想定した正規版は、まだリリースされていないというのにだ。
概要だけを書けば、それで十分です。あとは、生成系AIが詳しいデータや詳しい状況を調べて、わかりやすい記事に仕立ててくれます。したがって、新聞や雑誌や書籍、あるいはウェブにある解説記事の多くは、少なくとも潜在的には、もはや存在意義を失ったと言うことができます。
驚きと不安な気持ちが押し寄せる。
大学という環境を考えれば、学生らの学びのスタイルが急変する可能性がある。今後、ほとんどの分野で学生らはレポートというものを自分の頭と手で書く必要がなくなるからだ。特に学校教育の場で多い「〜について述べよ」といった、テーマが既に設定され、特定の領域を扱うレポートやエッセイの作成は生成AIの独壇場になる。
便利な世の中になったもんだねえ〜
そして若者たちがますます自分の頭を使わなくなる時代が進む。
こうなると狐と狸の化かし合いではないが、どんなレポート課題を設定するかがカギとなる。
こうしたブログもキーワードさえ指示すれば、対話型生成AIが勝手に僕の代わりに書いてくれるようになるんだろう。
10年続いたアベノミクスの生みの親である経済学者の浜田宏一(87歳)は、長期に及ぶこの政策での効果について問われ、こう回答した。
賃金が上がらなかったのは予想外。私は上がると漠然と思っていたし、安倍首相も同じだと思う。
これを聞いて驚いたのは僕だけじゃないだろう。 「漠然と思った」という理由で始めて、期待した効果が出ないからずーと続けてきて、気がついたら10年も経っていた、というのだから。
「安倍首相も同じだ思う」と言うが、彼から請われて内閣官房参与を長年続けていたからこそ安倍が信用したわけだろう。それを今さら(本人が亡くなったからと)彼に責任を負わせてどうする。
2013年4月に金融緩和策が始まり、為替を円安に誘導した。彼らの思わくは、それによって①輸出関連の大企業の収益が上がる→②賃金が上昇する→③消費が拡大する、という<トリクルダウン>を狙ったものだった。
輸出関連企業の収益は確かに大幅に改善した。だが、賃金へは転嫁されず、また下請けの中小企業に恩恵は及ばなかった。
浜田は「予想外」とコメントしたが、その予想自体は本人が言うとおり、「漠然とした思い込み」でしかなかったわけだ。
企業の収益が上がると賃金が上がるとか、中小企業も併せて収益が上がるとか、あまりにも現実の企業経営や日本の経営者の思考パターンを知らなさすぎるのに愕然とする。賃金が上がるかどうかはアルゴリズムでもメカニズムでもなく、どう考え判断するかという経営者の気持ち次第だ。
彼らの考えた政策の結果、めちゃくちゃな金融緩和策が10年続き、日銀は目がくらむほどの規模の国債を買った。そして身動きが取れなくなっている。
ここに至るまで、なぜ路線変更ができなかったのか。アベノミクスがアホノミクスと言われる所以だ。
所謂「袴田事件」の特別抗告を、東京高検が断念した。反論の余地を探せないという理由からだ。事件発生から57年が経っている。
それにしても、袴田さんの自白にいたる経緯、逮捕の決め手となった味噌樽から見つかった衣類など、どうみても嘘、つまり捏造なのは明らかなのに、なぜこれまで判決が翻なかったかというと、検察がその「権威」を傷つけられたくないがために制度の不備に乗じて再審を拒んだからだ。
時間がたてばたつほど、組織は自らの過ちを認められなくなるのがよく判る。
57年前に袴田さんを逮捕し、自白を強要し、証拠を捏造した警察官はもう退官している。亡くなっているかもしれない。袴田さんを死刑に追いやった当時の検察の担当もいまはもういない
それから半世紀以上、検察の担当者は何代何代にもわたって引き継がれてきた。当然ながら、一方の袴田さん個人はそのままだ。
何代にもわたって袴田さんの有罪を主張してきた検察官は、組織の先輩らの意向に反して今さら無罪ということを口にできなかった。彼らにとって最優先されるのは、事件の真偽でも法の正義でもない。組織の中での自己の立場と組織防衛だけだから。
だから、先代からの検察官の顔に泥を塗ることにならないよう、そこには正義がないにもかかわらず袴田さんを死刑囚のままおいておかざるを得なかった。それが彼ら検察のプライドだったというが、あまりにも歪んでいる。
警察と検察という個人の顔が見えない組織の保守性、硬直性、怖ろしさ、いかがわしさがこれほどまでに表出するとは。
今後、彼らは袴田さんにどのように謝罪、補償していくのだろうか。
このタイトルがいい、思い切りがいい。どうだ、という製作者の声が聞こえてくる。
本年度のアカデミー賞で作品賞をはじめ7部門でオスカーを受賞した。コインランドリーからマルチバースまで。白人らが演じたのではただのマンガ。登場人物がアジア系ぞろいだから成立している。
主演女優賞はミッシェル・ヨーが、そして助演男優賞は中国系ベトナム人で難民だったキー・ホイ・クアンが受賞した。クアンは「私の旅はボートで始まった。難民キャンプで1年過ごし、なぜかハリウッド最大の舞台にたどりついた。そんなの映画でしか起こらないと言われるが、信じられないことに私に起こった。アメリカン・ドリームだ」と受賞式で語った。
感動的なスピーチであるが、僕は「アメリカン・ドリーム」とは思わない。運営者側が、いまそれが相応しいと考えた「アメリカン・デシジョン」だからだ。
何ごともタイミング。それを象徴する出来事のひとつである。
ミッシェル・ヨーの見事な上腕二頭筋も表彰したい |
ただ、基本の全体設計がその保険会社にとっての省力化、つまりコスト削減を最優先に開発されてる。たとえば、その保険に加入後はこれまでのような電話でのカスターサービスの電話窓口はなくなる。
契約者による問合せは、すべてその会社のウェブサイト上で客が自分で答えを探すことになる。あるいはチャットボックスと「対話」するしかなくなる。
次にコンタクトしたのは、以前加入していたAダイレクト保険。たまたまそこから送られて来たDMが手元にあったから。サイトにアクセスし、DM上に記された見積もり番号を入力してみた。が、画面がなかなか表示されない。仕方ないので電話した。
状況を話すと「お客様が使っているのはMacですか。Mac以外のパソコンでやってみてください」といとも簡単に言われる。アホかと思う。さすがにアホかとは言わなかったが、何とかするのがお前らの仕事だろう、くらいのことは当然伝える。
「お客様のは推奨環境ではないので難しいと思います」「別のブラウザーでやってみはいかがでしょう」だって。
どうしてそんな案内になるのか。
Jimdoというツールを使ってウェブサイトを作ってきた。先日、その運営会社のKDDIが利用料金を改定すると言ってきた。
料金がいきなり24%上がる。理由の説明はない。あるか・・・「今後も安全に安定したサービスを提供し続けるため」だというが、やはり説明になってない。
サイトは2012年4月に開設したものだから、開設して11年。長期割引で利用料を安くしてくれるのなら分かるが、逆にこれほど値上げするとは。現在の料金ですら、開設当時と比べて2倍以上になっている。
開設済みのサイトを他社サービスに移行するのは簡単ではない。こうした料金改定は利用者の足下を見てる。
もともと学生に資料を配付するために作ったサイトだが、所属している大学が3年ほど前からオープンソースの学習システムである Moodleを導入したので当初の目的としての用途はなくなっていた。
ということで、今回の値上げを機に有料契約を切ることにした。
朝刊一面で見つけた年月を示す数字。
87歳の袴田巌さんを巡る「袴田事件」について、東京高裁は裁判のやり直しを求める再審請求を認めた。
事件発生から57年がたつ。彼は死刑判決を受けた後、執行への恐怖から解離性同一性障害になり、自己を否定するようになったという。でっち上げられた証拠で不当な判決がなされ、国という権力から「お前を殺す」という、殺人予告を裁判での死刑確定から42年間受けてきたのだから。その彼を支えてきた姉のひで子さんは90歳だ。お元気だ。
ささやかながら個人的に袴田巌さんを支援してきた身としても、やっとという感慨がある。
袴田さんのひとつ年上の88歳で、訃報が報じられていたのは作家の大江健三郎さん。
同じく訃報として掲載されていたのが、元宝塚で元参院議長の扇千景さん。大江よりひとつ上の89歳。60年代、当時の富士写真フイルム製の8ミリカメラのテレビCMに出ていたのを憶えている。懐かしい。
イトーヨーカドー堂創業者の伊藤雅俊氏は98歳だった。敗戦後、千住の2坪あまりの洋装店の建て直しから、現在の巨大流通グループを作った経営者。戦後以降の高度成長期という時代もあるが、もう彼のような経営者は日本には現れない気がする。
昭和を強く思い起こさせる5人の方々である。
リューベン・オルストン監督の『逆転のトライアングル』には、自由奔放な意地悪さが溢れている。本年度のアカデミー賞作品賞の候補作のひとつである。
原題は「Triangle of
Sadness」。額の眉間の皺がよった箇所をしめす美容・ファッション業界の用語らしい。日本語にすると「悲しみのトライアングル」か。もってまわった大仰なこの言い回しを映画タイトルに据えたところが、オルストンの意地悪さの第一歩
。
物語の展開は、パート1から3までの3幕で繰り広げられる。それぞれが「起」「承」「転」であり、最後の3分ほどで「結」をなす。パート1は主人公ふたりについてのこと、パート2は豪華客船に乗り合わせた大富豪などの俗物らと船上でのエピソード。パート3では、船が海賊に襲われ爆破され、カールとヤヤほか数名が無人島に流れ着いたあとの逆転劇となる。
映画は、登場人物のロシアの大富豪(オルガルヒ)や、武器製造会社のオーナーでこれまた大金持ちの英国人夫婦などを底意地悪くからかい、嘲っている。ここで彼らを笑うか、またどう笑うかで観ている方が試される。
最後の3分。ハッとさせられる。この展開はどこかで見たことがあるなと思ったら、1968年公開のフランクリン・シャフナー監督の「猿の惑星」(Planet of the Apes)だと気づいた。
監督のオルストンは、それをやりたくてこの映画を作ったんじゃないのかね。
この作品、笑える話題作ではあるが、作品賞はなさそう。
毎年3月11日には、あの頃のことを思い出すために以下のアーカイブを見ることにしている。ニューヨーク・タイムズのカメラマンが撮った3月11日から27日までの254点の写真である。
船が陸地に乗り上げ、
家屋が崩壊し、
棺が地中に並べられ、
原発は煙と水蒸気を吹き上げ、
体育館には全面にシートが敷かれ、
理容師や医師や学生のボランティアが集まり、
街があった場所は一面の瓦礫と化し、
老人は雪のなか崩れ落ち、
絞られた生乳は捨てられ、
泥で汚れた写真が見つかり、
多くの人が担ぎ出され、
見つけ出された遺体はブルーのシートでくるまれ、
店頭から商品が消え、
墓石は倒れ、
人々は掲示板の訪ね人メッセージに目を凝らし、
配給の弁当を受け取る長い静かな列ができ、
被災者らの額には放射能の線量計があてられ、
壊れたマネキンの男は笑い、
自衛隊員は黙々と作業し、
人々は手を合わせる。
ニューヨーク・タイムズ紙掲載の写真(2011年3月13日) |
1945年の今日、東京大空襲と呼ばれる米軍からの大型攻撃があった。飛来した約300機のB29からの焼夷弾など約30万発、約1700トンが投下されるという無差別攻撃で100万人が罹災し、10万5千人が亡くなった。 この被害者数は半端ではない。市民を対象にした大殺戮と云える。
その5ヵ月後、広島と長崎に原爆が投下され、それぞれの地で14万人、7万4千人(1945年末まで)が亡くなった。それと比較しても、東京大空襲で受けた被害の大きさが分かる。
海外の多くの人たちも「ヒロシマ」「ナガサキ」のことは知っている。だが、「トウキョウ」でのことはあまり知られていない。
都市への空爆というと、アメリカの小説家カート・ボネガットが書いたドイツのドレスデンへの空爆を思い起こす。それは、ドイツ本土空爆の中で最大と言われ、「ドイツのヒロシマ」とも呼ばれている。その空爆での犠牲者数は6万人。トウキョウの数は、それを優に上回る。
少し過去を振り返ってみよう。東京へのB29による空襲は1944年11月24日から始まった。爆撃機が飛び立ったのは北マリアナ諸島の島からだ。それを可能にしたのは、同年7月にサイパン島が、そして続いてテニアン島が陥落したのが決め手になった。
それを機に米軍は制空権を手にし、自由に日本の本土に空襲を仕掛けた。高度1万メートルを飛行するB29 を迎撃できる戦闘機など、そのとき日本にはもうほとんど残ってはなかった。
つまり、このタイミングで日本の敗戦は決定的になっていた。すでに詰んでいたのだ。
死者の数や被害を無駄に広げないためには、その時点で戦争を終結させるしかなかったはずなのに、そうはならなかった。というのは、責任ある立場の人間がそう判断しなかったから。軍部と天皇だ。
情けないことに軍部は既に混乱を極めていた。天皇が決めるしかなかったはずだが、そうしなかった。このまま降参すれば、陸海軍の統帥権を持つ昭和天皇は自分が戦争責任を連合軍から問われるのは必至で、どのように処分されるかを考えたわけだ。
結果、78年前の今日、10万人が死んだ。そして、8月には原爆が投下されて20万人以上が亡くなった。
責任を取るべき立場の者が責任を取らず、国民の生命と生活より自らの保身を最優先した。為政者が頬被りしてやり過ごすこの国の体制が、この時期に出来上がってしまった。そして、今もそれは変わっちゃいない。
来週月曜日(3月13日)からマスク着用への政府の指示が変わる。これまでの「推奨」だったものが「指針の見直し」とかで「個人の判断」になるらしい。
厚労省のサイトには「令和5年3月12日までは、これまで同様に場面に応じた適切なマスクの着脱をお願いします 」と書いてある。
よくわからない。13日になると医学的、医療環境的に何が起こるからというのか。12/13日の区切りの根拠がない。
「右向け右」と号令をかけるには、タイミングを一にして一斉に、ということなんだろう。
ジャニーズのジャニー喜多川を取り上げたBBCの特番が日本でも放送される。3月18日(土)午後6時からの放映である。
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-64832492
気色悪いこのおっさんのことはまた別の機会に取り上げるとして、日本のメディアはことごとく(文春などの少数を除いて)この件について無視を貫いている。特にテレビは全滅。完全な無視である。
それは彼らがジャニーズのタレントなしでは既に番組の編成と制作ができなくなっているから。毒まんじゅうを食い過ぎて、それなしで体が付いていかなくなくなっているから。
毒は完全にまわり、誰もどうにも手が打てないようだ。