2019年9月4日

ロケットマン

エルトン・ジョン、本名はレジナルド・ケネス・ドワイト。

デビュー前、バンドマンの仕事をアルバイトでやっていたときに、仕事仲間に人生を変えたけりゃ名前を変えなと言われたのがきっかけで、エルトン・ジョンに。結果的はそれは大成功だったと思う。

『ロケットマン』は彼の半生をモチーフにした伝記映画。描かれているのは、彼の少年時代から1983年までの姿である。


冒頭、ファンキーなステージ衣装で進むエルトンが向かう先は、ドラッグ中毒者の更生施設での集団カウンセリングの場。このつかみは、上出来だ。これから語られる最高のロックミュージックとその裏側を観るものに想像させる。

エルトンを演じるのは、ウェールズ出身の俳優、タロン・エガートン。吹き替えなしで唄を歌っている。その歌を評価する声も多いが、僕にはまだ『ボヘミアン・ラプソディ』でフレディを演じたラミ・マレックの方が許容できる。

エルトンの歌をその時代に聞いてない観客にはそれでも構わないのだろうが、違和感は終わりまで消えなかった。

音楽的には、ポール・バックマスターのアレンジャーとしての才能をあらためて再確認した。彼のストリングスのアレンジが、エルトンの曲に厚みと奥行きを与え、間違いなく音楽性を格段に高めている。

また天才的な音楽の才能をもつエルトンだけど、ほとんどの曲で作詞を担当したバーニー・トーピンとの出会いがなければ、今のエルトンがないのも明らか。レジナルドとバーニーの出会いが、エルトン・ジョンを作った。「邂逅」という言葉の重みを実感する。

それにしても彼の数々のきら星のような曲は、50年たったいまでも色あせていない。

2019年8月26日

風はつかまえられる

映画「風をつかまえた少年」は、マラウイの少年ウィリアム・カムクワンバの実話がベースになっている。

マラウイはアフリカの中でも最貧国と呼ばれる国の1つ。国民の8割が農業に従事している。彼の家もそうだ。主にトウモロコシを栽培し、家族が食べる食糧以外の余剰分は市場で売って現金収入にしている。

映画で描かれた(撮影は実際にマラウイで行われた)その土地は茶色く、埃っぽい。降れば土砂降り、という言葉があるが、まさにその土地の気候は大雨が続き、畑の種や土をごっそり押し流してしまったかと思うと、次の季節は日照り続きの干ばつに長期間悩まされる。

マラウイが大干ばつに襲われた年、国中の飢饉のため14歳のウィリアムは親が学費を払うことができなくなり学校から追い出される。

しかし、担任の理科の教師が乗っている自転車の車輪に取り付けられたダイナモ(発電機)に見せられたことから、あるひらめきを得る。人がペダルを漕いで電気を起こせるなら、風で風車を回して電気を起こせばいい。そして、電気をバッテリーに貯えればポンプで井戸水を汲み上げて、乾ききった畑に流し込むことができる。

彼の発想は、問題の解決に向けてシンプルで明快だ。彼はその後アフリカの発明家として有名になったが、彼の素晴らしい点は発明家かどうかより、当時14歳の少年でありながら自分たちが置かれている状況を正確に理解し、その解決のために何が必要かを合理的に判断し実行できたこと。

日照りが続き作物が枯れ果て、備蓄も底をついてきて、ウィリアムの家では食事は1日1回と彼の父親が宣言する。そして悲しげに、自分も先祖たちがやって来たように雨乞いでもするしかないと語る。

しかし学校の図書室で電気の本を見つけて学んだ息子は、雨乞いではなく、科学的な仕掛けで水を畑に引こうと考える。

そうそう、ウィリアムの家では井戸から水を汲んで生活のいろんな側面で利用しているシーンが出てくるが、その井戸からはバケツに括り付けた紐をたぐり寄せて水を汲み上げる。日本でも水道が完備されるまでは井戸を使っていたが、そこにはたいてい手押しポンプがあった。

テレビの時代劇などで見る長屋の井戸には手押しポンプはないが、井戸の上にはやぐらが組まれ、滑車を用いて水を汲み上げることができるようになっている。

それにくらべて映画で描かれているマラウイの井戸は原始的だ。残念ながら工夫というものがほとんどなされていない。水を雨乞いに頼ってしまう心性が、工夫する発想を押しとどめてしまうのだろうか。

ウィリアムが違ったのは、本を読み、自らの問題意識で学ぶ姿勢をもっていたから。

彼は自転車の車輪と発電機を用い、残りの材料は廃材を集めて風車発電の仕組みを作った。風はタダだ。そしていつも吹いている。その風をつかまえることで、作物を乾期でもできるようにした。1年に1回の収穫が2回になった。立派なイノベーションだ。

その後ウィリアムは奨学金を得て進学し、2014年には米国アイビー・リーグのひとつであるダートマス大学を卒業した。手作り風車によって、彼は風とともに自分の未来もつかまえた。




2019年8月23日

レバノン映画「存在のない子供たち」


レバノンの首都ベイルートは、中東のパリと称えられたほど美しい都市(らしい)。彼の地で働いていた友人が、懐かしそうにそこでの物質的にも文化的に豊かだった暮らしを語るのを聞いたことがある。

しかし、彼女は国連職員という身分の特権階級だったからこそ、そのパリらしさを十二分に満喫できたのだろう。

この映画の舞台はベイルート中心部から車で10分ばかり東に向かい、ベイルート川を越えたあたりの貧民街らしい。その程度離れただけで、人々もその暮らしもがらりと変わる。

主人公のゼインは、出生記録がない。親が手続きしなかったから。だから誕生日を知らない。自分の年齢も分からない。彼の兄弟もそうだ。学校には行っておらず、家族の生活を助けるために路上で働く毎日に追われている。

その彼が、妹を傷つけた(彼が言う)「クソッタレ」を刺して少年刑務所に収監される。だが、黙って大人の世界の流れに身を任せるような少年ではない彼は、社会問題を取り上げるテレビの生番組に電話をかけ、「大人たちに聞いて欲しい。世話できないなら生むな」と呼びかける。その番組をきっかけに弁護士が付き、かれは自分を生んだ両親を訴える・・・。

主人公のゼインを演じた少年(本名も同じ)をはじめ主人公はすべて素人である。シリア難民の彼だけでなく他の子供や大人もすべて社会の最底辺で生きていた、役柄に似た人たちだ。映画の中でゼインの弁護士役を演じたこの映画の監督(ナディーン・ラバキー)だけが「本物」ではない。

脚本もよくできてるが、この映画ではそれを画にするためのキャスティング・ディレクターの仕事もまた称賛されるべきだろう。

ゼインやその周辺の人たちの悲惨な境遇は凄まじい。しかしゼインの賢さが少しずつだが変化をもたらし生活を切り拓いていきそうな予感を漂わせる。中東の移民問題にも迫っている優れた一作である。

2019年8月9日

ヨシモト型社会の到来

積み上がった古新聞の切り抜きをそろそろ片付けなければと格闘している。

その格闘に勝利するする最大の方法は、そのままその切り抜きの山をゴソッとまとめて捨てること。何度それができたら楽なんだろうと思ったことか。

今年の5月30日付けの新聞で駒澤大学の井上智洋が「頭脳資本主義、数より質重要」という記事を書いている。AIやロボットが社会に浸透していき、労働力として人間の生産性向上に役立つとともに、一部の人間以外の労働を奪う(代替わりする)ようになると指摘している。

そうなった時代を象徴する言葉が「頭脳労働主義」らしいのだが、オックスフォード大学のマイケル・オズボーンは「雇用の未来」という論文で、今後なくなっていく職業が増えていく一方で創造的な仕事は残り「クリエイティブ・エコノミー」の時代がくると書いた。

クリエイティブ・エコノミーとは、2000年代初頭にリチャード・フロリダが唱えたクリエイティブ・クラスと呼ばれる社会階層が中心となる経済社会をイメージすればよいのだろう。

井上は、日本国民の所得分布は今とは様変わりすると述べる。つまり、正規分布モデルをベーストしたものからベキ分布(ロングテール型)への移り変わりである。



中間層と呼ばれるボリュームゾーンが失われ、そこでは平均や分散といった値は意味をもたない。

かつて、貧富の差の少ない日本の社会構造をもとに一億総中流という国民の意識が一般的だった時代もあったが、それが大きく変化しようとしている。

何日か前に、吉本興業の若手芸人の時給が300円という話をこのブログに書いた。所属する芸人・タレントらの収入はまさにこのロングテール型だ。一部の超売れっ子と膨大な数のほとんど無給に近い売れてない芸人の集団である。

これが芸能事務所だけの世界でなく、徐々に一般の社会にも当てはまるようになるのはどうも避けられそうもない。

そして左端のボリュームゾーンの人たちを守るための最低賃金法の改定やベーシック・インカムの導入といった話題がこれからもっと表に出てくるに違いない。

かつて植木等が映画「ニッポン無責任時代」で演じた主人公の名前は、平均(たいら・ひとし)といった。どこにでもいそうなニッポンの無責任なサラリーマンを拡大戯画化して描いたものだが、もうこれからの日本に平均(たいら・ひとし)はいない。


2019年8月6日

闇営業と副業の違い

今も吉本興業の芸人による「闇営業」に関する報道を目にする。

今日のN本経済新聞は、こう書く。
芸能界のコンプライス(法令遵守)が話題になっている。吉本興業では所属タレントが会社を通さない「闇営業」で反社会的勢力の集まりに出席していたことが発覚。ジャニーズ事務所を巡っては、テレビ局に同事務所を退所したタレントを出演させないよう働きかけた疑いがあるとして、公正取引委員会が注意した。
「闇営業」が批判されるべきと言いたいのか、反社会勢力の集まりに芸人が出席したことが許せないと主張しているのか判然としない。あえて判然とさせてないように思う。

芸人が所属している事務所を通して仕事しようがしまいが、それは彼らの間でのこと。新聞記者がどうこう言うことじゃない。また反社会的勢力の集まりに顔を出したのがコンプライアンス違反だと糾弾したいのであれば、その前にそうしたことを日常的にやって来た政治家を指弾しなけりゃ筋が通らない。

政治家は怖いから物が言えないけど、芸人をよってたかって叩くのはたやすいからそうしてるだけと見られてもしかたないだろう。

ジャニーズ事務所がテレビ局に働きかけたというのも、さもありなんだろう。もちろんおかしいし、上品なことじゃない。だけどテレビ局が大人なら、それを無視すればいいだけの話だ。周りがしょうもない正義感をふりかざす必要には及ばない。

記事の冒頭で、法令遵守と括弧付きでコンプライアンスなどときいたふうな言葉を振りかざしながら、その本当の意味を分かっていない記者が薄っぺらい知識でテキトーに書いた記事。だからか署名もない。

また記事に、
「吉本」「芸能人」などの言葉を含む491件のツイート(10%サンプル値)を分析した。
とある。最近は、ツイートで誰が言ったか分からないような言説をもとに、新聞記者はさもそれが世間の見方のような記事を書くのか。楽なもんである。

ところで記事中の(10%サンプル値)って何だ。これまで市場調査を多数やってきたが、こんな書き方見たことない。新聞社の他の人たち、意味が分かってるの?

「闇営業」という言葉がこの事件(?)をきっかけに普通に使われるようになったようだけど、それって何かよく分からない。所属する会社の正規のルート外で仕事しただけと違うのか。

「闇」だとか、そこまで大げさな表現を振り回す必要があるのだろうか。「闇」と「副業」とは何が違うの。

むかし広告の制作やイベント・プロデュースの仕事をしていたとき、勤めていた会社の本業以外のそうした仕事は単純に「アルバイト」と呼ばれていた。能力のある連中ほど他社から声がかかり、アフターファイブにこなしていた。ただそれだけのこと。


2019年8月2日

風穴の開け方

昨日、臨時国会が開会した。そこには、れいわ新選組の特定枠で当選した重度障害者の木村さん、舩後さんの姿もあった。

重度の身体障害をもち、脳性麻痺の診断も受けた木村さんが手足で動かすことができるのは右手だけだ。舩後さんはALS(筋萎縮性側索硬化症)で、声を発することができない。が、目と口の動きで意思を伝えることができる。

国会の歴史の中で、こうした重度障害者が議員として登院することはなかった。だから議場のバリアフリー化などの改修工事が今回なされることになった。「賛成の方はご起立ください」と議長が言っても立ち上がることができない二人は、介助者がその場合代わりに手を挙げて賛成を表明する。

多くの人たちが多様性が重要と判を押したように叫ぶなか、心の中ではこうした二人のような国会議員の姿を想像すらしなかった。その多くの人たちの心の隙間に風穴を空けた山本太郎という男はなかなかだ。

れいわ新選組が獲得した票数である228万票は有権者全体のわずか2%に過ぎず、ミニ政党の域を出ていない、と評する政治学者もいるようだけど、数じゃないんだよ。アイデアのインパクトなんだよ、注目すべきなのは。

これまでの長年の政治の世界に向けた人々の気持の中の閉塞感が変わっていくことを期待せずにはいられない。

2019年7月30日

時給300円で人は生きていけるか

吉本の芸人たちが待遇改善を求めて起ち上がり始めているという。例の闇営業から波及した芸人たちと彼らを管理する会社社長とのもめ事の延長だ。

1回の仕事のギャラが1円だったとか、一週間拘束されて仕事した報酬が一万円だったとか聞くと同情に気持は傾く。

ただ、なぜこれまで誰も本人たちが声を上げようとしてこなかったのか。こうしたきっかけがないと動き出せないのがちょっと情けない感じがする。

そもそもが会社に管理されて給料もらって、最低賃金保証されて・・・というのはあまり芸人らしくはない。社会からなんだかんだいってはみ出して、河原乞食とまではいわなくても、堅気の社会人であることに背を向けた連中が芸人だというのは、今ではおかしな発想なんだろうか。

以前は芸人を目指すということは、師匠を見つけてその弟子となって芸やその世界のしきたりを体で覚えながらやっと一人前の芸人になっていくという道筋がほとんどだったように思う。

それがいつの間にか「事務所」と呼ばれる会社の養成所を経てデビューし、マネジャーに世話を焼かれてテレビに出るのが芸人の生き方になった。吉本興業やジャニーズが代表格だ。そこには雇用主と被雇用者の関係があって、師弟関係はない。

テレビ局や制作会社なども大手の事務所を通して出演者をブッキングするのが楽で便利なので自分で新しいタレントを探して育てようとはしない。今の状況を作った最大の責任はテレビ局にあるというが僕の見立て。

ここでもまた流れがなく、水がどんよりと淀んでいたのだ。その深いところには汚泥がたまり、メタンガスが立ち上り、異臭を放っていた。それが今回のひょうんなことから水面に泡がひとつまたひとつと吹き出て、多くの人の知るところになった。

2019年7月25日

日産スタジアムで花火

7月25日、日産スタジアムのある新横浜公園で花火の打ち上げがあった。午後7時半から8時まで、わずか30分、しかも大した大玉はなかったがそれでも楽しめた。

周りにいた子供たちがひとつひとつの打ち上げに歓声をあげるのが面白い。ただ、会場周辺の警備があまりにも型どおりというか、土手の上にだって「危険ですから立ち止まることはできません!」ってメガホンで怒鳴られる。何言ってんだろうって・・・。


2019年7月22日

老年よ、海外をめざせ

金融庁の審議会が、老後ひとりあたり2000万円の生活資金が不足するという報告書を出したのをーつのきっかけとして、民間の機関が個別の事情を深掘りする独自の調査報告を相次ぎ公表した。ニッセイ基礎研究所、第一生命経済研究所、日本総合研究所といったところからだ。
それぞれの調査の方法は独自の基準に基づいて行われているが、どの機関も公的年金だけで生活水準を保つのは難しいとしている。現役世代で十分な資金があるのは2割だという試算も出した。結果として、長くなって行く寿命に合わせて生活を成り立たせていくためには、上手に資産運用をすることと長期間働き続けることで収入を得続ける環境が肝心だと結論した。
定年で仕事を終えたあとは、退職金と年金で余生をゆったりと過ごすという、ついこの前までの日本人の人生の晩年の過ごし方に大転換が迫られているわけだ。なんなんだと思う。
100年人生だとか言われてるが.長生きすることが果たして幸せなことなのかどうか。多くの人が真剣に考え、身につまされることになるだろう。
経済的な視点からは、貯蓄が限られ退職金や年金が限られる中で生計を営んでいくためには、不足する分を自分の力でその後も稼ぎ続けるか、家族や周りに食べさせてもらう方法しかない。
しかし稼ぐ代わりに、限られた持ち金でそれなりの生活をし、幸せを感じながら生きていく方法を探し求めてはどうだろう。
一つは金銭的な経済に頼りすぎない生活をすること。例えば、土地の余っている田舎に生活の場を移し、田や畑を耕し、自分たちが食べていくための自給自足に近い生活をするという道だ。
あるいは、日本より物価の安い外国に移り住むという方法はどうだ。1980年代後半に当時の通産省がシルバーコロンビア計画というのを発表した。
スペインや、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、そしてアジアのタイやマレーシアなどがその対象国だった。日本より物価の安いそれらの国に移住し、残りの人生をゆったりと過ごしてはどうだっという考えである。実際のところはうまくいかず、計画は頓挫した。

「海外姥捨て山」とか「老人の輸出」といった批判がなされたことが背景のひとつにあった。しかし、改めてそうした人生後半の過ごし方をもう一度真剣に考えてもいい時期かもしれない。
例えば日本より物価が5分の1といった国では、日本で暮らすには不十分と思われる年金の額でも生きていくことはできる。

そのためにも機会を見つけて、まずは外国にいろいろと出てみることだ。言語も含めて、日本のぬるま湯的な社会環境とは違うなかで折り合いをつけながら日々を楽しく過ごせるようにするトレーニングを積んでいく必要はある。
また食事にしても、外国で日本と同じような食事が普通にできるわけではない。現地の食事に慣れていくか、あるいは自分で工夫をして料理を楽しむしかない。そのためには、男だろうが何だろうが台所に平気で入り、自分の知恵と経験でどんどん料理を工夫し作っていくくらいの応用力は必要になる。
つまりは、今までと違う環境に自分の身を投じて、そこに自らを合わせていく柔軟性や自分の好きな料理をアイデアと工夫で作っていくといった、人間の基本的な能力といったものが最後は鍵になる。

定年後も働くということ

日本の大手企業で、これまでならば定年で会社を去っていくはずの社員を、そのまま役職につけたままで雇用し続ける例がいつか見られるようになってきた。
もちろん全ての定年を迎える社員をそうやって雇用延長するわけではないが、企業とすれば年齢に関わりなく優秀な人材を組織の中に留め、活躍してもらうというのはきわめて合理性に沿った判断である。今さらながらにしてやっと、という気がする。
2000年代あたりだったと思うが、家電産業を中心に日本企業から多くの優れた技術者たちが中国や韓国の企業に流れた。ソニー、パナソニック、シャープ、当時の三洋など、枚挙にいとまがない。
それらの企業は深く考える事もなく、それまでやってきた社内の紙の上での決まりに沿って人材を社外に押しやった。それまで優れた研究開発の業績を上げてきたにもかかわらず、ただ定年だと言うことで仕事を取り上げ、会社から追い出してしまった。
まだ働きたいし、能力を活かすことができるエンジニアたちは、こぞって中国や韓国からのスカウトの話に乗って海を渡ったのである。結果として外国の多くの競争相手に貴重なノウハウや知識、経験を与えてしまうことになり、長年にわたって日本企業の中で培ってきた優れた技術を中国や韓国の企業に移転することになった。
日本企業は、やがてそうした国の家電メーカーに対して競争力を失っていった。しかし日本企業の経営者たちは、そうした実体を知っていながら発想を変えることをせず看過していた。
なぜその当時から、能力がある社員は年齢に関わらず社内で活躍し続けてもらおうと考えなかったのか。合理性から考えれば至極当たり前のことを、どうして日本企業の経営者たちはできなかったのだろう。

2019年7月20日

参議院議員の被選挙権年齢に合理性はあるか

明日は参院選の投票日である。投票率が、特に若年層のそれがどのくらいになるか気になる。

参議院議員の被選挙権年齢は30歳から、衆議院は25歳からである。その年齢差には「良識」の差が関係している。参議院は「良識の府」と位置づけられているらしい。そのため任期は6年間で、解散はなし。対する衆議院は任期4年で解散がある。

じっくり長期的視点で国政を考え実行してもらおうというのが参議院の位置づけになっている。だがちょっと待てよ。だからといって参議院をあえて「良識の府」と呼ぶのはそもそもの問題があるだろう。衆議院はそうでなくても構わない、仕方ないという考えが裏側にあるわけだから。

もうひとつ。25歳は良識をとわれなくて、30歳になれば良識があると判断していることの論理的合理性の所在の問題だ。誰が決めたのか、その根拠はどこにあったのか?

ちなみに米国も、上院と下院で被選挙権の最低年齢は30歳と25歳と5歳の違いがある。ただこれを年齢差別と指摘する声は聞かない。らしくないな。不思議だな。

2019年7月15日

見習うべきひとつの男の生き方

ロバート・レッドフォード主演の「さらば愛しきアウトロー」を横浜のkinoシネマで観る。ここは初めて。小振りだがきれいで、落ちついて映画が観られるいい劇場だ。
映画の原題は The Old Man & the Gun。なんとなく彼の出世作であるButch Cassidy & Sundance Kid、邦題「明日に向かって撃て」にタイトルのスタイルが似ている。

この映画は、レッドフォードが役者としての引退作だと宣言して出演した作品。彼は現在82歳。これからはスクリーンに出ることはなく、監督や製作担当者として映画にかかわるのだろう。

そう言われて観れば、スクリーン上のレッドフォードもさすがに老いた感じは否めない。1936年生まれだもの。だけど人が年をとるのは当たり前で、共演しているダニー・グローバーは73歳、トム・ウェイツは70歳である。映画の中でレッドフォードが演じたフォレストがたまたま出会い、心引かれる女性を演じたシシー・スペイセクも70歳だ。ホントこの映画出演者の平均年齢は高い!
さて、彼が演じたフォレスト・タッカーは実際にアメリカにいたという銀行強盗。なんと65年間にわたり銀行強盗、逮捕、脱獄を繰り返してきた実在のアウトロー。ただ一度として人を傷つけることなく銀行強盗を行ってきた、伝説の人物である。
雑誌「ニューヨーカー」に書かれた彼のそうした逸話を読んだレッドフォードが、その映画化権を取っていた。そして今回、彼の主導のもとで製作されたのがこの映画である。
学生時代、「明日に向かって撃て」「追憶」「スティング」はいずれも高田馬場にある早稲田松竹で観た。当時、その映画館で繰り返し上映されていた覚えがある。それだけ当時の学生らに人気があったのかもしれない。
レッドフォードはその後ハリウッドで大成功を遂げる。しかし彼自身は、ハリウッドに与することをよしとせず、ユタの田舎でインディペンデントの映画作家を支援するためにサンダンス・インスティテュートを設立し、映画祭(サンダンス映画祭)を開くなどをしていた。
冒頭、「この映画はほとんど実話である」という字幕で始まる。そういえば「グリーンブック」もほとんど同じ字幕で始まったが、その時と同様に見終わった感想としては、やはり本当だろうかという思いは拭えない。アメリカ人でもない僕は、なるほどこんな話があったんだろうなという感じで理解するしかない。
レッドフォードが演じたフォレスト・タッカーは、根っからの自由人、というか何にもとらわれること好まないはみ出しものの男。映画の最終盤、彼はシシー・スペイセク演じるところの女性との暮らしに落ち着いたかに見えたが、ある日、ソファーでうたた寝する彼女に「買い物にいくが、何か欲しいものないか」と尋ね、そのまま街へ出かけて銀行強盗をしかける。そこで映画は終了するのだが、ちょっとそこは演出が過ぎた感じ。
ただ、タッカーのはみだし者、さすらい人ぶりはよく描かれていて、それはひょっとしたらレッドフォードがこれまで多く映画の中で見せてきた姿をここでもまた、最後の最後にスクリーンで見せつけたと理解した方がいいのかもしれない。
ずいぶん昔になるが、レッドフォードにある日本企業のCMへの出演を依頼したとき、彼の側からの返答はそのCMのディレクター(監督)を自分にやらせてくれるのであれば仕事を引き受けてもいいという内容だった。思いがけない返答に、我々やスポンサーはこれはきっと彼のサイドの断りの方便だろうと考え、彼のCMへの出演を諦めたことがあった。
そして間もなく、彼は自らが初監督した映画「普通の人々」でアカデミー監督賞を受賞する。

2019年7月12日

JR東海社員 入社5年目

東京駅日本橋口の改札前に置かれたホワイトボード。乗客に向けての案内がマーカーで書かれているのだけど、そこに新幹線と電車と東京駅のイラストが添えられている。


日本橋口は東海道新幹線だけのための改札である。それを知らず、在来線や地下鉄を利用しようとする客が間違って入ろうとすることが多いのだろう。そうした人に向けての手書きの案内だ。

そこに添えられたイラストは、もちろんプロの出来映えではないけど、書き手が電車や駅が好きなんだという気持が伝わってくる。

そのイラスト、誰が描いたのか、みどりの窓口のスタッフに聞いたら「えっ、イラストってなんですか」と返ってきた。10メートル先の自分たちの駅の改札前に置かれているホワイトボードに何がいま書かれているか知らないのだ。忙しいのか、興味がないのか。

調べてもらったら、入社5年目のJR東海の男性社員の手になるものだとか。それなりに時間もかかったろうに。なんかいい感じだ。

2019年7月5日

ペーパーバック版が出た

英国の学術出版社Routledgeから連絡があり、Internal Marketing のペーパーバック版が出版されたとか。

https://www.routledge.com/Internal-Marketing-Another-Approach-to-Marketing-for-Growth-1st-Edition/Kimura/p/book/9780367350659

日本に比べ、欧米のハードカバー書籍はとても高い。僕の本もハードカバーは100ポンド以上もして、ちょっと知り合いにも勧めにくかったというのが正直なところ。それが今度は30ポンドを下回る価格に設定されている。より広い読者に手に取ってもらえそうだ。

日本のアマゾンでは、このリンクから。

2019年7月4日

パブロ横尾画伯の迫力

今日の朝刊から。玉置浩二のロマーシカと銘打つコンサートシリーズの広告。

理屈はいらない。横尾忠則のこの玉置を描いた肖像画がすべて。


2019年7月3日

商売より投票、金より地球

パタゴニアは、7月21日に直営店全店を休業にすると発表した。この日は日曜日。参院選の投票日で「投票に行くパタゴニア社員のために」店を休みにするという。

見上げたものである。真剣に社会を考えるということは、ここまでやることだと教えてくれる。しかも、「みんなで投票に行こう」じゃなく、自分のところの社員のためにという発想が素晴らしい。押しつけがましさや「ええかっこしい」的なスタンスからも離れている。

パタゴニアの社員はもちろん投票にいくのだろう。そして、それに釣られて多くの人たち、特に若い人たちが投票所にむかうといい。

https://voteourplanet.patagonia.jp/?in=921


2019年7月2日

自家製枝豆でビールを

ベランダで育てた枝豆を収穫した。といってもプランターひとつ分だから、ほんの数分で作業は終了。

取れた枝豆は30房ほど。水で洗い、塩もみし、沸騰したお湯で4分ほど茹でる。茹で上がったらザルで水気を切って終わり。

見た目はあまり良くないが、美味しい。自分が育てたからか。100パーセント自然栽培である。


2019年6月25日

人々の未来を作る図書館

岩波ホールで上映中の映画「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」をやっと観ることができた。都内ではここだけの上映であり、劇場は全席満席だった。

ドキュメンタリーを得意とするフレデリック・ワイズマンの手によるNYPL(New York Public Library)を余すところなく紹介した映画だ。


NYPLは、マンハッタンの40丁目から42丁目にかけて位置している。タイムズスクエアとグランドセントラル駅のほぼ中間あたり。Public(公共)library となっているが、公立の図書館とはちょっと違う。市からの財政支援も受けているが、それと併せて民間からの寄付で運営されている独立法人だ。

図書館の裏は、ブライアント・パーク。これが公園としてまた素晴らしい。夏には芝生の上で映画の上映会なんか開かれていて、在外研究でコロンビア大学に在籍しているときにはよく出かけた。

https://tatsukimura.blogspot.com/2012/07/bryant-park-summer-film-festival.html
https://tatsukimura.blogspot.com/2012/11/blog-post_14.html

NYPLは88の分館を含む全92館の図書館のネットワーク。とにかく日本の図書館では考えられないような「サービス」の数々を実現している。日本のように本を所蔵し、貸し出すだけではない。地域の人たちの学びの場であり、コミュニティの場であり、子供たちの学習の場であり、新しい仕事を探し人生を築いていくための場所。アメリカの民主主義をどこよりも体現している場所といっていいかもしれない。

1911年に竣工されたダウンタウンにある本館の閲覧室は、厳粛な雰囲気を漂わせているが、基本的にはこの図書館はとても市民に対して敷居の低い図書館で、だれもが本当に気軽に日常的に使えるように考えられている。

この映画の中で誰かが言っていた。「図書館は、本についてのものではありません。図書館は本を所蔵するところではありません。図書館は、人についてのものです。人が知識を得るために本が整えられているのです」。簡明にして至言だ。

この図書館を使うためだけにでも、またNYに住んでみたいと思った。

ただ映画は3時間26分と長く、途中で10分の休憩が入る。ひとつひとつの挿話が冗長と感じられるものが多く、少し疲れたのが残念。



2019年6月18日

テレビのニュースはもうこれでいいや

筑紫哲也さんがTBSで「ニュース23」を始めたのが1989年。その年は昭和でいえば64年、そして平成元年だ。

なぜそんなことを覚えているかというと、僕が初めて転職した年だから。大学卒業後8年間つとめた広告会社を辞めて航空会社に移り、昭和天皇の健康状態などを報じるニュースを気にしながら仕事をしていた記憶がある。天皇の健康を気遣うというより、崩御の際の業界への影響を考えていた。

筑紫さんはその後2007年に亡くなるのだが、その前年まで彼がキャスターやっていた「ニュース23」が僕にとってのニュース番組だった。当時は仕事で帰宅するのが遅く、彼の番組くらいしか最初のトップニュースを見られなかったという状況もあった。

長年見ているうちに、無意識にも彼のものの考え方は僕に移っていったような気がする。それと、早く帰宅できた日は、10時からの久米宏「ニュース・ステーション」を見ていたようにも記憶している。

その後だが、とくに決まって見るニュース番組はなくなった。見るとも聞くともなく、適当にチャンネルを変えながら見ているといったところ。気になるのは、ニュースとバラエティの境界がもうなくなっていること。最近は、CNNやBBCをBSで見る方が多くなった。

最近は夜11時25分からのNHK「ニュースきょう一日」を見ている。15分間の短いニュース番組だが、その日の主要なニュースをコンパクトに要点をつまんで伝えてくれる。井上あさひさんという女性キャスターの出身地が僕と同じで、卒業した中学校も同じというのも何か縁を感じる。テレビのニュース番組は、もうこれでいいや。
https://www4.nhk.or.jp/news-kyou1/

2019年6月12日

呆れた大臣

麻生太郎金融担当大臣が、金融庁の審議会がまとめた報告書の受理を拒否した。

この報告書は老後の資産形成を呼びかけ、議論のきっかけとする狙いで審議会が作成したものである。それを大臣である麻生が受け取らないというのは非常識であり、理解をこえている。

記者会見でその理由を問われて、「政府の政策と全然違うから」だと説明した。

自分たちにとって都合の悪いことは、聞かない、見ない、受け取らない、つまりなかったことにすれば済むと考えているわけだ。政治家としてきわめてタチの悪い振る舞いと言わざるを得ない。

しかも一昨日の参議院決算委員会で野党議員からその報告書を読んだのかと問われたときは「冒頭の部分に一部目を通した。全体を読んでいるわけではない」と回答したという。