2016年6月2日
最新の聴取率調査から
週末の朝の番組にしては結構かたい内容なのだけど、狙った(聞いて欲しい)人たちが聴いてくれているようでひと安心。
2016年5月21日
交換日記で新入社員を育てる
先週、今週と彼女が書かれた『ザ・町工場』をもとにお話をうかがった。
町工場が、自分たちが期待する若い社員を獲得するのは大変だ。そして入社してきた彼らを育てるのと同様に、彼らの先輩社員がしっかりそうした若手に目をむけて育ててくれるようにするのも容易なことではない。
諏訪さんが考えたひとつの方策が、交換日記。入社してからひと月ほど、毎日その日のことを日記に書かせる。その日記は、教育役の先輩社員だけでなく、副工場長と社長の諏訪さんも目を通し、必要に応じてコメントを書き足す。
いまどき実にアナログな手法であるが、手書きの文字からは書かれた内容だけでなく、その字の乱れなどから若い社員が悩んでいる様子を感じて手遅れになる前に手をうつこともあるという。また、書き方、ノートの使い方、文字の大きさから彼らのコミュニケーション能力なども知ることができる。なんだか小学生時代に、作文に赤ペンを入れて返してくれた先生がいたのを思い出したりした。
今週と先週の選曲は、オーリアンズの「Dance with Me」とジャクソン5「I'll Be There」でした。
2016年5月12日
数字が僕を歩かせる
ただ、時々うっかり持って出るのを忘れる。住んでるマンションの建物を出るとき、ポケットの中を確認する。ちゃんと入っていれば、左へ。最寄り駅のひとつ先の駅に向かう方向だ。だけど、ポケットに入れ忘れたときは、右へ。最寄り駅へ自然と、自然でもないが、足が進む。
違うのは、その日の歩行記録が取れるかどうかだけ。それが励みになる。数字が後押ししている。
2016年5月11日
パナマ文書の日本人
そうしたペーパーカンパニーの中には、日本の個人や法人も含まれている。金持ち国日本だから、別に不思議じゃない。
だけど、頭をひねってしまうのは、パナマ文書で名前が出た人物がメディアのインタビューに答えて、「租税回避が目的ではない」と回答していること。租税回避が目的でなくて、何のためにタックスヘイブンに会社を設立したのか。
あり得ない話だが、もし僕が数十億円の資産を持っていたとしたら、どうやってタックスヘイブンに資産を移せるか知ろうとするだろう。
喩えが卑小だが、ストリップ劇場に入ってる客が、「女の裸を見るのが目的ではない」と言い放っているようなもの。
(後日追記)
使ったことがないので(当たり前か)よく知らなかったが、タックスヘイブンの使用目的としては租税回避だけでなく、身元を隠して法人を設置できる特性を利用するものがある。例えば、財産の隠匿や資金洗浄(マネーロンダリング)だそうだ。
2016年5月8日
猫を助ける仕事
猫にまつわる彼女の仕事は多彩だ。ベースは、保護猫を預かり新しい飼い主を見つけるための保護猫カフェ。その発想を展開して実現させた猫付きマンション、猫付きシェアハウスなど。
賃貸マンションに入居しようと思ったら、先に猫がいるとは傑作である。それらの猫はもとはといえば保護された猫たちで、いわばレンタルである。だが、一緒に暮らせば情が移るというもの。やがて預かっていた住人たちがそのニャンコらを引き取ってくれるケースも多いという。
猫付きシェアハウスは、猫がいわば備品としてそこに備わっている感じのシェアハウスだ。猫好きにはたまらないだろう。
傾向としては減少しているものの、日本では今も多くの猫や犬が捕らえられ、行政によって殺処分されている。もちろん行政もそうした役割はまったく不本意に違いない。特に保健所のその担当者については、とても気の毒としか言いようがない。
環境省が発表している数値だが、猫の殺処分数は2011年が13万匹、12年12万匹、13年11万匹、14年8万匹となっている。同統計で犬は、2011年が4万匹、12年4万匹、13年3万匹、14年2万匹と示されている。早くこれらがゼロになって欲しい。
番組内でかけた曲は、カーペンターズ「動物と子どもたちの詩」とトッド・ラングレンの「 I Saw the Light」でした。
2016年5月2日
慣れと関心
「スポットライト 世紀のスクープ」(2015) |
ボストン・グローブでのスクープ記事がきっかけで全米にその波は拡がり、1年後の2003年1月11日にはニューヨーク・タイムズ紙が、過去60年間に全米のカトリック教会の聖職者1,200人が4,000人の子どもに性的虐待を行ったことを調べ上げた。
2016年4月22日
プリンスが亡くなった
プリンスは非常に個性的、というかキワモノぽかったが、その音楽性は極めて高かった。グラミー賞も7回受賞していた。
先週のFM NACK5「木村達也 ビジネスの森」の中でかけたシネイド・オコナーのNothing Compares 2 U は、もともとはプリンスが1985年に発表したアルバムの中の一曲だ。
死因は、一部ではドラッグの過剰摂取などと言われているようだが、まだはっきりしない。それにしても、という感じだ。
僕と同じ歳だった。
2016年4月20日
地震にいいタイミングも悪いタイミングもあるか
そんな折、毎日新聞の下記の記事を読んだ。
おおさか維新の会の片山虎之助共同代表は19日、国会内での党の会合で、熊本地震に関して「大変、タイミングのいい地震だ」と発言し、直後に撤回した。 片山氏は「ダブル(衆参同日選)になるのかならないのか、消費税を上げるのか上げないのか、政局の動向に影響を与えることは確かだ」と語った。http://mainichi.jp/articles/20160420/k00/00m/040/069000c
片山氏はコメントを発表。「政局的な節目に重なったという趣旨で発言した。言葉の使い方が不適切だった」と陳謝したが、被災者の感情を逆なでする発言として反発が出る可能性がある。
熊本でどのようなことが起こっているかという想像力もなく、ただ「政局」にしか興味のない「政治屋」のうすら寒い精神構造が浮き出ている。腹が立つ。
2016年4月17日
メンタルコーチという仕事
彼女は3年間、4シーズンにわたってラグビー日本代表チームにかかわってきた。その役割を一言でいうならば、メンタル(精神)面から選手を強くし、勝てるチームにすること。当時のヘッド・コーチだったエディ・ジョーンズさんから直々に乞われてコーチに就任した。
いまでも忘れられないのが、昨年の9月20日の南アフリカ戦。世界最強ともいわれる南アフリカチームを破り、世界中に「ラグビー史上最大の番狂わせ」を見せつけた一戦である。
それまで日本ラグビー代表は1991年のジンバブエ戦で勝っただけで、それ以外で勝った経験が全くなかった。日本代表選手に選抜されれば、さぞ選手たちにとっては誇らしいことなのだろうと考えるのは素人考えで、実際は選手たちは「どうせ勝てないこんなチームになぜ選ばれちゃったのか」との迷いを多くの選手が持っていた。やっても負けてばかりなんだから、当たり前かもしれない。
チームのマインドセットを変えてくれ、とジョーンズ・ヘッドコーチから呼ばれた荒木さん。一人ひとりの個性などを見極めながら、適確に一人ひとりを、そしてチーム全体を変えていった。
今日、うかがった話の中で印象的だったのは、「平常心では勝てない」ということ。ある程度の興奮状態の方が判断能力に優れ、身体の切れもいいという。それをどうコントロールするか。
五郎丸選手のルーティン、正しくはプレ・パフォーマンス・ルーティンと呼ぶあのお祈りに似た仕草も、単なる験担ぎなどでなく、合理的な目的達成のために構築された所作なのだと知らされた。
番組内でかけた曲は、シネイド・オコナーの Nothing compares 2 U。
2016年4月16日
市場規模とは
今朝の日経新聞に「『タラレバ娘』独身の女心」という記事が掲載されていた。そこでの主旨は、婚活とやらを断念する、あるいは積極的に諦める女性が増えているというもの。
霞ヶ関の官庁で働く32歳の女性や都内の会社員、35歳の遠藤さん(仮名)が紹介されていて、そこから一人で生きていく決心をしている女性が増えていると記事は紹介する。
その手の話がどこまで本当なのかは知らないが、ひとつ気になったのは「『街コン』サイトの運営サイトを手がけるリンクバルによると婚活市場は年3,000億円」という記述だ。婚活市場とは何なのか定義もなければ説明もない。リンクバルという会社がどうやって推定したのかも分からない。記事を書いた新聞記者は、こうした数字に疑問を抱かないのだろうか。
3,000億円の市場規模というと、例えば一昨年の国内の音楽産業の市場規模に匹敵する(オーディオ売上1,864億円、音楽ソフト677億円、有料音楽配信437億円、合計2,979億円)。本当にこれと同規模の市場があるのなら、簡単でもいいから内訳を示すべき。
記事を書いた日経新聞の記者は、一応その数字の出典元を示している。読者から何か言われたときは、3,000億円はそのリンクバル社によるデータであって、自分には詳細は分からないとする言い訳のためだろう。
まったく信頼性に欠けている。新聞記事は面白そうであればそれでいいというものではなかろう。
2016年4月9日
誰かのために仕事をするということ
水野さんのかつての仕事、それは化学会社の社員として自社が開発した防虫蚊帳をアフリカの国々で売ること。事業部長として、生産計画を立て、原価のコントロールを行い、販路を拡大し、どう売上を伸ばすかをいつも考えていた。
積み上がった在庫の山と格闘しながらも、日々どう売って行こうかと思い悩む日が続いていたという。そんなとき、53歳の時のこと、突然腰が抜けてまったく動くことも何をすることもできなくなった。医者から言われ、40日間の休暇を取ることになって考えた。このままでいいのだろうかと。
アフリカでは今も毎年2億人がマラリアに感染し、50万人が亡くなっている。原因となるのは、ハマダラ蚊という蚊である。日中は動かない。夜になってからだけ活動を開始する蚊だ。だから、蚊帳がとても効率的な予防対策になる。その蚊帳の繊維には特殊な薬剤が染み込ませてあるためそれに触れた蚊を退治することができる。
しかし、アフリカの現地では、マラリアの原因が蚊であることをまだ知らない人たちがたくさんいる。蚊が多く発生するのは、雨の季節。だから、雨がたくさん降ったらマラリアになると信じていたり、その季節には植物が盛んに生い茂ることから、パパイヤをたくさん食べたらマラリアになると信じている人たちもまだたくさんいる。そうした人たちにどうやって蚊帳を使ってもらうか。
水野さんは横になっていた40日間にいろんなことを考えた。頭に浮かんできたのは、セネガルの病院での一コマ。1歳半の子どもをマラリアで亡くした母親が、悲しみにうちひしがれている姿。そうした現状をなんとかしたいと考え始めた。
そしていまは、マラリア・ノーモアという世界的なNPO組織の日本代表として忙しく活躍されている。彼がアフリカで知り、学んだモットーが「焦らず、諦めず、放っておかない」という考え。その精神で、水野さんは今日も頑張っている。
番組中で流したのは、CCRの「雨を見たかい」。
2016年3月29日
30歳台、40歳台男性リスナー対象で1位
その結果だが、今回もなかなかよかった。男性層30歳台、40歳台でナンバー1。特に男性層30歳台では、第2位の局にダブルスコア以上の差を付けた聴取率だった。
僕たちが狙っている、意欲に溢れた中堅ビジネスマンが熱心に聞いてくれている様子がうかがえる。意欲に溢れているかどうかなんて分からないだろうって? 分かるんだよ。そうじゃなきゃ、土曜日の朝から面倒くさい話をラジオで聴こうなんて思わないから。
2016年3月27日
インドは日本に学び、日本はインドに学ぼう
ゲストは、『インドと日本は最強コンビ』(講談社)の著者、インド人のサンジーヴ・スィンハさん。彼には1年少々前にも番組にゲストとして来てもらったことがあり、今回は2回目だ。
インドの人口は12億5千万人、かたや日本は1億2千7百万人。10倍だ。国民の平均年齢は20代、しかも急速に人口は伸び続けている。市場として膨大な可能性がある。しかし、資金も技術も足りない。日本がいよいよ本気でそれらを投資すべき時だろう。
インド本国以外にいるインド系の人の数、3000万人とか。お喋りで、自己主張が強く、活力のある彼らに「成熟の国」日本は大いに学んでいく必要があるじゃないだろうか。
ところで、彼の本のなかに「孤独を感じられる日本人の幸せ」という言葉があった。僕はインドに行ったことはないのだが、たぶん家族はもちろん、それ以外の関係でも人と人の結びつきがすごく強く、言葉に出しての主張がはっきりしているお国柄だからだろう。
孤独について考えるインドの方が一般的かというと、おそらく彼は特殊な部類に入っていると思う。なぜなら、日本での生活が長く、日本人との付き合いも多いから。それはそうとして、「孤独を感じられる幸せ」という幸せを我々はどれだけ感じているだろう。
むしろ、SNSなどで始終つながっていることに安心感を感じ、それが快適な状況になってはいないか。だが、それが本来の状態なのかというと、僕には決してそうは思えない。
サンジーヴさんが指摘しているように「孤独」を味わうことができる方が、よほど幸せな状態だとあらためて思うのだけど。
2016年3月20日
機を見るに敏
スマートな出井さんの「変わり続ける」は、言い換えると「機を見るに敏」かな。だとすると、不器用な僕の「変わり続ける」は、さしずめ「Like a rolling stone(転がり続ける石)」だ。
今回番組中で挿入した曲は、ボウイのChanges とサム・クックの A Change Is Gonna Come。
2016年3月9日
志の輔落語
2016年2月27日
生地(せいち)は何を語るか
彼女の写真をながめつつ、「テヘラン生まれか」そう言われれば・・・などと思ったりもする。だが、彼女自身が生地としてイランを選んだわけではないので、「彼女の父親は何をしていた人だろう・・・」という思いにすぐかき消されてしまう。
そういえば、ニューヨークにいた時に知り合ったある留学生夫婦は、子どもを「ニューヨーク生まれ」にするため、現地で綿密な妊娠出産の計画を立ててがんばっていた。
その人物が何年生まれかというのは、読み手にとって意味があると思う。性別も同様だ。つまり、そこに書かれている内容を言っているのがどの世代に属する人なのか、男なのか女なのかは、参考となる情報になり得る。例えば、20代の女性が言っていれば奇異に聞こえることも、それが60代の男性の考えだと分かれば理解できるといったことがある。
2016年2月25日
上は「未来」
出店しているラーメン屋はその時々で変わっているのだろうが、町、いや博物館の雰囲気はあれから変わっていない。相変わらずのレトロならではの懐かしさと得も言われぬ可笑しさがある。
イベントというのかアトラクションと言っていいのか分からないが、途中で自転車に乗った紙芝居屋が出てきて、ひとしきり黄金バットなどの紙芝居を太鼓を叩きながら演じるのも楽しい。のほほん気分満載だ。
でラーメンを食べ、ビールを飲み、エスプレッソ・コーヒーをすすり、そうここはとにかく食べたり飲んだりして遊ぶ博物館である。
地下の「博物館」から地上に戻ろうと前を見たら、階段のところに矢印と共に「未来」とあった。
2016年2月9日
映画はタイトルだ
やっと続きを劇場で観た。映画「オデッセイ」は、不幸なアクシデントで火星にひとり取り残されてしまった宇宙飛行士の話だ。監督はリドリー・スコット、主演はマット・デイモンである。
火星では夏になると極地の氷が溶けて上昇気流が起きて、時には風速100メートルを超える砂嵐が起こる。それに巻き込まれて吹き飛ばされ、気がついたら一人だけ火星に取り残されていた、というのが話の始まり。
水、食糧の確保が当然、生きていくために必至になる。とりわけ、食糧をどうするかなのだが、植物学者である主人公は、火星上の飛行士たちの生活居住施設でジャガイモをそだて食料にする。
主人公の専門が植物学であるところは、考えてみれば都合が良すぎるが、まあいい。彼は、施設内に火星の土を敷き詰め、他の乗組員たちが残していった排泄物のバクテリアを利用して植物を育てる。赤い火星の土から初めて小さな緑の芽が出てくるのはちょっと感動的である。
思いもしなかったサバイバルが描かれているが、この映画の中心的なテーマは人間の持つユーモアと楽観主義への賛歌のように思う。(サバイバル術なら、行きのフライトの中で読んだ加村一馬さんの『洞窟オジさん』の方が格段にスゴイ)
地球から2億キロ以上離れた場所に一人で取り残された男が、途方もない孤独のなかで生きて行けたのは、食料となる植物を育てることができたり水を作ることのできる科学的な知識だけでなく、自分の置かれた状況を笑うことのできるユーモアの感覚。
その後ろには逞しい精神力があるわけだが、もうひとつ。彼は、日々の活動や思ったことを施設内の録画カメラに向かってログとして残していったわけだが、ひょっとしたら自分が死んだ後に見つけられ再生されるだろう映像を残すなかでジョークめいたことも言ったりする。人間、思っているだけではなくて、言葉に出して言わなければならないのだ。
いくらユーモアやジョークのセンスがあったとしても、口に出さなければ何にもならない。言葉にして初めて(人に伝えて初めて)精神性と結びつく。その当たり前のことをリアリティをもって教えてくれる。
このあたりは、「やっぱりアメリカンだなあ」と思わせる。もちろんすべてのアメリカ人が前向きで合理的だったり、楽観主義のやってやろう精神を持っているわけではないが、悩む前に考える、落ち込む前に行動する、悲嘆に暮れるのではなく笑い飛ばす、といったことは僕ら日本人よりずっと得意にみえる。
宇宙開発のような究極のパイオニア精神を必要とするものに限らず、新しいことを生み出す彼らの力の基盤を感じる。
ところで、この映画の原作はもともと無名の新人作家がウェブ上で発表し、その後ベストセラーになったもので、小説の原題は The Martian。映画の元のタイトルも同じだ。
小説の日本での翻訳は、早川書房から『火星の人』で出ている。原題をそのまま訳せば「火星人」だが、これではちょっと違うので、火星に取り残された人物と云うことで「火星の人」になっている。
一方、映画の邦題は『オデッセイ』。これはホメロスが残したとされるあの大長編叙事詩である。このタイトルはうまい。
オデッセイ(オデッセウス)には、主人公であるオデッセイアが神の呪いを受けて長旅に出たまま故郷に戻れず長年にわたって漂白し、やがて帰還するはなしが描かれている。
そのため、英語のOdysseyには、長年にわたる放浪の旅の意味がある。まさにこの映画主人公を象徴的に表している。映画のタイトルが小説同様「火星の人」では宇宙観にも欠け、リドリー・スコットらしい映像イメージも観客に思い浮かばなかっただろう。
1968年に公開されたアーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックの 「2001: A Space Odyssey (2001年 宇宙の旅)」へのオマージュも込められているに違いない。
映画の終わり近くに流れてきたのは、デイヴィッド・ボウイの「スターマン」だった。なんだか、じんときたよ。
2016年2月6日
ダントツでいこう
日本人は平均的主義に流れがちである。まんべんなく何事もできることがよしとされる。それが優等生に求められることであって、文字通り優れていることの証明となっている。
坂根さんは高校生時代、数学と理科では誰にも負けないが歴史や古文などには興味が持てなかった。しかし、平均的にすべてができなければ難関校に入ることはできない。それに反発を感じ、得意なモノだけに突出した成果を上げようと努力してきたという。
高校生時代からのそうした「ダントツ」への想いは、コマツに入ってからもずっと続いていて、経営者になって打ち出した指針がまさに得意な領域でナンバーワンを目指すダントツ経営。
その結果、現在の2兆円の売上の半分は世界1位の製品から上がっている。2位まで入れれば85パーセントにのぼる。どこに特化して稼ぐのかが明確になることは大切なことである。社員にも分かりやすい。
ダントツを目指すということは、平均点主義を目指さないこと。決めた領域に特化して、どこにも負けないこと。坂根さんらが設定したのは、環境、安全、ICTの3分野。この3つのキーワードで業界の中で負けないことだった。
今日の一曲は、フォー・トップスで Reach Out, I'll Be There。
2016年2月4日
清原の逮捕に思う
それにしても彼に関するこうしたニュースを聞くたびに、離婚した奥さんの亜希さんのことを思い出す。20年ほど前のこと、撮影の仕事でサイパンに一緒に行ったことがある。忙しい撮影中にもかかわらず周りのスタッフに細やかな気がまわる、魅力的な人だった。
その後、清原選手と結婚したと聞いたときは、正直いい感じはしなかった。何か胸騒ぎがしたのを覚えている。二人があまりに違い過ぎると思ったからだ。
それにしても、プロ野球選手というのは多くの日本人を惹きつけてやまない不思議な存在である。