ニューヨーク市内の飲食店には、店頭に Sanitary Inspection Grade という貼り紙がしてある。市の衛生局が調査し、その衛生管理の度合いにあわせてA、B、Cという評価を与えており、その評価証は店頭に表示しなければならないようになっているらしい。
客にとってこれは参考になる。一見店内がきれいに保たれていても、厨房で何が行われているかは客には分からないからね。
話は変わるが、NYには寿司を出す店がかなりある。しかし数の上ではその大半は、はっきり言うが似非(えせ)である。いま住んでいるブロードウェイ沿いにも、Chinese and JapaneseやThai and Japaneseといった店がある。味についていえば、そうしたところで出す料理は本当の寿司からはほど遠い代物だ。
中華料理やタイ料理などの「添え物」として寿司などの日本食を出しているところでなく、寿司あるいは日本料理をうたっているところでも、まともな寿司がでてくることは少ない。
米国だからネタや素材が手に入らないからというのではない。少なくても東海岸の大都市では寿司ネタは豊富だ。今では日本にも大量に魚が輸出されている。要は、そうした店には本物の寿司職人がいないのだ。中国人や韓国人、あるいはヒスパニックの調理人が、寿司飯にスライスした生魚を載せればそれでいいとでも考えているように思う。
NYだけではない。先日のワシントンDCへの出張の折り、昼食をとりに入ったチャイナタウンの店のメニューの半分は日本食(もどき)だった。その中心は寿司である。周りの客は中華料理のアペリティフの感じで寿司を注文している。
食べたいものを食べたいように食べればいいことは分かっていても、やはり日本人としては「ちょっとなあ〜」と思ってしまう。その日の夜は、街の中心部から少し外れるが、日本人が25年前からやっているという店でうまい寿司と日本酒を堪能した。
先に述べたようにNYには寿司を出す店は数多いが、オーセンティックな寿司を出してくれるところは限られている。日本人以外には何が本物の寿司かはわからないから、それでもSushiの看板で客が呼べるのが現状。
寿司屋の認証制度を作ってはどうだろう。先のSanitary Inspection GuideにならってA、B、Cでよい。Sushi-Aは本格的な寿司屋の証し、Sushi-Bはそれに準じるもので本格的ではないが寿司の伝統を感じさせるもの、Sushi-Cは極めてアレンジされた寿司を提供するところ。A, B, Cが付いていないところは、認証外。
誰がどういった基準で審査するかだが、まずが堅く考えることなく、日本人が経営している寿司屋が手を組んでニューヨーク寿司協会とか作ってやればいい。
またまた話は飛ぶが、先月だったかこちらで同性婚が法的に認められるようになったとき、テレビであるコメンテーターが「これは、20年前の寿司と同じだ。気にすることはない」 と上手いことを言っていた。
20年前は多くの米国人が魚を生で食べるなんて気持ち悪いと思っていたけど、いまはすっかり生活の一部になっている、ということである。