2024年5月29日

史上、もっとも醜悪な兵器

中国軍が軍事演習の場に「ロボット犬」を導入したという報道。これがその写真だ。


四本足歩行のロボットの上部に機関銃が据え付けられている。なんて醜く、おぞましい。

兵器に美しさや優雅さを求める気は毛頭ないが、それにしてもこれは酷すぎる。

メディアは「ロボット犬」と表現しているが、これのどこがワンコなんだ。頭がないじゃないか。耳も鼻もない。尻尾もないぞ。

四本足で移動し、大きさが近いからと言って、それだけでこんなグロテスクなものを犬と呼ぶな。 

機関銃でなく、もっとでかい対戦車ロケットランチャーを背中に乗せた大型の四本足歩行のロボットが登場したら、今度はそれをロボット馬とでも呼ぶのかね。

2024年5月21日

非実力派宣言

俵万智『サラダ記念日』を読み直した。1987年の初版本である。みずみずしさに心が浮き立つよう。80年代の青春である。

ついでに近くにあった筒井康隆『薬菜飯店』(新潮文庫)のなかに収められた「カラダ記念日」も併せて再読。こちらもケッサクである。

そうやって、短歌っていいなあ〜、おもしろいなあ〜(筒井のパロディが短歌かどうかは別として)、としみじみ思っていた矢先だったので、ふとテレビで「NHK短歌」にチャンネルを合わせたところ・・・。

番組の司会は尾崎世界観とかいう若いミュージシャンで、ゲストが中村壱太郎という歌舞伎役者(わたしはどちらもよく知らない)。その番組の冒頭、尾崎が中村を「ゲストの中村壱太郎さんは、上方歌舞伎を継承する実力派女形として活躍されています」と紹介。

言葉尻を取るつもりはないが、わざわざ「実力派〇〇」と紹介する理由はなんだろう。実力派という「派」があるのかね。実力派があれば、非実力派ってのもあるのか。つまり、中村某を実力派女形と言うなら非実力派女形の役者もいるってことになるけど、それは誰なの?

1989年の森高千里のアルバム「非実力派宣言」を思い出した。森高のラディカルさと気持ちよさにこのミュージシャンは果たして対抗できるかナ。

2024年5月20日

60年前、「天国にいちばん近い島」だった南の島

先週、南太平洋にあるフランス領ニューカレドニアで、選挙制度をめぐって暴動が起きた。

背景には、政府に対する先住民の長年の不満や南太平洋で影響力を高める中国の存在があるとされている。

暴動で空港は閉鎖され、夜間外出禁止令が出された。フランス政府は「緊急事態宣言」を発令したと言うからただ事ではない。 

このニュース、日本で報道されるときには決まって「あの、天国にいちばん近い国であるニューカレドニアで・・・」と語られている。

『天国にいちばん近い島』は、作家の森村桂がニューカレドニアを旅したときの経験をもとに書いた旅行記で1966年に出版されている。1980年代、原田知世主演で同名の映画が公開されたが、内容は別ものである。 

200万部を超えるベストセラーになった森村の本で「ニューカレドニア」という島を知った日本人は多かったはずだが、いまだにニューカレドニアをメディアが語るときに「天国にいちばん近い島」と形容するとは。

一度付いてしまったイメージというのは、時間が経っても引き剥がせないものである。

それにしても、この本のタイトルの副題は「地球の先っぽにある土人島での物語」とある。土人の島ときたもんだ。今なら無理だろう。まさに時代を感じる。

jal.co.jpのサイトから

2024年5月17日

立花隆が見たパレスチナ

パレスチナのガザ地区南部のラファヘの攻撃を控えるようバイデン政権がイスラエルに訴え、武器の提供支援を控えた際、共和党のある議員が「これは私たちの戦いを危ういものにするとんでもない決定だ」と憤った。

それに対し、なんか変だと引っかかっていた。その議員が語った主語「私たち」についてである。彼はアメリカに住むアメリカ人。それが、自らをパレスチナ地域での紛争の当事者の一部と考えていることの不可解さだ。

そんなことを考えていたとき、立花隆さんがある雑誌にパレスチナ地域訪問の体験記を書いているのを読んだ。そのなかで、彼はパレスチナ問題の複雑に入り組んだ問題を捉え、まずは基本的に「誰が」「誰に対して」「何を」争っているのかを考えることが大切だと述べる。

立花は「誰が・誰に対して」という点に関して彼なりの答えを想定する。

ユダヤ民族 vs アラブ民族
ユダヤ教徒 vs イスラム教徒
イスラエル国 vs アラブ諸国
シオニスト国家 vs パレスチナ人
アメリカ帝国主義とその同盟者 vs アラブ民族主義
アメリカの手先 vs ソ連の手先
すべての保守反動封建勢力 vs すべての革命的民主的進歩勢力 

そしてさらには、これらの組み合わせも含めて<誰が>はつくられるとしている。 しかも、争いに参加している当事者たちの間ですら、この誰がについて意見が一致していないのだから、事情は複雑極まるのである。はたまた、これらの言葉ひとつ取っても、使う人にとって定義が一定しているわけではない。

先の7つの対立項目の中にソ連が出ているのは、立花がその文章を書いた時代を反映しているにしても、現在のパレスチナ情勢を考える際の材料としては有効だと私には思える。

そうしたなかで、ネタニヤフを中心とする勢力が何かと言えば、上記リストの4番目のシオニスト国家となる。そしてそれを支持し、「私たち」というように一体化して語るアメリカの議員を含めて修正するなら、現在の対立構造は「シオニスト国家と(金でつながった)その支持者 vs パレスチナ人」というのが、一番近いように思う。

立花は2021年になくなったが、もし生きていたら現在のパレスチナ状況やウクライナでの紛争をどう語っただろうか。ぜひ知りたい。

それにしても、どう考えたって、欧米諸国が1948年にパレスチナの地にユダヤ人国家「イスラエル」の建国を認めたのがそもそもの間違い。その時点でその後のパレスチナの人たちの苦難と苦渋は予想できたはずだ。そして、その延長線上に現在行われているジェノサイドがある。

米国や英国がイスラエルを支援し続ける理由は、今ガザ地区で起こっていることが「自分たちが蒔いた種」だからで、その過ちを認めたくないから。

かつては二枚舌外交を、そして今は二重基準(ダブル・スタンダード)を恥ずかしげもなく実施している。困ったものである。

2024年5月16日

米国企業が占める定額サービスを考え直す

クレジットカードの利用明細を詳細に目ることなどあまりないのだが、たまたま今回、個々の支払いを眺めていてふと気になったのがDropboxの利用料金。あれ?こんなに利用料が高かったかなと・・・。

引き落としされていたのが20,754円。元の請求額が131.87ドルで、157.388円の為替レートで円換算されている。この機にと思い、Dropboxの契約内容を確認した。

2020年からずっと年額131.87ドルを支払っている。その前は106.92ドルだから、一気に23パーセントの値上げがされている。そして近年の円安である。

データ保存のためのクラウドサービスは他にも利用している。また、映画などのストリーミング・サービスも複数契約しているし、音楽のストリーミングもやっている。どれもアメリカ企業が提供するサービスだ。全部でいくらはらっているのだろう?

こうしたビジネスは事業を開始するための初期投資は多額だが、顧客ベースさえ順調に拡大できればやがては多額の利益を継続的に生む。アメリカ人はこうした金儲けの仕組み作りが得意だ。それを後押しする法律や社会の制度もあるし、市場の受容度も高い。

かたや、日本企業は形のある、つまり手に取れるモノづくりには得意だが、形のないサービスに関してのビジネスを構築するのがなんとも苦手。結果、日本人の金はどんどん継続的にアメリカへ流れていくのは間違いないだろう。

今後、AIによってさらに新手のサービスが登場してくることを考えると、その傾向は強まる一方である。 

その前にできれば不要なサービスの購入は中止したいが、どのサービスもうまく設計されていてなかなか手放しがたいのが悩ましい。

2024年5月13日

デザイン思考をどうデザインするか

IDEOの日本支社(IDEO Tokyo)が事務所を閉鎖すると発表した。以前訪問したことのある表参道のオフィスはなかなかお洒落で、一時期はいくつもの大手企業をクライアントとして抱えていたはずだったのだが。

クライアントが彼らの「デザイン思考」に飽きてしまったのか、うまく成果につなげられなかったのか、はたまたそもそも理解できなかったのか。あるいは、サービスの提供者側に問題があったのか、それとも双方に問題があったのかーー。

日本においても、デザイン思考がある時期からビジネスにおける流行り言葉のひとつになった。サンフランシスコにあるデザイン・コンサル会社のIDEO社が、自社のアプローチをそう名付けて広めたことがきっかけだと僕は思っている。

Design Thinking の重要性について創立者のデイビッド・ケリーは比較的早くから語っていたが、その後ティム・ブラウンが「Change by Design: How Design Thinking Transforms Organizations and Inspires Innovation」を出版して、彼らの路線はより明確になった。

当初、デザイン思考は彼らを他コンサル会社と差別化するための方略のひとつだったが、その後はデザイン思考そのものが彼らの売り物になっていった。背景として、時代がそれを求めたんだろう。

ただし、日本での動向を見ていて僕が感じていたのは、これでは早晩行き詰まるだろうということ。というのは、デザイン思考という言葉が一人歩きし、新しいものを生み出せる<魔法の杖>のように企業から思われはじめてたから。企業経営者たちは「これで我が社もイノベーションが生み出せる」と期待したが、多くの場合、そうした夢は現実からは遠かった。

なぜそうなったかと言えば、デザイン思考という言葉に引き寄せられた連中が、それを定型化されたツールのように扱ったことが大きい。つまり、ひとつの方法論としか考えなかったのだ。ブレストをやったりポストイットを使って皆でアイデアを出し合い、「共感→問題定義→アイデア創出→プロタイピング→テスト」という5つのステップをふめば一丁出来上がり、といったような。

デザイン思考はそもそも「思考(Thinking)」の名の通りでツールや道具や手法ではなく、いわば発想のベースであり、体質、くせ、習慣と考える方が正しい。だから、誰もが一朝一夕にそのアプローチをとれるわけではない。

社員に研修を受けさせ、 集めてブレストをやらせ、ポストイットに戯れ言を書かせ、それをもとに何か引き出そうとしたって無駄に決まっている。求められるのは体質なんだから。

IDEOの日本支社が撤退するのは2度目だ。以前、パルアルトのIDEO本社を訪ね、デイビッドの弟で当時同社のゼネラル・マネジャーだったトム・ケリーにインタビューしたとき、かつてプロダクト・デザイナーの深澤直人氏がIDEOの東京支社を率いていたが後継者育成がうまくいかず撤退したいきさつを話してくれた。

将来、彼らに3度目の正直があるのかどうかは分からない。ただ、硬直化した多くの日本企業の経営者や組織を見るにつけ、それはあったとしても近い将来ではないように思う。

2024年5月10日

リニア計画は戻れないプロジェクトではない

昨日、静岡県知事だった川勝氏が辞職した。これから知事選が本格化するのだろう。それにしても、ここ数年の静岡県内のいくつかのメディア(新聞社、テレビ局)による川勝下ろしのキャンペーンは凄まじかったね。

知事を貶めるものを何か捻り出せないかと常にうかがい、少しでも突っ込めるとみると針小棒大にそれを書き立てた。あれだけやられたら、普通、もう誰だってどこか逃げ出したくなるよ。

推測だけど、JR東海からかなりの額の金がそれらに流れていたのだろう。ただでさえ経営が厳しい地方のメディアにとってはそうした金は喉から手が出るほどありがたいはずだし、JR側もそのことは先刻承知のはず。

そのJR東海のリニア中央新幹線だが、これから本格的に工事再開するのだろうか。南アルプス山脈の地下深く延々とトンネルを掘り続けて、いったい何年かかるのだろうか。そして一連の工事で、あと何人くらい現場の労働者が亡くなるのだろうか。

赤線内領域が南海トラフ巨大地震の想定震源域(気象庁HP)


工事がひとまず完成したあかつき、品川ー名古屋間の86%はトンネルである。もし走行中に南海トラフ地震が起きたら、乗客はトンネル内でどうするのか考えてしまう。

一旦始めてしまったから、というのは継続の理由にならない。冷静に考え、プロジェクトを早く中止した方がよい。

2024年5月8日

企業の政治献金

自民党の政治資金パーティーによる裏金作りがいまだ完全解明されないまま、蓋をされつつある。

そうしたなか、自民党に対して2,000万円以上の献金を行った34の企業と団体に対して今後の献金の意思や目的についてアンケートがなされた。それらの企業・団体は、2022年度の政治資金収支報告書をもとに抽出された。

献金した額が最も多かったのは、住友化学とトヨタ自動車の5,000万円。それらは、業界団体からのものとは別に、個別企業として献金した額である。キヤノン4,000万円、日産自動車3,700万円、日立3,500万円、野村3,500万円と続く。

興味深いのは、三菱商事、三井物産、伊藤忠商事、丸紅、住友商事の各社は、すべて2,800万円で献金額がまったく同額であること。三菱商事はそれについて問われ「他社についてコメントする立場にはない」と回答したが、偶然に商社5社が同額になったわけはなかろう。

同額の献金額と言えば、三菱UFJ銀行、三井住友銀行、みずほのメガバンク3社も同様で、完全な横並びだった。

献金の目的についての問いに対しては、多くが「社会貢献の一環」と答えている。

笑えるが、それにしてもそんな木で鼻をくくったような台詞で株主は黙っていると思うのだろうか。 見返りが期待できるから金を渡しているのだろう。ステークホルダーに対しての説明責任を果たしていない。

政治献金は合法とされているが、その分、企業はちゃんと話をしなけりゃダメなんじゃないのか。そうしないから、やっぱり何か裏があるに違いないと勘ぐられるのである。

2024年5月7日

不用意な発言とは

米国のバイデン大統領が、今月1日、日本の経済が低迷しているのは日本が「外国人嫌いで、移民を望んでいないからだ」と発言した。

それに対して、経団連の会長である十倉雅和(住友化学会長)が「不用意な発言」だと苦言を呈した。

十倉は「日本は外国人嫌いではないし、現に日本には多くの外国人が観光も含めて来ている」と反論。

どういう思考回路をしているのだろうか。オーバーツーリズムが観光地各地で叫ばれるように外国人観光客の数がこれまでになく増えているのは事実だが、それは「日本人が外国人が好き」だからでなく、円安によって外国から日本に来やすくなったからだ。

また十倉は、経団連としても少子高齢化の日本で必要な技能の伝承や人材の確保を目的として外国人人材の受入などについて検討する委員会を立ち上げることを決めていると述べたらしい。

この意見は、何を意味しているかーー。日本人(少なくとも経団連の連中)は外国人が好きでもないが、「仕方なく」受け入れざるを得ないと考えるようになっていることを証明している。 

いずれにしても、十倉は他国に比べて異常に少ない日本の移民の受け入れ数については何も言及していない。それは、何も言及できないからである。であれば、中途半端な言い訳などしないのが賢明だった。

まったく不用意な発言である。

2024年5月4日

言葉貧しき大統領は再選されるだろうか

米国ではガザ地区でのイスラエルによる攻撃、女性や子どもを含む一般市民の惨殺に反対するデモ行動が広がっている。その活動の舞台の一つが大学のキャンパスで、その数はいまも広がっている。 

それらの活動に対し、2日、米国のバイデン大統領は演説で "There's the right to protest, but not the right to cause chaos" と語り、大学の敷地の一部を占拠する学生たちを非難した。

だが学生らは火焔瓶を投げているわけでもなく、建物を破壊しているわけでもない。キャンパスの中庭にテントを張り、反戦の訴えを続けているだけだ。こうした状況を<カオス>と考えるセンスってどうなのかね。

カオスはキャンパス内の出来事ではなく、ガザ地域で起こっている数々の殺戮のことなのだよ、ジョー。

悲しいかな、これでは学生たちの行動は収まらない。学生らは、突如実力行使に出て大学内にテントを張り、声を上げ始めたのではなく、その前からイスラエルによるパレスチナ自治区でのジェノサイドに反対の声を上げていた。その延長上にこれらの占拠行為はあった。

そうした学生たちの声を知ってか知らずか、バイデンは演説で陳腐な表現で学生たちの行動を非難したのだ。大統領選を控え、またバイデンは若者層の支持を失った。

一方、ニュージャージー州にあるラトガース大学では、大学側が「中東情勢の研究を強化する」「抗議活動への参加者を処分しない」ことで学生らと合意し、その後、学生らが大学内に張ったテントなどを撤収したという。バイデン大統領のいかにも為政者然とした上からの視線と対照的だ。

2024年5月3日

人がいなくてトラックを走らせられるか、ビルや橋を造れるか

先日、ドラックドライバーの不足が物流に与える影響について書いたが、三菱総研は以下のような日本の労働需給の推定をしている。


これによれば生産・輸送・建設部門では3年後に人材が過剰な状態になるとしている。2030年には、その過剰人員は170万人。何を前提にしているのだろう。

確かに生産現場にはロボットが投入でき、自動化をすすめることができるので今後も人の姿は少なくなっていくだろう。が、輸送と建設の現場は、そう簡単にはいかないはずだ。 

もしこのような感じで人材が過剰になる分野が確実にあれば、そうした人たちをいかにシフトさせるかが次の課題になる。しかし、そもそも労働力全体が縮小しているなか、そううまくいくのだろうか。