2014年10月31日

システィーナ礼拝堂のミケランジェロ画

今日は、午前中に国際学会で予定されていた研究報告を行った。話し終わった後、会場にいた何人かがやってきて、僕がプレゼンで使ったパワーポイントが欲しいと言ってきたので反応はまずまずだったと思う。

その後、会場になった大学の中庭で他の参加者たちと一緒に軽いランチを取り、その後は近くのヴァチカン市国へ向かった。

目当ては、何といってもそこのヴァチカン博物館内にあるシスティーナ礼拝堂である。その天井一杯に描かれた、ミケランジェロの手によるフレスコ画をぜひ見てみたかった。

壁面をぐるりとキリストの誕生から復活までマンダラのように描かれている。圧巻は、西側の壁面に描かれている大作「最後の審判」である。

以前ここを訪ねたことのある友人からは、暗くてあまり壁画が良く見えなかったと聞いていたのだけど、そんなことはなく首の疲れさえ気にしなければかなりはっきりとディテールを捉えることができ、大満足だった。

さっき夕食を済ませて宿泊先のホテルに戻り、テレビをつけたら、偶然にもCNNのニュースでシスティーナ礼拝堂の天井画のことが話されていた。

すすが払われて元の絵がはっきり見られるようになったこと、さらには7,000台のLEDライトによってこれまでになく明るく照らされるようになったことが番組でレポートされていた。


2014年10月30日

なるほど、これがイタリア

ローマの中央駅であるテルミニ駅のなかに Borri Booksというかなり大きな書店がある。駅の玄関口である地上1階と地下にも店を構えている。なかなかモダンな設えで、取り揃えも充実している。

その地下の店の入口に貼り紙がしてあった。いきなりNOが4つ書いてある。英語で書いてあるのは、外国からの旅行者に向けてのメッセージなのだろう。


書店の店頭で鉄道の切符を買い求めようとしたり、観光地への行き方なんかを尋ねてくる客への対策なんだろうが、この本屋さん、情けないほど店内に客がいない。 だから店員同士でお喋りばかりしてる。

だったら、よく分からない観光客が来ても対応してやればいいのに。そして、その際にローマのガイドブックや観光地図でも買っていってもらえるよう案内すればいいのに。商売が下手だ。それ以前にまったくやる気がない。なるほど、これがイタリアか。

2014年10月29日

ボクサーの孤独

学会出張のためローマを訪れている。成田から13時間近くのフライトは、いささか疲れた。

成田空港では、アリタリア航空のシステムダウンでカウンターの搭乗手続きが大幅に遅れた。チェックインのためのコンピュータ・システムが使えないので、航空会社のスタッフが手作業(!)でカウンター業務をしたらしい。

僕は幸い、ネットで事前にチェックインを済ませていたのでカウンターの長い列に並ばないで済んだが、予約客のチェックインがすべて完了するのを待つために、フライトの出発が1時間ほど遅れた。

今日の夕方は、ローマ市内テルミニ駅近くのローマ国立博物館(別名、マッシモ宮)を訪ねた。夜7時45分まで開館しているので助かる。紀元前2世紀から紀元4世紀あたりの彫像、フレスコ画が実にたくさん展示してある。

その中で印象的だったのが、古代のボクサーをモデルにしたブロンズ像だ。紀元前1世紀ごろの作。ボクシングの選手にはどういった人物が選ばれたのか知らないが、彼らは全裸で両手の拳には皮のベルトらしいものを巻いて拳闘しあった。おそらくは罪人か奴隷かだろうか。



筋骨隆々たる肉体が見事に再現されている。よく観察すると、ただ筋肉が盛り上がっているのではなく、殴り合いの後を思い起こさせる筋肉上の腫れがそこには表現されている。

仲代達矢さんを思い起こさせる豊かに髭を蓄えた顔は、近くで見るとこれまた切り傷や腫れなどの様子が実にリアルに刻まれていて「痛い」。

この像には、The Boxer at Rest という題が付けられていた。試合を終え、静かに腰掛け、寂しげに虚空を眺める先に何を見ていたのだろう。

2014年10月18日

やっぱり変か、日本の営業

今朝の「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、宋文洲さん。彼が12年ぶりに改訂した『新版 やっぱり変だよ 日本の営業』をもとにお話をさせてもらった。 


宋さんが「変だよ」と思うのは、別に日本企業の営業スタイルに限ったことではない。話していて思ったのは、彼はとても頭がいい人。理屈に合わないことが嫌いである。だから、日本企業の営業を例に話をすると、情に訴えるためだけの努力や、精神論でただひたすら「頑張る」ことが我慢ならないのである。

ビジネスは、本来がドライな世界であることが彼の信条である。そこに人間的な心のつながりとか、価値観の共有を持ち込もうとするから問題が発生する。乾いた人間関係の仲で、お互いが与えられた役割と責任をこなすことを優先すれば、会社はうまくいくという。

企業は、本来はドイツの社会学者テンニースが唱えたところのゲゼルシャフト(機能体組織)の典型である。しかし一方で、われわれ日本人は、会社を家族や親しい仲間同士の集団であるゲマインシャフト(共同体組織)と胸の中で理解し、期待してしまうところがある。いまもって家族主義的経営がもてはやされることが、それを物語っている(決してそれが完全に間違っていると言っているのではない)。

中国では(あるいは欧米諸国も含めて)、会社は決して家庭や地域社会の延長ではなく、労働を提供する対価として報酬を得るひとつの装置という方が一般的だ。

そこが日本と中国、あるいは欧米との違いであり、この国で労働力の流動性が極めて低い原因の一つになっている。日本で大学を卒業する学生たちが4月に一斉に行うのは、就職ではなく就社である。就社に一喜一憂し、転職をマイナスとみる価値観は早く捨てるべきではないか。


今朝の一曲は、ロバート・パーマーで Mercy Mercy Me。

 

2014年10月5日

目先の利益におぼれていいこと、悪いこと

御嶽山での不明者捜索は今も続いている。9月27日に噴火をしてから1週間が過ぎているが、まだ多くの行方不明者が残されているとみられている。

日本は地震国、火山国である。避けることのできないこうした地質学的リスクに対応するために、それらの絶え間ない観測と予知、そしてそれらを元にした防災体制の整備が不可欠である。

今日の朝刊一面に「噴火予知 人も金も手薄」という見出しの記事が掲載されていた。御嶽山の場合、山頂周辺に設置された地震計12台のうち3台は稼働していなかった。2台は昨年夏に故障したまま放置され、1台はスキー場から電源を引くために冬の間しか観測できない状態だった。予算不足が原因である。

文部科学省が2004年に実施した国立大学の法人化により、大学への運営交付金は年々削られている。火山を対象としたような研究は、日々何が起こるということが無くても長期的にデータをとり続けなければならない。今回のような大きな火山活動が起こらないことは好ましいことなのに、日々データをとり続けているだけで短期の研究成果が出ない分野には研究費が回らなくなった。

それに連動するように、地震研究分野の研究者も減り続けている。火山の専門家は、いまでは日本全体で30人もいないことが指摘されている。予算も人も削られ、徹底的に軽んじられてきた火山研究のひとつの「結果」が今回の犠牲者の数だ。

そんなことを考えていたら、友人の教授が「国立大学から文系学部が消える!」と題したネット上の記事を送ってくれた。
http://lite-ra.com/2014/10/post-508.html

文学や哲学のように国の「生産性」、つまりカネに直接寄与しない学問はもう不要と文科省が考えているとしたら、僕たちは今度こそそうした連中に「あんたちこそ不要」というレッドカードを突きつけなければならない。

2014年10月4日

インタビューの達人と

僕にとって人生の喜びのひとつは、自分が会いたいと思った人と会って話をすることだ。本も映画も旅も面白いけど、やっぱり人が一番面白いもの。

だから、週刊文春の人気連載「阿川佐和子のこの人に会いたい」はずっと憧れの対象である。その連載回数は優に1000回を超えている。1000回だよ、1000回・・・。

インタビュー界の東の横綱が「徹子の部屋」の黒柳徹子さんなら、西の横綱は間違いなく阿川佐和子さんだ。 

その阿川さんに今日は来てもらい、ゲストとインタビューするときに気を付けていることや、話のきっかけをどう見つけるかなどについて教えていただいた。


スタジオに現れた彼女はとっても小柄で、少女のような趣を残した女性だった。ふわっとした印象でありながら、キリリとした眼差しの不思議なバランス。

今日は、彼女の『聞く力』(文春新書)をもとに対談。インタビューのへたくそな僕にも真摯に付き合ってくれ、場の雰囲気を作ることの大切さや、対談の際に最初に口火を切る際のヒントなんかを話してくれた。


来週は、『叱られる力 聞く力2』(文春新書)をもとにお話をうかがいます。


今日の番組の挿入歌は、スティービー・ワンダーの「ステイ・ゴールド」。S. E. ヒントンの小説をフランシス・F・コッポラが映画化した「アウトサイダー」の主題歌である。