2014年5月28日

ブルー・ジャスミン

「ブルー・ジャスミン」は、ウディ・アレンが監督をした最新作である。主な舞台は、サンフランシスコ。回想シーンにニューヨークでの様子がたびたび挟み込まれる。

ニューヨークを舞台に映画人としてのキャリアをスタートしたウディ・アレンが、その後ヨーロッパのいくつかの都市を舞台に映画を作り、そして西海岸にたどり着いた。


ジャスミンは、ケイト・ブランシェットが演じる主人公の名前。本名のジャネットが「平凡すぎる」からとジャスミンにその名を変えたニューヨークのセレブリティで、アメリカの大実業家の妻という役柄。それが、夫のビジネスが根っからのいかさまだったため破綻。結局すべてを失いサンフランシスコの妹の家に転がり込む羽目になる。

タイトルのブルーは「憂鬱」といった意味だが、状況は憂鬱どころではない。ジャスミンの精神は徐々に、そして確実に壊れていく。ブロークン・ジャスミンだ。その様子は救いようがない。ウディ・アレンの眼差しも醒めていて、彼女を救済しようとなどと考えていない。辛い映画である。

般若顔を時折見せる主人公のブランシェットが、実にうまい(アカデミー賞主演女優賞を獲った)。彼女なしでは作品は成り立たなかったし、興行的にも成立しなかったと思う。

お話は、テネシー・ウイリアムズの「欲望という名の電車」を連想させる。作りがよく似ている。実際、ケイト・ブランシェットは、母国オーストラリアの舞台でブランチの役をかつて演じてたことがある。

60年前のニューオリンズを舞台にした話をベースに、なぜウディ・アレンがいまサンフランシスコとニューヨークを舞台に物語を書いたのか。

彼は昔から女性に対して厳しいというか、心を赦していない感じがしていた。ジョークで女を笑わせようとするが、あくまでも女性は彼にとって立ち向かう対象だった。

心底女をやっつける映画を作りたかったのかもしれない。しかも興業として成り立つ一般的な作品として。そのためには誰もが知るテネシー・ウィリアムズの戯曲に併走しながら、米国の2大都市を舞台に、ケイト・ブランシェットというこれ以上考えられない配役を決めたというわけだろう。まぎれもない、アレンの職人技である。