2023年12月23日

映画 PERFECT DAYS

「ベルリン・天使の詩」「パリ・テキサス」「アメリカの友人」「ハメット」などの沁みる映画を数々撮ってきたヴィム・ヴェンダースが日本で、日本人キャストで制作した新作が「PERFECT DAYS」である。

主演は役所広司。寡黙な少しミステリアスな男を演じている。役作りだろうか、頬がいくぶんこけ、頬骨が浮き出ていて減量のあとが窺える。映画の中であまり喋らない。とくに最初の30分で喋ったのは、いつも行く銭湯の入口でそこの主人に軽く挨拶した一言だけだった。つまり、映画のシナリオのあたま四分の一は台詞なしだったということだろう。

この映画のもう一つの主人公が、東京の公共トイレ。普通のトイレじゃない、登場するのは謂わばDT(デザイナーズ・トイレ)だ。人が中にいないときには透明で中がみえる透明トイレを設計した坂茂の作品(?)をはじめ、槇文彦、安藤忠雄、片山正通など著名な建築家やインテリア・デザイナーの手になるトイレが登場する。役所が演じる平山は、それら公共トイレの清掃を仕事とする男である。この映画は、TOILET DAYSでもある。

小道具がなかなか渋い。平山が聞く音楽は、ミュージック・カセットだ。早朝、仕事先に向かうダイハツの軽バンでかけるカセットから流れる最初の曲はアニマルズの「朝日のあたる家」。それ以外にオーティス・レディングの「ドック・オブ・ザ・ベイ」やヴァン・モリソンの「Brown Eyed Girl」、パティ・スミスの曲なんかもカセットから流れてきた。ちょっと狙いすぎという感じも。

主人公が毎晩、寝しなに床で手に取る本(すべて古本屋で買った文庫本)はウィリアム・フォークナー、幸田文、パトリシア・ハイスミス(「アメリカの友人」の原作者だ)。これもいい感じ。

そうしたなかで僕が一番気に入った場面は、主人公の平山が週末だけ行く近くのスナック。石川さゆりがママを演じていた。平山は彼女に気がある。彼女も彼にまんざらではない様子。その店のなかで、彼女が客(あがた森魚!)のギターで「朝日のあたる家」を歌うシーンがいい。日本語バージョンのこの曲を初めて聴いた。新鮮な印象。演歌だ。すごくいい。

映画の中では、平山の目とカメラの両方を通して木漏れ日が描かれる。何度も、何度も。その一瞬のきらめきや儚さを通して、移りゆく自然と揺れる人の気持ちを表しているのだろうか。彼が隅田川の川縁で、三浦友和演じるスナックのママの元夫と「影踏み」に興ずるシーンもそこに通じている。そうした光と影、陰影の使い方がヴィム・ヴェンダースらしいが、黒澤の「羅生門」を連想させもした。

日本映画の巨匠とのつながりで言えば、ヴェンダースが小津安二郎の信奉者で、そして舞台が東京、主人公が初老の男性、だからといってこの映画に小津の影を無理矢理に見る必要はないと思う。評論家の先生たちの多くは、映画通らしくそのあたりをみな強調しているが。

映画の終盤、彼の妹がアパートを訪ねてくる。そこから、彼が実は鎌倉に住むかなりの資産家の人間であり、父親との相克から家を継がずに出て行って今に至っているらしいことが分かる。主人公が寡黙で、自らを表に出そうとしない所以はそこにあった。表と裏、光と影、象徴としての木漏れ日の光の揺らめきがつながってくる。

ギリシャの唯物論哲学者エピクロスは、「隠れて、生きよ」(断片 その二86)と書いた断片を残したが、これは姿を世間から消すとか隠遁することではなく、自らの心の中の幸せと平穏だけを求める生き方のこと。

エピクロスが別の断片で残した「 幸福と祝福は、財産がたくさんあるとか、地位が高いとか、何か権勢だの権力だのがあるとか、こんなことに属するのではなく、悩みのないこと、感情の穏やかなこと、自然にかなった限度を定める霊魂の状態、こうしたことに属するのである」(断片 その二85)という生き方であり、本作で役所が演じた平山の生き方そのものである。あるいは、エリック・ホッファー的ホーボー的生き方といってもよい。

映画のタイトルのもとになっているのは、ルー・リードのPERFECT DAY。この曲は、デュラン・デュランなんかもカバーしていた。

2023年12月22日

これは構造的な問題、つまり経営の問題である

山田養蜂場から手紙が届いた。ずいぶん前だが、一度、そこからハチミツを購入したことがあったからだろう。文書の内容というと、個人情報を流出させたことへの説明とお詫びだ。流出した件数は、ぜんぶで405万件。驚く数字だ!

経緯はというと、山田養蜂場が仕事を委託した先の(株)NTTマーケティングアクトProCXが、その仕事を関連企業のNTTビジネスソリューションズ(株)を下請けとして再委託。で、そこで働く派遣社員が客の個人情報データを持ち出した。

NTTマーケティングアクトProCXからNTTビジネスソリューションズに仕事が回された時点で、委託経費は中抜きされて削られている。そして、実際の現場の業務はというと、時給で働かされる派遣社員がすべて任されてやっているという構図だろう。

NTTの2社の社員は自分ではほとんど手を動かさず、クライアントである山田養蜂場からの支払いを手にしているわけだ。

そこに派遣されて、何の権限も与えられず、ただ命令されたことをその通りにやらされている派遣社員。彼(女)がやったことは犯罪であることは間違いないが、気持ちを推測して理解することはできる。

下請け(関連企業)に仕事を回すだけの「NTTマーケティングアクトProCX」なんて、そのご大層な社名が恥ずかしくないのかね。私はとても恥ずかしいと思う。

2023年12月21日

イチローにとっての「自己肯定感」とは

元メジャー・リーガーのイチローが、自己肯定感について次のように語っていた。

自己肯定感という言葉、目にしたことなかったです。イメージですけど、すごく気持ち悪い言葉です。自己肯定でしょ。いや~、気持ち悪くないですか。

自分を肯定するのは、僕は凄く抵抗があります。僕の場合は疑問符をつけてます。自分がやったこと、やろうとすることに。これが強い人って、ストレスフリーで楽しそうに仕事するみたいな感じですか? それってどうなんですかね。いいなって思うけど、その人たちは人としての厚みが生まれるんだろうか。瞬間瞬間はいい仕事ができるんだろうけど。明らかにダメなのに否定されない。自分でもいいことしか振り返らない。第三者からも指摘されない。僕は堕落すると思いますけどね。

人が最悪になるときって、自分が偉いって思ったとき。最悪というか魅力的じゃない。それが生まれるんじゃないかと。これが強すぎる人は。

自分の軸をしっかり持っている人は、やはり違う。

自己肯定感って、いつからか当たり前のような考えになっているけど、確かになんだか気色悪いと思っていた。それが何だったか、イチローさんに教えてもらった感じだ。

彼はアスリートであって思索家というわけではないはずだが、一流の人間は物事の本質を直感的に感じる回路を持っている。

nikkansports.com から

2023年12月18日

ここにも正気をなくした指導者がいる

パレスチナのガザ地区で、捕虜になっていたイスラエル人3人がイスラエル軍によって誤って射殺された。

その一人は、棒の先に白い布を付けた「白旗」を掲げていたにもかかわらず撃たれた。一体、これはどういうこと?

イスラエルのネタニヤフ首相は、それでも攻撃を止める気はないという。

かれは、歴史上に21世紀のヒットラーとして名を残したいのか。 

イスラエル国内でも、戦闘を止めて、交渉により人質の解放を優先するべきだと訴える大規模なデモが行われたらしいが、当然だろう。

2023年12月16日

電車に一礼

宝塚歌劇団による団員への長時間労働や上級生から下級生へのイジメがとりだたされている。旧態依然とした古い体質の組織にはありがちだが、報道を見るにつけこれほどまでとはと驚いてしまう。

とりわけ仰天したのは、阪急電車が走っているのが見えたら、その電車に向かってお辞儀をしなければいけないという決まり。数年前に強制ではなくなったらしいが、それまで何十年にわたる不文律の伝統だった。

ぼくが仰天したと云ったのは、劇団員がそれを長年やらされていたことはもとより、それを当然のことと思って見ていた周囲の関係者たちの存在である。

歌劇団にはその団長をはじめ、制作や運営に関わる大勢の人たちがいるはず。運営元の阪急電鉄、その親会社の阪急阪神ホールディングスにも大人はいるだろう。スポンサー企業にもファンクラブにも、それぞれいい歳をした大人がたくさんいるはず。

周りのそうした大人たちは、この奇妙な習慣をどう見ていたのか。それがタカラヅカらしい、美しく、麗しい振る舞いだとして目を細めながら見つめていたのだろうか。

2023年12月15日

かつて目の上のタンコブだった人たち

先日、このブログで団塊の世代の人たちのことをいささか揶揄することを書いたら、その世代である知り合いから「実はね、私もそこにいた一人で・・・」という連絡が来た。いやあ、参ったなー。そんなつもりで(じゃあ、どういうつもりだ!?)書いたんじゃないと苦しい言い訳をした。

20代のころから、僕たちにとっては団塊の世代は目の上のたんこぶのような存在だった。大きな塊が頭の上にのっているようでジャマだったのだ。

何をやろうとしても彼らの大群が前に立っていて、その数の勢いで後進であるわれわれは道を塞がれているような閉塞感を感じていた。今思えば、それはただ自分たちの力量が足らなかっただけなのだけどね。 

そうした数が多く、バラエティに富んだ人たちがいた団塊の世代のなかで、この前書いたコンサートの会場にいた人たちはある種特殊な部類だ。まずその特徴は、どこかで50年前の自分を引きずっている連中で、それゆえか世間的、特に経済面という枠の中では決して成功したタイプではない。

少なくとも若い頃、当時の世の中に異論を唱え、それを声に出していた人たちだと思う。だが、1947〜49年の3年間に生まれた人たちだけで800万人を超える塊のなかでは、それらはやはりマイノリティだった。

多くは高度経済成長期の波に乗るために既成権力に寄り添い、伝統的な日本の企業社会のなかに当たり前のように入っていった。「ニュー・ファミリー」なんて言葉も彼らを中心的な対象として生まれた。「24時間働けますか」で組織に飼われ、丸抱えにされ、横並びでマイホームを購入し、体制と寝続けた連中である。

それらに違和感を感じていた人たちもいて、そうした人たちは滅私奉公もしない代わりにカイシャではあまり評価されず、出世もそれほどせず生きてきた。だから高級車や海外ブランドやフレンチ・レストランには縁がない。その代わり、自分なりのスタイルと価値観を大切にしながらしっかり生きてきた。

ひとまとめにするのは乱暴かも知れないが、先日のコンサートで僕の周りにいた人たちは、そうしたタイプの代表的な一群だったんだ。

2023年12月14日

さほど難しいことは何もない。大抵の場合は

先月、企業は退会していく客をどう扱うかについてこのブログに書いた。https://tatsukimura.blogspot.com/2023/11/blog-post_20.html

そのときは、長年利用していたNHKオンデマンドというサービスを事情があって退会したときの経験を取り上げた。NHKがあまりにお粗末な、少なくとも顧客を軽視し、自らの将来のビジネスを自分の手で閉じてしまう発想をしていたからだ。

そうしたらNHKから、その後アドバイスに従って手続きを改めたと言われた。僕自身はもうそのサービスの利用者ではないし、利害関係もない。ただ、こうして少しでも世の中のサービス対応が改善されるのは好ましい。

こうした変更にはたいしたコストがかかるわけではない、また手間もさほどかからない。内容は、意思決定者が顧客の身になって考えればわかる常識的なことを組織として常識的にやれば済むこと。世の中を見回せば、できない方がおかしいと思われることがほとんどである。

顧客の身になって経験する、感じる、考える。そこでおかしいと思ったことをすばやく改善していく。それだけで顧客との関係が歴然と変わる。それが企業にとっての顧客価値の向上につながる。つまり当たり前の事を当たり前にやるだけなんだけど、それが企業にとっての将来の成否を分ける。

2023年12月10日

確かに壮大ではある「ナポレオン」

この映画を観ていると、ホアキン・フェニックスがそのままナポレオンに思えてくる。もう彼以外にナポレオンはいないほどに。それほどまでにフェニックスの見せる造形は深く、見る者をその世界に引き込む。

映画「ナポレオン」は、86歳のリドリー・スコットがおそらく長きにわたってその製作を構想していたに違いない一作。

金のかけ方が半端ではない。それもCGとかそういった先端技術への金のかけ方ではなく、もちろんそうしたシーンもかなりあるが、驚かされるのはエキストラの数とその質である。そこには登場する多数の見事な馬たちも当然含まれる。

むしろ今ならCGでやれば何でもできるものを、広大なセットと同時撮影する何台ものカメラ、それを扱う撮影スタッフ、演出の行き届いたエキストラたちと訓練された馬たちで戦闘シーンを描く監督の力量だ。

物語としては、フランス人兵士たちが全員英語をしゃべるのが観ている途中で気になって、気になって。あまりに自然で見事な英語だからなおさら。その瞬間、やはり映画、絵空事、との思いが頭をよぎったのが残念というか、もったいない。

個人的には、同監督の作品でいえば「グラディエーター」の方が没入感も陶酔感も優っている。なぜだろうと考えた。それは、先にも書いたホアキン・フェニックスのナポレオンではなく、この映画の中で描かれた彼の妻、ジョセフィーヌの役柄と存在へ感じた違和感のような気がする。

2023年12月9日

この国の未来が明るくないわけ

ひと月ほど前になるが「「民度低すぎ」歌舞伎町・刺されたホストを応急処置した男性が語る真実、見て見ぬふり異様現場と誹謗中傷」という長いタイトルのニュース記事を目にした。

新宿歌舞伎町の路上で、女性にホストが刺された。たまたま、そこに医師免許をもつ男性が居合わせ、彼は周囲の人に救急車を呼ぶよう要請したあと、その場で倒れた男に対して応急処置を施すことになった。

彼はその時のことを振り返り、こう語っている。

救急車については他の方も呼びかけていたためか比較的早くに動き出してくれましたが、ほかは……。私が男性の安全確保をした後に、“AEDを持ってきてください!”と言っても、みなスマホで撮影を続けていました。(「あなたにお願いしますと」)その場にいた人を指名しても、自分を指してるのかとキョロキョロするわけでもなく、無視してスマホのカメラを向けてきて……
https://news.yahoo.co.jp/articles/cc79d214d7d69be3f604a25aeab2acd2338a2612より

これを読んだとき、現場の風景が見えるようで吐き気がした。

午前1時半の歌舞伎町にいたほとんどは、10代、20代の若者だろう。遊び疲れて、普段以上に思考能力も判断能力も衰えている彼らには、目の前の惨劇もしょせんは他人ごと。おのれに痛みがなければOKで、あとはどれだけその場を「楽しむ」かだ。

その時ばかりは、ビリー・ザ・キッド顔負けの早業で拳銃ならぬスマホをポケットから取り出し、すぐさま撮影に入る。気分はもうSNSのレポーターだ。応急処置をしている人からの「誰か手伝ってください」という声が聞こえても、端から頭には入らぬ。「おれ、カンケーねえから」

これは社会心理学でbystander effectと呼ばれる集団心理のひとつ。bystanderとは脇に立つ人、つまり傍観者。なぜ、傍観者は自ら行動しようとしないのかについては、次のような3つの理由が挙げられている。

  1. 多元的無知:他者が積極的に行動しないことによって、事態は緊急性を要しないと考える

  2. 責任分散:他者と同調することで責任や非難が分散されると考える

  3. 評価懸念:行動を起こした時、その結果に対して周囲からのネガティブな評価を恐れる

誰もがこうした心理になるというわけではないが、ここで示されている「他者と同調する」や「周囲からのネガティブな評価を恐れる」は、とりわけ日本人の特性と合致しているだけに根が深い。

アメリカの慈善援助財団が調査したところでは、「最近、知らない人や困っている人を助けたことがあるか」という問いに対して、「はい」と答えた日本人は21%。調査した142ヵ国で最低の数値だった(2023年)。グラフが示すとおり、アメリカやドイツ、韓国、英国などは半数以上が「はい」と答えているのと対照的だ。

そういえば大学のクラスでこんなことがあった。その日はあるケーススタディをやることにしていた。その企業は日本の熊本に本社をおく、ちょっと特徴的な会社である。

2016年4月、ちょうど熊本城が大きく被災した「熊本地震」があった時だ。その企業も被災し、社員に死者は出なかったものの社員の家族が被災したという報告を聞いていた。また社屋が被害に遭ったため、しばらく操業ができない状態にあった。

イントロでそんな話をしたとき、クラスのなかから笑い声が起こった。すると、それが伝播して教室の方々に追っかけの笑い声が広がった。「厭だな」と感じて、話の途中でここは笑う場面じゃないよ、と諭したら、それに対してさらに笑いが起こった。

その理由は、上記2に関する同調行動がもたらしたものだが、それに加えて彼らにはもうひとつの理由があるように感じた。それは、他人の不幸を快感と感じる心理であり心根である。それがそこにいる社会人大学院生たちだけのことであって欲しいと願いながら授業を続けたが、気持ちを立て直すのに少し苦労したのを覚えている。

銀杏の葉が風に舞う


キャンパスで

2023年12月8日

岡林のデビュー55周年のコンサート

昨日、江東区のホールでコンサートがあった。午後5時半開場、6時開幕とかで、やけに時間が早いなと思っていたが、会場に着いてすぐに納得した。

仕事帰りで書類カバンを持っている客なんてのは、周りを見回してもぼくだけだった。他の観客は無職の(たぶんね)ジジとババばかり。だからこんなに早くったって、まったく平気。むしろ年寄りだから、終演後に早く帰れるように開幕時間が早く設定されている(たぶんね)。

客の8割以上はぼくより年長。その多くは団塊の世代だろう。それにしても、判を押したように着るものに無頓着なのが情けない。ひと目でユニクロと分かるシャツと安物のダウンジャケット。そして下はくたびれたジーンズ。

クラシックやオペラのコンサートではないのでそれで構わないのだが、それにしてもである。少しくらいはお洒落に金を使わないのか。もし金がないとしても、ならば気を遣うようにすれば少しはなんとかなる。冴えない団塊の世代の連中に囲まれた、いささか悄然とし裏さびれた夜だった。 

コンサートは、岡林が一昨年出したアルバム「復活の朝」がすごく良かったので、生の歌が聞きたくて出かけた。77歳だというが、しっかり昔通りの声で歌を聞かせてくれた。

2023年12月7日

パーティー=パンツ説

パーティーによる自民党議員の裏金作りの追及を受けて、岸田首相がすべての派閥パーティーの開催自粛を指示した。

これは、あきらかな問題のすり替え。対応しなくてはならないのは、そういう事ではないはず。

それで思い出したのが、勝新の「もうパンツをはかない」発言だ。

1990年、勝新太郎がハワイ・ワイキキの空港でマリワナとコカインを所持していたことで捕まった。それらを下着に隠して日本に持ち帰ろうとしたのを見つけられたのである。

現地で記者会見が開かれたとき、勝は「なぜ、パンツの中に入っていたかわからない。今後は同様の事件を起こさないよう、もうパンツをはかないようにする」とコメントした。

彼らしい「名(迷)セリフ」である。みんな笑った。名役者らしい「芸」があった。

岸田首相も国民を目くらまそうとするなら、少しは見習ったらどうだ。

2023年12月6日

130億年前を示す画像

NASAのジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡での観察データをもとに、東大宇宙線研究所などが120〜130億年前の巨大ブラックホールの存在を突き止めた。

 
そうした気が遠くなるほど昔に発せられた光が、いま地球に届いたことでそれらブラックホールの存在が確認できた。遠大さに目眩がしそうである。

さらに驚く話として、今回発見されたブラックホールの重さというのは、太陽の100万倍〜1億倍と発表された。太陽の1億倍の重さって、なんなんだ!

この国の官房長官が、パー券収入から1,000万円分を自分のポケットに入れていたらしいが、そうした小さな精神が情けなくなる。

2023年12月5日

キックバッカーズ

自民党の各派閥が「パーティー券」がらみで政治資金規正法違反の嫌疑をかけられている。

このパー券とやら、議員は販売のノルマを課せられており、それを超えて「頑張った」議員には超過分がキックバックとして支払われる仕組み。

キックバックというのは古くからある慣習だが、ぼくが知る限りそれは商売のうえの言葉であり、政治の世界がやることじゃない。彼らは金と利権だけしか頭にない政治屋だから仕方ないか。


それにしても、よくこれだけ国民を愚弄にした会見が開けるものである。この国ではこうした為政者によって、国民やメディアが完全にバカにされている。だが、そもそもそうした連中を選んだのも、われわれ国民(の一部)だからナ。情けなくなる。

We are Kickbackers

2023年12月2日

カミュ

先日、学生たちとの呑み会が高田馬場であった。秋に担当した授業の打ち上げで、受講した学生とゲストで来てもらった学外の人たちも一緒に集まった。

ビールやワインのグラスなどを手に話題はあちこちへ飛ぶ。そんななか、ある学生が、私にむかって純粋の日本人に見えないがどこか他の国の血が入っているのですかと。

それに他の学生らも反応し、彼らもそう思っていたと首を縦にふる。まいったなー、と思いながら、どんな血が入ってると思うかと問うてみると、その学生、しばらく考えて「北アフリカの、アルジェリア辺り出身のフランス人」という。

これまでも中東のどこか、とか中南米のどこか、と言われたことは多いのだが、ここまで具体的に表現されたのは初めてだ。頭の中に、カミュの名前が浮かぶ。

アルベール・カミュ

企業に勤めていたときのことだからずいぶん昔のことになるが、一緒に出張で大阪に来ていた仕事仲間と、その日の段取りを打ち合わせておこうと宿泊先のヒルトンホテルで朝食の席についたときのこと。

テーブルにやって来たウエイターが、まず向かいに座っていた彼女にコーヒーにするか紅茶にするか訊ねた。そのあと、彼はぼくにむかい、Coffee or tea, sir? と英語で聞いてきた。

彼女は大笑いし、その日1日機嫌が良かったように思う。外国人に間違えられたのは嬉しいことではなかったけど、何か少しだけ人の役に立ったような気がした。

2023年11月27日

またLINEから情報漏洩

「ライン 44万件情報流出 確認後1ヵ月間公表せず」

これは新聞の見出しである。またやったのか。2021年にも個人情報の管理問題があったのを思い出す。LINEという組織には何か基本的な問題があり、それは今だに解決されていないようだ。

統合したという一方のYahoo!メールを使おうとすると、毎回毎回、下記の内容がしつこく表示される。


https://www.lycorp.co.jp/ja/news/announcements/001002/

2023年11月26日

やめられない、止まらない、は危険信号である

日本維新の会の代表が、関西万博について絶対に止めない、と語った。この国の首相でもないのに、何を勝手なことを言っているのだろう。


理由は、中止すると「世界の信用を失う」からだそうだが、そうだろうか。冷静で合理的な判断からの中止の結果に対して、一体どの国から信用をなくすと考えているのだろう。

一旦始めたからには止められない、ではまるで先の大戦のときと同じだ。1945年3月の東京大空襲で100万人以上が罹災し10万人が死亡したにもかかわらず、「始めてしまったから」というイナーシャで日本は戦争を止めるという判断ができなかった。

その結果、米軍による日本各地への自在な空襲は続き、挙げ句がヒロシマ、ナガサキである。

日本維新の会の代表の発言からは、その時の日本の思考と同様のものを感じる。

「やめられない、止まらない」は、かっぱえびせんだけで十分だ。

2023年11月23日

Fitbit v. CASIO

スマートウオッチのFitbitのバッテリー性能が急激に弱ってきた。バッテリーの残量が35%くらいになると一気に減り始め、やがて画面が消える。使い始めたばかりの頃は1週間はもったように思うが、今は3日くらいだろうか。

3日はもつ、と考えるか、3日しかもたないと考えるか。そうした時期にアマゾンのブラック・フライデーが始まった。買い換えようかどうしようか悩む。

トラッカーも含めて数えれば、これまでに購入した台数は5台。1日の歩行距離が分かったりメールの着信をバイブレーションで教えてくれる機能が役に立っている。

それにしても、これまでもどのFitbitもバッテリーが弱ったため買い換えてきた。これは、彼らの生産管理上で意図的に仕組まれたものなのだろう。

カシオのソーラー電池時計は購入してから30年ほどになるが、いまもまったく問題ない。普段使いで長年愛用しているにもかかわらず、機能的にも外見も一切問題ない。

そうした日本の工業製品としての出来の良さにつくづく感心する。と同時に、ビジネスを考えると一旦購入した客はめったなことでは買い換えないだろうと少し気の毒になる。

カシオを例に挙げるまでもなく、海外メーカーとの比較で言えば、こうした日本メーカーの真面目なモノづくりが日本企業の儲けを削っているのだろうとすら思えてくる。

2023年11月20日

退会する客は、離脱客とは異なる

NHKオンデマンドを先月退会した。ここ数ヵ月、まったく利用してなかったので、一旦退会しようと思ったのだ。

ところが今月、クレジットカードでそのサービスの利用料金の引き落としがあった。なぜかと考え、そういえばサイト上で退会の手続きをしたにもかかわらず、何も連絡がなかったことを思い出した。

ひょっとしたら、手続きが未完了なのかと思い電話してみた。例によって「ただいま電話がたいへん込み入っており・・・」というメッセージが流れる。通話をスピーカーホンに切り替えて、別の作業を始める。

10分ほど経ってやっと応答したので、先月の退会手続きのことと利用料金の引き落としについて確認を求める。電話に出たそのオペレータいわく、月末処理の翌月請求をしているので、退会した翌月、場合によっては翌々月まで引き落としが発生することがあるとの説明。

なるほど、と思ったが、なぜそうした大切なことを退会者に退会時に知らせないのだろう。それを訊いたら「そうしたことはしないこになっているので」との返答だが、回答になっていない。ぼくは「なぜか」を訊ねているのに、自分たちの方針を当たり前のように語る。

NHKオンデマンドの利用開始をメール履歴で調べたら、2013年6月だった。かれこれ10年以上契約していたことになる。10年前の視聴開始時には「申し込みを受けた」との確認メールがNHKから届いている。当たり前だが。

ところが、退会時には「一切知らんぷり」が彼らのデフォルトの対応となっている。本来なら、というか多少なりともビジネス・マインドがあれば、まずは(永きにわたっての)利用を感謝し、また機会があれば是非利用して欲しい旨を語り、支払いは退会月以降も手続き上発生することをメールで案内するだろう。

そうすることで、一旦退会・解約した客もチャンスがあれば復会するものだ。だが、そうした基本的なことすら分かっていないようだ。やめる客はもう客ではないという、間違った認識を持っている。