2014年9月20日

下町ボブスレーは、技術と心意気でできている

今日の「木村達也 ビジネスの森」(FM NACK5 毎週土曜日朝8:15から)のゲストは、下町ボブスレーネットワークプロジェクトのGM(ジェネラル・マネジャー)細貝淳一さん。


下町ボブスレーとは、東京都大田区の町工場が集まり、国産初のボブスレー製作に挑戦しているプロジェクトだ。そのスタートは、2012年の5月。大田区に数多く存在してる金属加工や樹脂加工を営む中小企業の技術を結集できると考えたひとりの若い大田区職員の発案で始まったというのが愉快である。

それに「乗った」細貝さんや他の大田区の町工場の主人たちもすてきだ。ものづくりの街、大田区には「仲間まわし」の文化があるという。それぞれが得意な分野に特化していて、それを活かすために他の仕事はほかの会社に回すことで、全体として高品質な製品を納期を遅らせることなく作り上げることができる仕組みである。

ボブスレー競技に用いられるそりは、欧州では名うての自動車メーカーであるBMWやフェラーリが製作しているというから、びっくりだ。確かにボブスレーは、氷上のF1とも呼ばれる競技。そりは時速130キロで氷の斜面を滑り降りていく。

現在は、いくつかのレースなどで調整を重ねつつ、2018年の韓国の平昌(ピョンチャン)冬季オリンピックを目指してプロジェクトは進行中である。 

今日の一曲は、ジミー・クリフの I Can See Clearly Now。ジャマイカのボブスレーチームの実話を元にした映画「クールラニング」(1993年)の主題歌である。この映画、ジャマイカ人の大らかさとユーモアに溢れていて、ほんと面白かった。



2014年9月13日

顧客に聞く、顧客を観る

今朝の「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、先週に引き続き、大阪ガス行動観察研究所所長の松波さん。

はきはきと元気で、よーくしゃべる関西のおじさん(といっても僕より年下)。学生時代は建築を専攻したという、好奇心一杯で行動観察にはうってつけのキャラクターである。


マーケティングの仕事は、いろんな事を知ることからスタートする。顧客のこと、競合のこと、世の中の動向のこと。もちろん自分たちの製品や企業のことも。そうしたミクロとマクロの環境分析のベースとなる一つがマーケティング調査によって得るさまざまな情報である。

だから当然のごとく、マーケティングの講義でもマーケティング調査について説明をする。自分自身がいくつもの業種でブランドを中心とするマーケティングの責任者を務める中でその意味と重要性は実感し、理解しているつもりだ。

だがその一方で、常にそこにある「リアリティ感」にはすっきりとは行かない感触を感じていた。正しく云えば「リアリティ感のなさ」にであるが。

それらの元は、調査会社が行う調査設計自体の信頼性や結果の分析の正確さ、妥当性もあるが、そもそも顧客への聞き取りなどで集めたデータ自体が実態にそくしたものかどうかに疑問が付きまとう。

調査主体であり、顧客から情報を得たい企業の思いとそうしたことに興味も関心もない顧客。企業はいろいろと聞きたがるが、顧客は面倒に感じる。自分を被験者の身におけばそれはしごく当たり前のことだと理解できる。

分かっていながら、時には小難しい言い回しで彼らの頭を混乱させ、ストレスを与え、投げやりな気持を増幅させる。多くの調査には、こうした課題が付きまとっている。これぞといった解決法はない。

行動観察では、通常、対象は数名と少ないが、その対象にじっくり寄り添い、深いところで彼らが意識していない行動からその奥底に秘められている意識を読み取り解釈しようとする。

行動は正直である。言葉は容易にウソをつくが、行動は裏切らない。ただし、そこで何を見、何を感じ、何を連想し、どう解釈するかは、一筋縄ではいかない。広く深い知識に加えて、そこでは相手への共感力が求められる。

松波さんは自己実現に対して他己実現という言葉を使われていたが、観察者のなかに相手の役に立ちたい、何か支援してあげたいという気持ちがなければ、観察からいい発見はできない。

行動観察はきわめて科学的であろうとする一方で、人間くさく、文学的なのである。

今朝の番組で紹介した一曲は、ニール・ダイヤモンドの "I Am... I Said" 。


数多くのヒット作をもつ彼であるが、その代表曲の一つ "Sweet Caroline"は、暗殺されたJFKの長女キャロライン・ケネディ(現駐日大使)をイメージして1969年に書かれたものだ。

2014年9月9日

熊楠の森へ分け入る

熊野那智大社と那智の滝につづく石畳の大門坂。南方熊楠はこのあたりで那智原生林の研究をしていた。熊楠は、途方もない人。森羅万象的な広い関心を持ち、興味を持ったものを克明にノートに記録する。書くことで覚え、考え、思考を固めていった。エコロジー(彼は当時エコロギーと表記)を日本で初めて唱えた人でもある。

2014年9月8日

中辺路(なかへち)を抜ける

この熊野古道を、これまでに一体何人が通り過ぎたのだろう。道の両脇にはまっすぐ伸びた杉の木立と緑あざやかなシダが茂っている。あたりの空気がなぜか濃い感じがする。ひらがなでもカタカナでもない、漢字の空間。

2014年9月7日

熊野神社の総本宮

熊野信仰の中心地が、熊野本宮大社。着いたのが夕方だったせいか、そこにはほとんど人気がなかった。足下で玉砂利が擦れるザザッという音だけが響く。うっそうと茂る樹林とお社が絶妙に一体化している不思議な空間である。

2014年9月6日

Kitano par Kitano

『Kitano Par Kitano』(早川書房)は、リベラシオンの日本特派員であるミシェル・テマンの手による北野武へのインタビュー本である。テマンには、他の著書に『アンドレ・マルローの日本』がある。


偶然にも近くに住んでいたことから、ある日思い切って声をかけ、取材を申し込み、「じゃ、近いうちに」と取材を受ける約束を取り付けてから待つこと2年。それから5年にわたる取材をへて、まとめられたのがこの本である。

ビートたけしは僕が気になる人のひとりで、彼について書かれた本は何冊も読んでいる。だが、この本はその対象とするテーマも話の内容の掘り下げも格段にちがう。あからさまな「たけし」の姿が浮かび上がっている。

自分の生い立ちから語る家族のこと、仕事、女、映画、メディアから政治や環境問題まで、その関心の領域の広さにあらためて驚くとともに、彼のあたまの良さにため息が出るほどだ。

そこまでたけしに語らせたミッシェル・テマンの取材者としての手腕はすばらしい。

たけしとフランスはきわめて相性がいい。実際、彼の映画や表現者としてのさまざまな作品を最も高く評価し、称賛しているのはフランスである。それに加えて、本書を読めば分かるが、たけしにはフランス人的な感性と意識の持ち方がある。根っこは浅草下町の日本人だが、感覚はフランス人である。

だから、日本人のジャーナリストでは聞き出すことができなかった多くことが、本書では語られている。話を聞き出したテマンには刺激的な連続だっただろうが、語るたけしにとっても幸せな時間だったはずだ。

 

2014年9月3日

建物は高くなったが、志はどうだ

大阪からお客さんがあった。お昼前の時間だったので、研究室で少し話をした後、昼食に出ることにした。

彼は早稲田大学へ来たのが初めてのようだったので、せっかくだと思い、少しだけキャンパスツアーのようなことを考えた。演劇博物館を案内した後、本部キャンパス(早稲田キャンパス)の一番のメインの通りを歩きながら、いま早稲田は古い校舎の建て直しで高層ビルが次々にできていると彼に話した時、「少子化時代なのに、どうして?」と問いかけられ、一瞬「うっ」と言葉を詰まらせてしまい、その素朴で的を付いた問いに笑ってしまった。

言葉には出さなかったが、胸の中では「そうだよな」と呟いていた。18歳人口は、1992年に205万人だったのが2002年に150万人、2012年には120万人を割っている。

都心の一等地だから、土地の有効活用のためにも高層でできるだだけ容積の大きな建物にすべきだという考えなのだろうか。土建屋の発想である。教室や研究室がたくさん取れることはいいのだが、それが有効活用かといえば疑問が残る。大学の教室は、年の半分近くを占める休みの間は鍵がかけられて使用できないままにされている遊休資産である。

校舎が軒並み高層化され、空が小さくなった。大学らしい開放感がここでもまた削られてきている。

大学は現在、ネットを使った遠隔授業を推進しようとしている。各学部は、先に高層校舎を建てた他学部にまけないような「格好いい」新校舎を建てたいと考え、大学本部はネットを使った場所や空間に縛られない教育環境を進めたいと計画している。その両者が長期的な視点で調整されないまま、部分最適だけが最優先されている。

2014年8月24日

佐渡は、ワールドミュージックの世界最先端をいっている

駆け足で佐渡に行ってきた。

佐渡の南西部・小木地区には、太鼓芸能集団「鼓童」の拠点があり、彼らが中心に1988年から毎年1回、この地で開催している「アース・セレブレーション(大地の祝祭)」と題したイベントが行われている。
http://www.kodo.or.jp/ec/aboutec/

22日、夕暮れが迫ってきた頃、木崎神社の裏手の小高い城山公演の芝生の上でオープンコンサートは始まった。ステージの後ろは素通しで、ライトに照らされた木々が風に揺れている。うまく計算されたステージデザインに感心する。

地元ということもあり、演奏には鼓童のメンバー全員が参加。巨大サイズの太鼓をはじめとする楽器も総動員で、凄まじくパワフルかつスリリングな演奏を聴かせてくれた。

太鼓というシンプルでいて、聞き手の耳だけでなく体をも振るわせる原初の楽器が生み出す驚異のアンサンブルが佐渡の夜空に響き渡った。なんという幸せな体験。

https://www.youtube.com/user/KodoHeartbeat

海外からの観客が多いことも、この催しの特徴だ。カップルの場合は男性が外国人で、女性が日本人のケースが多い。恋人同士ではなく夫婦。ひとりで来ているのは、圧倒的に女性が多い。それって、なぜだろう?

何人かとお喋りしたが、日本語がほとんどできない人も多い。東京や京都ならそれでも観光客としてたいして不自由はないかもしれないが、ここは「佐渡」である。公演が終わり、島の各地に向けての特別バスが出発したのは、夜9時すぎ(それ以外、交通手段はない)。街灯のない島の漆黒の夜を走るバス。そのバスは、乗客が泊まっている民宿の近くになると停車してくれ、客を降ろしていく。

バスの運転手から、手振りで民宿のだいたいの場所を示されて降りていくドイツからのひとり旅の女性がいた。無事に自分の民宿を見つけられただろうか。民宿のお風呂を使えただろうか、翌日の広間での日本の朝食は大丈夫だったろうか、勝手にいろんな心配が頭をよぎる。・・・だが、きっとすべてなんとかなったに違いない。

公演初日の昼間、ネットで予約しておいたチケットを受け取るために、会場近くの神社に向かった。僕の前には、20代なかばの女性がいた。アジア系の女性だけど、日本人とはなんとなく雰囲気が違う。よく見ると、背負ったザックに太鼓のばちが2本刺さっている。

話しかけるとロサンゼルスから来て、日本を旅しているとか。彼女はアメリカ人だが、両親はベトナムからの難民。学生時代に日本の太鼓を知り、ほとんど恋におちたとか。それから地元でレッスンを続けながら、太鼓のプロの演者を目指している。日本語はほとんどできないが、佐渡に来る前には太鼓を叩きに八丈島と岐阜に行ってきたという。素敵だ。

太鼓の音を聞く者は静寂を聞く ーージョルジュ・ブラック


2014年8月23日

ホスピタリティの基本は笑顔

今日の「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、元リッツ・カールトン・ホテル日本支社長の高野登さん。


ホスピタリティのベテランである。どんな感じでスタジオに現れるか、実は密かに注目していたのだが、扉を開けて入って来た時の溢れるような笑顔がすばらしい。

いつもにこやかな高野さん。けれど、子どもの頃は今で云う引きこもり少年だったとか。ひょんな事からホテルの世界に飛び込み、アメリカのホテルをいくつか渡り歩く中で広い世界を知り、尊敬できる多くの人と出会い、自らを変えていった。

その若々しさと溌剌とした姿に、最近いささかくたびれてきた己を振り返り、少し反省。

今朝の選曲は、イーグルスで "Take It Easy"。


2014年8月20日

婚活もトンカツのようにサクッといくのがいいのか

友人が「婚活」に忙しい。いま彼の人生の目的は、婚活でうまく成果をあげることの一点に集約されている。

この春、彼は7年ぶりに海外赴任から日本に戻ってきた。普通であれば2、3年間で戻って来るらしいから、よっぽど現地でのウケがよかったのか、代わりにいく別の社員が会社として見つからなかったからか。

現地で四十路を超えた彼本人にしてみれば、早く結婚して家庭を持ち、子どもを作りたい気持でいっぱいらしい。それは確かに分からない話ではない。

だから帰国するやいなや、大手の結婚紹介所に入会。それ以降、毎週のように開催されるマッチング・パーティに出かけ、そこで「これは」と知り合った女性とは、これまた週末の時間をやりくりしてデートをしている。ご苦労なことだが、本人たちは当たり前だが真剣で大まじめである。

普通に恋をして、その先に結婚という形が現れた方が自然でいいんじゃないの、といったコメントは彼には頭では理解できても「僕には時間がないですから」といわれると、そうかと納得してしまう。

いつからか就職活動が就活とよばれ、その流れの中で婚活が叫ばれ、なにやら就職するのも結婚するのもひとつの行事かイベントのようになってきた感じだ。

就活があるなら、そのうち「転活」(転職活動)や「退活」(退職活動)という言葉が出てきてもおかしくないわなと、試しにネットで検索したら、なんとどちらも既にあった。それなら、婚活に続く「再活」(再婚活動)はどうかとやってみたら、これも既にあった!

ところで、北方謙三が何かにこんなことを書いていた。「就活と縮めて表現するのが、私は好きではない。なんでも縮めさえすればいいと思っていたら、人生も縮んでしまうぞ」。 同感である。

2014年8月18日

本と、人と、旅

8月も半ばを過ぎた。お盆のシーズンも終わり、少しずつみんながオフィスに戻ってくる頃だ。

東名などの高速道路は昨日と一昨日が上り線での渋滞のピークだったが、それでもニュースなどで見聞きする渋滞の具合は以前に比べればずいぶん軽くなっている。

夏休みを分散して取るようになったことや、ナビの進歩により渋滞をある程度迂回して走ることができるようになったからだろう。また、ふるさとへの帰省を別の時期にずらし、お盆の間はのんびり自宅で体を休めたいという声を多く聞いた。

確かに蒸し暑いこの季節は、人混みに出かけていくより自宅でクーラーにあたりながら静かに本を読んだり、映画のDVDを見ることこそが相応しい感じがする。友人たちの中に、この機に備えて読みたかった書籍を「大人買い」したというのが何人もいる。

先日のラジオの番組にゲストとして来ていただいたライフネット生命保険の出口さんは、人が学ぶ手段は本と人と旅であり、それ以外はないと言っている。

優れた映画や音楽、芝居といったものからも人はいろんなことを感じ、そして考えるきっかけを得るが、たしかに本の代替品とはならない。それらは、ひょっとしたら旅のひとつかもしれない。

朝夕の通勤時間帯の電車の中で本を読む人が以前と比べて減った。20年ほど前は、多くのビジネスマンたちは車内で本を読むか新聞を拡げるかしていた。やがてiPodなど携帯音楽プレーヤーで音楽を聴くようになり、いまはスマホでゲームだ。

人に迷惑をかけるわけでもないし構わないといえば構わないのでだが、それでもいい年をした大人が男も女も電車の中でゲームに夢中になっている姿を決して美しいとは僕は思わない。

本に触発され、人にこころ揺さぶられ、旅に自分を振り返る。考えてみれば、至極単純なこのトライアングルを繰り返しながら、僕たちは生きてきたし、これからもそうしていくのだろう。

スマホのゲームは、つかの間の気分転換ならいい。だけど、大人が公衆の面前で、うつむき加減に目を凝らしてやるもんじゃない。

2014年8月15日

人気のないキャンパスで

いま大学は夏季休業中である。つまり、学生たちは夏休みだ。

今週は大学の事務所や図書館も一斉に閉室なので、キャンパスは死んだように静かである。大学の大代表の電話番号すら「○○日まで交換業務はしておりません」という音声メッセージが流れるだけ。

そうした時期ではあるが、きょうはちょっとした用があり、午前中から研究室で作業するために大学へ向かった。校舎の建物も閉ざされていて、防災センターと呼ばれる通用門のようなところからだけ身分証明書を使って入館できる。

静かで薄暗い校舎の中は、妙に落ち着く。数人の先生の研究室には明かりが灯されている。静かな環境で集中的に作業を進めようとしているのだろう。

当然のように、教室には人気がない。こうした時期に利用されていないこうした教室は何かに使えないものだろうか。

2014年8月9日

生命保険の原点にかえって

今朝の「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、ライフネット生命保険株式会社の会長兼CEOの出口治明さん。


日本を代表する生保マンである出口さんから、生命保険について多彩な話を教えていただいた。

ネット専業の生保会社と伝統的な(外交員による販売の)生保会社の違いを、200円の自販機の缶ビールと居酒屋で飲む500円のビールの違いと表現する。ビールはビール、中身は同じ。だから原価もほぼ同じ。だけど、提供のされ方が違うから顧客が支払う金額は違う。「ビールを飲みたい、だけどお金はあまりない人たちは自動販売機でビールを買うでしょう」と。

出口さんは、ライフネット生命を若い子育て世代を応援するために作ったと明言する。日本では若い世代が一番お金を持っていなからだ。


その思想は、250年前にロンドンで初めて生命保険ができたのと同じ。その原点に返って、生命保険を考えて作った。日本でまったく新しい生命保険会社ができたのは、なんと74年ぶり。国の膨大な規制をクリアして創業した苦労が想像される。


米国では生命保険は銀行の窓口での販売が一般的。欧州は代理店経由での販売。だから、ネット専業の生命保険会社は、ライフネット生命が世界で最初である。自動車保険や火災保険といった契約単位が1年、2年という短期の商品にくらべて生命保険は10年とかあるいは終身保険のようにスパンがはるかに長いため、その経営基盤を確実するのに時間がかかるためである。

まさにパイオニアである。その心意気を応援したい。 

今朝の一曲に選んだのは、CCRのプラウド・メアリー。


2014年8月2日

酒は背筋を伸ばして呑みたい

今朝の番組ゲストは、先週に引き続き「獺祭」の旭酒造社長・桜井博志さん。


今週は、酒を何でどう呑むかについて話を聞いた。桜井さんによると、磁器よりも陶器、さらにワイングラスが優れているとか。酒の温度をそのまま感じるためには、唇にあたるところは薄い方がよい。

パリに出す店では、有田焼作家の14代今泉今右衛門さんに獺祭オリジナルの杯を造ってもらっている。そうしたこだわりが桜井さんらしい。

店で日本酒を頼むと、小振りのグラスをマスのなかに入れて持って来て、客の前でそこに酒を注ぎこぼすというのをよくやれられる。グラスいっぱいに注がれた酒を客は持ち上げるわけにはいかず、背中を丸めてまずは少しすすり呑むようになる。

こうした飲み方が好きな人もいるのだろうが、僕は嫌いだ。だから、グラスの入ったマスを持ってこられると、マスなしで大ぶりのグラスに同じ量だけ入れて持って来てくれと頼む。最近では、行きつけの店はいちいち言わなくても僕には他の客とは違ったグラスを出してくれるようになった。

桜井さんもそうした大の男が背中を丸めて、グラスに注ぎこぼされた酒をすする姿がみみっちくて嫌いらしい。だから、その意味でも今のところはワイングラスがいちばん相応しいと考えている。

今日の選曲は、リンダ・ロンシュタットの「シンプル・マン、シンプル・ドリーム」。彼女のアルバム「シンプル・ドリームス」からの一曲。



2014年8月1日

花火と雨音

富士山のふもと。湖畔で今日花火大会が行われている。
小雨の中、かすかな雨音と花火の音が聞こえる。



2014年7月30日

頭を白紙にすることも大切

大学院で9月修了予定者のための口述試験があった。僕の担当の学生でこのタイミングで修了するメンバーはおらず、他の学生の修士論文の審査を片手分ほど副査として行った。全員が英語コースで学ぶ留学生である。

ビジネススクールの学生ということもあって、その内容や研究アプローチは固定的でなく、きわめてオーソドックスな学術研究タイプの修士論文から、事例研究やら企業への提案書のようなものもある。

ある学生の書いたものは、ある特定の企業に関するビジネスレポートとビジネスプロポーザルの中間のようなものだったのだけど、内容的に明らかに必要と思えるパート(章)が欠けていた。

口頭試験ではそれを指摘し、なぜ書かれるべきだったその章を書かなかったのか問うたところ、もの凄く強い口調でその企業は位置づけがユニークだからそれは必要無いと返ってきてちょっと驚いた。

すべての企業はそれぞれユニークであり、それが理由にはならないと説明したのだが、ユニークだとかスペシャルという返答で、結局、回答らしいものは返ってこなかった。

気になったのは、その学生の挑んでくるような返答の仕方。何が何でも自分がやった研究を守るんだというある種の闘争心のようなものを感じた。

2時間半ほどですべての審査を終え、会場を出た時に目に入ったのは、会場の部屋の前に据えられた"Room for Oral Defense" という文字。僕は学生ではないので想像するしかないが、これがOral Examinationだったら彼らの気持ちの持ち様は違っていたんじゃないだろうか、なんてことを感じつつ、トルストイのある言葉を思い出していたのである。
どんなに愚鈍な相手であっても、頭を白紙にして聞いてもらえるものなら、この上なく難しい問題を説明することはできる。しかし、どんなに聡明な相手であっても、その相手の頭の中に、すでに一片の疑問もなく事を知り尽くしているという固定観念が宿ってきた場合、この上なく素朴な事柄すら伝えることはできない 
口述試験では、こうすればもっと良くなるよ、というのがわれわれ審査する側の質問の通常の意図なのだが、どうも相手の留学生はそうは思ってくれなかったらしい。せっかくの自分の研究にケチをつけられたと感じたのか、あるいは "defense"という言葉から何が何でも「防衛」しなければいけないと信じていたのか。

2014年7月26日

日本酒には、大きな可能性がある

今朝の「木村達也 ビジネスの森」は、純米大吟醸酒で一躍全国的なブランドになった獺祭(だっさい)を醸造する旭酒造社長の桜井博志さんをゲストにお招きし、お話をうかがった。


旭酒造では、以前は獺祭以外にもいくつかブランドを持っていたが、いま扱っている銘柄はこれだけ。山田錦米だけをつかい、原料を磨き込んだ純米大吟醸一本に絞り込んでいる。

どのくらいあるのか知らないが、日本国内には数えられないほどの日本酒銘柄があるはず。消費者に覚えてもらい、継続的に店頭で購入してもらう、あるいは飲食店で注文してもらうためにはまず名前とその味の特徴を覚えてもらわなければならない。ブランド・マーケティングの基本である。

たとえば大関株式会社の「大関」というように、社名と主要製品ブランド名が一致するものもあるが、そうではない方が多い。さらに、多くの酒蔵は複数のブランドを持っているのが一般的である。

消費者が店頭で酒の銘柄を選ぶ際の情報は多岐にわたっている。つまり、会社名と製品名に加え、純米だ、吟醸だ、絞りたてだ、辛口だ、、、という感じでその種類、製法、性格などもラベルに製品名のように記載されたものを「解読」させられることになる。

桜井さんのところは、まずは獺祭という1つのブランドに絞り込んだところが分かりやすい。これは、顧客視点から考えればすぐに分かるとおり、シンプルでありながら大切なポイント。

その酒を桜井さんのところでは、通年を通じて仕込む(四季醸造という)。しかも杜氏は使わず、社員たちがデータとマニュアルをもとに、科学的に行う。地酒でありながら、大量に製造する(それでも生産が間に合わない)。

海外にも早くから進出している。そのひとつの理由は、地元の岩国ですら四番目だったからこそ、大きな市場を目指して東京へ、そして世界への進出を考えた。

さらには、この40年以上にわたって毎年販売量が減少している国内の日本酒市場にとどまっていられず(40年間で市場規模は3分の1になった)、世界に目を向けるようになった。

日本食が世界的なブームという波にも、いまは上手に乗っている感じである。

今日の番組に挿入した曲は、英国のブルース・ロックバンドの先駈けともいえるフリーのサード・アルバムに収められている「オール・ライト・ナウ」。この曲が発表されたのは1970年で、当時、バンドのメンバーの平均年齢は20歳。それでいて重厚かつ奔放な演奏と気迫のこもったボーカルは、恐るべきものだった。


2014年7月22日

しっぽ村のくろべえ

わんこの里親、探しています。 福島県の北保健所からしっぽ村に移ってきて2ヶ月ほどの雄犬です。彼は清川しっぽ村では「くろべえ」と呼ばれています。歳は4歳から6歳くらい。中型犬(小柄)です。



すごく元気で疲れ知らず。散歩ではドンドン歩きます。四本とも足の先が白くなっている。白いソックスを履いているみたい。連絡先は、http://ameblo.jp/ananan223/

2014年7月19日

トイレは狭いが、世界へ拡がる広大な空間である

今朝の「木村達也 ビジネスの森」(FM79.5 NACK5)は、先週に続いてTOTO相談役木瀬照雄さんをゲストにお招きした。


TOTOはトイレだけでなく浴室、洗面所、台所といったものも扱っているのだけど、どうしてもついついトイレ(ウォシュレット)の話が中心になってしまう。

中国は所得の伸びに伴い成長著しい。また新築住宅が多いのが追い風になっている。ハイエンドの製品を中心に売上を伸ばしている。人口の1割が利用してくれるようになっても、日本の人口にあたる市場だ。

米国はなかなか難しいとのこと。文化風習の要因が強いらしい。欧米の石とコンクリート造りの建物は、設置するための工事が日本のように容易ではないことも影響している。

ウォシュレット(温水洗浄便座)の源流が米国の医療器具にあったというはなしは初めてうかがった。

トイレにもいろんなお国柄がある。

今日の番組挿入曲は、ジョニ・ミッチェルの「チェルシー・モーニング」。彼女の2作目のアルバム『Clouds』(日本語アルバムタイトルは『青春の光と影』)に入っている。彼女のオープンチューニングによる独特のギターのサウンドが特徴的だ。


2014年7月13日

観蓮会

今朝は朝から雨模様である。こうした日はどう過ごそうかと考えていたら、家人が「季節だから蓮を見に行ったら」と。そこで花園駅の近くにある法金剛院へ出かけてみたら、昨日から観蓮会が始まったばかり。

池一杯に蓮が拡がり、ピンクの大きな花を咲かせていた。




その後、妙心寺を抜けて龍安寺へ。さらに、仁和寺にも足を伸ばした。小雨日和でそのぶん人も少なく、静かな散策を楽しむことができた。