2012年10月21日

モントリオールのゾンビ

バスで一昨日と同じルートを逆にたどり、モントリオールへ戻って来た。

車中で、年配の日本人夫婦と出会った。モントランブランに一週間滞在していたそうだ。これからモントリオールへ戻り、その後トロントまで鉄道で移動した後、カナダ中央部のウィニペグへ飛行機で飛び、そこからは2泊3日の鉄道の旅を楽しみながらバンクーバーへ向かい、そこから日本に戻るとのこと。約1ヵ月の旅だと話していた。

2年前にご主人が仕事をリタイアして、それから計画を練っていたという。無事楽しい旅を続けられるよう言葉を交わし、モントリオールのバスターミナルで分かれた。日本にもこうした活動的でいい感じの年配のカップルが増えるといい。

外国で見かける日本人観光客というと、どういうわけだか中年女性の団体が多い。どのおばさんも同じような身なり格好をして、固まって歩いているので目立ち、すぐ分かる。最近は中国人のグループも多い。

南米のペルーで出会った日本人は、30代のカップルが多かった。ペルーは、中年のおばさんグループにはとっては「ロマンチック」じゃない場所なんだろう。

モントリオールに到着してから、僕はニューヨークへのフライトまでまだ時間があるので街の中をぶらつくことにした。途中で見かけた理髪店で髪を切ってもらった後(ずいぶん短く切られた)、アートセンター近くの公園で何やら騒がしい気配がするのでそちらの方へ向かう。

Montreal Zombie Walk という催しで、ゾンビのメークをした連中があちこちをうろついている。彼らは一般のゾンビファン(?)なのか、それとも役者が依頼されて演じているのか。何を狙った企画なのか確認せずじまいだったので趣旨はよく分からない。


まだ学生っぽいカップル。結構なりきっていた。
こちらもカップルで参加。どこで特殊メイクしたんだろう。
迫力満点のジェイソン。

アメリカン航空の飛行機は、左手にマンハッタン島を見下ろしながらロングアイルランド方面へ侵入していく。そこからゆっくりと左旋回した後、ジョン・F・ケネディ空港に到着した。着陸寸前、機体が何度か左右に大きく揺れた。左右どちらかの主翼の先端が滑走路にぶつかったのではないかと思ったが、なんとか無事着陸した。通路を挟んだ他の客と思わず顔を見合わせる。

ここからクイーンズのジャマイカ駅まで、いつものようにエア・トレインに5ドル払って乗車。カボチャを持った3人の男女(男2人、女1人)が乗っていた。僕と男の間の席に置かれたカボチャがあまりにも見事なので、それは作り物かと聞いたら、本物だと言う。他の2人が持っているカボチャも本物で、カボチャはスペイン産に限るなどと嬉しそうに話す。

ジャマイカ駅で6ドル25セント払ってロングアイルランド鉄道のチケットを買い、マンハッタンまで。そのホームでさっきのカボチャ・トリオとまた一緒になったので、Take care of your pumpkins!と乗り込む際に声をかける。

ところで、日本のカボチャはパンプキンとは種が異なる。こちらではそれをsquashという。飲み物かスポーツみないな名前だ。 

ペン・ステーションで地下鉄に乗り換え、アッパーウエストサイドのアパートに到着。建物に入ると、エントランスにハロウィーンの新しいディスプレイが。カボチャのお化けだ。



2012年10月20日

Oh My Deer

天気予報によると、モントランブラン地域は雨だとか。朝食をとりながら、さて今日一日どうしようかと考える。

空を見上げると曇ってはいるけど、すぐには降らないし、降っても大雨にはならないのが分かる。しかし、山頂(トレンブラン山)までのケーブルカーは営業していない。風が強かったり、天候不順の時には運行しないと表示してあるが、今日はなぜ運行しないのだろう。もうシーズンが終わってしまってるのか。

しかたないので、トレッキングルートを歩くことにした。山の中は落葉に埋もれてルートが分かりづらくなっているので、ルートから逸れないように慎重に進む。

聞こえるのは耳元で鳴る風の音、こずえがそよぐ音、枯葉が足下を舞う音だけ。4時間ほど山道を歩いて麓の村に戻ってきたが、その間誰とも会うことはなかった。最高の思索の時間である。途中で出会ったのは、野生の鹿だけだった。



2012年10月19日

紅葉を探してカナダへ

2週間ほど前、僕が大学を出て最初に就職した会社の先輩から、栂池高原と八方尾根の紅葉の写真が送られてきた。今年の紅葉が最高潮の時期に訪れたらしい。日本の秋をどうぞ、という心遣いである。目にも鮮やな日本の風景だった。

それに触発された訳ではないが、近場でどこか紅葉がきれいなところ考えたあげく、カナダのモントランブラン(Mont-Tremblant)を訪ねることに。

今日、ニューヨークからカナダにやって来た。本当は先週あたりの予定だったのだが、大学の用事で一週間ほど遅らせた旅になった。

到着したモントリオール空港の入国審査場は、がらんとしていた。窓口も2つ開いているだけだ(先々週の月曜日は米国がコロンバス・デーで祝日だったため、その週末はずいぶん大勢の米国人が訪れたらしい)。

窓口の担当官から「目的は?」と問われ、短く「観光」と答える。彼女が入国記録のハンコをどこに押そうかパスポートをめくっている間、「これからモントランブランに行くんだけど、もう紅葉は終わりだっていう話も聞いていて・・・」と言うと、彼女はパスポートを僕に返しながらこう言った。「モントランブランに行くのね。とてもいいところよ。そうね、山の上の方はもう散ってしまってるんじゃないかしら」。

一瞬、僕の顔が曇ったのを見て取ったのか、彼女はこう続けた。「紅葉は散ってしまってるかもしれないけど、その分たくさんモミジが下に積もっている。私は落葉の匂いが好きなの。だから、その上を散歩するのが大好き」。日本の入国管理官で、海外からの旅行者にこんな気の利いた対応ができる人がいるか。頭の良さような20代後半のメガネ美人である。

モントリオールの空港から市内へ。そこからは、目的地のモントランブランまでバスだ。ローカル線のバスで、いろいろ回り道をしながら進む。地元の人たちが途中で次々降りていき、やがて乗客は僕だけに。そして約3時間半、最終地で下車した。

2012年10月18日

フランスからのアクセス

このブログへのアクセスは、日本からが一番多い(日本語で書いているから当然だろうね)。次に米国。その後は日によるのだけど、ある日はロシア(なんで?)、ウクライナ(どうして?)、香港、台湾、豪州、英国、ドイツといった順番だったのが、フランスに関することを書いたら、一気にそこからのアクセスが増えた。フランス人も最近では日本語を解するのか?

2012年10月17日

悪趣味とはこういうことを言う

日本のメディアでも話題になっているらしいけど、フランスの国営放送がサッカー日本代表GK川島選手についての畸形の合成写真をバラエティ番組の中で映し、司会者が「福島(の原発事故)の影響だろう」とコメントしたという。その時、スタジオ内では笑いと拍手が起こったそうだ。

これを「フランス流のエスプリ」と言われてはたまらない。単なる無知と悪趣味である。

2012年10月16日

ハロウィーンの飾り付け

アパートに帰ったら、玄関の一部にハロウィーンの飾り付けがしてあった。


日本人には、不思議な感じである。

2012年10月14日

グレン・キャンベル、ラスト・ツアー

グレン・キャンベルのコンサートを観に行った。

昨年、自分がアルツハイマー型認知症を煩っていることを公表し、その後これが最後だというスタジオ録音アルバムを制作した。いま、完全引退へ向かうためツアー(The Goodbye Tour)を行っている。ニューヨークは、今日のカーネギーホールでの一公演だけだ。

きら星のような楽曲。優れたギタープレイ。そして、思っていた心配を吹き飛ばすようなしっかりした歌声が聞けた。ただ、バックバンドのメンバーによる前座演奏が長く、彼がステージに立ったのは1時間ほどだった。

彼が活躍した中心的な時期は、ほぼビートルズと重なっている。その時期、カントリー&ポップスのシンガーとしてアメリカの音楽界を引っ張ってきた。

2012年10月10日

Who is Yoko?


10月9日付けのニューヨーク・タイムズ紙に掲載されていた全面広告。ジョン・レノンのイマジンの歌詞の一節と"Love, Yoko"のクレジット。

シリアやアフガンなどの地では、今も数多くの人たちが戦いで死んでいる。

Simplicity のお手本のような広告だけど、広告主の表記が Yoko だけだなんて。こちらでファーストネームだけで通じる日本人女性は、おそらく彼女とMidori(五嶋みどり)だけ。男性は、イチロー。他に誰かいたかな・・・。

2012年10月7日

マスコミとジャーナリズムのあいだ

米国で「マスコミ」という言葉を目にすることはない。本来の英語ではないから当然だが、その元になったマス・コミュニケーションという言葉すら、こちらで日常的に見聞きすることはあまりない。

日本で使われているマスコミにあたるのは、こちらではジャーナリズム、ジャーナリスト、ニューズ・レポート、メディア、ニューズ・メディア、あるいはプレスという言葉だ。一方、日本ではあまり目にしない言葉がジャーナリズムであり、ジャーナリストも芸能レポーターも一緒くたで「マスコミ」と呼ばれているのが日本の現状である。

米国にはジャーナリズムを専門に教える大学や大学院のコースがたくさんある。日本ではどうだ。ほとんどない。そうしたコースを修了したからといって優れたジャーナリストになれるわけではないが、日本のようにジャーナリズムに関しての基本的な知識やトレーニングすら踏んでいない者しかおらず、すべてメディアや通信社に就職してからのOJTというのはどうだろう。

結果、日本には「ジャーナリズム」も「ジャーナリスト」も不在で、それゆえミソもクソも「マスコミ」で一括りである。「マスコミ」と呼ぶ際に、その意図している対象を明確にして適切な用語を使うことからしか日本人の意識は変わらない。意図が先にあって言葉が選ばれているのではなく、不用意に(無意識に習慣的に)言葉を使うことから意図が曖昧なまま放置されている例だ。

2012年10月4日

Harvard Club

今日は、44丁目にある Harvard Club of New Yorkで早稲田大学ニューヨーク事務所主催の講演会があり、そこで少しスピーチをさせてもらった。ここはハーバード大学の関係者およびその同伴者のみが利用できる「倶楽部」だ。

今回はマーケティングの話ではなく、日本のマクロ経済の状況、とりわけメディアからのそれらの報道をわれわれがどう受け取るか、その認識の仕方について僕なりの提言をさせてもらった。

聴衆がどのように受け取ってくれるか少し心配していたのだが、講演会後の懇親会の席でニューヨーク在住の日本人の方から「あそこまでストレートに日本経済について日本人のあるべき受け取り方を話してくれた講演を初めて聞いた」といったコメントがあり、こちらが意図したことがだいたい聴衆に伝わっていたようでほっとした。

懇親会後は、関係者とハーバード・クラブのメインダイニングで食事をした。ネクタイをしていなかった僕は、レストランの入口で呼び止められネクタイを渡された。たまたま今日はジーンズじゃなかったからいいものの、ジーンズでの入店は認められていないとか。そうした格式高さが、いかにもという感じでそれらしい。

2012年10月1日

ヘルメットなし走行は危険か

以前も書いた通り、ニューヨーカーは自転車が好きだ。先日紹介したブルックリン・ブリッジもそうだが、セントラルパークやリバーサイド・パークなどでも自転車道がよく整備されていて、天気のよい休日などは多くのサイクリスト(こっちではバイカーと呼ぶ)が走りを楽しんでいる。

米国では自転車に乗る際のヘルメット着用は法律で定められたものではないが、なかば強制的な雰囲気がある。ヘルメットを被らず自転車に乗っている者を、安全意識や責任感にかけた人物とみなすところがある。喫煙者を見る目と共通しているかもしれない。

自転車を楽しむ人の多さは、自転車先進国とも言えるヨーロッパの各都市でも同様だ。ただ、自転車に乗る時にヘルメットをかぶるかどうかは両者でかなり異なっている。ヨーロッパでは、子どもへのヘルメットの着用は求められているが、大人はほとんど被らない。ヨーロッパの都市で、自動車の利用を減らすための方法としてバイク・シェアが普及している理由の一つは、ヘルメットの着用といった面倒なことが求められていないことにある。

あるデータによると、土地が平らで、道がよく整備されており、気候に恵まれたメルボルンではバイク・シェアの利用者は日に150人。一方、坂道が多く、舗装されていない道が多い、しかも寒いダブリンでは日に5000人がバイク・シェアを利用している。メルボルンはヘルメット着用が義務づけられていて、ダブリンはそれがない。

ヘルメットを被って自転車に乗るべきかどうか、シドニーのある大学の教授が数学モデルを使って調べたらしい。彼は「もしヘルメットを被って自転車に乗るというのなら、われわれは階段を上り下りする時や風呂に入る時にもそうすべきだ。なぜなら、そうした時に怪我をする確率の方がもっと高いからだ」と述べている。

レースに出場する場合やクルマの脇をすり抜けながら走らなければならない場合は別だろうが、自転車道を普通のスピードで走る時には、ヘルメットは被っても被らなくても大差はなさそうである。

周りのみんながヘルメットを被っているから、あるいはそうしないと危険に違いないから、というような先入観だけで行っていることは僕たちの周りには他にもありそうだ。たいして意味がないことを思い切って止めてしまうことで、何かが変わるということがある。

ところで、ニューヨークでも来年から自転車1万台をつかったバイク・シェアのプログラムが実行に移される。市長のブルームバーグは、ヘルメット着用を義務とすべきとする条例の制定要求を却下した。そうした条例によって自転車が危険な乗り物と認識され、利用する人が減少すると考えたからだ。現実的な判断である。

2012年9月30日

自らが最悪の敵

先日のテレビ番組「サタデー・ナイト・ライブ」でのジョークを追ったかのような記事が、ニューヨーク・タイムズに掲載されていた。

大統領選に関する内容である。ミット・ロムニーは各地で失言を披露するとともに、大統領候補者らしからぬ昔の発言がメディアによって暴露されている。

例えば、Mother Jones Magazineは、1985年にロムニーがベイン・キャピタルのミッションとして「起業したばかりの企業ならびに既存企業に対して投資を行い、実質的な経営権を握ったうえで、願わくば5年から8年後にはそれらから利益を充分に絞り取る」ことだとプレゼンしているビデオをウェブ上に掲載した。それを見る限り、彼(ら)は、投資家の方は向いていても、そうした彼らのやり方の過程で職を失う人たちや地域のステークホルダーのことなど一顧だにしていないようだ。

ニューヨーク・タイムズはロムニーについて、"Romney is his own worst enemy." と書くとともにこう続けている。
In fact, the more Romney talks, the more damage he does to himself.  Romney's only hope is that Obama slips up, makes a gaffe or some never-before known fact emerges that speaks negatively of the president's character. 
今後の両者のディベイトが楽しみだ。とりわけ、さっそく来週火曜日の夜に行われる討論会がどうなるか見物である。

歩いて5時間の村のカーディガン

朝夕寒くなってきた。今朝、扇風機を物入れにしまった。そして、外出用に先月ペルーのクスコで買ったアルパカのカーディガンを用意した。

クスコは、標高3400メートルの町である。だから、昼間は汗ばむほどでも、夜明け前や夜は肌寒さを感じた。そして僕は夏のニューヨークから来たため、防寒具は何も持って来なかった。

クスコに到着した翌日、セーターか何かを1枚買おうと町に出た。町の中心部のある広場に面した店で、シンプルなデザインのカーディガンを見つけた。ベイビー・アルパカの毛が100%使われている保証書がついている。値段もそれなりなので、値切り交渉に入ったけどなかなかまけてくれない。

シャキシャキした若い女性の店員さんが言うには、地元の女性と子どもを支援するためにフェアトレードを行っているのでまけないとのこと。確かにそうしたパンフレットも置いてある。Consortia Trinidad Enriquez という団体だ。

誰が作っているのか尋ねたら、近くの村に住む子どもを持つ女性にセーター編みの技術指導をし、できた製品を買い取っているとか。村の名前はマルカパタ(Marcapata)だという。場所はどこかと聞いたら、「ここから歩いて5時間ほどのところよ」と返ってきた。

セーターやカーディガンを編んでいるお母さんたちは、編み上がると片道5時間の道を歩いてクスコに持ってきているのである。日帰りだろうか、それとも店に買ってもらった代金の一部で町に一泊していくのだろうか、などと考えながらそれでも値引き交渉を続け、最後には彼女から "You are terrible!(あなたって、サイテー!)" と言われ、"Everybody says so.(みんなそう言ってる)" と応えながらも少しばかりまけてもらって購入したカーディガンだ。これからしばらくお世話になろう。

付いていた商品タグ

2012年9月29日

「ハーモニカおじさん」は90歳になった

60丁目のコロンバス・サークルにあるJazz at Lincoln Center内のRose Theaterでトゥーツ・シールマンスのコンサートがあった。「Toots Thielemans: Celebrating 90 Years」のタイトル通り、彼の90歳を祝う意味も込めたイベントだ。


歳のせいかさすがに勢いはなくなりフルトーンでは吹かなくなってしまったけど、それでもいい音色を聞かせてくれた。それに、彼くらいになるともうハーモニカの演奏が上手いとか下手とかではなく、僕たちが聞きたいのはトゥーツおじさんならではの独特の叙情性なのだ。

『真夜中のカウボーイ』や『シンデレラ・リバティ』といった60年代末から70年代のアメリカ映画で彼のハーモニカを知った。それからずいぶん長い年月が過ぎたが、ここニューヨークで初めて彼の生演奏を聴くことができた。感慨、深し。

ゲストの一人としてピアノのハービー・ハンコックが登場。その彼ももう71歳!

2012年9月28日

The Lie Factory

9月24日付けのThe New Yorker 誌に、"The Lie Factory: How Politics Became a Business"と題する記事が掲載されていた。アメリカでは1933年に政治キャンペーンを扱うPR会社が初めて誕生し、ニクソンやアイゼンハワーなどの米国大統領だけでなく州知事などの選挙に結果的に大きな影響力を及ぼしてきた。それは今も延々と(さらに強化、洗練されながら)続いている。

その対象は、選挙だけではない。アメリカが公的な健康保険の制度を築くのをA.M.A. (American Medical Association; 米国医師会)の依頼により様々な手段を講じて阻止し、そのことは現在も米国民の問題として残されている。

この記事でThe Lie Factoryと指摘されているCampaings, Inc. というコンサルティング会社を設立したのはWhittaker & Baxterの2人である。彼らの大衆の理解は実に研ぎ澄まされている。人間の心理を正確に理解している。

「投票者は基本的に怠け者である。本来的に、私たちが何を伝えようとしているのかを<努力して>理解することには関心がないのである」とか「理屈を理解するにはそれなりの知識と理解度、それに集中することが求められる。だが印象を与えるのは容易だ」といった本記事で見受けられる数々の彼らのコメントは残念ながら正鵠を得ている。そうした「理論」とともに、彼らはクライアントが用意した多額のメディア費用をベースにアメリカの大衆をいともたやすく誘導し続けてきた。

記事では、選挙におけるコンサルタントの役割に関しても触れている。「コンサルタントは選挙キャンペーンを張るだけではない。彼らが政治を仕切るのだ」と述べ、ミット・ロムニーがウォールストリート・ジャーナルの編集委員からどうやって閣僚を選ぶのかと質問された際、「たぶんそうしたことはマッキンゼーにやらせる」と答えたと紹介している。

『戦争広告代理店』(講談社)という、NHK記者が書いたドキュメンタリー本があった。つくづくアメリカという国におけるメディアの強力な(強力過ぎる)影響力の是非と国民の、それらからの情報操作に対するリテラシーのレベルについて考えさせられた。

2012年9月25日

バラク・オバマの秘密兵器

こちらでは米国大統領選の報道が日増しに増してきている。その中で、相変わらず続くミット・ロムニーの失言に失笑させられる。失言というより、「低所得者層などは相手にする価値がない」といった、ポロッと漏らしてしまった本音をメディアで批判されているのであるが。

先日のサタデー・ナイト・ライブ(NBC)でも揶揄されていた。失言の多さをから、「バラク・オバマのシークレット・ウェポン、それはミット・ロムニーだ」というギャグは傑作だった。

2012年9月24日

自転車にやさしい街

夏のあいだ、暑くてなかなか出かける気にならなかったブルックリン・ブリッジへ出かけた。この橋は3階建てで、その最上階が歩行者と自転車用の通路になっている。下の写真のように、さほど広くない通路をセンターラインで仲良く二分している。


ニューヨーカーは自転車が好きだ。地下鉄でも自転車をよく見る。


そういえば僕が高校生の時、アート・ガーファンクルが日本に一人で観光にやって来て、東京と京都と回っていったらしいのだけど、東京で山手線に自転車を持ち込もうとして改札で駅員に制止されたらしい。そんな話を雑誌で読んで、高校で同級生たちと「ガーファンクル、バカだなあ〜」などと笑いあったことを思い出した。

でも、コロンビア大学の学生だったガーファンクルには、自転車を電車に載っけて移動するのは普通のことだったのだろうと今になって分かった。確かに自転車もスーツケースなどの荷物と同様と考えれば、担いで運べるのであれば構わないんじゃないか。

日本でそういったことを言うと、混んでいる電車で周りに迷惑だとか危険だとか反論が出るんだろうね。まずは、自転車を持ち込める車両をいくつか指定して実験してみてはどうだろう。

2012年9月23日

ビルマかミャンマーか

たまたまチャンネルを合わせたC-SPAN(Cable-Satellite Public Affairs Network)でアウンサン・スーチーさんを見た。先週の火曜日に米国平和研究所とアジア・ソサエティが主催した会の模様である。

ヒラリー・クリントンからの紹介の後、1時間ほど米国とビルマの関係を中心にビルマの置かれている状況について、静かに、しかし力強く話をした。語るべきものを持った人の言葉の強さとはこういうものかと痛感する。

この際の放送内容は以下のサイトで見ることができる。
http://www.c-span.org/Events/Burmese-Opposition-Leader-Speaks-on-US-Myanmar-Relations/10737434181/

彼女は自分の国をミャンマーではなく、ビルマと表現する。1989年6月に軍事政権が対外向けの英語国名をBurmaからMyanmarに変えた。彼女ら強く民主化を求める人たちはいまもミャンマーとは自国を呼ばない。

米国のメディアは、Myanmar (Burma) と表記するところとMyanmar と表記するところがある。英国のBBCはいまもBurma と表記している。しかし、日本のメディアは軒並み「ミャンマー」表記だけである(日本政府はフランス政府と並んで、もっとも早く軍事政権による英語国名変更を受け入れた)。

2012年9月22日

ニューヨークはゆっくりと秋へ

研究室の引っ越しのため日本に一時帰国した後、学会出張でポーランドを訪ね、パリ経由でニューヨークに帰ってきた。NYは日本に比べればもう秋だが、ポーランドに比べればまだ夏だ。

それでも、日中は半袖でも平気だけど、夜になると長袖が欲しくなる。9月も下旬に入り、確実に秋が近づいてきている。店のショーウインドウにはハロウィーンを連想させるカボチャが飾られていた。


2012年9月21日

クールジャパン、狂うジャパン

日曜日の午後、ポーランドの首都ワルシャワの目抜き通りともいえる新世界通りから王宮広場を目指してを歩いていたら、オスッという子どもたちの元気な声が聞こえてきた。

空手を習っている少年たちの演武だ。空手着には「極真会」とある。そして、師範だけでなく、子どもたちの空手着にもそれぞれ片仮名で名前が書いてある。

ヤァッ、という掛け声で少年が板割りをするたび、観客から拍手が起こる。


下はクラクフ市内で見つけた生徒募集の貼り紙。

ポーランドは日本との縁が強いらしく、こうした武道が盛んなのはその影響かもしれない。

武道に何を求めるかは人それぞれだろうが、理屈抜きに武道はカッコいい。

経済産業省は、アニメや漫画、幼稚なファッションや風俗をクールジャパンと称して輸出促進のテコにしようとしているようだが、それより武道を海外に広める手立てを考えてはどうだ。空手や柔道の方がよっぽどクールだ。そして日本理解にも役立つ。