2012年10月14日

グレン・キャンベル、ラスト・ツアー

グレン・キャンベルのコンサートを観に行った。

昨年、自分がアルツハイマー型認知症を煩っていることを公表し、その後これが最後だというスタジオ録音アルバムを制作した。いま、完全引退へ向かうためツアー(The Goodbye Tour)を行っている。ニューヨークは、今日のカーネギーホールでの一公演だけだ。

きら星のような楽曲。優れたギタープレイ。そして、思っていた心配を吹き飛ばすようなしっかりした歌声が聞けた。ただ、バックバンドのメンバーによる前座演奏が長く、彼がステージに立ったのは1時間ほどだった。

彼が活躍した中心的な時期は、ほぼビートルズと重なっている。その時期、カントリー&ポップスのシンガーとしてアメリカの音楽界を引っ張ってきた。

2012年10月10日

Who is Yoko?


10月9日付けのニューヨーク・タイムズ紙に掲載されていた全面広告。ジョン・レノンのイマジンの歌詞の一節と"Love, Yoko"のクレジット。

シリアやアフガンなどの地では、今も数多くの人たちが戦いで死んでいる。

Simplicity のお手本のような広告だけど、広告主の表記が Yoko だけだなんて。こちらでファーストネームだけで通じる日本人女性は、おそらく彼女とMidori(五嶋みどり)だけ。男性は、イチロー。他に誰かいたかな・・・。

2012年10月7日

マスコミとジャーナリズムのあいだ

米国で「マスコミ」という言葉を目にすることはない。本来の英語ではないから当然だが、その元になったマス・コミュニケーションという言葉すら、こちらで日常的に見聞きすることはあまりない。

日本で使われているマスコミにあたるのは、こちらではジャーナリズム、ジャーナリスト、ニューズ・レポート、メディア、ニューズ・メディア、あるいはプレスという言葉だ。一方、日本ではあまり目にしない言葉がジャーナリズムであり、ジャーナリストも芸能レポーターも一緒くたで「マスコミ」と呼ばれているのが日本の現状である。

米国にはジャーナリズムを専門に教える大学や大学院のコースがたくさんある。日本ではどうだ。ほとんどない。そうしたコースを修了したからといって優れたジャーナリストになれるわけではないが、日本のようにジャーナリズムに関しての基本的な知識やトレーニングすら踏んでいない者しかおらず、すべてメディアや通信社に就職してからのOJTというのはどうだろう。

結果、日本には「ジャーナリズム」も「ジャーナリスト」も不在で、それゆえミソもクソも「マスコミ」で一括りである。「マスコミ」と呼ぶ際に、その意図している対象を明確にして適切な用語を使うことからしか日本人の意識は変わらない。意図が先にあって言葉が選ばれているのではなく、不用意に(無意識に習慣的に)言葉を使うことから意図が曖昧なまま放置されている例だ。

2012年10月4日

Harvard Club

今日は、44丁目にある Harvard Club of New Yorkで早稲田大学ニューヨーク事務所主催の講演会があり、そこで少しスピーチをさせてもらった。ここはハーバード大学の関係者およびその同伴者のみが利用できる「倶楽部」だ。

今回はマーケティングの話ではなく、日本のマクロ経済の状況、とりわけメディアからのそれらの報道をわれわれがどう受け取るか、その認識の仕方について僕なりの提言をさせてもらった。

聴衆がどのように受け取ってくれるか少し心配していたのだが、講演会後の懇親会の席でニューヨーク在住の日本人の方から「あそこまでストレートに日本経済について日本人のあるべき受け取り方を話してくれた講演を初めて聞いた」といったコメントがあり、こちらが意図したことがだいたい聴衆に伝わっていたようでほっとした。

懇親会後は、関係者とハーバード・クラブのメインダイニングで食事をした。ネクタイをしていなかった僕は、レストランの入口で呼び止められネクタイを渡された。たまたま今日はジーンズじゃなかったからいいものの、ジーンズでの入店は認められていないとか。そうした格式高さが、いかにもという感じでそれらしい。

2012年10月1日

ヘルメットなし走行は危険か

以前も書いた通り、ニューヨーカーは自転車が好きだ。先日紹介したブルックリン・ブリッジもそうだが、セントラルパークやリバーサイド・パークなどでも自転車道がよく整備されていて、天気のよい休日などは多くのサイクリスト(こっちではバイカーと呼ぶ)が走りを楽しんでいる。

米国では自転車に乗る際のヘルメット着用は法律で定められたものではないが、なかば強制的な雰囲気がある。ヘルメットを被らず自転車に乗っている者を、安全意識や責任感にかけた人物とみなすところがある。喫煙者を見る目と共通しているかもしれない。

自転車を楽しむ人の多さは、自転車先進国とも言えるヨーロッパの各都市でも同様だ。ただ、自転車に乗る時にヘルメットをかぶるかどうかは両者でかなり異なっている。ヨーロッパでは、子どもへのヘルメットの着用は求められているが、大人はほとんど被らない。ヨーロッパの都市で、自動車の利用を減らすための方法としてバイク・シェアが普及している理由の一つは、ヘルメットの着用といった面倒なことが求められていないことにある。

あるデータによると、土地が平らで、道がよく整備されており、気候に恵まれたメルボルンではバイク・シェアの利用者は日に150人。一方、坂道が多く、舗装されていない道が多い、しかも寒いダブリンでは日に5000人がバイク・シェアを利用している。メルボルンはヘルメット着用が義務づけられていて、ダブリンはそれがない。

ヘルメットを被って自転車に乗るべきかどうか、シドニーのある大学の教授が数学モデルを使って調べたらしい。彼は「もしヘルメットを被って自転車に乗るというのなら、われわれは階段を上り下りする時や風呂に入る時にもそうすべきだ。なぜなら、そうした時に怪我をする確率の方がもっと高いからだ」と述べている。

レースに出場する場合やクルマの脇をすり抜けながら走らなければならない場合は別だろうが、自転車道を普通のスピードで走る時には、ヘルメットは被っても被らなくても大差はなさそうである。

周りのみんながヘルメットを被っているから、あるいはそうしないと危険に違いないから、というような先入観だけで行っていることは僕たちの周りには他にもありそうだ。たいして意味がないことを思い切って止めてしまうことで、何かが変わるということがある。

ところで、ニューヨークでも来年から自転車1万台をつかったバイク・シェアのプログラムが実行に移される。市長のブルームバーグは、ヘルメット着用を義務とすべきとする条例の制定要求を却下した。そうした条例によって自転車が危険な乗り物と認識され、利用する人が減少すると考えたからだ。現実的な判断である。

2012年9月30日

自らが最悪の敵

先日のテレビ番組「サタデー・ナイト・ライブ」でのジョークを追ったかのような記事が、ニューヨーク・タイムズに掲載されていた。

大統領選に関する内容である。ミット・ロムニーは各地で失言を披露するとともに、大統領候補者らしからぬ昔の発言がメディアによって暴露されている。

例えば、Mother Jones Magazineは、1985年にロムニーがベイン・キャピタルのミッションとして「起業したばかりの企業ならびに既存企業に対して投資を行い、実質的な経営権を握ったうえで、願わくば5年から8年後にはそれらから利益を充分に絞り取る」ことだとプレゼンしているビデオをウェブ上に掲載した。それを見る限り、彼(ら)は、投資家の方は向いていても、そうした彼らのやり方の過程で職を失う人たちや地域のステークホルダーのことなど一顧だにしていないようだ。

ニューヨーク・タイムズはロムニーについて、"Romney is his own worst enemy." と書くとともにこう続けている。
In fact, the more Romney talks, the more damage he does to himself.  Romney's only hope is that Obama slips up, makes a gaffe or some never-before known fact emerges that speaks negatively of the president's character. 
今後の両者のディベイトが楽しみだ。とりわけ、さっそく来週火曜日の夜に行われる討論会がどうなるか見物である。

歩いて5時間の村のカーディガン

朝夕寒くなってきた。今朝、扇風機を物入れにしまった。そして、外出用に先月ペルーのクスコで買ったアルパカのカーディガンを用意した。

クスコは、標高3400メートルの町である。だから、昼間は汗ばむほどでも、夜明け前や夜は肌寒さを感じた。そして僕は夏のニューヨークから来たため、防寒具は何も持って来なかった。

クスコに到着した翌日、セーターか何かを1枚買おうと町に出た。町の中心部のある広場に面した店で、シンプルなデザインのカーディガンを見つけた。ベイビー・アルパカの毛が100%使われている保証書がついている。値段もそれなりなので、値切り交渉に入ったけどなかなかまけてくれない。

シャキシャキした若い女性の店員さんが言うには、地元の女性と子どもを支援するためにフェアトレードを行っているのでまけないとのこと。確かにそうしたパンフレットも置いてある。Consortia Trinidad Enriquez という団体だ。

誰が作っているのか尋ねたら、近くの村に住む子どもを持つ女性にセーター編みの技術指導をし、できた製品を買い取っているとか。村の名前はマルカパタ(Marcapata)だという。場所はどこかと聞いたら、「ここから歩いて5時間ほどのところよ」と返ってきた。

セーターやカーディガンを編んでいるお母さんたちは、編み上がると片道5時間の道を歩いてクスコに持ってきているのである。日帰りだろうか、それとも店に買ってもらった代金の一部で町に一泊していくのだろうか、などと考えながらそれでも値引き交渉を続け、最後には彼女から "You are terrible!(あなたって、サイテー!)" と言われ、"Everybody says so.(みんなそう言ってる)" と応えながらも少しばかりまけてもらって購入したカーディガンだ。これからしばらくお世話になろう。

付いていた商品タグ

2012年9月29日

「ハーモニカおじさん」は90歳になった

60丁目のコロンバス・サークルにあるJazz at Lincoln Center内のRose Theaterでトゥーツ・シールマンスのコンサートがあった。「Toots Thielemans: Celebrating 90 Years」のタイトル通り、彼の90歳を祝う意味も込めたイベントだ。


歳のせいかさすがに勢いはなくなりフルトーンでは吹かなくなってしまったけど、それでもいい音色を聞かせてくれた。それに、彼くらいになるともうハーモニカの演奏が上手いとか下手とかではなく、僕たちが聞きたいのはトゥーツおじさんならではの独特の叙情性なのだ。

『真夜中のカウボーイ』や『シンデレラ・リバティ』といった60年代末から70年代のアメリカ映画で彼のハーモニカを知った。それからずいぶん長い年月が過ぎたが、ここニューヨークで初めて彼の生演奏を聴くことができた。感慨、深し。

ゲストの一人としてピアノのハービー・ハンコックが登場。その彼ももう71歳!

2012年9月28日

The Lie Factory

9月24日付けのThe New Yorker 誌に、"The Lie Factory: How Politics Became a Business"と題する記事が掲載されていた。アメリカでは1933年に政治キャンペーンを扱うPR会社が初めて誕生し、ニクソンやアイゼンハワーなどの米国大統領だけでなく州知事などの選挙に結果的に大きな影響力を及ぼしてきた。それは今も延々と(さらに強化、洗練されながら)続いている。

その対象は、選挙だけではない。アメリカが公的な健康保険の制度を築くのをA.M.A. (American Medical Association; 米国医師会)の依頼により様々な手段を講じて阻止し、そのことは現在も米国民の問題として残されている。

この記事でThe Lie Factoryと指摘されているCampaings, Inc. というコンサルティング会社を設立したのはWhittaker & Baxterの2人である。彼らの大衆の理解は実に研ぎ澄まされている。人間の心理を正確に理解している。

「投票者は基本的に怠け者である。本来的に、私たちが何を伝えようとしているのかを<努力して>理解することには関心がないのである」とか「理屈を理解するにはそれなりの知識と理解度、それに集中することが求められる。だが印象を与えるのは容易だ」といった本記事で見受けられる数々の彼らのコメントは残念ながら正鵠を得ている。そうした「理論」とともに、彼らはクライアントが用意した多額のメディア費用をベースにアメリカの大衆をいともたやすく誘導し続けてきた。

記事では、選挙におけるコンサルタントの役割に関しても触れている。「コンサルタントは選挙キャンペーンを張るだけではない。彼らが政治を仕切るのだ」と述べ、ミット・ロムニーがウォールストリート・ジャーナルの編集委員からどうやって閣僚を選ぶのかと質問された際、「たぶんそうしたことはマッキンゼーにやらせる」と答えたと紹介している。

『戦争広告代理店』(講談社)という、NHK記者が書いたドキュメンタリー本があった。つくづくアメリカという国におけるメディアの強力な(強力過ぎる)影響力の是非と国民の、それらからの情報操作に対するリテラシーのレベルについて考えさせられた。

2012年9月25日

バラク・オバマの秘密兵器

こちらでは米国大統領選の報道が日増しに増してきている。その中で、相変わらず続くミット・ロムニーの失言に失笑させられる。失言というより、「低所得者層などは相手にする価値がない」といった、ポロッと漏らしてしまった本音をメディアで批判されているのであるが。

先日のサタデー・ナイト・ライブ(NBC)でも揶揄されていた。失言の多さをから、「バラク・オバマのシークレット・ウェポン、それはミット・ロムニーだ」というギャグは傑作だった。

2012年9月24日

自転車にやさしい街

夏のあいだ、暑くてなかなか出かける気にならなかったブルックリン・ブリッジへ出かけた。この橋は3階建てで、その最上階が歩行者と自転車用の通路になっている。下の写真のように、さほど広くない通路をセンターラインで仲良く二分している。


ニューヨーカーは自転車が好きだ。地下鉄でも自転車をよく見る。


そういえば僕が高校生の時、アート・ガーファンクルが日本に一人で観光にやって来て、東京と京都と回っていったらしいのだけど、東京で山手線に自転車を持ち込もうとして改札で駅員に制止されたらしい。そんな話を雑誌で読んで、高校で同級生たちと「ガーファンクル、バカだなあ〜」などと笑いあったことを思い出した。

でも、コロンビア大学の学生だったガーファンクルには、自転車を電車に載っけて移動するのは普通のことだったのだろうと今になって分かった。確かに自転車もスーツケースなどの荷物と同様と考えれば、担いで運べるのであれば構わないんじゃないか。

日本でそういったことを言うと、混んでいる電車で周りに迷惑だとか危険だとか反論が出るんだろうね。まずは、自転車を持ち込める車両をいくつか指定して実験してみてはどうだろう。

2012年9月23日

ビルマかミャンマーか

たまたまチャンネルを合わせたC-SPAN(Cable-Satellite Public Affairs Network)でアウンサン・スーチーさんを見た。先週の火曜日に米国平和研究所とアジア・ソサエティが主催した会の模様である。

ヒラリー・クリントンからの紹介の後、1時間ほど米国とビルマの関係を中心にビルマの置かれている状況について、静かに、しかし力強く話をした。語るべきものを持った人の言葉の強さとはこういうものかと痛感する。

この際の放送内容は以下のサイトで見ることができる。
http://www.c-span.org/Events/Burmese-Opposition-Leader-Speaks-on-US-Myanmar-Relations/10737434181/

彼女は自分の国をミャンマーではなく、ビルマと表現する。1989年6月に軍事政権が対外向けの英語国名をBurmaからMyanmarに変えた。彼女ら強く民主化を求める人たちはいまもミャンマーとは自国を呼ばない。

米国のメディアは、Myanmar (Burma) と表記するところとMyanmar と表記するところがある。英国のBBCはいまもBurma と表記している。しかし、日本のメディアは軒並み「ミャンマー」表記だけである(日本政府はフランス政府と並んで、もっとも早く軍事政権による英語国名変更を受け入れた)。

2012年9月22日

ニューヨークはゆっくりと秋へ

研究室の引っ越しのため日本に一時帰国した後、学会出張でポーランドを訪ね、パリ経由でニューヨークに帰ってきた。NYは日本に比べればもう秋だが、ポーランドに比べればまだ夏だ。

それでも、日中は半袖でも平気だけど、夜になると長袖が欲しくなる。9月も下旬に入り、確実に秋が近づいてきている。店のショーウインドウにはハロウィーンを連想させるカボチャが飾られていた。


2012年9月21日

クールジャパン、狂うジャパン

日曜日の午後、ポーランドの首都ワルシャワの目抜き通りともいえる新世界通りから王宮広場を目指してを歩いていたら、オスッという子どもたちの元気な声が聞こえてきた。

空手を習っている少年たちの演武だ。空手着には「極真会」とある。そして、師範だけでなく、子どもたちの空手着にもそれぞれ片仮名で名前が書いてある。

ヤァッ、という掛け声で少年が板割りをするたび、観客から拍手が起こる。


下はクラクフ市内で見つけた生徒募集の貼り紙。

ポーランドは日本との縁が強いらしく、こうした武道が盛んなのはその影響かもしれない。

武道に何を求めるかは人それぞれだろうが、理屈抜きに武道はカッコいい。

経済産業省は、アニメや漫画、幼稚なファッションや風俗をクールジャパンと称して輸出促進のテコにしようとしているようだが、それより武道を海外に広める手立てを考えてはどうだ。空手や柔道の方がよっぽどクールだ。そして日本理解にも役立つ。

2012年9月19日

クラクフのユダヤ人地区を歩く

クラクフの中心から徒歩で2、30分のところにカジミエシュ(Kazimierz)といわれる地区がある。ここは1335年にクラクフとは別の町として作られた。

15世紀以降多くのユダヤ人が住みつき、ユダヤ人街となった。シナゴーグ(ユダヤ教会)が多くある。このエリアは、スピルバーグが監督した『シンドラーのリスト』のロケ地として使われたらしい。一番上の写真は、ポーランド最古のユダヤ教会であるスタラ・シナゴーグ(Synagoga Stara)。





2012年9月18日

インターシティでクラクフへ

ワルシャワから南へ300キロほど、インターシティ(鉄道)でクラクフへ。クラクフは、11世紀中頃から16世紀の終わりまで約550年間にわたりポーランド王国の首都として栄えた都。ポーランドでは、首都のワルシャワが東京とすれば、クラクフは京都にたとえられる。


市内のセント・ピーター&ポール教会で夜8時からコンサートがあった。入場料60ズウォティ払って入る。演目はバッハ、ブラームス、ヴィバルディなど。チェンバロの響きは教会の建物の残響にとてもマッチしている。


2012年9月17日

ワルシャワへ

ポズナンの学会で報告を終え、ワルシャワに戻ってきた。市内を少し散策する。ポーランドと言えば、ショパン、キューリー婦人、そしてコペルニクス。

ポーランド科学アカデミーの前に立つコペルニクス像。

ホテルからの市内駅周辺の眺め。

2012年9月15日

ポズナンのレーニン

学会に出席するためポーランドのポズナンへ来ている。パリ経由でワルシャワに入り、そこから鉄道で西へ3時間半ほど。車窓からの風景は、原っぱと畑が延々と続いていた。

ポズナンはポーランドでは人口で5番目に大きな街。といってもこぢんまりしていて、たいていの主な場所は歩いて行ける。石畳に路面電車が似合っている。

旧市街の広場。建物がパステルカラー調に色分けされていてきれいだ。

下は、街中のショーウインドウで見かけたレーニン。

2012年9月10日

困った「グローバル化対応」

今日の新聞に「小4以下も英語必修検討 文科省 グローバル化に対応」という記事が掲載されていた。

その背景として、文部科学省は「昨年度から小学5・6年生で必修化したところだが、社会のグローバル化に対応してより早い段階から発音などの慣れ、コミュニケーション能力を高める必要があると判断した」としている。

彼らが言っているところの「グローバル化」とは何なのだろう。また、ここで言っている「コミュニケーション能力」は何を指しているのか・・・。

英語が分かることをグローバル化、あるいはそれへの対応と考えているとしたら勘違いだし、また英語で挨拶や簡単な自己紹介ができたとしても(小学生にそれ以上何を期待する?)コミュニケーション能力とは無縁だ。正確な知識を増やし、さまざまな体験を積み、それらをもとに自ら考え、他人への共感力を高めることからしか本当のコミュニケーション能力は育たない。

自ら勉強したいという子どもは別として、必修科目としての英語など小学生には不要である。それより、子どもたちの間からいじめをどうやってなくしていくかについて、教師と子どもがもっと時間を割いて一緒に考えた方がいいんじゃないだろうか。

2012年8月28日

No と言葉にして伝える責任

ペルーに行っている間に、今年の Shakespeare in the Park は終わってしまった。何度かチャレンジしたが、席を取ることができなかった。開催期間中、ネットで申し込みを続けたけれど、送られてくるのは以下のメッセージばかり。(以前書いたように一度抽選で選ばれたが、その日の公演は雨のため土壇場で中止になった)
Hello –
Thank you for signing up for today’s Shakespeare in the Park Virtual Ticketing drawing. Unfortunately, you have not been selected to receive tickets to tonight’s performance. We encourage you to try again for a future performance.
Thank you,
Your friends at The Public Theater
毎日午後1時過ぎ、このメールが届く度にがっかりした。

ところで、僕は明日のフライトで日本に一時帰国する予定になっている。日本で研究室の移転作業などの雑事を片付けた後は、またNYに戻って来なければならない。そこで5ヵ月ほど前から全日空のマイレージを使って、ビジネスクラスの特典航空券を空席待ちでリクエストしていた。

2ヵ月ほど前に全日空のアメリカ支社に確認したところ、僕の順番は空席待ち客の3番目だった。それならおそらく取れるだろうと期待して今日の空席待ちの締切りまで待ったが、結局席は取れなかった。ネットで席の空き具合を見たところ、ビジネスクラスはまだ3席ほど空いているのだが、航空会社はそれらをまだ売れると見て販売の方に回したわけだ。

そもそも、マイレージ利用の特典航空券のための席はあるのか。あまりに透明感がなさ過ぎるので、航空会社に問い合わせた。担当者は、マイレージによる席はあるかもしれないし、ないかもしれないという。つまり、客がその申し込みをし何ヵ月も待ったあげく、そうした種類の席が一席もないままということもあるわけだ。すべては、航空会社のさじ加減次第。客には何も分からない。これほど情報が非対称な関係もない。

実際にマイレージ席を出したのかどうか航空会社に問い合わせてみた。本社に確認した後、電話をくれるという。マイレージ・クラブに登録しているメールアドレス宛に連絡してくれるようにお願いしたのだが、口頭でしか教えられないとか。まあ電話でもいいかと思っていたら、先の問い合わせについては「何も回答できない」という回答の電話がかかってきた。

ところで、空席待ちをリクエストした場合、その席が期限までに取れた場合には航空会社は顧客にその旨をメールで連絡する。しかし一方で、期限(フライトの2週間前)を過ぎて取れなかった場合は何も連絡はしないことになっている。席が取れなかった顧客は、別の移動の方法を至急考えなければならないから、本来は取れなかった旨の連絡を即時に入れるべきだと思うのだが。

なぜ席が取れなかった顧客には連絡しないのか質問してみた。彼らによると、「メールを送ると、間違って席が取れたと勘違いするお客様がいるからです」とのこと。そして、お客には自分で航空会社のサイトにログインした上で(取れなかったことを)確認してもらうことにしているらしい。そのやり方、僕にはまったく理解できない。本当は別の理由で顧客とのコンタクト・ポイントを持たないようにしているのだろうけど、それがこの航空会社の姿勢といったところか。

本来は、言いにくいことでも顧客が必要とする情報は、企業は責任を持って伝えるようにしなければならない。顧客へのコミュニケーション(電話でのおもてづらの対応や言葉遣いだけではなく)とはどういうものか、もっと真剣に考えて欲しい。

この会社のマイレージカードの裏には、マイレージ・クラブの電話番号が2つ載っている。0120で始まるものと0570で始まるもの。どちらの番号も海外からは電話はつながらない。全日空は、航空会社である自分たちの顧客が誰かすらよく分かっていないのかもしれないね。(JALの同様のカードには、0570で始まる番号と03で始まる2つの番号が記してある。)