2025-10-28

悩まず、考え、分類しよう

俵万智の『生きる言葉』が10万部を突破したということで、彼女が記念エッセイを『波』(新潮社)に書いていた。その中で、彼女は
本書を出版した後も、私自身、ちょいちょいクソリプに見舞われている。高校球児を応援する内容のポストをすれば「高校球児だけを特別扱いするのは、いかがなものか」と窘められ、読者の感想を引用して「ありがとう!」と言うと「上から目線ですね。ございますをつけるべき」と叱られる。一瞬シュンとなるが、こういう場合は「新種が釣れた!」と喜ぶくらいが、精神衛生上ちょうどよい。本書に出てくる分類に収まらないものが釣れたら、これからもコレクションしていきたい。

と言う。なるほど、と感心する。

しばらく前、このブログで彼女がクソリプの8つの種類を紹介していることを書いた。https://tatsukimura.blogspot.com/2025/10/sns.html
それをもとに、彼女は新しいクソリプに出会うと、新種としてコレクション(分類)に加えちゃおうというわけだ。
 
批判や中傷(この場合、クソリプ)をそのままダイレクトに感情の発露として受け取るのではなく分析的に分類するところがポイントで、その考えはとても効果的だと思う。
 
昨年、日本では小学生から高校生の自殺者が529人と過去最多にのぼった。『自殺対策白書』によれば、その最も多い原因として「学校問題」が指摘されている。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2025102400292&g=soc

自殺に追い込まれた子供たちの遺書やメモがなければ、その真の理由は完全にはわからないけど、多くは学校での人間関係やイジメが原因だっただろうという事は容易に推測できる。

子供たちよ、悩まず、考えよう。イジメを受けるのは辛い。どうして自分がいじめられるのか悩むだろう。だけど、悩まずに考える癖をつけてみて欲しい。
 
イジメにあったら、うちに帰ってからでいい、そのイジメをノートにでもササッと記録する習慣をつけよう。いじめたは誰か、いつ、どこで、どんなイジメにあったのか。また思いつく限り、彼らがなぜイジメをしたのかについても考えてみよう。
 
そして「データ」が溜まったら、それらを分類してみよう。例えば、金せびり型、ストレス発散型、勉強できないコンプレックス型、自分を強く見せたい自慢型、仲間はずれ回避型など、いろいろあるに違いない。

イジメにあったら、そのことを悩んじゃいけない、それがどのタイプに分類されるか考えることに集中するんだ。歌人の俵万智さんが書いていたように、「新種が釣れた!」(やった!)と思えるような時もあるかもしれない。

そして、そうした記録と自分ならではの分類ができたら、そのノートを持って親と先生に相談しよう。大人たちはその時、きっと君たちの味方になって助けてくれるに違いない。

2025-10-27

気をつけたいエビデンスベースと過度の一般化

図書館で手に取ったあるマーケティングの本に目を通して、「こりゃマズいな」と思った。

著者はコンサルタントを生業としている人のようだが、その論調は海外の論文の研究成果を「エビデンス」として援用することで自分の主張を次々に述べている。

興味深い記述もあるのだが、いかんせん引用元になっている研究者が偏っている。またそれらの研究は、どれも限定された状況下での調査とその結果に過ぎない。

つまり、ある特定の場所(すべて日本以外)で、特定の製品あるいはカテゴリーのみを対象として、特定の期間のみのデータを取得してそれを分析して結論づけているものだ。

社会科学の分野での学術研究なので、まあだいたいそのような制限下であることを承知の上で実施して、とにかく結論を出さなきゃ論文にできないから、仕方ないと言えば仕方ない。

だからこそ、そこに書かれていることを実務に利用しようと考えたなら注意が必要。そこでは、読み手の知恵や経験と工夫が間違いなく問われることになる。

先の経営書で気になったのは、そこだ。〇〇大学の△△教授の研究によれば、という記述を並べることで著者は自分の考えはエビデンスベース(Evidence-based)だと一貫して主張するが、明らかに過度の一般化(Over-generalization)がなされていると言わざるを得ない。

海外のスーパーマーケットの店頭でシャンプーのブランドがどのように消費者から手に取られているかというロジックと、日本国内で消費者がどのように高級車を選択、購入するに至るかというロジックの違いを思い浮かべればいいだろう。

目くらましの「エビデンスベース」には気をつけた方がよいという例だ。

2025-10-26

高校生の「読書しない率」 69.8%に驚く

日本の小中高生は、どのくらい読書をしているかーー。東大社会科学研究所とベネッセ教育総研が調査した結果が報告されていた。その結果内容に愕然とする。

一日のうち、読書時間0分、つまりまったく読書をしないと回答した子どもたちの割合は、
小4〜6年生:47.7%
中学生:59.8%
高校生:69.8%、だった。

中学生の6割、高校生の7割は本をまったく読まないと回答しているわけだ。

同時に調査した、一日のスマホの平均利用時間は次のようになっている。

小4〜6年生:33分
中学生:1時間36分
高校生:2時間19分、だった。

10年経つと、これら中高校生が日本の社会の中核に入って来る。やはり日本という国は衰退していくのだろう。 

タカ市総理大臣は、この前の所信表明演説で日本の防衛費をGDP比2%に増額すると言った。防衛費を増やせば国を守れると考えているのかも知れないが、そうだろうか。

中高生が本を全く読まず、スマホに浸り続けている状況を早期にあらためる施策を考え実施することのほうが、国の未来の安全と発展に確実に繋がるはずだが。

2025-10-24

銀行が「その他」を使いたがる理由

三井住友銀行から「貸金庫借用に関する申告書」という文書が郵便で届く。

申告する相手先は株式会社三井住友銀行となっており、利用者が「やりません」という誓いを立てるものだ。(自社へ返信させる手紙を「〇〇宛」でなく「〇〇御中」とする感覚は不思議だ)


三井住友銀行から返信を求められている、貸金庫利用についての申請書


大手銀行で、社員が何年にもわたって複数の銀行支店の貸金庫から客の金品を盗んでいたことが発覚した。そこで現金などを預けさせないようにするという対応なのだろうが、銀行内で社員教育を始めとして、どのような具体的な再発防止策をとることにしているかについては、送付されてきた文書に何も記載がない。

不祥事が起きたのは、利用する客のせいと考えているのだろうか。 

利用者の署名を求めるその申請書の遵守事項1には、「・・・現金や、その他不正利用防止の観点からリスクが高いものは格納しません」という文言があったので、「その他」とは何を指しているのか銀行に問うてみた。

すると銀行側の回答は「現時点では外貨と違法薬物」だという。だが、外貨は現金のひとつ。また、違法薬物は遵守事項3に該当するので、すでに包括されている。

彼らが文書に書いた「その他」とは何なのかしつこく訊ねたら「今後、当行がリスクが高いと考えるものがあるかもしれませんので」との回答。

おいおい、ちょっと待てよ。それが何なのかを示さないまま、あらかじめ客に「やりません」と申告だけさせ、その具体的な内容はあとで自分たちが勝手に決定するという考えはオカシイだろ。

よくもまあ、そんないい加減で利用者無視のやり方ができるもんだ。

2025-10-22

新聞広告らしい広告

先日の新聞に掲載されてた、カラーの見開き広告である。

新聞に掲載されたBrunello Cucinelli(ブルネロ・クチネリ)の広告表現

広告主はイタリアの高級ブランド「Brunello Cucinelli(ブルネロ・クチネリ)。

広大な空間に膨大な書籍が積まれた風景の中に、男が一人立っている。彼が身につけているセーターなんかが、そのブランドの商品なんだろう。

写真の中の積まれた本、とりわけ後方の壁一面を埋め尽くす書籍は実物か、それともCGによる合成かーー。AIに確認させたところでは、光の当たり具合と影の具合からほぼ実際の写真だろうと。 

いい写真だ。

2025-10-20

運転免許証の更新

5年に一度の運転免許の更新の時期が来た。またあの「安全講習」と称するビデオを見るのだろうか。そして「安全協会」とやらへの入会の勧誘も。

それがなければ車を運転することが許されず、社会生活をする上で身分証明書となる運転免許証なので四の五の言わず更新には行く予定だ。ただ有無を言わさずレールに乗せられているようで、毎度毎度の事ながらこの更新はすっきりしない。

運転免許でふと思い出して、机の引き出しの奥を探してみると英国の運転免許証(UNITED KINGDOM DRIVING LICENCE)が出てきた。日本のようなカードではなく、緑と薄赤の紙を折り畳んだもの。

この免許証を現地で取得したのは今から34年前。なぜ今も持っているかというと、免許証として今も有効だから。記された有効期限は、僕が満70歳になる前日になっている。なんと鷹揚な取扱いだろう。 

実際に使ったことはないが、EUROPEAN COMMUNITIES Modelと書いてあるので欧州域内でもこの免許証で車を運転できそうだ。1993年以前の発行だから、EUでなくEC

英国の運転免許証 Driving Licnece

2025-10-19

教壇に立つ教師はしだいに不要になっていく

「KDDIがAI上司 実在人物を再現、販売も」という記事を見かけた。

同社が開発したのは、社内の特定の人物の考え方を身につけて再現したというAIエージェント。AIで再現された彼が部下の書いた提案書をチェックしてアドバイスを与えたり、指示を出したりするらしい。

生命保険会社が、各営業部員にAI秘書を持たせるようにした話をこの前紹介したばかり。企業の中にAI上司、AI部長、AI取締役などがすでに登場している。
https://tatsukimura.blogspot.com/2025/09/aiai.html
https://tatsukimura.blogspot.com/2025/08/ai.html

教育の場にもまもなくAI教師が現れる事だろう。中等教育以上の場で、生徒や学生一人ずつにAIエージェントがつけば、大方の勉強は学校に行かなくても済むようになる。学ぶ者一人ひとりに合わせて最適なカリキュラムと指導を24時間いつでも提供してくれるからだ。

大学の講義なども、今のように同じ科目の担当を複数の教員が分け合ってやるようなことは不要になる。AIエージェントを元にしたAIプロフェッサーが一つあればそれで済む。

そういえば、先日、教室の一番前の列で講義を聞いている学生がPlaud Noteを使って授業を録音しているのに気づいた。

このサービスは録音した音声データを発話者別に分けて文字起こしできるだけでなく、内容を要約したり、会議であれば自動的に議事録を作成してくれたりする。

これで僕の授業をすべてデータ化しているとすれば、それをもとに僕の授業用AIを作ることは可能だ。

教室ではスクリーンに映し出された僕のアバターが代わりに講義を行い、クラスの学生たちからの質問などにもその場でAIが回答したり、アドバイスするようになるだろう。

これは楽チンだ。早くそうならないものか。ハハハ。

2025-10-17

SNSを止めればいいだけ

9月末、文化庁は「国語に関する世論調査」の結果を発表した。そのなかで、SNSが日本語に多大な影響を与えていることが示されている。

朝日新聞紙上で歌人の俵万智さんがそうした現状についてインタビューに応えていた。彼女は、「『悪い二極化』が起きている」と語る。

SNSでは、投稿でちょっと角が立つと、誰かから揚げ足を取るような「クソみたいな返信」、通称「クソリプ」が飛んでくる。場合によっては炎上する。私も色々と経験しています。そんな返信を読むたび、少し傷つく。たぶん、こうしたことで、みんな少しずつ傷ついて、防御的になっているのでしょう。
 SNSを意識した日本語の表現は、波風を立てず、人から攻撃されないような無難な言葉と、わざと過激な表現で耳目を集め、投稿や動画の視聴回数を増やそうとする言葉の「悪い二極化」が進んできていると思います。どうしてこうなってしまったのか。 

「クソリプ」と呼ばれるものについては、彼女は今年4月に出版した『生きる言葉』(新潮新書)でも詳しく取り上げている。よほど「クソリプ」は彼女のこころに棘のように刺さったのに違いない。

このことは取りも直さず、彼女が匿名の、つまり返す先の宛のない相手からの数々の言葉に「傷ついた」ことを示している。とにかく悔しかったんだろう。そして、いまも悔しいと感じているに違いない。

同書で彼女は「クソリプ」の8つの類型を紹介している。それら8つのタイポロジーは本を読んでもらうとして、僕がいささか解せないのは、彼女がそうした酷い目に遭いながら、なぜいまだSNSを続けているのかということ。

彼女はSNS(X、旧ツイッター)で短歌を発信しているらしいが、Xを使わなくても俵万智であれば少し数がまとまれば短歌雑誌でも新聞でも雑誌でも掲載してもらえるんじゃないのないのかな。違ってる?

それはそうと、彼女が先の朝日の記事の最後に書いてる「二極化」は、実際にいまぼくたちの周りで確かにそうなってきているのだろうと思っている。

そして、それら2つの方向性。つまり、読み手に最大限の注意を払って少しでも波風を立たないように超フラットな言葉遣いをした表現を心がけるするものと、敢えて炎上を承知の上で荒波を起こそうとする2つのやり方は、実際は二極化ではなく根本のところで軌を一にしたコインの表と裏。

そのコインで日々の生活を送っている限りは、コインの表か裏かどちらかを必ず相手にみせなければならない。びくびく震えながら物を言うか、あえて炎上を狙ってかき回すか。

だからこそ、いっそのことそうしたコインなど投げ捨ててしまえと言いたくなる。そんなものなくたって毎日は過ごせる。

解決法は簡単。SNSなんか止めればいいだけ。クサい臭いは元から絶つのが基本だ。そうした簡単なことが、なぜ皆できないのか。

2025年10月15日付の朝日新聞紙面。SNSが日本語に及ぼす影響と「悪い二極化」を扱う記事の見出し
朝日新聞 2025.10.15


ところで余談だが、編集者はこの本のタイトル案として『届く言葉』を考えていたところ、著者の俵が今の書名にしたという。賢明な選択だ。池上彰なら『届く言葉』にしただろうが、この本は『生きる言葉』でよかった。

2025-10-13

ダイアン・キートンと「アニー・ホール」

ダイアン・キートンが79歳で亡くなった。死因などは公表されていない。

彼女が出演した映画を最初に観たのは、中学時代に友人と行った「ゴッドファーザー」。だが、あの男の群像を描いた映画のなかに登場した女優は、誰一人ぼくの印象に残らなかった。ダイアンもそのなかのひとり。彼女の影が薄かったとかではなく、そういう映画だったからだと思う。

強烈に覚えているのは学生時代に観た「アニー・ホール」。彼女がアカデミー主演女優賞を獲得した、ウディ・アレンが監督した映画である。

この映画は面白かった。アレンとキートンが劇場の入口で開場を待っているシーンは忘れられない。当時のメディア界を一世風靡していたマーシャル・マクルーハンが本人として登場した、あのシーン。こんな演出もあるのかと、たまげた。 


彼女の出演作ですぐ思い出せるのは、「アニー・ホール」以外に「マンハッタン」「インテリア」「ミスター・グッドバーを探して」「レッズ」など、どれも学生時代に観た作品だ。 

90年代以降も彼女は多くの作品に出演し、それらはどちらかというとシリアスなものではなくロマンチック・コメディと言われる類の作品で、ぼくの個人的な印象は薄かった。

これは彼女の女優性の問題ではなく、プロデューサーなど作品の作り手側の問題だったと思っている。 

つばの大きな帽子がトレードマークだった、個性的で魅力的な女優さんだった。

 

2025-10-12

皇室関係者のデタラメ発言を嗤う

金と政治の問題となると、まずその名が出てくる萩生田という自民党の裏金政治家がいる。

今回、高市自民党総裁が裏金疑惑の中心だったその人物を自民党の幹事長代行というポストに就けたことに関して、各所から批判の声が上がっている。

それに対して、明治天皇の玄孫(やしゃご)だかなんだか知らないが、T田という男が萩生田起用を疑問視する巷の声を批判している。

T田は、萩生田光一は小選挙区(八王子市の一部)で当選しているのだからその役員起用を疑問視するのは間違っているとし、「民意の決定を侮辱し民主主義を否定する公明党や評論家には猛省を促したい」とまで語る。

猛省すべきはそっちの方ではないのか。

選挙で当選しているから(ということは、議員であれば誰もがということになるが)どんなポストに就けようがそんなの勝手じゃん、ということを言っているようだが、その考えは真っ当ではない。

選挙で当選したのは「議員になった」というだけのことで、その人物の能力や人格や高潔さを示す尺度ではないのだよ。

昨年の衆院選で私が住む神奈川7区から立候補した鈴木馨祐という自民党麻生派の候補は、小選挙区で落選した。が、比例区で復活当選し、石破首相によって法務大臣に起用された。

つまり、選挙民の民意を得られなかった人物が大臣になっているわけだ。T田が民意の尊重を振りかざし利いた風な口を叩くのであれば、鈴木の法相就任をなぜ批判しないのか。
 
言っていることに筋が通っておらず、デタラメなのである。

2025-10-06

今日は中秋の名月

朝夕やっと涼やかになり、秋の訪れを感じるようになった。



スチール写真も撮ったが、月はいつも同じだから面白くないので動画も撮ってみた。
 
夜空に雲が流れる感じに、なんだか映画館で本編上映前に見るアメリカの製作会社のオープニング映像を思い出した。あれはどこの会社のだっけ・・・ 

2025-10-05

40年間未公開。馬鹿げた日本の映画興行界

ポール・シュレイダーの「MISHIMA」(1985年製作)が、今月から日本で初公開されることになったらしい。
https://www.yomiuri.co.jp/culture/cinema/20251001-OYT1T50022/

新聞では今回の初公開が三島の生誕100年の年だからとか、人を小馬鹿にした説明がされているが、なんだそれは。
https://tatsukimura.blogspot.com/2012/07/mishima.html

もしそんなことで初公開するのだったら、さっさと日本でも公開すればよかったわけでね、東宝が怠慢こいてただけじゃないのかね。 

1985年製作の映画『MISHIMA』日本初公開の報道を参照中に撮影したスクリーンショット

お願いだから、働かないでくれ

自民党の新総裁になった高市があいさつで「働いて、働いて、働いて、働いて、働いてまいります」と発言した。

お前さん、今までよっぽど働かなかったんだなと、思わず突っ込みを入れてしまいたくなるが、新総裁になったからといって急変するのもどうかと思うよ。

たぶんこのまま新首相指名を受けるのだろうが、彼女にはぜひこれまで通り働かないでいて欲しいと願っている。

物事をよくするために必要なことは、能力のある人が正しい選択をして、それを実現するためにハードワークすることだ。 

逆に、最も悲惨な結果を招くのは能力のない人物が間違った選択をして、それを全力で推し進めていってしまうことである。その結果、当然ながら破綻を招くことになる。

名門と言われてきた企業が凋落するのは、だいたいこのケースである。
https://tatsukimura.blogspot.com/2017/11/blog-post_19.html

お願いだから、働かないで、頑張らないで。日本のために。