2024年6月29日

米大統領選テレビ討論

昨日、日本時間で朝10時から行われたバイデン=トランプのテレビ討論を見た。

僕は米国人ではないが、当然関心はある。どちらが、あるいは誰が米国大統領になるかは、世界全体に大きな影響を及ぼす。(いまだ地球温暖化を否定するトランプがなったら大変だ。)

82歳のバイデンと79歳のトランプの論戦は、想像以上にお粗末でガッカリものだった。トランプは論点をずらし、答えるべきものに答えようとしない。今さらながら不誠実でウソに塗り固められた人物であることが浮かび上がる。

かたやバイデンは認知能力の衰えた、癇癪持ちの年寄りの醜い姿を晒していた。

アメリカ大統領という、いまでも世界で最強のパワーを持つポジションの人物を選ぶというのに、まるで田舎の村長をどちらにするかのような低内容の討論に終始していた。それにしてもヒドイ討論会で、選択に悩む米国の有権者も多いことだろう。

討論後のCNNの調査では、トランプが「勝った」とするのが67%、バイデンは33%だった。議論内容のファクトチェックが済んでいない段階で、数多くのウソを自信満々に述べたトランプを米国の有権者が何を評価したのか分からないが、これが米国の大統領選テレビ討論なのである。

すべてを左右するのは「印象」だ。マクルーハンの時代から何も変わっていない。これは考えてみれば、怖ろしいことである。

今回の討論会の後、アーロン・ソーキンが制作した「The West Wing」(Warner Bros.)を何本か見返した。そこで大統領を演じたマーティン・シーンのような大統領候補であったなら「完璧」だったのだろうが、それは望むべくもない。

今朝のニューヨーク・タイムズで、トーマス・フリードマンがバイデン陣営に対して大統領選から退くべきだという意見を述べていた。アメリカのため、世界のため、そしてバイデンと彼の家族、スタッフのためにその決断が求められているのだと。同感である。

カマラ・ハリスへの候補者スイッチがうまく行くかどうか。

The New York Times

2024年6月27日

本読みについて

本読みについて書いたら、コメントが送られて来た。

そのなかに、小学校でやっている始業時間前の「朝読」(朝の読書)と似てるという意見があった。朝に行う、時間を区切って行う、読みたい本を読む、集中して読む。なるほど、似たようなものかもしれない。

ほかに、20分といえども朝の忙しい時間帯には難しいという意見も何人からか。

そうした人は、こうしてみればどうだろう。出かける時にはバッグに必ず本を1、2冊入れるという、これもいたって簡単なこと。

で、通勤や移動で電車に乗ったときには、すぐに本を取り出す。ポイントは、意味もなくスマホを取り出し、いじったりしないこと。

これだけで本読みの時間は確実に確保できるはず。

むかし、帰りの電車の中でのこと、読み始めた本が面白かったので目的の駅についても下車せずにそのまま読み続けたことがあった。残りのページ数の半分を読み終えたところでいったん下車し、それから反対方面の電車に乗って帰宅した。

電車の中は読書に向いている。

2024年6月24日

泥棒猫

背中に載せるなら、海老天丼。これなら許せる。どこかの軍隊のような、人殺しのための機関銃なんか見たくもないからね。

香港出身のイラストレーター、黒山キャシー・ラムのThief Cat 

2024年6月22日

問い:あなたは自分自身に満足していますか?

もし上記の問いが自分に投げかけられたとしたら、どう答えるだろうかーー。

日本の13〜29歳に対して、日本政府がその質問を投げかけた。こども家庭庁のサイトによれば、質問の対象者は約1,000人、調査はインターネットで実施されたとある。

13歳と29歳とでは16歳の違いだが、同じ16歳の差でも63歳〜79歳のレンジ(範囲)とは明らかに違う。調査では集団を2つに分けた方がよかった。また、13歳を相手にネットを利用して歪みがない正確なデータが取れたかどうかはあやしい。が、まあそれらはここでは置いておこう。

「あなたは自分自身に満足しているか」との問いに、肯定的(「そう思う」+「どちらかといえばそう思う」)に答えた日本の若者の割合が57.4%で、同時に調査した米国やドイツ、フランス、スウェーデンより低かったと『こども白書』で指摘されている。

こども家庭庁のサイトから


ただ、ちょっと待てよ。そもそもこの設問は適切なのか。自己肯定感や自尊感情といったものの測定を狙ったのだろうが、普段われわれ大人ですら「自分自身に満足しているかどうか」なんて考えることは稀だ。問われた中学生や高校生が、この問いをどう受け取ったかが気になるところである。

勉強でもスポーツでも音楽でも、それが何であれ、自分がもっと上達したいと思って目標を設定して頑張っている若者ほど、きっと今の自分に満足はしていないはず。だけど、これは彼らに自尊心が欠如していることとは別だ。

むしろ、「自分自身に満足している」とあっけらかんと答えることができる<自己満>な人に対して、僕はそれが大人であろうが子どもであろうが、違和感を感じてしまう。

データは『こども白書 2024年版』に記載されているのだが、その白書に目を通してみると「主観的ウェルビーング」などという訳の分からぬ定義不明の用語が使われていて困ったものである。

2024年6月18日

条例改正では解決しない

渋谷区が路上での飲酒を禁止する条例を強化する改正案が成立した。これまでは10月末のハロウィーンと年末年始に限って禁止していた路上飲酒が、通年で禁止されることになった。といっても、夕方6時から朝の4時までの時間制限付きだ。

条例改正に至った理由として、渋谷区は路上飲酒者のマナーの悪さをあげている。具体的に指摘されているのは、ゴミのポイ捨て、騒音、通行妨害らしい。そしてそれらの対象者の8割近くは外国人観光客である。

渋谷区はこのままではいけない、と思い、条例を改正したのだろうが、これで変わることは、そうした路上での迷惑行為を行っている外国人に対して、区が契約している警備会社の警備員が「条例違反しているから止めなさい」と言えるようになることだけだ。ただし罰則はないので、本質的な抑止力にはなりえない。

行政は、公的な規制を設定すれば問題が解決すると思っているのかもしれないが、人の行動や行為は日本人外国人問わずそれほど簡単に変わりはしない。

そもそもゴミのポイ捨てと路上飲酒に、どういう関連があると考えているのだろう。ゴミのポイ捨ての理由は単純だ。酒を飲むからではない。ゴミを捨てたくても、ゴミ箱がないからだ。渋谷に限らず、日本の街を歩いていたら、誰でも感じるはずだ。また駅におかれているゴミ箱も少ない。

行政や電鉄会社が、ゴミ箱がなければゴミは客にそれぞれ持ち帰ってもらえる、と考えてゴミ箱を撤去しておいて、ゴミのポイ捨てを嘆くのはお門違いだ。

海外からの渡航者から、ゴミを捨てるところがないのでバッグに入れて宿泊先のホテルまで持ち帰っているけど愉快なことではないとよく聞かされる。回収のコストがかかっても、必要なゴミ箱は公的なスペースに設置しなくてはいけない。

路上でグループで騒ぐとか通行妨害を行うかどうかは、その連中とその場所の持っている雰囲気次第だ。渋谷という所が、そもそもハロウィーンにかこつけて(その本来の宗教的意味も知らずに)羽目を外して大騒ぎできる場所だと認識されてしまっているのが根本にある。

一方、都内の他の観光地、浅草や銀座などで路上飲酒による問題を聞かないのはそれが理由だ。

渋谷は、すでにそうしたイメージの街になってしまっている。街自体が、文化も歴史も感じさせないからだろう。区議会が今ごろ条例を変えてみたところで、それで問題が解決するといった類のものではない。

2024年6月17日

盲導犬を入店拒否するとは

日本盲導犬協会が盲導犬を利用する視覚障害者を対象にした調査の結果、視覚障害者が盲導犬を伴っての受け入れ拒否をいろいろな場で受けていることが分かった。 

いちばん多いのが飲食店。調査に回答した視覚障害者の半数以上が、盲導犬を伴って入店しようとしたときに入店を拒否された経験があるという。

以前、全盲の方に話をうかがう機会があったのだが、彼が今の奥さんと結婚前にデートしたとき、盲導犬を連れてある全国チェーンのカフェに入ろうとしたら入店を断られてしまったという。真冬のことだったが、仕方ないので屋外のテーブルでコーヒーを二人(と一匹)で飲むことになり悲しい気持ちになったと語っていた。

また調査では、電車やタクシーといった交通機関の利用の際にも、盲導犬を理由にその利用を拒否された人が多いことが分かった。電車を運行する電鉄会社が盲導犬を拒否するのは言語道断だし、タクシーの運転手がそんな対応をしているのにも首をひねってしまう。

日本でライドシェアが地域限定かつ時間限定的ではあるが少しずつスタートしたようだが、しかしそれらは諸外国のライドシェアとは全く異なり、既存のタクシー運営会社が運営を行うというのが日本での展開のされ方である。

その際の理由として挙げられるのは、タクシー会社のドライバーはきちんとした研修を受けており、プロのドライバーとしてその運転技術においてもサービスにおいても優れているから、といったことが言われているが、盲導犬を伴う視覚障害者を拒否して何がプロのドライバーかと思ってしまう。

またそれ以外、盲導犬の受け入れ拒否にあった場として宿泊施設や医療機関といったものがあげられていた。

罰則を設けるのが一つの策だが、それ以前にサービス機関で従事する人たちに正しい知識を持ってもらう必要がある。社会のなかで学ばないのであれば、学校教育でしっかり教えることが肝心なんだろう。

2024年6月11日

ステルス・マーケティングは、マーケティングではない

都内大田区にある医療法人が、「景品表示法が禁じるステマ広告を行ったとして消費者庁から行政処分を受けた」という報道があった。

自分たちの病院についての高評価の口コミを、一件550円で誘引していた。具体的には、インフルエンザ接種料金を550円分割り引くから、グーグルマップで★5つ付けてね、というやり方。わずか550円に引かれて、269人が星5の評価をしていた。都合、費用は147,950円か。

ただ、ここではその病院や書き込みを商売とするインフレンサーなる職については置いておく。 

問題は、ステルス・マーケティングという言葉。新聞の見出しでは縮められてステマと表現されている。気持ち悪くて、背中が痒くなりそう。

この言葉、決して新語ではない。たとえば、日本経済新聞でその用語が使われはじめたのは2012年のこと。ところが、それ以来ずっと紙面に使っておきながら、先週6月8日の紙面では用語解説まで載せていた。

日経新聞  2024.6.8

「ステルス・マーケティング」だの「ステマ」だの言っても一般の読者が理解しているわけではないからだろう。しかも厄介なことに、なんとなくマーケティングの正規の一つの手法のように勘違いしてしまっている。

シンプルに「やらせ」と日本語で言えば済むものを、なぜ横文字を使いたがるのだろうか。

そういえば、「リスキリング」も同じ。それを取り上げた記事では、その言葉の後にわざわざカッコで(学び直し)が付け足されている。ならば、最初から「学び直し」で済む。つまらない横文字を使う必要はない。

ステマだ、リスキリングだ、インフルエンサーだ、プラットフォーマーだとか、いったいどこの国の人間なんだと思ってしまう。

2024年6月9日

またもや顧客を無視したグーグルのやり方

グーグルからメールが来た。

Google Domainsで私が取得(購入)したインターネット・ドメインが、他社に管理が移管されたという。利用者(所有者)に対して何の事前連絡や説明もなくだ。

移管先の企業はどうせ子会社なんだろうが、自分たちの都合で勝手に物事をすすめ、金を支払っている利用者をゴミだと思っている。

・・・かと思いきや、いま調べて見ると企業としての親子関係での移管ではなく、金銭譲渡のようだ。グーグルのサイト上には以下のように、Squarespace社がグーグルの「顧客アカウントを買収した」とある。

https://domains.google/intl/ja_jp/から
 
つまり、グーグルは我々の「顧客アカウント」を転がして金を儲けているわけだ。こうしたやり方に対しての法律上、倫理上の問題はないのかね。

2024年6月4日

日本型ライドシェアという歪んだシステム

「日本型ライドシェア」と呼ばれる中途半端な制度がスタートしたが、その設計には基本的な問題がある。
 
この制度では、ドライバーはタクシー会社に雇用されるかたちで働くようになる。で、ガソリン代はドライバー持ちで、ドライバーの取り分は売り上げの約7割。つまり、上がりの約3割はタクシー会社が取る(配車アプリの提供企業にもいくらか流れるはず)。
 
タクシー会社がドライバーを「雇用」することで、彼らにはドライバーとしての研修等が施され、運用管理がなされるので乗客の安全性が確保されるからというのがタクシー会社が売上の3割を吸い取る理由になっている。
 
だが、タクシードライバーが基本的な接客の仕方を身につけるために必ずしもタクシー会社から研修を受ける必要があるのか。ないと思う。またドライバーがタクシー会社に雇用されていることと、安全が確保されることの関係性も薄い。
 
事故が起こった際の保証なんて話もあるのだろうが、それはタクシー会社であろうが個人であろうが、実際に事故が発生した際の処理を担当するのは保険会社である。
 
「日本型」という歪んだ制度のために、タクシー会社に「雇用」されるライドシェア・ドライバーには働き方の自由裁量度がなくなる。ライドシェアというシステムの根幹をなすものがなくなってしまう。
 
明らかに、こうした「日本型」ライドシェアはタクシー業界に配慮しすぎた制度だと云える。この「日本型」を強く主張しているのが、日本交通をはじめとするタクシー会社と国交省、自民党の「タクシー・ハイヤー議員連盟」(なんだそれ?)という政治家らしい。
 
そうした連中のせいで、UberやGrabといった海外で利用者が拡大している(つまり、顧客にとって便利な)ライドシェアでは当然のこととして行われているビジネスモデルの根幹が歪められている。
 
他国でのライドシェアのドライバーは自分の都合に合わせ、自分の裁量で働けるが、日本ではそうならない。そのせいで、現状ですでにライドシェア・ドライバーの確保が難しくなっているらしい。
 
こうしたやり方が続けば、一応かたちだけスタートした日本におけるライドシェアは機能しなくなり消えてしまうだろう。そして、それこそが日本のタクシー業界が期待しているところである。
 
一方、もし現行のやり方で利用者が拡大し、さらにそれにつれてドライバーの確保も可能となった場合、タクシー業者が売上の3割の上前をかすめ取るというやり方が「日本の実態に即している」とタクシー会社や一部の政治家は主張することになるのだろう。
 
つまり、この出来損ないの日本型ライドシェアの制度がうまく行こうが行くまいが、タクシー業界は損をしないという設計になっている。その傍らで不利益を被るのが利用者とライドシェアの仕事を希望しているドライバーたちである。
 
現在、ライドシェアが認められてるのは、東京23区などでは平日午前7〜10時、金曜と土曜の午後4〜7時台に限られている。
 
が、国土交通省は、雨が降った時や電車の遅延が発生した時には、ライドシェアを行える時間帯、運行エリアと運行台数を広げるよう検討するという。 
 
仕事ができるのは平日は朝7時からの3時間、金土は夕方4時からの3時間だけど縛っておきながら、雨が降ったら「出動せよ」と言ってるわけだ。
 
ライドシェアが無人の自働運転車ならともかく、人が「仕事」としてやるということを考えれば、あまりにもライドシェア・ドライバーを馬鹿にしてはいないか。 
 
 「嫌ならやらなきゃいい」という国交省とタクシー業界の裏の狙いが見え見えである。