欧米や中国に比べて、日本の1部上場企業のトップは高齢化している。在任期間も短く、女性や外国人もほとんどいない。多様性がない。流れの激しい時代に、遅れをとりがちになるのはこういうところに要因があるのではないか。
これは、2月17日の衆院予算委員会でのある自民党議員の発言。
日本企業のトップが高齢化してるのは、おそらく事実なのだろう。それはそれとして、この官僚上がりの議員さんは、経営トップは若い方がいい、女性のほうが好ましい、そして外国人の方が優れていると思っているらしい。
しかしその理由は何も示されない。加えて、彼にとって多様性とは年齢、性別、国籍のことらしい。本来多様性には、そうした外形的なもの以外にも経験や発想や価値観など、目に見えないものもたくさんあるはずなのだがーー。この議員が考える多様性についての考え方には多様性が欠けているよね。
そもそものところ、日本経済の中心的な推進役ともいえる1部上場企業が米中の企業と比較してぱっとしないからと言って、その理由を経営トップの属性に安易に転嫁してはいないだろうか。
もしこの議員の言が正しければ、日本企業の再生など簡単だ。彼が指摘するところの1部上場企業の経営者を米国人、あるいは中国人の若い女性経営者に交替させて、しかも長期に渡りその経営を任せれば「問題は解決」となる。だが、実際はそんなことにはならないことくらい、子どもでも分かる。
レバノン人の経営者を招いて、一時V字回復とやらを実現した日本の自動車メーカーもあったが、今はその評価も分かれるところだ。
組織にとって多様性が必要とされるのは、それがそれぞれの目的を達成するための<手段>として役に立つからである。多様性自体を<目的>としていてはしょうがない。
冒頭の自民党議員の指摘に、西村経済再生相は「大事なことは、経済界にこうした問題意識を共有してもらい、大きなムーブメントを起こしていくことだ」と答えたという。お願いだから、政治家がそんな余計な働きかけだけはしないでいて欲しい。
先日の東京五輪の組織委員会の委員長選定にあたって、ソウル五輪シンクロ銅メダリストでIOCマーケティング委員を務める田中ウルヴェ京さんが次のように語っていた。
後任は老若男女誰であろうと、なぜその人なのか説明できなければならない。「若い女性」という人選もステレオタイプ。会長の仕事内容に照らして必要な能力の基準を示し、誰がそれを満たすのかという判断をしてほしい。
達見である。