今朝の新聞紙上、星野リゾートの社長が東京オリンピックは無観客であってもこの夏に実施すべきだとして、「(国内の)各都市を世界中の人たちにアピールする絶好の機会です。開催できたという実績は、観光面でも大きなメリットです。インバウンドの回復スピードも桁違いでしょう」と発言していた。
なぜそんな無責任なことが言えるのだろう。彼が言う「観光面でのメリット」というのは、自分のビジネスにつながるということだろうが、そのために国はさらに財政赤字を膨らませることは必至なのに。
オリンピック開催という「実績」が何を生んだか、試しに2000年以降の開催地がどこだったか振り返ってみよう(そもそもどれだけの人が開催地を正確に覚えているだろうか)。
2000年 オーストラリア・シドニー
2004年 ギリシャ・アテネ
2008年 中国・北京
2012年 英国・ロンドン
2016年 ブラジル・リオデジャネイロ
これらの国々がオリンピック開催地になったという理由で、その後、星野が言うようになったかと云えば、そんなことはない。もっとも近年に大会が開催されたブラジルにしても、オリンピックがリオデジャネイロで2016年に行われたからという理由で観光客がその後どれだけ増えたというのだろうか。
あるいは、一昨年に日本で大いに盛り上がったラグビーワールドカップ。2019年9月から11月にかけ、北は北海道から南は九州まで、国内12カ所で開催され世界中から多くのラグビーファンを集めた。が、今はどうだ。それらの地にラグビーワールドカップを理由に観光客が引き寄せられているか。答えはノーだ。コロナがなくてもたぶん同じだ。
パレードが過ぎ去った後に、祭り会場を訪ねる人はいない。
同日の同紙別面に、先日亡くなった半藤一利さんにふれたコラムが載っていて、そこで彼の『昭和史 1926ー1945』が紹介されていた。曰く、
最大の危機において日本人は抽象的な観念論を非常に好み、具体的な理性的な方法論をまったく検討しようとしないということです。自分にとって望ましい目標をまず設定し、実に上手な作文で壮大な空中楼閣を描くのが得意なんですね。物事は自分の希望するように動くと考えるのです。
根拠がないのに「大丈夫、勝てる」だの「大丈夫、アメリカは合意する」だのということを繰り返してきました。そして、その結果まずく行ったときの底知れぬ無責任です。
先の<大きなメリットがある>だの<桁違いのインバウンドの回復スピード>やらの希望的観測は、これらと何ら変わるものがない。先の大戦から80年という年月が流れ、われわれはもう少しは学習してきたと思っていたのだけど。
また、星野が語った「努力を重ねた選手たちに成果を披露する場を提供するのが、立候補した都市の本来の役割ではないでしょうか」という台詞は子供じみているとしか言えず呆れる。まさに半藤さんが指摘する「驕慢な無知」の典型のひとつである。