2014年5月16日

地方の良さも相対的なのである

先日、本を読んで以来、一度じかに話をうかがいたいと思っていた『里山資本主義』著者の藻谷浩介さんとラジオの番組で対談をした。 

番組は、この土曜日朝8時15分からFM 79.5 Nack5「ビジネスの森」で放送予定だ。
http://www.nack5.co.jp/program_1262.shtml?date=2014-05-17
http://tatsukimura.blogspot.jp/2014/02/blog-post_16.html

彼は、日本の地方にある数々の里山の豊かさを力説する。中国地方の地方都市で生まれ育ち、東京の大学に通い、卒業後は都内で仕事をし、海外の大学院でも学んだという経歴は僕と同じ。

里山の良さと言っても、日本の若い人たちにはあまり実感がないだろう。彼らが、そうした場所で生まれ育っていても、また都会で生まれ育っていても。

僕自身、日本の地方の良さを本当の意味で感じ始めたのはそれほど昔ではないように思う。自分の年齢と、それなりに国内外の方々を見てきて初めてそれらのすばらしさや恵まれた環境に気付かされたといっていい。

絶対的な価値なんてそれほどあるもんじゃなくて、たいていのことは色んな比較の上で僕たちは評価を下している。

2014年5月11日

SNLが見られなくなってしまった

アメリカNBCが制作している長寿番組にSaturday Night Live(SNL)がある。ジャンルでいえばコメディなのだが、強烈な風刺が効いていてアメリカのリベラルな連中(特にNYを中心とする東海岸)の笑いの感度がよく分かる番組だ。http://www.nbc.com/saturday-night-live


日本ではHuluで見ることができたのだけど、日本での放映は終わりになるらしい。理由は、この4月にHuluの日本での事業権を日本テレビが買ったことがきっかけだろう。シーズン38をもって5月18日で日本からのSNLのすべての視聴ができなくなる。

Huluに毎月1000円ほどの料金を払っていた理由がなくなるので、解約することにした。もちろんラインアップには、他にも映画やテレビ番組があるにはあるが、どうも僕にはつまらないものばかり。

米国の人気番組は放映権料が高いから継続しなかったのかもしれないが、そこは営業努力で加入者を増やすなどして他にはない優れたコンテンツを提供していかなければ、きっとじり貧になるんじゃないだろうか。

今日からNHK総合テレビで、ダウントン・アビーが放映される。米HBOによる大ヒット作品である。番組の内容もNHK的だ。一方、SNLはといえば、番組内容から日本の地上波はちょっときつい。

システム上の抜け道を使った視聴サービスを提供しているところもあるようだが、どこか合法的に番組を提供してくれるところがないだろうか。Amazonがインスタントビデオで流してくれると簡単でいい。


2014年5月3日

優れたサービスデザインとしてのラウンド・アバウト

映画「The World's End」に、英国最古のラウンド・アバウトが出てきた。
http://www.bbc.com/news/uk-england-beds-bucks-herts-22246576
 
世界最古のラウンド・アバウトは英国のものではないらしいが、英国をクルマで走っていると、とりわけ地方都市や郊外のあちらこちらでラウンド・アバウトに出くわす。

ラウンド・アバウトでは道路が空なのに信号が赤だというだけで止まっている、というようなケースは発生しない。また、完全に一時停止せずに環道に入るチャンスが多いので走行に遅れが少なくなるし、環境への負荷も減る。

誰のアイデアか知らないが、実によくできた設計である。十字の交差点と違って信号機の設置の必要がないのがいい。日本では停電などの折、警察官が交差点に出て手旗で交通整理するが、もともとそうした必要はない。

交差点を「点」と考えるのでなく、植栽などを施した島(丸い面)にしてその周りを流れに沿って緩やかに回ろうと考えた発想がポイントである。実に優れたサービスデザインの例だといえる。

一般的なラウンド・アバウト


2014年5月2日

酔っぱらいとエイリアン

昨夜、レイトショーで観た「The World's End」は、予想外の映画だった。まったく予備知識をもたず、中年のお男たちが登場するノスタルジー&コメディー映画くらいに思って出かけたところ、映画は途中で妙なSFチックな展開に。監督も役者たちも知らなかったので、そうした展開は想像すらしなかった。

この映画、高校時代の悪友たちが当時育った町で再会し、高校卒業時になしえなかった町内の12のパブをすべて飲み倒すというストーリーが縦糸としてある。その最後の目的地(パブ)の名前がThe World's End。これ、アーサー王伝説で、アーサー王たちがサクソン人を相手に戦ったとされる12の戦いをモチーフにしている。

現代のネットワーク社会や画一化された企業サービス(典型例としてスターバックスがしつこく取り上げられている)への批判を横糸として織り込みながら、酔っぱらいたちがエイリアンたちを粉砕するというスラップスティックである。

下敷きにしているアーサー王伝説にしろ、インターネットやスターバックスに代表されるアメリカ型の経済モデルへの辛口の批評にしろ、いかにも英国の映画らしい。

http://wn.com/the_world%27s_end



2014年5月1日

深夜のコンビニで思うこと

先週の日曜日(27日)に放送されたばかりのNHK「調査報告 女性たちの貧困 〜”新たな連鎖”の衝撃〜」が、昨晩24:40からもう再放送されていた。それだけ初回放送後の反応が大きかったのだろう。

僕は日曜日の放送分を見たのだけど、番組で紹介されている女性がまだ夜も明けきらぬ早朝からコンビニで働いていたのを覚えている。都会では比較的年配の女性のパートの働き口はスーパーのレジ係で、若い女性の働き口はコンビニがまかなっているように見える。

コンビニで深夜や早朝帯に働いている人たちに出会うと、彼女たちは昼間はどうしているのかと(まったくお節介ながら)気になる。学校に通っているのならともかく(疲れてしんどいだろうが)、夜から早朝までコンビニでずっと働き、そのあと自分の部屋に帰って昼間は寝ているだけという子もたくさんいるのではないかと想像する。

逆説的ながら、コンビニのアルバイトがあるからそうした彼女たちの生活が存在しているとも云える。深夜だからこそ比較的割のいい時給で働け、そのため生活を昼夜逆転させ、学校に行ったり、友達と遊んだりという当たり前の昼間の暮らしを切り捨てて過ごす毎日。そうしたアルバイトでスキルを磨くことができないことは分かっているのだろう。いつまでも続けられないことも分かっているに違いない。でも、やめるわけにいかない状況だ。

トレーシー・チャップマンのアルバム『Tracy Chapman』のなかに「ファスト・カー」という曲がある。当時23歳だった黒人女性歌手の彼女が歌うその歌詞の中には「コンビニエンス・ストア」という言葉が出てくる。


酒浸りの父親を捨てて母親が家を出て行き、残った彼女はいたたまれない思いを抱えたまま父親の面倒を見るために学校をやめた。そしてコンビニのレジでアルバイトを続け家計を支えながらも、八方ふさがりの暮らしから逃げ出したいと思っている。そんな彼女の願望をボーイフレンドが手に入れたクルマに託して歌っている。

トレーシー・チャップマンの歌は、こんな詞で終わっている。
You got a fast car
Is it fast enough so you can fly away?
You gotta make a decision
Leave tonight or live and die this way

この歌が発表されたのは1988年だから、いまから26年前のこと。その後、アメリカはどうなったのだろう。毎日コンビニで働くだけで行き場を失った彼女はどうなったのだろう。アル中の父親や差別が深く残る土地を捨てて彼のクルマで遠くに行ったのだろうか。それとも・・・。そして、いま日本でコンビニでしか働けない若い女性たちは、これからどこへ向かうのだろうか。