東日本大震災以後、長年に渡って東京電力福島第一原発を取材している記者による『「廃炉」という幻想』からは、東京電力と政府がいう「30年で廃炉」が完全に幻想、いや我々を騙すウソだということがよく分かる。
著者は10年以上にわたり、福島第一の現状を多面的に取材し続け、報道してきた記者だ。
この本を読んで、つくづく東京電力と日本政府の欺瞞に腹が立ったし、被災地の人たちにいっそう思いを馳せないではいられなくなった。
いまテレビをつけると、ロシアからの攻撃を受け、ウクライナから難民としてポーランドなど他国に逃れている老人や女性、子どもたちの姿を目にするが、福島の人たちも自分たちが暮らしていた土地を自分の意思とは別に離れなければならなくなったのは同様で、決して人ごとではない。
国と東電は、30年以内に廃炉を「完了」すると言っているが、「使用済み燃料」の取り出しへの着手だけでも少なくとも10年遅れている(2027年か2028年の予定)。彼らが公表した工程表が画餅にすぎないことが分かる。
燃料の溶解(メルトダウン)によってできた高濃度放射性物質である「デブリ」の取り出しについては、まったく見通しがついていない。さらに、もしデブリの取り出しができたとしてもだ、今の状況ではデブリやその他発生する膨大な量の放射性廃棄物を安全に保管できる場所はない。
「放射能汚染水」の処理で出てくる高レベルの放射性汚染物(スラリー、スラッジと呼ばれている)をどう処分するかという問題にも解答はない。増え続けるそれら放射能のゴミは、ヒックと呼ぶタンクに入れられて保管されている。その数は、現在で約3000基。
そこでもたいへんなことが起ころうとしている。容器底部の密度が上がり、線量が高まり、2年後には限界を迎えて容器の破損が起こる危険性が指摘されている。中身が中身だけに、新しい容器に入れかえればそれで済むという代物ではない。極めて高い放射線からどうやって作業員を守るのか、東電は説明できていない。
つまり、現在のどのような技術を屈指しようが、東京電力と政府がいっている「30年で廃炉」は不可能。原子力学会の専門家集団は、たとえデブリを取り出せたとしても、最低でも約100年、長ければ300年は処理にかかるとレポートで結論づけている。
「3・11」から我々はまだ11年である。これから世代をいくつも受け継ぎながら、日本は福島第一の処理を続けていかなければならないらしい。
膨大な時間と費用がかかるのはもちろん、それをおこなう現場の人たちが必要となる。それについて著者の吉野はこう書いている。
フクシマ第一原発に行ってみればわかることだが、廃炉の最前線で活躍しているのは、東京電力の社員というよりは、むしろ、「協力会社」と呼ばれている二次請け、三次請け、四次請けの会社の人たちである。
やはりそうなんだなあとの思いに、心底厭な気分になる。責任を取るべき東京電力の社員はリスクがある場には現れない。
東電のエスタブリッシュメントらが責任から目をそらし、ほお被りしている一方で、経済弱者がさまざまなリスクに晒されながら現場で命がけの作業をこれからも続けていくという構図は、そのまま日本の縮図である。
当然、現場で作業する二次請け、三次請け、四次請けの会社の人たちは好き好んで放射能を浴びながら日々作業をしているわけではない(東京電力→東芝エネルギーシステムズ→一次請け→二次請け→三次請け→四次請けと続く)。ひずみとゆがみでどうしようもなくねじ曲がった日本のあられもない一面だ。