2024年7月15日

バーニー・サンダースもありか

13日の演説中にトランプ米前大統領が銃撃を受けたことについて、上院議員のバーニー・サンダースがCNNでコメントを述べていた。

その話しぶりは実に矍鑠としたものだった。サンダースはバイデンとほぼ同年代だ。

スピーチの最中に重要なこと、例えば他国の大統領の名前などを言い間違えるなど、その認知能力の衰えが感じられるバイデン現大統領より、サンダースの方が大統領候補によっぽど相応しいように思えた。

 
若者層に人気があるし、無党派層も取り込めるんじゃないか。何と言っても、今回の銃撃で草の根アメリカの「スーパーヒーロー」になっちゃったトランプには、よほどの人物じゃないと立ち向かえない。

欧米のメディアを見ると、熱心なトランプ支持者はトランパー(Trumper)と呼ばれている。 それに yをつけてtrumpery になると、見かけ倒し、がらくた、 ろくでなし、たわごと、といった意味になる。

2024年7月8日

魔法のような90フィート

野球にはほとんど興味がない。が、ドジャーズの大谷翔平選手の活躍は、ついつい気になる。彼の人並みはずれた能力だけでなく、あの個性は魅力的だ。

昨日のブルワーズ戦で、大谷選手は今季20個目の盗塁を決めた。彼は足が速いことに加えて、自分がピッチャーだから投球フォームから盗塁のチャンスをつかむのも上手いんだろう。

盗塁する大谷選手(7月7日)、AP通信

盗塁って見ていて面白い。バックネット裏からのカメラ・アングルだと、手前に送球するキャッチャーと打席のバッター、画面なかほどにピッチャーが、そして画面奥(画面上方)に右から左に全力で疾走する一塁ランナー、 ランナーが向かう先にボールを捕球する体勢で構える2塁手。この構図はとても絵になる。

大谷の場合、先に書いたように足が速いしスタートも上手いから首尾よく盗塁成功となることが多いけど、多くはきわどいタイミングでセーフだったり、アウトだったりする。

野球のベース間の距離って上手く設計できていると思う。調べたら、その長さは90フィート(27メートル43センチ)。もしこれが91フィート、あるいは89フィートだったらどうだったろう。

わずか30センチほどの違いだけど、野球の面白さが大きく変わっていたんじゃないかと思う。誰が決めたんだろう、90フィート。

昨日の東京都知事選挙で小池知事が3選を果たした。ホームランとか、でかいヒットを打ったわけでなく、たくさんの盗塁(48億円かけたプロジェクション・マッピングなど)をかさねて点を稼いで勝ったという印象だった。

2024年7月7日

どこまで気温は上がるのか

今日、静岡で気温が40度になったらしい。死者とかでてなければよいが。

今さらながらであるが、この気温の上昇、そしれその大元となる地球の温暖化は何とかならないものだろうか。

1850年以降の全地球の平均気温をグラフにしたものが以下のものだ。1970年ごろから急激な上昇が見られ、2010年ごろからはそれに一層拍車がかかっている。


温暖化の原因はいくつも挙げられるが、その主要なもののひとつが化石燃料による発電である。下図は、電力を何によって生み出しているかを示したグラフだ。


中国が電力供給のために大量の化石燃料を燃やし続けていることが分かる。インドは、総量は中国の約4分の1だが、中国同様の増加トレンドにあるのが心配だ。

日本でこれまで記録された最も高い気温は41.1度。静岡県の浜松市(2020年8月17日)と埼玉県の熊谷市(2018年7月23日)である。

今日はまだ7月7日。梅雨は明けていない。今夏、最高気温を記録するのだろうか。 

2024年7月4日

僕がGメールをやめた理由

2020年に、プライベートのメールアドレスをgmailからfastmailに変更した。fastmailの運営会社は1999年に設立されたオーストラリアの企業である。(米国企業でないところが肝心)

変更の理由は、gmailは無料でかつ良くできた便利なツールだが、プライバシーの点で大いに懸念があるから。いや、懸念があるどころか、すべて覗かれ、彼らに利用されているのが実状。

プライバシーについては、個人が気にするかどうか。ぼく自身はgmailを使っていたとき、自分のメールが常に覗かれ、記録されている感覚があって気持ちが悪かった。

最初、そうした気持ちの問題でfastmailを使い始めてみたのだけど、特に最近便利だと思うのがfastmailのMasked Emailのサービスである。

これはいわば、覆面アドレスである。日常、各種のサイトへの登録時にメールアドレスの記入を求められる。だが、よほど信頼できるもの以外は、Masked Emailのアドレスで登録する。

fastmailは、それをいくつでも使える。すごく簡単。また不要になったら、すぐ抹消できる。運営母体がセキュリティを最優先している企業だからだろう。

fastmailは、gmailやYahooメールのようなフリーのサービスではない。どうでもいいやり取りは、そうしたフリーメールを使えばいい。ただ、個人的なプライバシーが少しでも含まれるコミュニケーションは、信頼できるシステムを使った方が安心できる。

タダほど高いものはない、というのは今も揺るぎない真理だから。このあたりをどう考えるかは、それぞれの価値観の問題。

タダの代わりにプライバシーを渡しているわけだが、そう気づかせないよう巧妙にやられちゃってるのが悩ましい。

2024年7月1日

広報担当の秘書官→差別発言→局長に昇格 これが役所の常識か!

先月26日の新聞記事である。

この人物、記事にあるように性的少数者について「見るのも嫌だ」と記者団に語ったという岸田政権の広報担当だった官僚。

それが今度、経産省の通商政策局長に昇格した。なかなかのポジションである。

経産省は、その「昇格」の理由を説明する責任があると思う。そうでなければ、新卒者の役人離れはますます加速するだろう。こんな職場には、まともな神経を持った学生が就職したくなくなるのは当然だ。

そんな当たり前のことが、長年にわたり内々だけで固まっている組織の人間には分からなくなっている。

2024年6月29日

米大統領選テレビ討論

昨日、日本時間で朝10時から行われたバイデン=トランプのテレビ討論を見た。

僕は米国人ではないが、当然関心はある。どちらが、あるいは誰が米国大統領になるかは、世界全体に大きな影響を及ぼす。(いまだ地球温暖化を否定するトランプがなったら大変だ。)

82歳のバイデンと79歳のトランプの論戦は、想像以上にお粗末でガッカリものだった。トランプは論点をずらし、答えるべきものに答えようとしない。今さらながら不誠実でウソに塗り固められた人物であることが浮かび上がる。

かたやバイデンは認知能力の衰えた、癇癪持ちの年寄りの醜い姿を晒していた。

アメリカ大統領という、いまでも世界で最強のパワーを持つポジションの人物を選ぶというのに、まるで田舎の村長をどちらにするかのような低内容の討論に終始していた。それにしてもヒドイ討論会で、選択に悩む米国の有権者も多いことだろう。

討論後のCNNの調査では、トランプが「勝った」とするのが67%、バイデンは33%だった。議論内容のファクトチェックが済んでいない段階で、数多くのウソを自信満々に述べたトランプを米国の有権者が何を評価したのか分からないが、これが米国の大統領選テレビ討論なのである。

すべてを左右するのは「印象」だ。マクルーハンの時代から何も変わっていない。これは考えてみれば、怖ろしいことである。

今回の討論会の後、アーロン・ソーキンが制作した「The West Wing」(Warner Bros.)を何本か見返した。そこで大統領を演じたマーティン・シーンのような大統領候補であったなら「完璧」だったのだろうが、それは望むべくもない。

今朝のニューヨーク・タイムズで、トーマス・フリードマンがバイデン陣営に対して大統領選から退くべきだという意見を述べていた。アメリカのため、世界のため、そしてバイデンと彼の家族、スタッフのためにその決断が求められているのだと。同感である。

カマラ・ハリスへの候補者スイッチがうまく行くかどうか。

The New York Times

2024年6月27日

本読みについて

本読みについて書いたら、コメントが送られて来た。

そのなかに、小学校でやっている始業時間前の「朝読」(朝の読書)と似てるという意見があった。朝に行う、時間を区切って行う、読みたい本を読む、集中して読む。なるほど、似たようなものかもしれない。

ほかに、20分といえども朝の忙しい時間帯には難しいという意見も何人からか。

そうした人は、こうしてみればどうだろう。出かける時にはバッグに必ず本を1、2冊入れるという、これもいたって簡単なこと。

で、通勤や移動で電車に乗ったときには、すぐに本を取り出す。ポイントは、意味もなくスマホを取り出し、いじったりしないこと。

これだけで本読みの時間は確実に確保できるはず。

むかし、帰りの電車の中でのこと、読み始めた本が面白かったので目的の駅についても下車せずにそのまま読み続けたことがあった。残りのページ数の半分を読み終えたところでいったん下車し、それから反対方面の電車に乗って帰宅した。

電車の中は読書に向いている。

2024年6月24日

泥棒猫

背中に載せるなら、海老天丼。これなら許せる。どこかの軍隊のような、人殺しのための機関銃なんか見たくもないからね。

香港出身のイラストレーター、黒山キャシー・ラムのThief Cat 

2024年6月22日

問い:あなたは自分自身に満足していますか?

もし上記の問いが自分に投げかけられたとしたら、どう答えるだろうかーー。

日本の13〜29歳に対して、日本政府がその質問を投げかけた。こども家庭庁のサイトによれば、質問の対象者は約1,000人、調査はインターネットで実施されたとある。

13歳と29歳とでは16歳の違いだが、同じ16歳の差でも63歳〜79歳のレンジ(範囲)とは明らかに違う。調査では集団を2つに分けた方がよかった。また、13歳を相手にネットを利用して歪みがない正確なデータが取れたかどうかはあやしい。が、まあそれらはここでは置いておこう。

「あなたは自分自身に満足しているか」との問いに、肯定的(「そう思う」+「どちらかといえばそう思う」)に答えた日本の若者の割合が57.4%で、同時に調査した米国やドイツ、フランス、スウェーデンより低かったと『こども白書』で指摘されている。

こども家庭庁のサイトから


ただ、ちょっと待てよ。そもそもこの設問は適切なのか。自己肯定感や自尊感情といったものの測定を狙ったのだろうが、普段われわれ大人ですら「自分自身に満足しているかどうか」なんて考えることは稀だ。問われた中学生や高校生が、この問いをどう受け取ったかが気になるところである。

勉強でもスポーツでも音楽でも、それが何であれ、自分がもっと上達したいと思って目標を設定して頑張っている若者ほど、きっと今の自分に満足はしていないはず。だけど、これは彼らに自尊心が欠如していることとは別だ。

むしろ、「自分自身に満足している」とあっけらかんと答えることができる<自己満>な人に対して、僕はそれが大人であろうが子どもであろうが、違和感を感じてしまう。

データは『こども白書 2024年版』に記載されているのだが、その白書に目を通してみると「主観的ウェルビーング」などという訳の分からぬ定義不明の用語が使われていて困ったものである。

2024年6月18日

条例改正では解決しない

渋谷区が路上での飲酒を禁止する条例を強化する改正案が成立した。これまでは10月末のハロウィーンと年末年始に限って禁止していた路上飲酒が、通年で禁止されることになった。といっても、夕方6時から朝の4時までの時間制限付きだ。

条例改正に至った理由として、渋谷区は路上飲酒者のマナーの悪さをあげている。具体的に指摘されているのは、ゴミのポイ捨て、騒音、通行妨害らしい。そしてそれらの対象者の8割近くは外国人観光客である。

渋谷区はこのままではいけない、と思い、条例を改正したのだろうが、これで変わることは、そうした路上での迷惑行為を行っている外国人に対して、区が契約している警備会社の警備員が「条例違反しているから止めなさい」と言えるようになることだけだ。ただし罰則はないので、本質的な抑止力にはなりえない。

行政は、公的な規制を設定すれば問題が解決すると思っているのかもしれないが、人の行動や行為は日本人外国人問わずそれほど簡単に変わりはしない。

そもそもゴミのポイ捨てと路上飲酒に、どういう関連があると考えているのだろう。ゴミのポイ捨ての理由は単純だ。酒を飲むからではない。ゴミを捨てたくても、ゴミ箱がないからだ。渋谷に限らず、日本の街を歩いていたら、誰でも感じるはずだ。また駅におかれているゴミ箱も少ない。

行政や電鉄会社が、ゴミ箱がなければゴミは客にそれぞれ持ち帰ってもらえる、と考えてゴミ箱を撤去しておいて、ゴミのポイ捨てを嘆くのはお門違いだ。

海外からの渡航者から、ゴミを捨てるところがないのでバッグに入れて宿泊先のホテルまで持ち帰っているけど愉快なことではないとよく聞かされる。回収のコストがかかっても、必要なゴミ箱は公的なスペースに設置しなくてはいけない。

路上でグループで騒ぐとか通行妨害を行うかどうかは、その連中とその場所の持っている雰囲気次第だ。渋谷という所が、そもそもハロウィーンにかこつけて(その本来の宗教的意味も知らずに)羽目を外して大騒ぎできる場所だと認識されてしまっているのが根本にある。

一方、都内の他の観光地、浅草や銀座などで路上飲酒による問題を聞かないのはそれが理由だ。

渋谷は、すでにそうしたイメージの街になってしまっている。街自体が、文化も歴史も感じさせないからだろう。区議会が今ごろ条例を変えてみたところで、それで問題が解決するといった類のものではない。

2024年6月17日

盲導犬を入店拒否するとは

日本盲導犬協会が盲導犬を利用する視覚障害者を対象にした調査の結果、視覚障害者が盲導犬を伴っての受け入れ拒否をいろいろな場で受けていることが分かった。 

いちばん多いのが飲食店。調査に回答した視覚障害者の半数以上が、盲導犬を伴って入店しようとしたときに入店を拒否された経験があるという。

以前、全盲の方に話をうかがう機会があったのだが、彼が今の奥さんと結婚前にデートしたとき、盲導犬を連れてある全国チェーンのカフェに入ろうとしたら入店を断られてしまったという。真冬のことだったが、仕方ないので屋外のテーブルでコーヒーを二人(と一匹)で飲むことになり悲しい気持ちになったと語っていた。

また調査では、電車やタクシーといった交通機関の利用の際にも、盲導犬を理由にその利用を拒否された人が多いことが分かった。電車を運行する電鉄会社が盲導犬を拒否するのは言語道断だし、タクシーの運転手がそんな対応をしているのにも首をひねってしまう。

日本でライドシェアが地域限定かつ時間限定的ではあるが少しずつスタートしたようだが、しかしそれらは諸外国のライドシェアとは全く異なり、既存のタクシー運営会社が運営を行うというのが日本での展開のされ方である。

その際の理由として挙げられるのは、タクシー会社のドライバーはきちんとした研修を受けており、プロのドライバーとしてその運転技術においてもサービスにおいても優れているから、といったことが言われているが、盲導犬を伴う視覚障害者を拒否して何がプロのドライバーかと思ってしまう。

またそれ以外、盲導犬の受け入れ拒否にあった場として宿泊施設や医療機関といったものがあげられていた。

罰則を設けるのが一つの策だが、それ以前にサービス機関で従事する人たちに正しい知識を持ってもらう必要がある。社会のなかで学ばないのであれば、学校教育でしっかり教えることが肝心なんだろう。

2024年6月11日

ステルス・マーケティングは、マーケティングではない

都内大田区にある医療法人が、「景品表示法が禁じるステマ広告を行ったとして消費者庁から行政処分を受けた」という報道があった。

自分たちの病院についての高評価の口コミを、一件550円で誘引していた。具体的には、インフルエンザ接種料金を550円分割り引くから、グーグルマップで★5つ付けてね、というやり方。わずか550円に引かれて、269人が星5の評価をしていた。都合、費用は147,950円か。

ただ、ここではその病院や書き込みを商売とするインフレンサーなる職については置いておく。 

問題は、ステルス・マーケティングという言葉。新聞の見出しでは縮められてステマと表現されている。気持ち悪くて、背中が痒くなりそう。

この言葉、決して新語ではない。たとえば、日本経済新聞でその用語が使われはじめたのは2012年のこと。ところが、それ以来ずっと紙面に使っておきながら、先週6月8日の紙面では用語解説まで載せていた。

日経新聞  2024.6.8

「ステルス・マーケティング」だの「ステマ」だの言っても一般の読者が理解しているわけではないからだろう。しかも厄介なことに、なんとなくマーケティングの正規の一つの手法のように勘違いしてしまっている。

シンプルに「やらせ」と日本語で言えば済むものを、なぜ横文字を使いたがるのだろうか。

そういえば、「リスキリング」も同じ。それを取り上げた記事では、その言葉の後にわざわざカッコで(学び直し)が付け足されている。ならば、最初から「学び直し」で済む。つまらない横文字を使う必要はない。

ステマだ、リスキリングだ、インフルエンサーだ、プラットフォーマーだとか、いったいどこの国の人間なんだと思ってしまう。

2024年6月9日

またもや顧客を無視したグーグルのやり方

グーグルからメールが来た。

Google Domainsで私が取得(購入)したインターネット・ドメインが、他社に管理が移管されたという。利用者(所有者)に対して何の事前連絡や説明もなくだ。

移管先の企業はどうせ子会社なんだろうが、自分たちの都合で勝手に物事をすすめ、金を支払っている利用者をゴミだと思っている。

・・・かと思いきや、いま調べて見ると企業としての親子関係での移管ではなく、金銭譲渡のようだ。グーグルのサイト上には以下のように、Squarespace社がグーグルの「顧客アカウントを買収した」とある。

https://domains.google/intl/ja_jp/から
 
つまり、グーグルは我々の「顧客アカウント」を転がして金を儲けているわけだ。こうしたやり方に対しての法律上、倫理上の問題はないのかね。

2024年6月4日

日本型ライドシェアという歪んだシステム

「日本型ライドシェア」と呼ばれる中途半端な制度がスタートしたが、その設計には基本的な問題がある。
 
この制度では、ドライバーはタクシー会社に雇用されるかたちで働くようになる。で、ガソリン代はドライバー持ちで、ドライバーの取り分は売り上げの約7割。つまり、上がりの約3割はタクシー会社が取る(配車アプリの提供企業にもいくらか流れるはず)。
 
タクシー会社がドライバーを「雇用」することで、彼らにはドライバーとしての研修等が施され、運用管理がなされるので乗客の安全性が確保されるからというのがタクシー会社が売上の3割を吸い取る理由になっている。
 
だが、タクシードライバーが基本的な接客の仕方を身につけるために必ずしもタクシー会社から研修を受ける必要があるのか。ないと思う。またドライバーがタクシー会社に雇用されていることと、安全が確保されることの関係性も薄い。
 
事故が起こった際の保証なんて話もあるのだろうが、それはタクシー会社であろうが個人であろうが、実際に事故が発生した際の処理を担当するのは保険会社である。
 
「日本型」という歪んだ制度のために、タクシー会社に「雇用」されるライドシェア・ドライバーには働き方の自由裁量度がなくなる。ライドシェアというシステムの根幹をなすものがなくなってしまう。
 
明らかに、こうした「日本型」ライドシェアはタクシー業界に配慮しすぎた制度だと云える。この「日本型」を強く主張しているのが、日本交通をはじめとするタクシー会社と国交省、自民党の「タクシー・ハイヤー議員連盟」(なんだそれ?)という政治家らしい。
 
そうした連中のせいで、UberやGrabといった海外で利用者が拡大している(つまり、顧客にとって便利な)ライドシェアでは当然のこととして行われているビジネスモデルの根幹が歪められている。
 
他国でのライドシェアのドライバーは自分の都合に合わせ、自分の裁量で働けるが、日本ではそうならない。そのせいで、現状ですでにライドシェア・ドライバーの確保が難しくなっているらしい。
 
こうしたやり方が続けば、一応かたちだけスタートした日本におけるライドシェアは機能しなくなり消えてしまうだろう。そして、それこそが日本のタクシー業界が期待しているところである。
 
一方、もし現行のやり方で利用者が拡大し、さらにそれにつれてドライバーの確保も可能となった場合、タクシー業者が売上の3割の上前をかすめ取るというやり方が「日本の実態に即している」とタクシー会社や一部の政治家は主張することになるのだろう。
 
つまり、この出来損ないの日本型ライドシェアの制度がうまく行こうが行くまいが、タクシー業界は損をしないという設計になっている。その傍らで不利益を被るのが利用者とライドシェアの仕事を希望しているドライバーたちである。
 
現在、ライドシェアが認められてるのは、東京23区などでは平日午前7〜10時、金曜と土曜の午後4〜7時台に限られている。
 
が、国土交通省は、雨が降った時や電車の遅延が発生した時には、ライドシェアを行える時間帯、運行エリアと運行台数を広げるよう検討するという。 
 
仕事ができるのは平日は朝7時からの3時間、金土は夕方4時からの3時間だけど縛っておきながら、雨が降ったら「出動せよ」と言ってるわけだ。
 
ライドシェアが無人の自働運転車ならともかく、人が「仕事」としてやるということを考えれば、あまりにもライドシェア・ドライバーを馬鹿にしてはいないか。 
 
 「嫌ならやらなきゃいい」という国交省とタクシー業界の裏の狙いが見え見えである。

2024年5月29日

史上、もっとも醜悪な兵器

中国軍が軍事演習の場に「ロボット犬」を導入したという報道。これがその写真だ。


四本足歩行のロボットの上部に機関銃が据え付けられている。なんて醜く、おぞましい。

兵器に美しさや優雅さを求める気は毛頭ないが、それにしてもこれは酷すぎる。

メディアは「ロボット犬」と表現しているが、これのどこがワンコなんだ。頭がないじゃないか。耳も鼻もない。尻尾もないぞ。

四本足で移動し、大きさが近いからと言って、それだけでこんなグロテスクなものを犬と呼ぶな。 

機関銃でなく、もっとでかい対戦車ロケットランチャーを背中に乗せた大型の四本足歩行のロボットが登場したら、今度はそれをロボット馬とでも呼ぶのかね。

2024年5月21日

非実力派宣言

俵万智『サラダ記念日』を読み直した。1987年の初版本である。みずみずしさに心が浮き立つよう。80年代の青春である。

ついでに近くにあった筒井康隆『薬菜飯店』(新潮文庫)のなかに収められた「カラダ記念日」も併せて再読。こちらもケッサクである。

そうやって、短歌っていいなあ〜、おもしろいなあ〜(筒井のパロディが短歌かどうかは別として)、としみじみ思っていた矢先だったので、ふとテレビで「NHK短歌」にチャンネルを合わせたところ・・・。

番組の司会は尾崎世界観とかいう若いミュージシャンで、ゲストが中村壱太郎という歌舞伎役者(わたしはどちらもよく知らない)。その番組の冒頭、尾崎が中村を「ゲストの中村壱太郎さんは、上方歌舞伎を継承する実力派女形として活躍されています」と紹介。

言葉尻を取るつもりはないが、わざわざ「実力派〇〇」と紹介する理由はなんだろう。実力派という「派」があるのかね。実力派があれば、非実力派ってのもあるのか。つまり、中村某を実力派女形と言うなら非実力派女形の役者もいるってことになるけど、それは誰なの?

1989年の森高千里のアルバム「非実力派宣言」を思い出した。森高のラディカルさと気持ちよさにこのミュージシャンは果たして対抗できるかナ。

2024年5月20日

60年前、「天国にいちばん近い島」だった南の島

先週、南太平洋にあるフランス領ニューカレドニアで、選挙制度をめぐって暴動が起きた。

背景には、政府に対する先住民の長年の不満や南太平洋で影響力を高める中国の存在があるとされている。

暴動で空港は閉鎖され、夜間外出禁止令が出された。フランス政府は「緊急事態宣言」を発令したと言うからただ事ではない。 

このニュース、日本で報道されるときには決まって「あの、天国にいちばん近い国であるニューカレドニアで・・・」と語られている。

『天国にいちばん近い島』は、作家の森村桂がニューカレドニアを旅したときの経験をもとに書いた旅行記で1966年に出版されている。1980年代、原田知世主演で同名の映画が公開されたが、内容は別ものである。 

200万部を超えるベストセラーになった森村の本で「ニューカレドニア」という島を知った日本人は多かったはずだが、いまだにニューカレドニアをメディアが語るときに「天国にいちばん近い島」と形容するとは。

一度付いてしまったイメージというのは、時間が経っても引き剥がせないものである。

それにしても、この本のタイトルの副題は「地球の先っぽにある土人島での物語」とある。土人の島ときたもんだ。今なら無理だろう。まさに時代を感じる。

jal.co.jpのサイトから

2024年5月17日

立花隆が見たパレスチナ

パレスチナのガザ地区南部のラファヘの攻撃を控えるようバイデン政権がイスラエルに訴え、武器の提供支援を控えた際、共和党のある議員が「これは私たちの戦いを危ういものにするとんでもない決定だ」と憤った。

それに対し、なんか変だと引っかかっていた。その議員が語った主語「私たち」についてである。彼はアメリカに住むアメリカ人。それが、自らをパレスチナ地域での紛争の当事者の一部と考えていることの不可解さだ。

そんなことを考えていたとき、立花隆さんがある雑誌にパレスチナ地域訪問の体験記を書いているのを読んだ。そのなかで、彼はパレスチナ問題の複雑に入り組んだ問題を捉え、まずは基本的に「誰が」「誰に対して」「何を」争っているのかを考えることが大切だと述べる。

立花は「誰が・誰に対して」という点に関して彼なりの答えを想定する。

ユダヤ民族 vs アラブ民族
ユダヤ教徒 vs イスラム教徒
イスラエル国 vs アラブ諸国
シオニスト国家 vs パレスチナ人
アメリカ帝国主義とその同盟者 vs アラブ民族主義
アメリカの手先 vs ソ連の手先
すべての保守反動封建勢力 vs すべての革命的民主的進歩勢力 

そしてさらには、これらの組み合わせも含めて<誰が>はつくられるとしている。 しかも、争いに参加している当事者たちの間ですら、この誰がについて意見が一致していないのだから、事情は複雑極まるのである。はたまた、これらの言葉ひとつ取っても、使う人にとって定義が一定しているわけではない。

先の7つの対立項目の中にソ連が出ているのは、立花がその文章を書いた時代を反映しているにしても、現在のパレスチナ情勢を考える際の材料としては有効だと私には思える。

そうしたなかで、ネタニヤフを中心とする勢力が何かと言えば、上記リストの4番目のシオニスト国家となる。そしてそれを支持し、「私たち」というように一体化して語るアメリカの議員を含めて修正するなら、現在の対立構造は「シオニスト国家と(金でつながった)その支持者 vs パレスチナ人」というのが、一番近いように思う。

立花は2021年になくなったが、もし生きていたら現在のパレスチナ状況やウクライナでの紛争をどう語っただろうか。ぜひ知りたい。

それにしても、どう考えたって、欧米諸国が1948年にパレスチナの地にユダヤ人国家「イスラエル」の建国を認めたのがそもそもの間違い。その時点でその後のパレスチナの人たちの苦難と苦渋は予想できたはずだ。そして、その延長線上に現在行われているジェノサイドがある。

米国や英国がイスラエルを支援し続ける理由は、今ガザ地区で起こっていることが「自分たちが蒔いた種」だからで、その過ちを認めたくないから。

かつては二枚舌外交を、そして今は二重基準(ダブル・スタンダード)を恥ずかしげもなく実施している。困ったものである。

2024年5月16日

米国企業が占める定額サービスを考え直す

クレジットカードの利用明細を詳細に目ることなどあまりないのだが、たまたま今回、個々の支払いを眺めていてふと気になったのがDropboxの利用料金。あれ?こんなに利用料が高かったかなと・・・。

引き落としされていたのが20,754円。元の請求額が131.87ドルで、157.388円の為替レートで円換算されている。この機にと思い、Dropboxの契約内容を確認した。

2020年からずっと年額131.87ドルを支払っている。その前は106.92ドルだから、一気に23パーセントの値上げがされている。そして近年の円安である。

データ保存のためのクラウドサービスは他にも利用している。また、映画などのストリーミング・サービスも複数契約しているし、音楽のストリーミングもやっている。どれもアメリカ企業が提供するサービスだ。全部でいくらはらっているのだろう?

こうしたビジネスは事業を開始するための初期投資は多額だが、顧客ベースさえ順調に拡大できればやがては多額の利益を継続的に生む。アメリカ人はこうした金儲けの仕組み作りが得意だ。それを後押しする法律や社会の制度もあるし、市場の受容度も高い。

かたや、日本企業は形のある、つまり手に取れるモノづくりには得意だが、形のないサービスに関してのビジネスを構築するのがなんとも苦手。結果、日本人の金はどんどん継続的にアメリカへ流れていくのは間違いないだろう。

今後、AIによってさらに新手のサービスが登場してくることを考えると、その傾向は強まる一方である。 

その前にできれば不要なサービスの購入は中止したいが、どのサービスもうまく設計されていてなかなか手放しがたいのが悩ましい。

2024年5月13日

デザイン思考をどうデザインするか

IDEOの日本支社(IDEO Tokyo)が事務所を閉鎖すると発表した。以前訪問したことのある表参道のオフィスはなかなかお洒落で、一時期はいくつもの大手企業をクライアントとして抱えていたはずだったのだが。

クライアントが彼らの「デザイン思考」に飽きてしまったのか、うまく成果につなげられなかったのか、はたまたそもそも理解できなかったのか。あるいは、サービスの提供者側に問題があったのか、それとも双方に問題があったのかーー。

日本においても、デザイン思考がある時期からビジネスにおける流行り言葉のひとつになった。サンフランシスコにあるデザイン・コンサル会社のIDEO社が、自社のアプローチをそう名付けて広めたことがきっかけだと僕は思っている。

Design Thinking の重要性について創立者のデイビッド・ケリーは比較的早くから語っていたが、その後ティム・ブラウンが「Change by Design: How Design Thinking Transforms Organizations and Inspires Innovation」を出版して、彼らの路線はより明確になった。

当初、デザイン思考は彼らを他コンサル会社と差別化するための方略のひとつだったが、その後はデザイン思考そのものが彼らの売り物になっていった。背景として、時代がそれを求めたんだろう。

ただし、日本での動向を見ていて僕が感じていたのは、これでは早晩行き詰まるだろうということ。というのは、デザイン思考という言葉が一人歩きし、新しいものを生み出せる<魔法の杖>のように企業から思われはじめてたから。企業経営者たちは「これで我が社もイノベーションが生み出せる」と期待したが、多くの場合、そうした夢は現実からは遠かった。

なぜそうなったかと言えば、デザイン思考という言葉に引き寄せられた連中が、それを定型化されたツールのように扱ったことが大きい。つまり、ひとつの方法論としか考えなかったのだ。ブレストをやったりポストイットを使って皆でアイデアを出し合い、「共感→問題定義→アイデア創出→プロタイピング→テスト」という5つのステップをふめば一丁出来上がり、といったような。

デザイン思考はそもそも「思考(Thinking)」の名の通りでツールや道具や手法ではなく、いわば発想のベースであり、体質、くせ、習慣と考える方が正しい。だから、誰もが一朝一夕にそのアプローチをとれるわけではない。

社員に研修を受けさせ、 集めてブレストをやらせ、ポストイットに戯れ言を書かせ、それをもとに何か引き出そうとしたって無駄に決まっている。求められるのは体質なんだから。

IDEOの日本支社が撤退するのは2度目だ。以前、パルアルトのIDEO本社を訪ね、デイビッドの弟で当時同社のゼネラル・マネジャーだったトム・ケリーにインタビューしたとき、かつてプロダクト・デザイナーの深澤直人氏がIDEOの東京支社を率いていたが後継者育成がうまくいかず撤退したいきさつを話してくれた。

将来、彼らに3度目の正直があるのかどうかは分からない。ただ、硬直化した多くの日本企業の経営者や組織を見るにつけ、それはあったとしても近い将来ではないように思う。