2022年1月4日

『ボストン市庁舎』

映画『ボストン市庁舎』(原題:City Hall)は、今年の1月1日に91歳になった映画監督、フレデリック・ワイズマンが制作したドキュメンタリー。


劇場での上映開始が今朝9時で、途中10分の休憩を挟んで終了したのが午後2時前だった。本編274分。鑑賞料2800円。半日仕事になってしまったが、時間をやり繰りして出かけた甲斐はあった。

今回の作品はワイズマンの43本目のドキュメンタリーになるが、彼の作るものはある意味で独特だ。ナレーションなし、BGMなし、インタビューなし。フリルの付いたテレビのドキュメンタリー番組に慣れた向きには素っ気ないだろうが、余計な飾りや制作者の意図を拝した姿が伝わる。

制作の場では、目の前で起こっていることをワイズマンを含めて3人という少人数のクルーが映像と音声に収めていく。監督であるワイズマンは、撮影後の編集はもちろん、現場では音声も担当しているらしい。

 

今回の彼の作品がこれまでのものと違う点は、ある特定の人物に焦点を当てていることかもしれない。それが、当時のボストン市長であるマーティン・ウォルシュ(現在はバイデン政権下の労働長官)だ。

彼が市庁舎や警察などの関係機関はもちろん、市民や各種NPOなどの集会に出かけて話をするシーンがたくさん出てくる。そこでのウォルシュのスピーチ、そして市民などのやり取りが日本人には珍しく映る。言葉の力というものを見せつけられ、実にまぶしい。

行政は何のためにあるのか、市長の存在意義は何なのか、市民との関係はどうあるべきなのか、実にフランクにそして的確に、かつ誰にでも分かりやすく説明をする。

質問や苦情を投げかける市民の方も容赦はない。ストレートに自分(たち)の考えや要望を伝え、対応を求める。成熟した民主主義ってこうなんだろうなって、観ていて感心することしきりだった。

ボストンはアメリカのなかでも歴史のある古い街。だから、さまざまな人種が交錯する。そして格差や不均衡、差別が存在している。性のありかたも多様だ。それぞれのバックグラウンドを抱えた市民やコミュニティが、自らの生を求めるなかでストレートに主張をぶつけ合う。言葉を尽くして相手に訴えかける。

忖度なんて考えていたら何も始まらない。で、当然ながら言葉には言葉で対応する。その力強さと発展性は、残念ながら日本には根本的に欠けているものだ。

ところで、この映画こそ日本の役所で働く連中にも見せなきゃ、と思ったら、今日行った映画館では市役所勤務の人を対象にした「市役所割」をやっていたよ。

いい考えだと思うけど、本当は各自治体が自分たちで上映会を行って、行政のあるべき姿に関して議論などしたらいいと思う。

斎藤幸平のあやしさ

地球温暖化は避けがたい現実である。だが、地球温暖化や気候変動の原因を資本主義に収斂させる単純な思考には首を傾げてしまう。

そもそも、こうしたことは「主義」の問題なのか。地球温暖化や気候変動の原因やそれらへの対応はもっと科学的な議論であるべきだ。

人類の経済活動が地球を破壊するとする人新生の考え方を唱える人は、「主義」の転換が問題解決につながると考えているらしく、具体的にいえば資本主義を共産主義に転換することが必要と言う。

だがそれで何か変わるのか、僕にはよく分からない。中国はCO2を排出していないのか。してる、大量に。

われわれは、環境保全を目的として共産主義の世界で生きるべきか。われわれは、そもそも何のために生きているのか。これは哲学の問題だが、ただ生物として生存するために、そのことを第一義的にして生きることに意味があるか疑問を感じる。

大阪市立大の斎藤幸平の本で「人新世」という言葉が知られるようになったが、そもそもその言葉の定義すらまだ定まっていない。

人新世という用語は、科学的な文脈で非公式に使用されており、正式な地質年代とするかについて議論が続いている。人新世の開始年代は様々な提案があり、12,000年前の農耕革命を始まりとするものから、1960年代以降という遅い時期を始まりとする意見まで幅がある。(Wikipedia)

それは12,000年前からか、それとも60年前からか、という訳だ。これでは議論のスタート地点にも立てない。

60年前から(1960年以降)というのは、以下のグラフからの指摘だろう。確かに異常気温が顕著になっているのはその頃からだ。だが、その当時はソビエト連邦はまだ崩壊していなかったし、多くの東欧の諸国も共産主義を標榜していた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%96%B0%E4%B8%96

ところで先日のNHKのテレビ番組で、斎藤がチェコの経済学者で『善と悪の経済学』の著者のトーマス・セドラチェクとリモートで対談していたが、その冒頭で斎藤は、

In my book, I argued for de-growth communism which became very popular currently in Japan ....

とセドラチェクに迫ったが、very popular in Japan はないだろう。彼の本がどれだけ売れたのかは詳しく知らないが、たとえ100万部のミリオンセラーだとしても、日本人の1%以下。そして、その本を購入したからといって、購入者のすべてが彼の主張する<脱成長コミュニズム>に賛同しているわけでもない。

セドラチェクは、かつてソ連に侵攻されたことのあるチェコの学者ということもあって、コミュニズムの復権には注意深さを崩さず、きわめて懐疑的である。

そのチェコからネットで対談参加している彼に対し、日本の実状など分からないからとこうしたハッタリをかますのはいかがなものか。

そうした人間を精神分析の視点から論評することはたやすいが、それはここでは書かない。ただ言えるのは、こうした人物は信用出来ないということである。

2022年1月3日

最初から結論ありきで論じている

今朝の日本経済新聞の一面。「社内の幸福度の低さが企業の成長を阻み、それが社員の不満をさらに高めかねない」とある。その元になっているのは、同紙に掲載されているグラフ化された以下の調査結果だ。

これで分かるのは、せいぜい社員の幸福度と企業業績の間に相関関係がありそうだということだけ。ところが同紙は、「社員の幸福度の低下」が「企業の売上高の低下」を導くという因果関係があると一方的に解釈している。

そうではなく、「企業の売上低下」が「社員の幸福度の低下」を導いている可能性をなぜ考えないのだろうか。あるいは、ここにはない別因子の「経営の拙さ」が「企業の売上高の低下」と「社員の幸福度の低下」の双方を導いているとは。

日本企業では社員の幸福度が低いことが原因で企業業績がはかばかしくない、だから社員にもっとハッピーになってもらうことが肝心である、と読者に向けて言いたいようだけど理屈に合ってない。

そもそも目を向けるべきは社員の心の状態ではなく、企業経営の巧拙の方だろう。

2022年1月2日

ダグラス・アダムズの法則

30代半ばの知り合いが昨年末でそれまで勤めていた会社を辞めた。今年から別の業界に飛び込むらしい。

彼の年齢から、ダグラス・アダムズの法則と呼ばれる考え方があるのを思い出した。

それは、「人は、自分が生まれた時にすでに存在したテクノロジーを自然の世界の一部と感じる。15歳から35歳の間に発明されたテクノロジーは、新しくエキサイティングなものと感じる。35歳以降になって発明されたテクノロジーは、自然に反するものと感じる」というものである。

人は35歳までは新しいことを受け入れることができ、そこに魅力的なものを感じる事ができるが、35歳を過ぎると周りに現れた新しいテクノロジーに対しては不安や不自然なものを感じてしまう性向があるということらしい。実は法則といっても科学的な根拠があるものではないのだが。

35歳と云えば、人は35歳までに転職をした方がいい、ということを僕が初めて聞いたのは40年近く前のこと。大学を卒業して初めて仕事に就いた広告代理店の先輩から聞いたのを覚えている。

それは、若いときは人は誰でも自分にいろんな可能性を感じて新しい事にチャレンジしていきたいと思うが、35歳を過ぎるあたりからたいていの人は自分にできることでできないこと、自分に向いてることと向いていないこと、可能性と不可能性のラインのようなものがわかってくるんだよという話だった。

転職をするとしたら、少なくとも35歳までにするべきだというのがその時の彼のメッセージの一つだった。彼自身がその当時30代半ばで、いろいろ思うことがあったのだろうと今にして思う。

そうしたアドバイス(?)があったからというのではないが、僕はその後30歳までその会社に勤め、転職した。それまでにも何度も会社を辞めようと思ったことはあったが、なぜか親身になって入社時から相談にのってくれた彼の顔が浮かび、30歳になるまでその会社で仕事をした。

いま世間では「45歳定年」という話があるが、そのことについて僕は基本的には結構なことだと思っている。いや、正しく述べるなら、制度として45歳で定年にするというより、少なくともそのあたりの年齢でビジネスマンは自らいくつか組織を渡り歩いていた方がいいということだ。

もし仕事は同じだとしても、働く場所や環境を変えた方がいい。新しい環境で、新しい人たちと働くことで新しい発見があり、新しい事を学ぶことができる。だから成長することができる。

同じ会社で定年まで働くのが間違ってるとは言わないが、その場合でもせめて周りの環境を意識的に変更することで人生はより豊かになる、というのが転職を繰り返してきた僕の経験からの考えである。

2022年1月1日

元日の新聞一面から

1月1日の各紙一面トップ記事をさらった。

朝日・・・「未来予想図 ともに歩もう」

毎日・・・「露、ヤフコメ改ざん転載 政府系メディアが工作か」

読売・・・「 米高速炉計画 日本参加へ」

東京・・・「「脱原発」叫び強くなれ」

日経・・・「資本主義 作り直す」

朝日、東京、日経は連載特集の初回記事だ。朝日は「未来のデザイン」、東京は「声を上げて デモのあとさき」、日経は「成長の未来図」というシリーズが始まる。

原発に関連した記事を東京新聞と読売新聞が取り上げているが、論調はきわめて対照的だ。読売は、高速炉計画への参加について、その難しさを指摘しながらも必要性を訴えようとしている。一方、東京新聞の一面は、直接原発に関した内容の記事ではないが、フリーの写真家を取り上げるなかで「脱原発」の意味を読者に語っている。 両社のスタンスがよく分かる。

特に元日だからと気張ったところがないのが毎日だ。ロシアの政府系メディアが日本の雑誌、ニュースサイトの読者コメントを改ざんして転載していることを指摘している。今回、そうした改ざんを毎日新聞が確認したものだけでも「週刊朝日」「ニューズウィーク日本版」「ヤフーニュース」がある。ロシアの主たる目的は、日米分断をあおることだと分析されている。

勝手に記事を書き換えたり、原文に書かれていないコメントを自分たちの情報操作を目的に勝手に付け加えていることが明らかにされた。ロシアのこうした情報操作はソ連時代からのもので、第二次大戦前から世界的に巧妙に行われていて、いわばお家芸なんだろう。

人のいい日本人たちは、これまでこうした旧ソ連やロシアによる情報操作と不正な手口でどれほど不利益を被ってきたことか。毎日新聞はいい仕事をしている。

その一方でノー天気としか思えないのが、朝日新聞だ。12月に横浜アリーナで行われたDREAMS COME TRUEのコンサートを引き合いに、ともに手を携えて未来に進もう、とのご託宣だが、まるで朝日中学生新聞かと思った。

元日の新聞一面は、各紙、自分たちの姿勢を読者に表明する場としてそれなりに時間をかけて考えられているはず。いまそれらの新聞各紙が何を考えているか、何に依っているかを知る手だけになる。

2021年12月29日

古めかしいエスニック・ジョークのようなCM

政府はよほど国民にマイナンバーカードを持たせたいらしい。何人ものタレントを使い、複数バーションのテレビCMでその取得を熱心に促している。

そのCMのひとつがこれ。

 
「いまもう国民の3人に1人が持っているっていうから・・・」

と、佐々木蔵之介が話すこのテレビCMに、なんだか馬鹿にされていると感じた視聴者も多いことだろう。理屈はなく、ただ<船に乗り遅れるよ>と相手を不安がらせようとしているだけ。

船と言えば、「沈没船ジョーク」と呼ばれる各国の国民性を揶揄した鉄板ジョークがある。こんな話だーー。

様々な民族の人が乗った豪華客船が沈没しそうになる。それぞれの乗客を海に飛び込ませるには、さてどのように声をかければいいか?

イギリス人には、「こういうときにこそ紳士は海に飛び込むものです」と伝える。

ドイツ人には、「規則ですので飛び込んでください」と伝える。

アメリカ人には、「今飛び込めば貴方はヒーローになれるでしょう」と伝える

イタリア人には、「海で美女が泳いでます」と伝える。

フランス人には、「決して海には飛び込まないで下さい」と伝える。 

中国人には、「おいしい食材が泳いでますよ」と伝える。

日本人には、「もうみなさん飛び込んでますよ」と伝える。

総務省が作ったこのテレビCMが言わんとしていることは、これと同じ。「何も考えなくていいから、さっさと右へ倣えでカード作れ」って。

深層心理の部分で国民に向かって「海に飛び込めー」って言ってる。

2021年12月26日

立ち上がる女

映画「たちあがる女」は2019年作のめっぽう元気で、気が利いたアイスランド映画である。

主人公ハットラを演じるハルズ・ゲイルハルズドッテルを見ていて、「スリー・ビルボード」のフランシス・マクドーマンドを連想した。

現代のアイスランドを舞台に、その環境破壊を食い止めるために立ち上がった一人の女性を描いたユニークな作品で、自然にあふれたアイスランドの地にも環境汚染の波が押し寄せていることが分かる。中国資本が注がれたアルミニウムの製錬工場である。

アルミニウムの製錬には大量の電気を必要とするが、アイスランドは火山の国、すべての電力は地熱でまかなわれていて電気代が安い(タダ)からだ。

平原に延びる送電線をショートさせ、鉄塔を一人で爆破する彼女は一人で立ち上がり、戦いを続けている。

警察などから追われる彼女を赤外線カメラで執拗に追うドローンは中国の象徴だ。姿を捉えられないように死んだ羊の皮をまとって逃げるハットラ。途中、彼女を追うドローンをハットラが弓矢(!)で仕留め、手に握った石で叩き潰すシーンは「これが私たちのあんたへの回答よ」と聞こえた。その時、彼女は彼女のヒーローであるネルソン・マンデラの写真で作ったお面を被っている!

彼女にはオルガンと太鼓、スーザフォンの謎の3人からなる音楽隊が寄り添っていて、時に彼女の気持ちを象徴するように、時に彼女を励ますかのようにリズムを刻む。さらに3人の若い女性からなるコーラス隊もあちこちのシーンで登場する。不思議なユーモラスさを醸し出している。

映画のなか、自転車でアイスランドを旅するスペイン人の若者が方々のシーンで登場する。彼はその都度、ハットラが巻き起こす騒動に巻き添えを食わされる。気の毒だったり、情けなかったり。でも可笑しい。

太古の土地が残り、原始性豊かな自然のなかで暮らすアイスランドにも、外国からの資本が容赦なく流入し経済発展の名の下で環境破壊が行われていることへ、この映画は警告を発している。快作である。

2021年12月19日

鳥と落花生

昨日、千葉から遊びに来た友人が持って来てくれた煎り落花生をバッグに放り込んで南の島へ。横浜とは気温が10度以上違う。

ベランダでその落花生をむきながら本を読んでいると、次々と鳥がやって来る。豆の匂いなのか、殻を剥いている音なのか、それとも食べてる様子に誘われてなのか。 

人に慣れているらしく、落花生の実を投げてやると器用にキャッチする。

2021年12月16日

クリスマス前

毎週木曜午後に非常勤講師として教えに来てくれている神奈川大学のY先生と、今度ランチでもしましょう、とずっと言ってきたのが、やっと実現した。

彼と大学キャンパスを少し散策。

大隈庭園から大隈講堂を撮る。ふだんあまり見ないアングル。

演博の企画展「新派」の垂れ幕の前に飾られたクリスマス・ツリー

2021年12月13日

直島の美術館巡り

駆け足で瀬戸内海に浮かぶ直島の美術館3館、地中美術館、ベネッセ・ミュージアム、李禹煥(リー・ウーファン)美術館を回ってきた。 

特に今回の目当てだった地中美術館は、安藤忠雄が設計した独特なデザインによる美術館。建物自体が美術館のひとつの作品だ。

実は、2004年にこの美術館がオープンした時に一度訪問している。夏の暑い日だったのを覚えている。表の駐車場に延びる長蛇の列に並び、1時間近く待っただろうか。結局、暑さに疲れて諦め、入館しないまま島を去った覚えがある。

今回は、コロナ感染拡大防止のために事前予約制による入館なので、「これなら」と思い訪ねた次第だ。

そこには3人の作家、クロード・モネ、ジェームズ・タレル、ウォルター・デ・マリアの作品がそれぞれの展示室に分けられて恒久展示されている。

モネの部屋には5点の「睡蓮」が展示されていた。いずれもモネが70代半ばを過ぎて取り組んだ作品。会場スタッフの人と、モネが高齢になって煩っていた白内障がモネの作品に与えた影響について意見を交わす。

地中だけど、展示スペースには天窓が設けらえていて、柔らかな空間の雰囲気が醸し出されている。とりわけジェームズ・タレルの「オープン・スカイ」は天窓とそこから差し込んでくる光も作品のひとつになっている。

ジェームズ・タレルの会場では、彼の作品が展示されている新潟県十日町の「光の館」(2000年に越後妻有トリエンナーレのために制作)に展示されているタレル作品をめぐってスタッフの方としばし歓談。

彼女らは、本当はそうした会話は禁じられているのかも知れないけど、ほかに誰も客がいないし、こちらが話しかけると色々と専門知識を教えてくれるのでありがたい。


W・D・マリア「タイム/タイムレス/ノー・タイム」2004年

2022年は、5回目となる瀬戸内国際芸術祭(トリエンナーレ)が直島を中心に、このあたりのいくつもの島を舞台に開催される予定だ。第1回目から毎回訪問しているが、訪れるたびに新しい発見や出会いがある。

ブルース・ナウマン「100年生きて死ね」1984年(ベネッセ・ミュージアム)

ミュージアム・カフェのテラスから夕暮れの瀬戸内海を望む

2021年12月7日

LINEの国内利用者数が8600万人って本当か?

LINE Payでキャンペーン参加者の個人情報が漏洩していた。下記の記事にあるように2ヵ月にわたって外部からアクセスできる状態になっていた。


LINEは今年の3月、ユーザーの名前やメールアドレスといった個人情報に加えてトークや写真も閲覧できる状態を放置していたのが明らかになったのが記憶に新しい。

そもそも、LINE社のセキュリティに関しては、2014年頃から問題点を指摘する声も一部ではあげられていた。 

https://facta.co.jp/article/201407039.html 

それにしても、こうした記事が掲載される際にLINEについては「日本で8600万人のユーザーを持つ・・・」という説明がメディアでなされているが、どうも信じられない。

国内ユーザー数8600万人というのはLINEが発表している数字だろうが、これは全国の15歳以上すべての77%にあたる。12歳以上に対象を広げても73%だ。日本全土のほぼ4人に3人がLINEユーザーということになるが・・・。

総務省が2021年6月に発表した「通信利用動向調査」によると、2020年度の日本国内のスマホの利用率は下図のように68.2%である。しかもこの数字は「無回答」を除いたものなので、実数はそれより低い可能性が高い。

先のLINEの国内ユーザーが8600万人というのとは辻褄が合わない。


2021年12月6日

DXは、デラックスだ

最相さんの『辛口サイショーの人生案内DX』(ミシマ社)が面白かった。


新聞に連載されていた人生相談をもとに再構成したもので、相談の中身はもちろん真面目なものばかりなので「面白かった」という感想は不謹慎に聞こえるかも知れないが、最相さんの相談者の甘えをぶった切る回答姿勢は新鮮だった。

ところで、この本のタイトルのDXには<デラックス>とルビが振ってある。今流行りのデジタル・トランスフォーメーションではないところが昭和で、僕が気に入ったところ。

そもそも、今ごろデジタル・トランスフォーメーションが重要などといって口角泡を飛ばしている国家も企業も、それだけで自分たちが既に周回遅れなのが分かってるのかね。

たとえば承認プロセスのハンコをどうやってなくすかとか、紙の書類を電子化して効率化を図るなんてことを経営者が考えている段階でアウトだ。沈みゆくタイタニック号の甲板の上でデッキチェアをきれいに並び直しているようなもの。やってる感はあるが、それだけ。

大切なのはMX、つまりマネジメント・ トランスフォーメーションなのだよ。

たとえよく切れる包丁を手にしたからといって、それで素人がいっちょまえの板前仕事ができるわけではない。優れた料理の提供に必要なのは、そして繁盛する店をやり繰りするのは、客が何を欲しがっているかという理解とそれに応える技術、そして豊かな経験と想像力なのだ。 

それをなしに、日本の経営者は、何か「魔法の道具」さえ手に入れればすべてうまくゆくと考えてはいないだろうか。

2021年11月28日

財政破綻に向かう日本

なぜ日本の財政破綻が避けられないのか、以下の記事はとても分かりやすくその理由と現在の日本の状況を説明してくれている。

https://toyokeizai.net/articles/-/471734

一方で、元イェール大学教授の浜田宏一など、有力な経済学者に日本はどれだけ国債を発行しても「理論的に」破綻はしないと以前から説く人たちもいる。 浜田はアベノミクスの理論的支柱でもあった人物で、元内閣官房参与だった。

「日本政府は自国通貨を発行しているので破産することはありません」という彼の一貫した主張に強い疑問を持っていた僕には、慶應大学の木幡による先の説明の方が明らかにスジが通っているように思える。

2021年11月26日

目的もなく誰かと会ってずっと喋っている

作曲家の池辺晋一郎さんが、若かりし頃を思い出してこんなことを話していた。

特に目的もなく、誰かと飲んだりしゃべったりする時間からどれほどの人生の滋養がえられるか。その時には、これが自分を太らせてくれるなんて思いもしないんだけど、少なくとも、僕はそういう世界に育てられてきたんです。

自分が若かったころ、つくづく閑だったと思う。特に学生時代は、大学に行っても教室に向かうわけでなく、近くの喫茶店や部室で誰彼ともなく一緒にほんとにダラダラダラダラ話をしていた。

それが何を自分に残したのか、そんなものがあったのかさえ判然としないが、ただそうした中で自分以外の人間とどう話を合わせていくか、意識しているわけではないが相手をどう理解するかなど考えていたのかも知れない。 

今、そんなことをしている若者を見ることはあまりない。昔ながらの居心地のいい喫茶店が減っているのは一因だろう。以前に比べ、空いた時間を潰す手段もたくさんできた。面と向かって本音を話すより、スマホで書き込んだ方が気楽に思えるからというのもあるだろう。

だから激論になって、思わずテーブルをどんと叩いたり、ましてやコップの水を相手の顔にぶっかけるなんてことはあり得ないんだろうね。(まったく自慢じゃないが、ぼくは昔やったことがある)

先日、駅前のレストランを昼食を取っていたとき、隣のテーブルには若い男女4人組がいて(最初は彼らの存在にすら気づかなかった)、それら4人ともが下を向きスマホをいじっていた。まったく会話がない。いまでは珍しい風景ではないけど、つい「お前ら、せっかくなんだから何か話でもしろよ」 と言ってやりたくなった。

色んなものが薄まってきた。淡泊であっさりも悪くはないが、気持が太る機会がますますなくなっているように思う。

2021年11月22日

市場規模予測はどのくらい信頼できるのか

ニュースの中で日常的に見聞きする市場規模予測。

コンサルティング会社のデロイトによると、世界の顔認証関連の市場規模は25年に85億ドル(約1兆円)となり、20年の38億ドルから倍以上になると予想されている。
今日の新聞紙面からだ。読んだ読者は、へぇ〜とその規模の大きさにちょっと驚いたりするんだろう。だけど、まとなビジネスマンなら、本当はこれってまずは疑ってかかった方がいい。

まず、顔認証関連の、って言われても、何がどこまで関連領域なのかまったく不明だ。だから、その数字の信憑性も不明のはず。

先のことなんかよく分からないんだから、新聞記者ももう少しおずおずと、そしていじいじと語ってくれればそういうもんだと思えるのだけど、こうもしれっと言われると、一般の読者はそうなんだろうと勝手に思い込んでしまう。

その数字をはじき出したのが誰なのか表に出るわけでなく、5年や10年後にその推計がどのくらい当たっていたかなんて誰も気にしないと分かっているから、あっけらかんとしたもんだ。 

少なくとも一応はその数字に至った計算式とその前提があるはず。市場予測を発表するコンサル会社は、それを公表すべきだ。そして、メディアはそうした数字を記事に用いるのであれば、読者がそれを確認できるように参照先サイトをQRコードで示すか、ウェブ上でURLを表記すべきだ。

読者に対するそうした配慮がなされないまま、無根拠としか言えないような市場規模予測がニュースでまかり通っているというお話。

2021年11月21日

南の空に


木星、土星、金星がほぼ一列に並んだ。北緯24度。いつもと星の見え方がこんなに違う。

南の海で

透き通るような海。軽石は漂着していない。

2021年11月20日

マスク顔で人を迎えるということ

飛行機に搭乗したのは、昨年の2月以来のことだ。

早朝、羽田空港で全日空機に乗り込んだ。搭乗機の入口で乗客を迎えてくれるCAと軽く挨拶を交わす。これまでも何度となく行ってることだけど、なんか違う印象が残った。何だろう・・・。

予約した席が後方窓口だったので、そこへ向かう途中にも何人かのCAと挨拶をかわす。そこで気がついた。アイコンタクトの時間が以前と比べて長い。加えて、その時の目に力がこもっている。

コロナ感染対策でCAらも全員マスクをしている状況で、彼女たちが自然にそうするようになったのか、あるいは会社の考えからそう指導されているのか知らないが、マスクで半分以上隠れた顔でお客を迎えるための工夫だ。

2021年11月17日

大学内の研究職名の多さに驚いた

来年4月に、大学の教職員証(IDカード)を一斉に新しくするので写真を提出するようにと人事課から連絡があった。 

彼らの説明によると、2022年3月31日時点で以下の職名で仕事を継続する人は、必ず手続きをするようにとしている。それらは、

教授
准教授
講師(専任)
特任教授
教授(テニュアトラック)
准教授(テニュアトラック)
講師(テニュアトラック)
教授(任期付)
准教授(任期付)
講師(任期付)
助教
助手
特任研究教授
上級研究員
主任研究員
次席研究員
研究助手、だそうだ。

こんなに多種な肩書きが大学内にあったなんて、これまで僕は気がつかなかった。このリストを見ると、たとえば教授といっても種類が5つある。

このヒエラルキーのあり方は、役所内の官僚的序列よりも酷かったりして・・・。以前はこうではなかったように思うのだけど、いつからこうなったんだろう。

2021年11月16日

95年間働き続けるエレベーター

所用で午後から日帰りで京都へ行った。

用件を済ませた後、下鴨神社の近くから四条大橋まで鴨川沿いを歩く。今日は寒くも暑くもなく、川沿いの公園では多くの人々がのんびりと読書したり、散歩を楽しんでいた。

橋のたもとにある東華菜館に初めて入った。目当ては、大正15年(1926年)から動いているエレベータ。米オーティス社製で、95年前に船で運ばれてきた。

動き続くように頻繁にメインテナンスを施していると、エレベータボーイならぬエレベータおじさんが言っていたが、オーティスもよく部品を絶やさないでいると感心する。

東華菜館2階から南座を見下ろす