2020年12月23日

袴田事件、再審開始が決まった

袴田さんの無罪を求める再審請求が認められる可能性が出てきた。

1966年に当時勤めていた味噌会社の一家4人に対する強盗殺人放火犯として逮捕され、47年以上にわたって収監された。これは世界最長の収監期間としてギネス認定になっているほど。

しかし、その記録を読むと僕には明らかに警察のでっち上げにしか思えない。取り調べは凄まじい、文字通りの拷問が長期間にわたって繰り返されている。有罪の決め手となった証拠品としての味噌桶に投げ込まれた血痕がついていたする衣類はどう見ても警察の捏造である。

味噌会社で働く前にプロボクサーをしていた袴田さんは、警察にとっては格好の狙い目だったのだろう。「ボクサー=暴力的で野蛮」というイメージを前面に押し出すことで、袴田さんを犯人に仕立て上げようとあらゆる手段を講じている。

なんとも偏見にみちた非道な考えだ。そうしたことが普通に、本当に普通にまかり通っていたのである。袴田さんが関係しているとされるこの事件だけが決して特別な例外的ケースではない。

今回、裁判をやり直す再審を認めなかった東京高裁の決定を取り消し審理を差し戻した最高裁の決定は、ささやかながらも袴田さんを支援してきた僕にとっても明るいニュースだ。

しかしながら、事件から半世紀以上が過ぎた。袴田さんはすでに84歳になっている。

2020年12月20日

総閲覧数がトップに

3月からのコロナウイルス感染拡大の影響で、この夏参加予定だったベルギーの国際学会への出張がなくなった。

仕方ないので報告先を国内の学会に切り替え、研究成果はこの10月に開催された学会(日本マーケティング学会)で発表した。
https://waseda.box.com/s/xiuu0a2nhl4zsbafnib0i1f8iv0mg3z4

この前学会事務局から連絡があってそのサイトを見たら、その後に学会サイトへ掲載された研究報告で閲覧数がトップになっていた。

学会のサイトにはあえてフルペーパー(論文本体)は掲載せず、報告概要しか載せてないんだけど、とにかく興味を多くの人が持ってくれたのは良かった。

10年ほど前からほぼ毎年、海外の国際学会に参加して研究発表をしている。外国の学会に出ると世界各地からやって来たいろんな研究者と知り合えるし、なんといっても海外の研究者はフランクに質問してくるから刺激的でとても楽しい。

日本人ばかりの集まりだと、なぜそうならないのだろう。

2020年12月19日

エリートが出て来ないからこそ

川崎のチネチッタで観た『ニューヨーク 親切なロシア料理店』は、デンマークの映画監督ロネ・シェルフィグが2019年に制作した作品。

重要なセッティングのひとつであるロシア料理店「ウィンターパレス」のあるところは、たぶんマンハッタンのミッドタウンあたりをイメージしているんだろう。主人公の女性クララが2人の子供を連れてたびたび訪れる New York Public Library(ニューヨーク公共図書館)が懐かしい。

なぜ映画の舞台がマンハッタンだったのか。人々(アリスなどそこを訪れた事がないアメリカ人にとっても)の憧れの地で、種々雑多な人が暮らし、そしてタフな場所というイメージが映画の原題である<The Kindness of Strangers> を浮きだたせる舞台としてふさわしかったのだろう。

マンハッタンというと、個人主義の強い人たちが集まった厳しく情け容赦のない競争の地というイメージがあるかもしれないが、実体はたぶんそうではない。

確かにニューヨーカーらは、自分からあまり人に深くは構おうとしないが、それは他人を尊重しているから。話しかけ、必要な助けを求めれば、多くの人たちはさりげなく手を貸してくれる。というのが、以前そこで1年間暮らした僕の経験だ。シェルフィグ監督が醸し出したかった雰囲気もそれだったに違いない。

主題の一つは、救い。映画の中、主人公のそのクララと病院の救急医療の場で働くアリスの2人の女性がストーリーのなかで交差し、それぞれのやり方で救われていく。それをもたらすのは、見知らぬ人たち(ストレンジャーたち)の親切さ。

忘れてはならないのは、アメリカ社会がーーわれわれ日本人には意外かもしれないがーー豊かな共助によって支えられている社会だということ。それを象徴する「シェルター」の存在。

アリスが所属する教会、彼女がそこで定期的に開いている「赦しの会」という集まり、ホームレスらへの食事提供の場、42丁目にあるニューヨーク公共図書館、そしてロシア料理店の「ウィンターパレス」。どれも助けを必要としてる人たちのためのシェルター(避難場所、保護施設)になっていて、そのベースにはコミュニティーの意識がある。

社会的、経済的な成功者(エリート)は誰も出てこない。物語は寓話のようでもあるが、マンハッタンの人たちの実際の暮らしのスライスでもあるように思った。

レストラン・オーナー役のビル・ナイが、飄々としたいい味を出している。


 

2020年12月18日

データ漏洩の可能性は、顧客に速やかに連絡すべきだ

ひさしぶりにNHKオンデマンドのサイトにログインしたら、「このパスワードはデータ漏洩で検出されたことがあるため、このアカウントは危険に・・・」というメッセージがいきなり現れた。
 

 
もちろんパスワードは変更したが、自分のアカウントが他者に利用されていた可能性は否定できない。

その場合、僕のアカウントで他の誰かがサイトを利用していたということであり、まあ大きな実質的な被害はないのだろうが、それでも気持ちいいことじゃない。

アカウントデータ漏洩が確認できた段階でサイト運営者はすぐにその説明を利用者(顧客)に連絡する義務があるんじゃないのかね。 

2020年12月17日

やっぱり芸術とうんちは違うんじゃないのか

今朝の新聞紙上でインタビューを受けていたネット証券会社社長のM本某が、「芸術はうんちみたいなもの。排泄しないと不健康だし、人間らしさが凝縮されている」と語っていた。

そうか? 芸術家が日々創造しているのはうんちなのか。画家も彫刻家も音楽家もうんちに生きているというのか。こんな失礼な話はないだろう。

うんちはご飯さえ食べてれば勝手に(自然に)でる。そこには何の葛藤もない。ネズミだってミミズだってうんちをする。

排泄しないと本当に不健康かどうか知らないが、そうした発想自体が不健康である。

(うんちには)人間らしさが凝縮されてるんだって? 知ってた? じゃあ、あなたのうんちにはあなたらしさがどう凝縮されているのか話してごらん。

アーティストが、自分が生み出したものという意味で自らの作品をうんちということはあるかもしれない。だけど、数字(金)のことしか考えてなく、芸術家と違って人のこころを動かすものなど何もクリエイトしてない人が利いたふうな口を叩くのはどうなんだろう。

彼の会社には、これ見よがしに(たぶんね)若手の現代美術家の作品が飾られているらしい。もしうんちがすきなら、ぜひピエロ・マンゾーニの「芸術家の糞」でも一緒に飾るといいよ。


 

2020年12月15日

迷走する政権のGoTo なんたら

ガースー首相が「GoToトラベル」キャンペーンの全国一斉停止を発表した。やっと年末年始が静かに過ごせそうだ。

とにかくやることが遅く、判断が一貫していない。説明が説明になっていない。こんなのではどうしようもない。

感染者数がこれまでになく増えているのは明らかなのにもかかわらず、妙な数字を持って来て、キャンペーンの継続を正当化し続けた。その挙げ句、世論調査で首相の支持率が急低下したと見るや一転、自己保身的にキャンペーンの停止を発表した。二階派に対して「忖度」を続けている場合ではなくなったのだ。

それとタイミングを一にして、自民党二階派が「勝手なことしやがって」と毒づいたとか。現在の自民党幹事長二階は、全国旅行業協会の会長。業界は、その一派にとって重要な票田であり、献金元なのだろう。

だからか、観光庁も「GoToトラベルが感染を拡大させたというエビデンスはない」とずっとうそぶいていた。かれらは極めて限定的なデータをもとに、そんな証拠はないのだからGoToは続けて問題がないと子どものようなロジックを主張し続けていた。

医学領域の専門家があれだけGoToを控えるべきだと懸念していたにもかかわらずだ。彼ら政治家と官僚が、国民の命や健康、安全といったものより明らかに自分たちの利益集団を守り、票田を保つことが優先されていたというだ。 

2020年12月13日

それでも少年は生きていく

横浜で映画「異端の鳥」を観る。3時間近い白黒映画である。

舞台は東ヨーロッパのどこかの国。ドイツに攻め入られ、侵略されている国だが、特定の国名やそれを著す言語は出てこない。そうするとどこにもない国のようだが、どこにでもある国でもあると言える。

チェコ人の監督、マルホウルはこの映画をデジタルではなく、古典的なモノクロのネガフィルムで撮影した。デジタルとは異なる輪郭とコントラストが際立った映像は、こんなに鮮やかだったのかとあらためて再確認させられた。

ホロコーストを逃れて親から田舎の祖母の家に預けられた物言わぬ少年が主人公。小さなその家で、少年がたどたどしいながらピアノを弾いているシーンが冒頭にある。

ある日、祖母が当然死し、同時に事故で住んでいた家が火事で燃えてしまい少年は居所を失ってしまう。

彼は各地の村落で差別され虐待される。凄まじい偏見と暴力。不条理の海を少年はそれでも一人でわたっていく。登場する人物たちの邪悪さ、粗雑さ、人間の皮を被った獣のような普通の村人たち。

まるでいじめのゲームでも見ているかのように、行く先行く先で少年は出会った大人たちから蹂躙され痛めつけられる。そして、それでも彼は生きていく。だんだん子供なりに人間性を失っていきながら。

映画には説明的なナレーションや少年の内なる台詞などは一切ない。寡黙な少年の心情を映画の観客が知る術は、彼の表情しかない。時にうつろに、時に大人たちの心の奥底をのぞき込むような眼差しに引き込まれる。

この映画の原作は、1965年にポーランドの作家イェジー・コシンスキーが発表した小説「ペインテッド・バード」。映画の半ばで、鳥売り男が出てくる。その男が、あるとき一羽の小鳥の羽に戯れにペンキを塗って空に放つ。鳥は空を舞う仲間の群れに入って行くが、群れの仲間から小突かれ、突っつかれ、やがて無残な姿で墜落する。

羽の色が自分たちとは異なるペンキを塗られた鳥は、異物であり、異端であり、排除されるというメタファーである。東ヨーロッパ各地の村を流れて行くユダヤ人の少年もまた異物であり、異端と受け取られたために動物、いや虫けらの扱いを受ける。

普通の人々の残虐さと狭量さ、かれらこそ人間であっても動物のような精神性しか持ち得ていないことを訴えている。そうした人間たちは、自分たちの群れに属さない存在は拒絶し、放逐して何にも感じるところはない。すでに人間としての理性や情緒を失ってしまっているのだ。

それらのすべて、とりわけそうした人間のもつ偏見の根底には無知がある。


2020年12月12日

タダほど高いものはないから

グーグルが利用者へのサービスポリシーを変更すると発表した。いつかやるだろうと思っていたが、予想より早かった。

そもそも「無料」だから何も言えないし、こちらも工夫次第でなんとかしのげる。しかし、それも彼らは織り込み済みで、またいつかもっと厳しくポリシーを変更してくるか分からない。信頼しきっていたら、大変なことになりそうだ。

僕にとっての最大の影響は、これまでグーグル・サイトを学生などとのファイル共有の場にしていたのが、そう簡単にできなくなったことである。 

しばらくは様子を見ながら、いざとなったときの対応策を検討しておかなければと思っている。

2020年11月14日

グーグルの気味わるさ

YouTubeであるアプリの設定の仕方を動画で確認しようとDuckDuckGoで検索をかけたところ、匿名性に関する警告が表示された。「YouTube(Google社)に匿名性はありません。ここで見るビデオはGoogle社によって記録されています」と。実にはっきりと述べている。


情報としては知っていたものの、このような表示を見せられると、このまま安易にアクセスしてよいものやらどうか。

そういえば、Google Photos がその方針変更を発表した。まあ、いつかはやるだろうと思っていたが、現行の写真保管のデータ量にキャップ(上限)をかけることにするらしい。

ユーザーとすれば、使用料を彼らに払って使っているサービスではないので何をやられても文句の言いようがない。

ただ、これをきっかけに、多くのユーザーがグーグルのサービス利用に関してより注意を向け、このままタダという目先の小さな利益を追って個人情報を垂れ流していってよいのか自分の頭で考えるきっかけになればと思う。

話をYouTubeに戻せば、彼らは広告収入を広告主から得ていながら(この仕組みは民間放送テレビやラジオと同じ)、さらに同時にユーザーの個人情報を収集し、販売して稼いでいる。 大もうけできるはずだ。

2020年11月9日

犬の散歩にウンチはつきものだから

冠雪した富士山を眺めつつ、朝の空気を吸いながらススキの道を散歩をしていたら、道端にDog Poop Boxと書いた缶を収めたちいさな屋根付きの箱を見つけた。上の段にはビニール袋の箱が置いてある。

誰がこれを設置したのか。たぶん自分自身ワンコを連れて散歩をする人だろう。自分も使えるし、他の犬好きにも喜んでもらえると。この缶の大きさだと、2、3日に一度は回収をしなきゃならないけどね。



2020年11月6日

70円のエアメール

駅に向かう途中、書き損じのはがきを持って郵便局へ立ち寄った。鞄の中から取り出したのは、返信しなかった往復はがきの片割れが5枚ほどと机の引き出しに残っていた国際郵便はがきだ。

机を整理していて、古い手帳やらメモ帳の下から出てきたエアメール専用のはがきには、70円の切手が印刷されている。いつそれらを購入したがまったく記憶がない。10年以上前なのは確か、いや20年前くらかもしれない。

国内で使う普通のはがきが63円だかから、どうせこのままでは使えないだろうと思って窓口に出したとところ、「いまもこのまま使えますよ」と言われた。

はがきの代金はここ数年少しずつ上がってきたが、この国際郵便はがきは今も変わらず、立派にエアメールで送れると言われた。

Eメールでメッセージが送れる時代に、エアメールといえども葉書でメッセージを送る人がどれだけいま日本にいるのか、思わず考えてしまった。おそらくはほとんどいないとはいえ、こうした手段がまだ残っていることにはなんだか感謝の気持ちがわいてくる。

手書きのエアメールなんて書いたことない人がもうほとんどなんだろうけど、われわれの世代にとっては今も懐かしく、ちょっぴりお洒落な響きと感傷をかき立てるアイテムである。

2020年11月5日

地球から1番近い星、2番目に近い星

空気が澄んできて、天気がいい夜は星がたくさん見えるようになってきた。

ベランダに出てみると、正面に月と火星が。

スマホには天体観測用のアプリがいくつか入っていて、その中のひとつは星にカメラを向けると、星座と星の名前を示してくれる。無料のアプリなのに便利で重宝している。

2020年10月26日

気仙沼で秋刀魚を

秋の気仙沼にやって来た。一ノ関から気仙沼線に乗換えて気仙沼駅。そこから先はBRTと呼ばれる鉄道の代替交通機関として走っているバスで南気仙沼駅へ。もともと鉄道が架設されていたところが舗装され、バス路線に替わっている。 

南気仙沼駅前で待っていてくれたタクシーの運転手さんの案内で街を回る。まず街全体を見下ろせる場所へ行きたいという僕の希望で連れて行ってくれたのは、安波山という小高い山。

そこの駐車場から街を見下ろしたが、その場所は3・11の時に気仙沼に来ていたサンドウィッチマンが、地元の方に連れられて津波から避難してきた場所だったと聞いた。

街のなかは静かだ。夜は9時頃を過ぎると、あらかたはひっそりとしている。黄色い街路灯が冷たい光で地面を照らしている。

日中はいつも旅先でそうするように時間がある限り歩き回ったが、気になったのは子どもをまったく見なかったこと。もちろんいないわけじゃないだろうけど、なぜだろう。

安波山の展望台から市内を見下ろす

町の産業は、土木業だけが栄えている

昨年ほどではないが、ことしも秋刀魚の漁獲量は少ない

2020年10月21日

近藤等則の死を悼む

ジャズトランペッターの近藤等則が亡くなった。71歳。死亡理由は明らかにされていない。

80年代なかば、ジャズの歴史をモチーフにラジオコマーシャルのシリーズを制作していた時、アドバイザーをお願いしていたジャズ評論家の油井正一さんから「面白いから」と彼の音楽を薦められた。

既存の音楽集団に属することなく、独自の理論と音作りで世界を文字通りわたりながら活動していたミュージシャンだった。 

2020年10月11日

人は、本によってできている

部屋の片付け(つまり物を減らす作業)をしていたら、岩波書店が発行している古い『図書』がでてきた。1997年の臨時増刊号で、岩波新書創刊60周年記念と題字の上に描かれている。

特集タイトルは「私の薦めるこの一冊」。岩波書店が各界で活躍している人たちにアンケートを送り、回答を返してくれた429人の「岩波新書の一冊」についての思い出やコメントが紹介されている。

「岩波新書にこんな本があったんだ」という発見だけでなく、評者と本の意外な取り合わせが面白くて、トイレに置いてしばらく眺めていた。

劇作家の人が数学に関する本を「学生時代に読んで、忘れられない」と書いていたり、天文学者が禅の本を取り上げていたり。取り上げられている本にもまして、なぜこの人がこの本を、と創造するのがとても楽しい。

一方で、政治家が政治思想史の本を取り上げていたり、歴史学者が歴史の本をこの一冊と言っていてもなんだかね。

自分が回答するとしたら、どの一冊だろう。永六輔さんの『大往生』かな。

2020年10月7日

どこへ行くのか、民放放送

武漢型肺炎感染拡大以来、この半年は自宅で仕事をする機会が増えた。時を同じくして、テレビをつけている時間も以前に比べて伸びたのが分かる。きちんと見ている、聴いているわけではないが、なんとなく仕事のBGM的に流している。

主にチャンネルを合わしているのはCNNかBBC、そうでなければNHKの地上波かBSだ。

民放局(地上波もBSも)を見ることは、最近ではTBSの「報道特集」などごく一部の番組を除いてほとんどない。

民放を見ない理由は特にない。あえて言えば、見る理由がないから。どのニュース番組も主張がないし、ゴールデンタイムの番組もほとんど何のためにやっているのか意味が分からない。しかもやらたと1つの番組が長い。

今日の民放各局の夕方以降の番組は、NTVが夕方のニュース番組(バラエティ?)が2時間10分、その後の同じくバラエティが2時間、続いてドラマが2時間(まあこれは分かる)。

テレ朝は夕方のニュースが2時間5分、続くクイズ番組が3時間10分、ニュースが1時間20分。

TBSは夕方のニュースが3時間10分、続くバラエティが3時間。

テレ東は、夕方のニュースが2時間35分、その後のバラエティが2時間。

CXは夕方のニュースが3時間15分、続くバラエティが2時間、さらに2時間のバラエティが続く。

多彩な選択肢と時間の過ごし方が可能な現代で、どのくらいの人がひとつのチャンネルのまま3時間見続けると考えているのだろう。ただこうやって時間単価あたりの番組製作費を抑えているとしか思えない。

これまで僕は、いくらネットの時代になってもマスメディアのパワーと影響力は残ると主張してきたが、それにしてもこんなコンテンツじゃあ、民放局はどこも近いうちにどうなるかホントわかんないね。

だって番組編成を見る限り、どこももう半分死んでるも同様だからサ。

 

アップデイトという弊害

最近では、エクセルで関数を使って計算する機会は以前ほどなくなった。それでもたまにやんなきゃならないことがあって、スプレッドシートを開き作業する。

そうしたとき困るのは、アイコンやボタンの位置が以前使ってたときと感じが違っていること。ソフトの機能はさほど変わってないのに操作性だけが大きく変わっていて、昔の勘ではそのまま使えない。

さっさと計算を済ませたいのに、そのまえにエクセルの使い方に新たに慣れるという手間がかかるのは愉快ではない。

もういい加減、見た目を変更するだけのアップデイトは止めにして欲しいものである。

OSのバーションがどんどん変更になるのも考えもの。セキュリティ強化などが目的なのだろうが、それにしても手元でのアップデイトには手間がかかる。集中して作業しているとき、スクリーン上にOSアップデイトの案内などが出ると気が削がれるしね。

複数のパソコンを一緒に使ってると、各機のOSのバージョンの違いにより使えるソフトが異なる不便も発生する。

もうこの辺にしたら、と言いたくなるが、売らなきゃいけない方としてはそうもいかないのだろう。

下はコンサルタントをしている友人の「スタジオ」写真。企業研修などはここ(彼の自宅)からライブでやっているそう。MacBookが3台あるけど、うまく同期を取りながらやっているんだろうなあ。


2020年10月3日

DXは、80年代のSISに似ている

DX(デジタル・トランスフォーメーション)という言葉を聞くと、1980年代後半から90年代によく耳にしたSIS(戦略的情報システム)という言葉を思い出す。

あの頃、日本ではNECが中心だったろうか、当時まだ業務用コンピュータの中心をしめていたメインフレームとそれを動かすアプリケーションを販売するために大規模な広告を通じてSISを世に知らしめた。
ある会社の社長が、部下に向かって「君、秋葉原に行ってSISを買ってきてくれ」と言ったとか言わなかったとか。
戦略的な情報システムがあるわけではない。情報システムを戦略的に活用するかという人間の思考があるだけだ。
最近巷でよく言われてるデジタル・トランスフォーメーションにも同じ匂いを感じる。デジタル・トランスフォーメーションという何か便利な仕組みや仕掛けがあり、それを組織に導入することで業務改革が実現できたり、競争力を高められるとでも言いたいような話が多い。
今まで手書きしてた社内メモをメールに替えるのもデジタル・トランスフォーメーションだ。情報をデジタルにし、使いやすくするというだけのこと。中身は変わらない。
デジタル情報を何のためにどのように使うかは、人間のアタマ次第。意味のないデジタル投資にいくら金を費やしても、それだけでは自社の競争力を高めることができないのは明らかである。
基本に立ち返り、自分たちのビジネスは何なのか、自分たちの顧客は誰なのか、顧客にどういった価値を競争相手より上手に提供できるのかを知り、そして目的と目標をはっきりした上で、初めて経営者はデジタル・トランスフォーメーションをどう使うか決めることができるはずだ。
新しい言葉に振り回され、周りに遅れまいとデジタル投資をしさえすれば自分たちの組織は戦略的に動き始め、自動的に利益をあげられるとひょっとしたら多くの日本の経営者たちは夢想してるのかもしれないが。

2020年10月2日

いきなり馬脚を現した新政権

いやあ、驚いた。日本学術会議が推薦した新会員候補を菅首相が拒否した。学術会議が推薦書を提出した105人のなかから6人の任命を拒否した。

官房長官の加藤勝信は、「首相の下の行政機関である学術会議において、政府側が責任を持って(人事を)行うのは当然」と言ってのけた。

前代未聞。同会議が設置された目的からすると、首相に任命権そのものや拒否権があるとは思えない。気に入らぬものは徹底的に排除する精神のあらわれ以外のなにものでもない。

時の政府から拒否された以下の方々は、実はわれわれにとってとても重要な研究者であることが分かったよね。きちんと覚えておきたい。

【任命されなかった6人】 (ハフポストから)

■芦名定道(京都大教授 ・キリスト教学)
「安全保障関連法に反対する学者の会」や、安保法制に反対する「自由と平和のための京大有志の会」の賛同者。

■宇野重規(東京大社会科学研究所教授・政治思想史)
憲法学者らで作る「立憲デモクラシーの会」の呼びかけ人。 2013年12月に成立した特定秘密保護法について「民主主義の基盤そのものを危うくしかねない」と批判していた。

■岡田正則(早稲田大大学院法務研究科教授・行政法)
「安全保障関連法案の廃止を求める早稲田大学有志の会」の呼び掛け人。沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設問題を巡って2018年、政府対応に抗議する声明を発表。

■小沢隆一(東京慈恵会医科大教授・憲法学)
「安全保障関連法に反対する学者の会」の賛同者。安保関連法案について、2015年7月、衆院特別委員会の中央公聴会で、野党推薦の公述人として出席、廃案を求めた。

■加藤陽子(東京大大学院人文社会系研究科教授・日本近現代史)
「立憲デモクラシーの会」の呼び掛け人。改憲や特定秘密保護法などに反対。「内閣府公文書管理委員会」委員。現在は「国立公文書館の機能・施設の在り方等に関する調査検討会議」の委員。

■松宮孝明(立命館大大学院法務研究科教授・刑事法)
犯罪を計画段階から処罰する「共謀罪」法案について、2017年6月、参院法務委員会の参考人質疑で「戦後最悪の治安立法となる」などと批判。京都新聞に対し「とんでもないところに手を出してきたなこの政権は」と思ったとインタビューに答えている。