2019年2月11日

川のある風景

ポルトの街を東西に流れるドウロ川(Rio Douro)。その川によって街は北と南に分かたれている。北側の丘陵地は日当たりが良いからか、斜面に沿って多くの住宅が建ち並んでいる。

一方、川の南側のガイアと呼ばれる地区の斜面はあまり日当たりが良くないので、ワインの醸造所や倉庫が多く並んでいる。温度があまり変わらないから、それがきっと好都合だったわけだ。


リスボンは、テージョ川(Rio Tejo)によって南北に分かれていた。リスボンもここポルトも川があるから港があり、人や物が船で運ばれ、その結果経済が発達し、新しい文化や考えが外から入ってきていたのだろう。

ポルトの下町で

ポルトの裏町で見かけた微笑ましい風景。斜め上のお隣さんが洗濯物をベランダから下の家に落としてしまったのを、いつものことのように物干し竿で器用に拾い上げているおばさん。下町らしいいい光景に見とれてしまった。


「うまいもんだね〜」と下から声をかけたたら、おばさん、手を振って応えてくれた。




2019年2月9日

リスボンからポルトへ

ポルトガル鉄道でリスボン駅からポルトへと。ジウジアーロがデザインした急行列車で、時間はおよそ3時間弱。快適である。



2019年2月8日

ヨーロッパの西の果て

ヨーロッパ大陸の最西端、ポルトガルのロカ岬までやって来た。



ここからは目前には大海が広がっているだけ。15世紀から16世紀、ヴァスコ・ダ・ガマをはじめとするポルトガルの航海士たちが世界の海に出かけていったのは、この海の向こうに何があるのか知りたかったから。

レガレイラ宮殿の井戸

リスボンから車で西へ45分ほど。シントラという街にあるレガレイラ宮殿の起伏に富んだ敷地の中に、Initiation well と呼ばれる井戸がある。実際は水をためるための井戸ではなく、らせん状に人が上り下りすることができる縦穴である。

人は神に近づこうと高みを目指して塔を築いてきたが、この井戸は「逆さの塔(inverted tower)」と呼ばれている。人間の何か奥深くを探るために地中深く掘り続けられたものかもしれない。

底まで降りていくと、今度は横に何本か横穴が延びていて、泉に突き当たる。






2019年2月6日

鮨が握れば、どこでも生きていける

鮨はインターナショナルな食べ物である。世界中で愛され、食されている。だけど、本物の鮨を提供できているところは、本当に限られている。それは、本物の職人(Sushi chef)がいないから。

写真はミュンヘン空港で見かけたレストランの鮨である。マグロとえび、サーモンが2貫ずつ、あと巻物が2種類だけ。


これが24.5ユーロである。日本円にして3000円以上する。マグロもサーモンもエビも干からびている。

日本人で英語が多少できて鮨が握ることができれば、少なくとも都市ならば世界中どこででも仕事にありつける。日本にいて、これからの社会でAI(人工知能)と競争しながら職を得るより、若者にとってはよっぽど可能性のある生き方だと思うけど、どうだろう。

2019年2月5日

最悪、無駄なセキュリティチェック

羽田空港国際線ターミナルから海外へ発つに際してのセキュリティチェック。今回はキャリーバッグに入れておいた髭トリム用の小ばさみが引っかかった。

それはまだいいのだけど、身体チェック用のゲートをくぐった後に、係から「靴を脱いでください」と言われ、?と思いつつも、確かにアメリカなど海外の空港では靴を脱がされるのを思い出し、靴を脱ぐ。彼女は僕が脱いだその靴を手に身体チェックゲートの向こう側に行き、X線検査装置を通した。

構造上、靴に金属など何か反応するものが組み込まれているのか気になり、参考までに何が反応したのか尋ねてみた。「何もありません」との回答。なぜ靴を脱がせて、わざわざ検査装置を通したのか問うたら、今度は申し訳なさそうに「ランダムにやっているんです」と。

つまり、ランダムに客に靴を脱がせて、「靴もちゃんと調べてるんだかんね」と周りの客に示すためのデモンストレーションだった。何だかなあ・・・という感じ。

今回の乗り継ぎ先のミュンヘンの空港では、セーターまで脱がされた。必要ないだろうに。係の男声の命令口調に、一瞬むっとする。命令するのに慣れていて、人と接しているという感覚が麻痺している。

X線検査では、手荷物の中の金属製の携帯用箸が引っかかった。以前、ニューヨークのJFK空港ではハーモニカがX線検査で引っかかった。ハーモニカケースを指さされ、これは何だと問われ、「ハーモニカだよ。一曲聴かせてやろうか」といったら厭そうな顔をされた。

乗客の安全のために手荷物検査をするのは必要なことだけど、人の気持ちを思いっきり不愉快にしていることを当局は考えるべきだ。必要なことは必要なこととして、だけどもう少し旅人の気持ちを考えたやり方があるはず。危険物を持ち込ませないようにするためだろうが、威圧するだけが能ではないと思う。やっている方も機械のようだと、仕事が楽しくないだろうに。

2019年1月29日

カツ丼、カレー南蛮の三朝庵が閉店していた

早稲田大学の本キャンパスと文学部の間、馬場下町交差点の角にある蕎麦屋、三朝庵が閉店していた。

実は、この店の前、というか正確にはこの店がある交差点は週に何度も通っていた。が、気づかなかった。もともと営業時間が限られていたこともあり、店が閉まっていても、今の時間は「休憩時間」なんだろうと勝手に想像していた。ところが、実は昨年の7月31日に閉店していたとは。

112年の歴史を持ち、カツ丼やカレー南蛮の発祥の店として知られていた。確かに僕自身、ほんのたまにしか入らなかったが、いつも店はがらがらに空いていたのが今となっては思い起こされる。



降ろされたシャッターに貼られた紙には、スタッフの高齢化や人手不足が理由とあるけど、それが理由なら学生バイトでも使って続けられたはず。個人的な感想をいえば、数年前から店が死んでいた。

早稲田大学創設者の大隈家の御用達だとか、明治39年創業とか、カレー南蛮を初めてメニューに入れた店とか、きら星のような「歴史」に彩られてはいるが、そうした物語(ストーリー)に頼り切り、肝心の料理や店の掃除にはすっかり気が回っていなかったように思う。

最高の立地と最高の物語を持ち、しかも最高の利益率を誇る蕎麦屋という事業形態を生かせなかったのは、経営の不在としかいいようが無い。残念である。

2019年1月21日

そろそろポイントカードからおさらばした方がよさそうだ

日本国内で会員数6700万人を誇るポイントカードのTカードから、利用者の情報が警察(捜査当局)に流れていた。

6700万人とは圧倒的な数。日本全国民の半分以上にのぼる。 ただしこの数字はのべ数で、実際には使われていないものも多いだろうから、実数は2000万人くらいだろう。ただ、それだってすごい数といえる。

今回明らかになったのは、利用者の名前や住所、電話番号だけでなく、商品購入履歴も警察に流れていたということ。映画のDVDなどをレンタルしている場合は、そのレンタル記録(レンタル日、店舗名、レンタルした商品名)まで提供されていた。これは、その人の趣味や嗜好性が丸裸にされることを意味する。

報道によれば、「Tポイントの会員規約」には当局への情報提供は明記されていなかった、としている。しかしいずれにせよ、ポイントカードの会員規約など一般の人はほとんど読まない。

つまり、今回は規約になかったのに・・・ということで問題視されることになったが、規約にそうしたことが記されていたとしたら、運営会社のCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)は利用者に対して何を憚ることなく、会員情報を提供していたのだろう。

何も知らない、気づかないのはポイントカード利用者本人だけということになる。

世の中にポイントカードがあふれている。良くて1%、あるいは 0.5% 相当のポイントを貯めるために個人情報を売り渡し、財布をカードで膨らませ続けるのは、いい加減やめにした方が良さそうだ。

企業はこうしたデータが消費者行動理解につなげられると想定してるのだろうが、この程度のものでどんなインサイトが得られるというのか大いに疑問だ。

2019年1月14日

「恐怖の報酬」

こう寒いとプールに行く気がしなくて(会員になっているスポーツクラブにとっては一番いい客かもしれない)、つい楽に過ごせるものに走ってしまう。そうした中でもっとも安易なのが映画だ。

「恐怖の報酬」はウィリアム・フリードキンが1977年に監督した作品。1953年に製作された作品のリメイクである。現在、都内では1館だけ(新宿シネマート)で上映されている。


当時公開されたのは、30分ほど配給会社の手によってカットされた<短縮版>だったそうで、今回、<オリジナル完全版>を謳う作品が日本を含むいくつかの国でリバイバル上映されている。

ストーリーはシンプルと言えば、シンプル。見どころは戦慄的な状況のなかで生き抜く4人の非情な男たちの生と死といったところなのだろうが、僕にとっては美術デザインと音楽である。

この映画を世界に知らしめた最も印象的なシーンは、ニトログリセリンを運ぶトラックが密林の中の吊り橋を渡るところだろう。よくもまだこんなオンボロトラックが走っていると感心させられるのだが、それにも増して、そのフロントグリル周りがまるで怪物の顔なのである。

その怪物が唸りを上げ、ときに咆哮しながら奥地の道なき道を這い進んでいくシーンに引き込まれる。


クルマがこれほど怪物に見えたのは、スピルバーグの監督としての出世作といわれる「激突!」で執拗に主人公の車を追い詰める大型トレーラー以来だ。

音楽は、タンジェリン・ドリーム。ドイツ出身の当時プログレッシブ・ロックといわれたバンドの一つである。今聞けば、プログレッシブどころか妙な懐かしさを感じさせる電子音楽なのだが、それが画面のおどろおどろしさと相まって心に残る。

2019年1月3日

セルジオ&セルゲイ

京都シネマで上映中の「セルジオ&セルゲイ」は、2017年に製作されたユーモアとファンタジーに溢れたキューバ映画。脚本・監督は、キューバ人のエルネスト・セラーノだ。


主人公の一人セルジオは、ロシアの大学院でマルクス主義哲学を専攻して学位を得て、いまは母国の大学で教鞭を執っているエリート共産主義者。だが時は1991年。ベルリンの壁が崩れ、社会主義陣営の崩壊の波の中で深刻な経済危機に見舞われているキューバでの暮らしは困難を極めている。

そんな彼の趣味はアマチュア無線である。ニューヨークに住む無線仲間から、本国では報道されない政府にとっての不都合な情報を得ては、将来の行く末を案じている。番組冒頭では、モールス信号で通信をしていた! その後、NYの無線仲間から機器をプレゼントしてもらって、やっと声で通信ができるようになった。

もう一人の主人公であるセルゲイは、母国の宇宙ステーションに滞在中にソ連が崩壊したため、帰還が無期限で延長されてしまったソ連の宇宙飛行士。地球から何百キロと離れた宇宙でひとり、どうしようもなく日々の決まり切った活動を続ける彼は、ある種腹立ち紛れに無線で地球に語りかける。

そこでこのふたりが電波の上で出会って、交信をするというわけだ。その後、このふたりがそれぞれ置かれた悲惨な状況をどう生き抜いているかは映画を観てのことだが、どんな時も投げやりにならず、ユーモアを忘れない考え方はすてきだ。

かつてロシアに留学し、マルクス主義哲学で学位を取ったエリート大学教授が、社会主義の崩壊の波のなかで一気に傍流に押し流されていく様子。宇宙にいる間に母国のソ連が崩壊し、帰るに帰れなくなった宇宙飛行士。そのふたりが、実にローテクなアマチュア無線でつながるというアイデア。皮肉と諧謔が込められていて、どれも気に入った。

セルゲイにはモデルがいる。実際に帰還無期限延長を命じられたのロシアの宇宙飛行士である。ただ名前はセルゲイではない。映画では、典型的なソ連人(ロシア人)の名前としてセルゲイと呼ばれ、同様にセルジオは典型的なキューバ人の名前だ。

スピルバーグが監督し、トム・ハンクスが主演した「ターミナル」という映画があった。確かクラコウジアという架空の国だが、その国からアメリカにやって来た男の物語だった。故国が突然政変で消滅し、パスポートが無効になったために到着した空港(ニューヨークのJ・F・ケネディ空港)から外へ出られなくなった彼とそのターミナル内で働く従業員たちの交流を描いていた。

こちらも自分の意思に関係なく、政治の大きな流れの中で翻弄される個人の不幸と悲哀テーマにしながら、それでも国籍や民族にとらわれず個人と個人が意思を通じさせることで生まれる交流を温かく描いていた。


 モチーフは似ているが、どちらもその目の付け所がいい。

2019年1月2日

今年の年始は奈良で

年の暮れに思い立ったように新幹線に乗り込み西へ。京都で近鉄京都線に乗り換え、近鉄奈良駅まで。

近くのホテルで一泊し、元旦は初詣に桜井市にある三輪明神 大神神社(おおみわじんじゃ)へ参った。この神社は本殿がなく、うしろの三輪山そのものをご神体にいただく原初の神祀りの様を今に伝える、日本最古の神社といわれている。

真ん中に見えるのが大鳥居

派手さのない神社なので静かにお参りができるだろうと勝手に想像していたのだが、由緒ある神社だけあってなかなかの人出で賑わっていた。

お参りの後は、地元名物の三輪そうめんを昼食にいただいて帰ってきた。

2018年12月31日

落成した興福寺中金堂

昨年10月に300年ぶりに再建された興福寺中金堂。どんなものかと大晦日に訪ねてみたのだが、これがなんというか、朱塗りの鮮やかな建物は写真の通り立派なのだけど、内部は安っぽいとしか言いようがなかった。


中央の釈迦如来像は別として、コンクリートの台の上に無造作(にしか見えない)に配置された何体かの菩薩像。展示の仕方とライティングのお粗末さが相まって、キッチュな感じしかしなかったのが残念。取り合えず落成しました、といったところか。


一方、その後で訪ねた新薬師寺はさすが。小さな寺ではあるが、本堂内部の雰囲気といい、ぐるりと輪を描いて配置された十二神将といい、見事だった。

こちらはデビューして55年

横浜市中区にあるシネマ・ジャック&ベティで映画「エリック・クラプトン 12小節の人生」を観にいく。

神奈川県内では、そこと川崎市アートセンターアルテリオ映像館の2館でしか上映していない。もっとも、都内でも有楽町、渋谷、池袋でそれぞれ1館で上映されているだけだ。

映画館の最寄りの地下鉄駅を降り、改札を出たところにある駅周辺地図の前に行くと70歳くらいの中年男性が3人ほど立っていたのでどいてくれるように頼んだら、「ジャック&ベティですか?」と聞かれた。なんでそこに行こうとしているのが分かったんだ? 自分たちも仲間が到着したらこれから行くのだとか。


クラプトンについては、ウィキペディアでは以下のような紹介がされている。
イングランド出身のミュージシャン、シンガーソングライター。 「スローハンド」と呼ばれるギターの名手として知られ、ソングライティングも優れた世界的なアーティスト。ジェフ・ベック、ジミー・ペイジと並ぶ世界3大ロック・ギタリストの一人とされている。 『ロックの殿堂』を3度受賞。
現在73歳。デビューして55年になる。

実の母親から捨てられ、孤独で屈折した少年時代にブルースに出会い、衝撃を受ける。その大きなきっかけは、B.B. キングの音楽だった。映画の冒頭で、クラプトンがカメラに向かって「もしまだブルースのことをよく知らなければ、私自身の出発点となったこのアルバムを探して聴いてほしい」と語りかける。2015年に亡くなったB.B.キングの死を悼む言葉である。そして映画は、ステージ上のB.B.キングが、そのステージの袖に立っているクラプトンへ向けて敬愛の言葉を語るシーンで終わる。

しかし、なぜブルースがまだ少年だったクラプトンの心を捉えたのか。彼はその理由を語らない。ただ見るものには、複雑な少年時代の家庭環境や学校での鬱屈した日々が背景にあったのだろうと想像させる。

1991年、彼は当時4歳だった愛息を亡くす。ニューヨークの53階のアパートの窓からの転落死である。失意の底にたたき落とされた彼だが、音楽がその痛みを和らげた。

映画の最後のナレーションだったと思うが、少年時代にブルースに出会い、ブルースに心奪われてギタリストの道に進まなかったら、彼は労働者階級の一人として祖父と同じレンガ職人か、父親と同じタイル職人になっていたかもしれないと語られていた。

ブルースに出会わなかったらどうなっていたかなんて誰にもわからない。ただ、心に強く響いたものを自らに引きつけ、成功するかどうかなんて考えずに没頭することしか偉大になる道はないことは確かだ。

そういえば今月は、音楽に関係のある映画として他に「アリー スター誕生」と「ボヘミアン・ラプソディー」を観たが、いずれも上出来の作品だった。

こちらはフィクションではあるが、愛する者の死を経験し、それを乗り越えることでアーティストとして成長していくというのは、レディ・ガガが主演して製作された4度目のリメイク版「スター誕生」の重要なモチーフでもある。


また死といえば、「ボヘミアン・ラプソディー」は、エイズが原因で1991年に亡くなったフレディ・マーキュリーと彼のバンド、クイーンの物語。


フレディを演じた主演のラミ・マレックが、好演している。入念に施されたメイクもあるのだろうが、フレディがそこにいるような感覚になった。最後、ライブエイドのステージングには興奮した。


2018年12月20日

岡林信康50周年コンサート

岡林信康が「山谷ブルース」でデビューして50年。それを記念した彼のコンサートが六本木であった。


観客は60代以上の男性がほとんどだ。白髪、白髭、禿頭のオンパレードである。笑っちゃうよ、まったく。連れの女性に体を支えられて、何とかかんとか歩いているかつてのロッカーもちらほら。

コンサートは、岡林がステージに現れ、「どうも、沢田研二です。今日は満員じゃないけど、心を入れかえて歌います」と言ってまず一曲。いやはや、関西人である。

途中の休憩時間には、男性用のトイレからあふれた男たちの列がホールにもずらっと続いていて。初めて見た珍しい風景。

ゲストの予定だった山下洋輔がケガのため出演できなくなったのは残念だったけど、岡林がギター一本で歌う姿は懐かしく、中学生時代の自分がふっと頭に浮かんできて不思議な感覚だった。


2018年12月15日

日本は本当に出遅れたのか

ある新聞社がキャッシュレス決済について調査したところによると、日本人の8割がQR決済について知らなかったらしい。で、記事の見出しは「日本の出遅れ鮮明に」とある。
これは中国やインドなどと比較しての評価だ。中国では10億人がQR決済を利用し、すでに都市部の実店舗決済全体の7割近くをQR決済が占め、現金による支払いをはるかに圧倒してる。中国でアリババやテンセントのスマホ決済が市場を独占している様子がうかがえる。
この背景には、中国の現金決済のこれまでの環境がある。日本のように、すぐ近くに銀行や郵便局、さらにはコンビニのATMがあっていつでも現金を引き出すことができるわけではない。

また、現金で買い物した時におつりがよく間違っていたり、またごまかされたりするという。偽札が頻繁に出回っているため、おつりをもらった時には高額紙幣の場合それを光に透かして本物かどうか確認したりする必要もあるらしい。さらには、日本と比べて古い紙幣が中央銀行によって交換されないまま流通しているために、異常に汚れ、ヨレヨレで触るのも憚れるようなものが一般的にまだ用いられているという状況だ。
そうした中で電子的に処理で済ませられるスマホ決済は、きわめて安全で安心、そして清潔な決済手段だ。利用者にとって利便性は高く、また流通業者や決済機関にとっても大きなメリットがある。
そうしたものがスマホとネットワークの普及、そして情報処理スピードとコストの改善によって実現され急速に普及してきたというわけだ。
インドにおいてもスマホでの決済を使う人は3億人に上るという。その普及の理由は、中国とさほど変わるところはないだろう。つまり、どちらにしても日本とは基本的に貨幣を巡る社会環境が全く異なっていることが指摘される。
にもかかわらず、日本が中国やインドの後塵を拝してるとか、出遅れてるという判断はどうなんだろう。有り体に言ってしまえば、日本人の多くは必要がないから使わない、ただそれだけなのである。遅れているとか、進んでいるとう話ではない。

2018年12月14日

NHKもキャラクター商売

今朝、東京駅日本橋口地下で見つけた行列。「最後尾」と書かれたプラカードを持つ女性に何の列か尋ねたら、「チコちゃんに叱られるグッズが今日から発売になるんですよ」とのこと。


知らなかったが、この地下にNHKキャラクターショップなるものがあり、そこへ向かう行列だった。
http://www.nhk-character.com/chara/chico/images/chico_catalogue.pdf

並んでいたのは、いい年をした(失礼!)おじさんとおばさんがほとんどなのが、ちょっと意外。

チコちゃんとは、着ぐるみで顔の表情をCG加工したあの「ボーと生きてんじゃねーよ」と大人を叱咤する少女のキャラクターである。ボイスエクスチェンジャーで変換した独特の声が耳に残っている。

僕と同年代の男女が列をなしてキャラクターグッズの発売を待つほど人気とは知らなかった。


2018年12月13日

ソーセージパテは、オクラホマから

駅前の定食屋の階段を降りると、そこはマクドナルドのバックヤードの入口だった。

台車に積まれた段ボールが所在なげにおかれていて、それにふと目をやると、ソーセージパティ Manufacutured By Lopez Foods Inc. Oklahoma City と書いてあった。

マックは、食材をわざわざ北米から輸入してる。冷凍輸送しても、その方が安価なんだ。



2018年12月12日

横文字経営

ある新聞社系ビジネス雑誌の記事。その最初のページに、EGS、SDGs、CSVという文字が躍っていた。サステナブル経営がその記事のテーマだ。

EGSは環境、社会、ガバナンスのそれぞれの頭文字。SDGsは「持続可能な開発目標」と説明があり、CSVはCreatng Shared Value=共通価値の創造のことである。

今さらながらだが、書き手も読者もこうしたアルファベットを並べた文書を読んでどれほどの理解をしているのか疑問に感じる。

環境を考え、社会的にきちんと適応し、ガバナンスに沿った経営が求められていることは常識のレベルだ。

SDGsは、2015年の国連サミットで設定された17のゴール(目標)のこと。


大切なのは、そこで掲げられている個別の目標であり、その実現のための活動や施策だ。SDGsという<標語>ではなく。

Creating Shared Valueは、米国の有名な経営学者が唱えたことで日本企業の経営者の口にものぼることになった考えだが、これとて近江商人が持っていた「三方よし」の理念と本質的にどれだけ違うのか。

自らの足下すらよく見ず、舶来ものの考え方を即物的に有り難がる傾向は明治時代以来変わらぬの日本の伝統か。こうした言葉を軽々に振り回す人たちほど、何かというとイノベーション、イノベーションと五月蠅い。

2018年12月11日

没後50年の藤田嗣治展

この夏に東京(東京都美術館)で見逃した藤田嗣治展を、やっと京都(京都国立近代美術館)で見てきた。こちらも来週末で終わりだ。


今回は没後50年ということでの大回顧展とうたっており、100点以上の作品が展示されていた。

おかっぱ髪に丸眼鏡、ちょび髭の藤田は、その独特の風貌と画家として活躍したフランスでレオナール・フジタと呼ばれていたといったことから、繊細で女性的なパーソナリティだと勝手に思っていたのだが、今回の回顧展で知った藤田は明治半ばに生まれた極めて日本的で男性的な人物だと思った。

画家としては大変精力的で、フランスを中心にヨーロッパ、日本やアメリカ(ニューヨーク)、南米各国を旅しながら数多くの作品を制作していて、それらの土地の空気やそのときの時代性がキャンバスに描かれている。

藤田といえば女性の肖像と自画像というイメージがあったが、僕は彼が南米のペルーやボリビアで描いた現地の人たち、つまりインディオと呼ばれている人たちを描いたものがひときわ印象に残った。