2018年11月4日

思考の芸術

上野の東京国立博物館で「マルセル・デュシャンと日本美術」と題した展覧会が開催されている。デュシャンは20世紀の美術に多大な営業を与えたフランス出身の美術家。



男性用小便器を「泉」と題した芸術作品と定義したことで有名だが、この作品の原題 Fountain は日本語では泉より噴水とした方がイメージがわくと個人的には思うのだが、どうだろう。


僕は大学のマーケティング授業のなかでポジショニングについて学生に説明するとき、実体を変えずにそのものの位置づけや意味を変えた一つの例として彼のこの作品を紹介することがある。

デュシャンはそこに描かれた表現よりも、それが帯びている意味や思考、解釈を芸術の根幹と捉え、すこぶる自由にアーティストとしての活動を行った。

やがては絵画制作を放棄し、大量生産品から彼が選んだものを「レディメイド」という名で作品化するにいたるーーただし、今回の展覧会には彼の初期の絵画作品も十数点飾られていたが、それらはどれも技巧的に優れたものだった。

キャンベル・スープの缶のデザインをモチーフとして取り上げたアンディ・ウォーホルは、デュシャンの価値の転換を換骨奪胎したことに気づく。

2018年11月3日

夜明けまえ

タイムラプスで月を撮ってみた。
夜明け前の空の色がきれいだ。


2018年11月2日

地上350メートルからの眺め

今日は大学が学園祭で全校休業ということもあり、 秋らしい晴れ渡った青空に誘われて浅草までやって来た。


スカイツリーを今日初めて訪れた。2012年春のオープンだから、もう6年以上が過ぎている。いつでも行ける、はいつまでたっても行かない、の典型的な例だ。

展望デッキは地上350メートル。そこへ昇るエレベータの速度と、それを感じさせない制御技術は素晴らしい。東芝製のエレベータだった。

平日にもかかわらず賑わう展望デッキ
荒川に向かって伸びるスカイツリーとイーストタワーの影を展望デッキから撮影

帰りは吾妻橋近くの神谷バーに寄ったあと浅草鷲神社の酉の市へ向かう。凄い人混みである。


2018年10月28日

更待月

きょうの月は、月齢19.43。この頃の月を更待月(ふけまちづき)と呼ぶ。月が出てくるのが遅く、夜も更けて出てくるところからそう名づけられている。こうした月の呼び名には風情を感じる。


2018年10月25日

十五夜の月

空を見上げると見事な満月が。ふとその写真を撮りたくなり、急いで駅前のカメラ屋へ走り一眼レフを買ってきた。

最初に撮った一枚が次の写真だ。2420万画素あれば、月面のクレーターの凸凹もこれだけ写る。

満月の月は神秘的で本当にきれいだ。これまでも数えられないほど見ているにもかかわらず、眺めていて飽きない。


2018年10月24日

カメラに映った映像は美しかった

3年に一度、大腸の内視鏡検査を受けている。今年はその年で、今日がその日だった。

昨日から朝・昼・晩と前もって病院から送られた検査食で済ませ、今朝は水を一杯飲んで病院へ向かった。

朝8時15分に受付を済ませ、検査着に着替え、看護師から説明を受ける。渡されたのは下剤を溶かした2リットルの水を1時間半ほどかけて飲み、大腸の中を空っぽにする。マズイ。何かもう少し味を付けてくれると助かるのだが、製造している製薬会社も利用している医師もそんなことはお構いなしのようであう。

結局2時間ほど病院の待合室で例の検査薬を飲みながらウロウロして、やっと内視鏡検査の段になった。

ここから先は検査状況の詳細の説明は省略するが、検査で用いられた内視鏡は素晴らしいものだった。水を出す管と水を吸引する管が一本のカメラスコープに埋め込まれている。そのお陰で、カメラがなめらかに腸内を進み、しかも余分な水を即時に取り除くことができる。

その内視鏡は日本のオリンパス製だ。「高いんですよ、これ。だから大切に扱っているんです」と看護師の方が教えてくれた。

確かに検査台に横になって、自分の腸内をカメラが次々とモニターに映し出す映像を見ることができるのだが、その映像の鮮やかなことに驚く。人体の美しさに感動すらする。

検査をしたのは妙齢の女医だった。手慣れたもので、思い切りもいい。じゃないと、務まらない仕事だ。

検査の後その結果を聞くとき、やはりしなきゃと思った質問は、今年イグノーベル賞を取った日本人医師のアイデアについてだ。

長野県駒ヶ根市にある昭和伊南総合病院で内科診療部長をつとめる堀内朗氏が「座位で行う大腸内視鏡検査―自ら試して分かった教訓」という研究で「イグノーベル医学教育賞」を受賞したニュースだ。


上記の映像の45分あたりで堀内氏の受賞風景がある。生真面目な医師・研究者としての側面がうかがえて微笑ましく、かつ笑える。

大腸の検査してくれた女医さんに興味半分で「あれって、将来的にはありですかね?」と聞いてみたら、「いやあ、あの先生は変わっているだけだから・・・」と笑ってかわされた。


2018年10月21日

劇場ひとりじめ

日曜日の夜、レイトショーで映画「イコライザー2」を観た。デンゼル・ワシントン主演のサスペンス・アクションである。先月、学会からの帰りの帰国便でたまたま第1弾の「イコライザー」を見て面白かったこともあり、劇場に足を運んだ。

Equalizerを辞書で引いてみると「すべての人を平等にする人(もの)」と言う意味と「銃や武器のくだけた表現」と書いてある。ダブル・ミーニングであり、この映画をよく示している。

見終わって頭に浮かんだのは、緒形拳が藤枝梅安を演じた「必殺仕掛人」。舞台を現代のアメリカに置き換えるとこうなるという感じだ。

日曜日の夜ということもあるのか、劇場が7つ収められたシネマ・コンプレックスのなかで客席数が337席のもっとも大きな劇場での上映にもかかわらず、劇場にいた観客はぼくひとり。こんなに面白い映画なのに。


2018年10月16日

原因と結果との因果関係をしっかり辿るのが先だ

今朝の新聞一面の見出しに「レジ袋、コンビニも有料に 環境省が義務化方針」とする記事があった。

「環境省は小売店で配布されるレジ袋について有料化を義務付ける方針を固めた」で始まる記事によると、対象はスーパとコンビニでレジ袋1枚につき数円の支払いを店頭で消費者に義務づけるらしい。

肝心の目的に関しては、記事は次のように紹介している。「海に流出した廃プラスチックの環境問題が深刻になるなか、レジ袋を減らし汚染防止につなげる」と。

つまり、「レジ袋の有料化 → 使用量の減少 → 海への流出の減少」という図式が環境省のあたまにある。

目的がプラスチックによる海洋汚染の防止ならば、もっと集中的に力を入れるポイントは別にあるはず。海洋投棄をどう防ぐかがカギであって、コンビニやスーパーの店頭でレジ袋で金をとるかどうかはどう考えても副次的な話だ。

海岸や河川などからゴミとしてビニール袋が海に流れ出てしまうのは、個人のマナーの問題である。またゴミ箱を必要に応じて設置しない、それをきちんと管理しない行政の責任も大きい。 それ以外にも流れ出る「ルート」があるかもしれないが、それが何なのかまずはトラッキングしてみる必要がある。

いずれにせよ、店頭で金を取るにしても、それは店が判断すること。役所が義務化することではない。企業はそうした押しつけに対しては、業界で反発すればいい。

国の狙いは、例えば2円のレジ袋ならそのうち1円を海洋汚染対策税かなにかの名目で召し上げようと考えているのでは。

ところで記事では、国内で消費されるレジ袋は450億枚程度と推定されるとしている。いつのことか、またその期間が書かれていない。1年間なら人口一人当たり360枚になるが・・・。 

疑問に思い、ここで新聞社に電話。交換台から読者センターに回され、問い合わせの内容を伝えたところ担当の男性がしばらくネットで検索している雰囲気が伝わってきたのち「分かりません。書かれている以上のことは知りません」と回答。ビックリ! 

記事のなかに期間が記載されていないので問い合わせているのだと伝えたら「環境省に聞いてください」って言うし、環境省のリリースをもとに書かれた記事なんですねと尋ねると、「それを書き写して何が悪いんですか」と喧嘩を売られた。挙げ句の果てに電話を一方的に切られた。日経新聞東京本社。

ここまで常軌を逸した対応も珍しい。もう一度題字下に書かれている代表番号に電話し、記事について問い合わせしたら分からないと言われ電話を切られた旨を伝えた。読者センターの別の担当者(今度もまた年配の男性)が恐縮して電話口に出てきた。先ほどの対応時の状況を伝えたら、なにやら受話器の向こうで不穏な雰囲気が流れているのが分かった。常習者がいるのだろう。結局、「申し訳ありませんでした。よく指導しておきますので」と言われ会話を終えた。

もとは記者か何かだったのが、今は肩書きを外され読者センターに回され腐ってしまった一例にあたったようだ。

2018年9月23日

大学院生は、まず学ぶことを学んで欲しい

まもなく後期の授業が始まる。それに先だって、大学から前期授業の学生アンケートの結果が送られてきた。

今回もだが、僕の授業への学生の評価は双耳峰形だ。つまりピークが2つある。気に入ってくれる集団がいる一方で、気に入らなかったというもう一つの集団のコブがある。

マーケティングのような分野は、すでに仕事で担当者として携わっている人たちにとっては馴染みがある一方で、例えばビジネススクールのファイナンス専攻に入学してきたような学生たちにとっては馴染みもなければ、さほど関心のない領域である。また、知識や経験と同じくらいセンス(ビジネスマンとしての、また消費者としてのセンス)に左右される特徴もある。

クラスの全員を満遍なく満足させる授業という芸当ははなから無理と考えているので、ターゲティングが必要になる。僕の授業クラス内でのターゲットのイメージは、横軸にマーケティングの知識や習熟度、縦軸にその人数をとったときに描かれるだろう正規分布のカーブの右半分である。それがパレート的に最適だと考えているから。

毎回のクラスは、ケースメソッドによる討議型授業を中心にしている。最初の授業でマーケティングの概要について説明した後は、指定教科書は自分で読み進めるように毎回の授業テーマとそれに対応する教科書の章をリーディングリストとして渡しておく。

マーケティングのテキストには難しい数式があるわけでもなく、哲学書のような難度の高い論理展開があるわけでもない。普通の社会人なら読めば書かれている理屈は分かるはずだとの前提に立っている。

もちろん読んで分からないところがあれば遠慮なく質問するように伝えてあるが、教科書の内容に関して質問を受けたことは一度もない。

ところが授業後のアンケートを読むと、例年自由回答欄には教科書に沿ってマーケティング理論の説明をしっかりして欲しかった、というのが何通もある。だいたいどういった学生(大学院生)かその年のクラスの顔ぶれで分かるのだが、大学1年生ではないのだから自分がどう勉強するかは自分で学ばないとね。


社会人大学生がお客さん気分いっぱいで、何でもすぐ消化できるようにかみ砕いて教えてくれなきゃイヤ、とばかりにぐずっているようにすら感じる時がある。一流のビジネスマンは、自らが学ぶことを学ぶ、いわばメタ・ラーニングができることが必須である。

燧ヶ岳双耳峰

2018年9月21日

リアリティが失われつつある時代を象徴する事件

今年1月にビットコイン(仮想通貨)約580億円が渋谷にある会社・コインチェックから盗まれたばかりなのだが、また同様の事件が起こった。

今回は大阪市にある仮想通貨交換会社テックビューロから約67億円相当が流出したという。流出の意味がいまひとつよく分からないが、ビットコインの時も「流出」が用いられていたところからは、流出=ハッキング=窃盗と判断できる。

不正アクセス(つまり窃盗)が起こったのは14日、異常を検知した(窃盗に気づいた)のが17日、被害届を出したのが18日、事件を発表したのが20日となっている。

大規模な窃盗事件で思い出すのが、今からちょうど50年前に起こった「三億円事件」である。「三億円強奪事件」とも呼ばれている。東芝府中工場で働く従業員523人分の年末ボーナスを載せた現金輸送車が、白バイ隊員に扮した犯人に騙されてジュラルミンケース3つに入れられていた3億円を奪われた事件。

当然、メディアでも長らく大々的に取り上げられた。捜査に携わった警察官の数、17万人。捜査にかかった費用は盗まれた3億円の3倍にのぼった大事件である。


3億円といっても一万円札でどのくらいの分量なのかすぐに分かるのは銀行員くらいだろう。だが、ひとつ29.4キロのジュラルミンケースで3つと言われると、その札束(金額)の膨大さと重さを頭に描くことができる。

お札そのものの重さは、一万円札で一千万円が1キロと聞いたことがある。1億円は10キロの重さだ。

1月に盗まれた580億円は、重量にすると5.8トン! 今回の67億円は670キロだ。半端な分量でないのが、重さ換算すると実感できる。

映画ダイハードで、ニューヨークにあるFRBの地下から悪党たちが膨大な金塊を盗むシーンがあった。そのとき使われていた「窃盗道具」は、なんとパワーショベル機だった。なにせ重いから、当然そうなるわけだ。

しかしデジタルマネーは、いくら大金であろうと重さはない。載せて逃げる車も積み替えに使うパワーショベルも必要ない。音もなく、いつの間にか盗み取られるだけだ。デジタルの世界では10億円の窃盗も100億円の窃盗もただ0がひとつ違うだけ。

今年の1月と今回、これほどの大金が盗まれた大事件であるにもかかわらず、世の中が三億円事件当時のように大騒ぎしないのはそのせいか。

今後もこうした事件が現れるのだろうが、リアリティに欠けるだけにその重大さが薄まっていくのが怖い。

2018年9月17日

らしいと言えば、らしい

先々週、イタリアの学会に参加する際はワルシャワ経由のフライトで行った。

いつものように目的地(今回はイタリア)でネットを使用するための携帯ルーターはレンタルしたものを持って行っていたが、経由地のポーランドではそれは使用できない。

かといって、たかがメールチェックのために日本の携帯会社にばか高いローミング料金を払うのも気が進まず、Skype WiFi でホットスポットの公衆無線LANサービスでつなごうとしたが何故かうまくいかなかった。帰りのフライトで立ち寄ったときも同様だった。

海外に行ったとき、ホテルやスタバなど自由にネットが使える場所以外ではSkype WiFiが重宝していたので、今後のこともあるだろうとネットで検索してみたところ、CNET Japanのサイトに昨年の3月31日でサービスの提供が打ち切られていたことが掲載されていた。https://japan.cnet.com/article/35097346/

まったく知らなかった。知らされていなかった。Skype への登録メールの受信フォルダを検索したが、そうした連絡は何も届いていない。

CNET Jpan の記事(2017年3月1日付)によれば、
MicrosoftはSkype WiFiをまもなく終了する正式な理由について、次のように説明している。「全世界でSkype WiFiを終了するのは、中核的なSkype機能を通して可能な限り最高の体験をユーザーに提供する取り組みに、さらに集中できるようにするためだ」
とある。

利用者に知らせるべきことを知らせないで「可能な限り最高の体験をユーザーに提供する」というのはどういうことだろう。

このあたりの目線の置き方の奇妙さは、マイクロソフト社ならでは。いつまでたっても変わらない会社である。

2018年9月14日

ロックは海を見にいった

瀬戸内海の離島で飼っていた犬が、先日亡くなった。

14年前に保健所で保護されていたのを両親がもらってきた牡の雑種犬である。名前はロックといった。その前に飼っていた犬の名前がゴローだったので、五の次は六ということでのシンプルな命名だった。

そのままだったら殺処分されていたかもしれない犬だが、そんなことは本人は知る由もない。それがよかった。のびのびと育てられたが、両親に引き取られるまでどこかでずいぶん人から怖い目にあわされていたのか、妙に臆病で弱虫のところがあった。台風で雷がなると、鳴き止まなかったりしたのもそのせいに違いないと思っている。

年に数回しか帰郷しないのだが、そんな犬と妙に気があった、ような気がする。

ここ数年は年をとり、白内障を患い、目があまり見えなくなっていた。昼間散歩に連れて歩いた際には、川や堀に何度も落ちかかった。地面が良く見えてなかったのだろう。足を滑らせ、首輪につなげているリースで首つり状態になった。

耳も遠くなった。食欲は最後まであったものの、最近は散歩に行きたがらなくなっていたのは、目や耳が弱ったことに加え、足も衰えてきていたからだろう。 一日中、家の中で静かに過ごすことが多くなっていた。

そのロックが先日、玄関の網戸を鼻で開けて外に出ていった。そしてその日、いつまでたっても帰って来なかった。翌日、方々を探してみると、家から200メートルほど離れた浜辺で横になって死んでいた。

家からほとんど出たがらなくなっていたのに、なぜ海辺まで行ったのかは謎だ。

そういえば彼が若かった頃、散歩で海辺へ連れて行くとうれしくてしょうがないのか、何度も横っ飛びをして喜んでいた姿を思い出す。

自分の死期を悟り、残った力をふりしぼって最後に海を見に行った、あるいは海の匂いを嗅ぎに行ったのかもしれない。そしてそこで事切れたのか。死ぬところを飼い主に見せたくなかったのか。本当のところは分からない。

2018年9月13日

犬と旅する人たち

外国を旅していると犬連れの旅人たちをよく見る。ベネチアでも普通に犬を連れて街を歩いている人たちとたくさんすれ違った。

地元の人たちが散歩に連れて歩いていることもあれば、旅行者が犬を連れていることもある。ベネチアの街を行き来するヴァポレットという船にも犬が一緒に乗船している。

おおむねどの犬も旅慣れた様子というか、人混みにもまれてても飼い主の足下で静かにしているのには感心させられる。

写真は、運河(Canal Grande)の船着き場で一休みしていたカップルとワンコ。


下はトレ・アルキ橋近くの民家が建ち並ぶエリア。夕刻、犬を連れたおじさんがのんびり散歩していた。2階の窓辺から猫が3匹夕陽にあたりながらそれを見下ろしていて、実にゆったりとした時間が流れていた。



2018年9月9日

石畳は意外とキツい

歩くことに関しては、人には負けない変な自信がある。自慢できるのはそれくらいかもしれない。

だからというわけではないが、特に外国に来るととにかく歩く。

今日ヴェネツィアで歩いたのは17,548歩。昨日は16,112歩だった。日本では普段が7〜8,000歩だから、だいたい倍以上歩いたことになる。距離にして今日が12キロ、昨日が11キロ。大した距離ではないはずが、どうしたことか妙に足首が痛む。



イタリアの古都は下が石畳で、しかも磨り減って結構デコボコになっているせいだろう。足首が痛くなるなんて初めてのこと。


2018年9月7日

イタリアの学会終了

今回学会が行われたヴェネツィア大学からヴェネツィア一の観光地、サン・マルコ広場までは運河を渡る船(ヴァポレット)で10分ほど。


広場に面したカフェ・フローリアンは1720年創業という歴史を感じさせる構えの店。しかし、夕方の乾いた空気のなかでは店内よりやっぱりテラス席が気持ちいい。

学会で一緒だったカセサート大学(タイ)の研究者とサン・マルコ広場で

2018年9月6日

いい加減にこの人をなんとかしないと

一昨日から学会に参加するためにイタリアに滞在している。

ランチタイムやコヒーブレイクの際には、参加者の間で様々なことが話題にのぼる。

アジアから来ている参加者からは関空の滑走路が水没し完全に機能を失ったこと、関西で台風の被害が出ていることに関して心配の言葉をかけられた。そして北海道での地震のことなども。

そうしたことはありがたいことなのだが、一方で、麻生副総理の無知極まりない発言については「日本の政治家はどうしてああなのか?」と憐れみとも批判ともとれる言葉をかけられる。

彼は講演で「G7(先進7カ国)の国の中でわれわれは唯一の有色人種であり、アジア人で出ているのは日本だけ」と述べたらしいが、それは完全に間違い。日本の中しか知らずそれ以外の世界を知ろうとしないと、こうした小学生にも笑われるお粗末な知識しか身につけられないという見本だ。

日本国の副総理兼財務大臣は、われわれ国民が外国で代わりに恥をかかされているのをご存知か。

https://jp.reuters.com/article/idJP2018090501002194

2018年9月5日

ヴェネツィアでの学会

大学が夏休みの期間を使ってイタリアのヴェネツィアで開催されている学会にやってきた。

会場はヴェネツィアを東西に2分するCanal Grandeと呼ばれる運河沿いにあるヴェネツィア大学。1400年代に建てられたゴシック建築の建物である。

今回は、現在Emotion Tech社(早大初のベンチャー企業)と一緒に開発を進めている顧客ロイヤルティと企業の成長力を測定するNPS(Net Promoter Score)の日本版(NPS-J)の日本市場適応性に関して発表した。

日本人消費者の特性をベースにした改良モデルの話だけにどれだけ理解してもらえるか心配したが、聞き手がマーケティングの専門家だけにあまり基礎的な質問が出なくて良かった。

ここでの日中の気温は25度から30度くらいだろうか。ただ、日本のように湿度が高くないので爽やかだ。ランチは大学の中庭でいただくのだが、あとは建物のなか。

晴れた空と滔々と流れる運河。こうした天気のなか教室で時間を過ごすのが馬鹿らしくなってくる。

学会の会場になった大学の教室から臨むベネチアの運河

2018年8月20日

不審なクレジット会社

最近、マーケティング情報について企業の人たちと話をしていると、さまざまなところでそのユーザーデータが他社へ流用されているのを耳にするクレディ・セゾンという会社がある。つまり、会員情報を方々に売っているのだろう。

今年5月中旬、そこから未払いだという請求書が送られてきた。そこには請求金額が7,000円、残高が7,047円と印字されている。覚えがない。放っておいたら、翌月また請求書が来た。今度は請求金額が7,000円で残高が7,011円。37円減少している。なぜだろう?

手紙で問い合わせをした。カード使用ということなのだろうから、いつ使用したものか、どこ(店の名)で使用したものか、何を買ったものかについて書面で回答するように連絡するように伝えた。

そうしたら文書が送られてきた。何も回答がない代わりに、そこには何度も「電話しろ」と書いてある。わざわざアンダーラインで強調している。


知り合いの弁護士に話したら変だねと首をかしげた。内容を文書にできないから、あるいはしたくないために電話するように執拗に言ってるのではないかと。あるいはデータがなくて返答できないからではないかと言う。

その後、またクレディ・セゾンから請求書が送られてきた。今度は請求額6,676円、残高が6,686円と印字されている。以前より数字が小さくなっている。理由はまたもや不明。

請求書と残高の差は何なのか、なぜ残高と請求額が違うのか、弁護士も首をひねる。請求額を引いて、10円だけ残高をわざわざ残す理由も意味不明であると。

クレディ・セゾンの社長に先の問い合わせに答えてくれるよう手紙を出した。別に社長が知り合いとかいったことではない。担当箇所が、自分たちの都合が悪いことをうやむやにするのを避けるためである。

返事が来た。使ったとされるカードは何ヶ月も前に解約したカードだ。「内容につきましては、ご利用店にお問い合わせ下さい」とあるが、関係がないところなので問い合わせのしようがない。請求額と残高の差額は「手数料、お支払い期日までの遅延損害金」と返答してきたが、請求書上の請求額の内訳欄の「利息/手数料」「遅延損害金」はどちらもゼロになっている。計算も合わず、理解不能だ。

日本人は現金を使用する割合が、他の国と比べて依然として高い。2020年の五輪を控えて、観光促進を目的にもっとクレジットカードや電子マネーを使うように国を挙げてキャンペーンが始まっている。

それはそれで結構だが、こうしたとんでもないクレジットカード会社が存在していることに十分を注意を向ける必要がある。

弁護士に言われて CIC(Credit Information Center)という信用情報機関に自分の信用情報がどのように登録されているか照会したら、案の定、クレディセゾンが僕の信用度をそこに「ブラック」として登録していた。やってくれるじゃないの。

2018年8月15日

ドローンの可能性は多彩だ

先日、番組名は忘れてしまったがNHK-BSで日本の北アルプスをドローンによって上空から眺めていくという番組を見た。実に雄大で清々しい映像に魅了された。
人が歩きながらでは絶対に見ることができないいくつもの風景とアングル。深く切れ入った谷間の奥底の様子や伸びやかな稜線の流れなども、ドローンのカメラで自在に見ることができる。
また、その落差300メートルにも及ぶ巨大な瀑布をその滝口から滝壺まで、まるで水の飛沫をあびるかのように近接した距離で下っていくような映像すら見ることができた。これまでに我々が見ることができなかった全く新しい経験である。
これまでも空撮という撮影手法はあった。それらはたいていヘリからのものだ。以前ある外資系企業でブランドマネージャーをしていた時、テレビコマーシャルの仕事でニューヨークの摩天楼の夜を撮影するということがあった。
撮影していたCMの中で、夜景をバックに上空からブルックリン・ブリッジにぐっと寄っていき、そのまま橋の下をくぐり、抜けたところでマンハッタンの摩天楼を見下ろしながら一気に空に向けて上昇するシーンがあった。
きわどいシーンであり、今思えばよく撮影許可が出たなと思うが、さすがニューヨークは映画の都である。撮影クルーを乗せたヘリを操縦したのは、かつてベトナム戦争で攻撃用ヘリの操縦桿を握っていた元アメリカ空軍の名うてのパイロット。おかげで非常にダイナミックでかつスリリングな映像を撮ることができた。
だが今は、そうした大がかりな事をする必要はない。リモコンでドローンを飛ばせばいいのだ。
さてそのNHKの番組であるが、撮影隊が使っていたのは中国DJI社のファントムというドローンである。おそらく今ドローンの世界で最もポピュラーかつ先進的なマシンがこのDJI製ということになる。
日本製はいったいどうしたんだろう。モーターやセンサー技術、制御技術、精密加工技術といったものは日本にも充分あるはず。そうした優れた要素技術がありながら、製品としてのドローンを世界に向けて発売できなかった理由の一つは、開発者がそうしたものを作っても実際に飛ばして実験を繰り返すことができなかったからではないだろうか。
日本の規制(航空法)がそうしたことを認めていない。コンピュータで設計したものも最終的には実際に繰り返し飛ばして初めて気がつくことが多々あるに違いない。そうした現場から得た知見をどんどん取り入れてフィードバックしていくことで製品の完成度が高まっていく。
中国はそのあたり、日本に比べると遥かに開放的というか斬新的な手法で開発を進めていくことができる。なんせ土地が広い、そして役所さえOKと言えばどこでだって実証実験はできる(はず)。この違いはこれまでになかった新しいものを生みだし、製品化していくスピード感を考えた場合、とても大きな違いとなってはね返ってくる。
カーシェアもそうだが、日本がつまらぬこれまでの既得権にがんじがらめに絡め取られた規制を保っている限り、アメリカに追いつくことはおろか、早晩中国にも様々な技術や製品やサービスで追い抜かれていくのは間違いないように思えてならない。

それにしても、世界中でほぼスタンダートになった中国製のドローンが、撮影用カメラの代わりに人を殺傷する武器を積んで我々の頭の上を飛び回る時代が来ないことを祈りたい。

*以下追記 2018/08/16
調べたら、番組は昨年放送されたものの再放送だった。
http://www4.nhk.or.jp/P4999/3/

2018年8月14日

面白く、観てて痛い映画

映画を選ぶ基準として専門家による映画評がある。僕が参考にする映画評論家は何人もいるが、その中のふたりが芝山幹郎と中野翠である。理由は経験的なことで、彼ら2人が高評価している作品は、自分もすこぶる面白いと思った映画が多かったというこれまでの記憶からである。


その芝山と中野がほぼ絶賛していた「ミッション:インポッシブル フォールアウト」を観に行った。

出だしからのラロ・シフリンの音楽がいいなあ。テレビドラマ時代の「スパイ大作戦」の時から変わらないにもかかわらず、今も新鮮。56歳というトム・クルーズが全速で走る、走る、走る。

映画の舞台は、パリ、ロンドン、カシミール。どれもいいが、パリ編が魅力的。サロンのトイレでの立ち回りが凄い。ほとんど部屋全体を破壊しながらの拳闘が続く。観てて、こぶしが痛い! これは全編を通じてずっと感じていたこと。

そういえば映画終了後、スクリーンに流れるエンドロールを見ていて気になったのだが、そこにクレジットされているCarpenters、Plasters、Painters のスタッフの人数が尋常ではない。なるほど、こうした殴り合いのシーンを作る際の力の入れ方が確かに違うとその時あらためて感じた。

場面から場面への転換などはあまりにもご都合主義だが、そこはお約束というかご愛敬。シークエンスではなく、それぞれのシーンでの100%のアクションがすべて。これぞ、アクション映画ということだろう。