2015年12月1日

規制できるものは何でも規制しようという役人の根性

先月十数年ぶりで引っ越しをした。いろいろと面倒だった。若い頃はだいたい2年おきに引っ越しをしていたが、その頃は大した仕事ではなかった。

しかし、この歳になるとその頃に比べて圧倒的に身の回りの物量が増し、また人間関係を含めいろいろ複雑なことが増えていることにあらためて気付く。人生のオリがたまってきているということだ。

転入転出の届け、パスポートの切替、銀行や証券会社への連絡などいずれも面倒くさいがやらざるを得ない。

ほとほと厭になったのは、電話会社の変更である。建物に架設されている回線の都合で、インターネットを含めた電話会社をプロバイダーは継続したままでK社からN社に変更した。その手続きは、バカバカしいほど手間がかかった。

以前の電話番号に入電した際に、新しい電話番号を流してもらうようにするだけのことで、K社に電話すると「そうした手続きはプロバイダーのソネットに任せている」と伝えられ、ソネットに連絡すると「新しい電話会社のN社に連絡してください」と言われ、N社に電話すると「以前にご使用になっていたK社に依頼してください」となる。

こうした訳の分からない循環を3回はまわっただろうか。まったく人の時間を何だと思っているのだろうか。

しかも、どこに連絡しても「ただいま電話がたいへん混み合っており、おつなぎできません。しばらく経ってお掛け直しになるか、そのままお待ちください」というメッセージを聞かされるのには心底アタマにきた。

こうした場合、電話をわざわざかけた身として腹立たしいのは、その相手の状況がわからないことである。こちらは、平日の午後という、忙しくないだろう時間帯に連絡しているにもかかわらず、毎度同じ「ただいま・・・」という音声メッセージを聞かされる。

混み合っているのではなく、対応をギリギリまで絞ったスタッフでやらせているからに違いない。そんなところで少々の人件費をガリガリ削ってどうすのか。本来のマネジメントができていないのだ。

あ、それと呆れたことをひとつ。引っ越しは、ある大手の業者のお任せパックのようなものを頼んだのだが、洗面所の洗濯機の設置が彼らではできない(認められていない)といわれた。電気工事業者に来てもらわなければならないことになっていると。それには4500円ほどの別料金がかかる。

設置といっても、やることは水道の蛇口の金具、ならびに排水菅を繫ぐことだけである。どうも以前、ある引っ越し業者がそれをやって、なにかの不具合で洗濯排水がうまく排水溝に流れなかったことがどこかであったらしく、それを契機に役所が引っ越し業者がそれをやってはいけないという規制を設けたというのだ。

コネクターを繫ぐだけだから、不器用な僕がやっても1分もかからない。ということは、今では誰だってできるのに。

2015年11月14日

アートによる地域再生をすすめる秘訣とは

今朝の「木村達也 ビジネスの森」は、『ひらく美術 〜地域と人間のつながりを取り戻す〜』(ちくま新書)の著者でアート・ディレクターの北川フラムさんをゲストにお迎えした。



彼が行っている多彩なアート関係の仕事の中のひとつが、越後妻有の「大地の芸術祭」の総合ディレクターである。

大地の芸術祭は、2000年から新潟県の越後妻有(新潟県十日町市、津南町)の里山を舞台に開催されている世界最大級の国際芸術祭であり、美術による地域再生を目指して3年に1度開かれている。この夏、3年ぶり(トリエンナーレ)6回目の開催が行われた。

http://www.echigo-tsumari.jp/about/overview/

僕はこの8月の末、金沢で行った大学院のゼミ合宿の帰り、朝5時半起きでJRに飛び乗り十日市駅に向かった。そこを起点に、一日だけだったが中心的な展示物を駆け足で見て回った。開催地域がとても広く、本当は2泊3日くらいで回るのがよかったのだけど。

当日のスタートであるJR十日町駅の駅前にはテントがならび、ボランティアをしている地域のおばさん、おじさんたちがお茶とお饅頭を振る舞ってくれた。地域で芸術祭をつくっているという想いが伝わってきて、とてもいい感じだった。

国際的な芸術祭を何ヵ月にもわたって開催するには、多くの人の協力と関与が不可欠だ。参加するアーティストはもちろん、会場を提供する地域の住民たち、行政の人たち、全国から集まったボランティア・・・。

そうした実に多様な人たちを「アート」の名の下だけでまとめていくのは、本当に大変そう。国家や企業が主導して、権力や金の力に任せて上意下達でやっていくのとは原理が違う。

フラムさんは、何といっても多様さがゆるされていることが最も重要だと主張する。その例として、彼らは芸術祭の事務局を毎回変えていく。プロを作らない。書記局のようなものができないようにすることで、官僚的にならないように心がけている。

つまり、1回ごとに事務局をご破算にするのだ。固定化しない。ベテランを作らず、専門化せず、毎回、大学生が中心で最初から作り上げていく。経験者は周りからながめながら、ちょろちょろと手伝う程度に抑える。

200人のサポーターより20人のプロの方が経済的には効率がいいが、それはまずい。できるだけ手間暇かけて、素人がかかわって行くことの方がいいという考え方である。

なんという非効率! ボランティアのなかには熟練のビジネスマンややり手のOLの人たちもいて、彼ら彼女たちからすれば何をやっているのか、ということになる。だが、フラムさんよれば、美術とは赤ちゃんのようなもの。本来とても手間がかかるし、面倒くさいもの。そして、回りが一緒になってケアしていくなかでみんながつながっていく。この喩えはとてもおもしろい。

ものごとを手早く片付けられのが、デキるビジネスマンとされている。効率さが、その人や組織の評価の重要な指標になっている。確かにビジネスは競争であり、他にまさるスピード感で走り続けるのが、競争優位を築くひとつのポイントである。

だからこそ、ビジネス的な効率性ではなくて、多様性と手作り感、そしてみんなの納得感を積み上げながら開催されている芸術祭が人の気持ちの奥底に届いてくるのだと思う。

今朝の選曲はドアーズで、Light My Fire 。


2015年10月31日

ニュース、見てますよ

今朝の「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、『ニュース、みてますか?』の著者でNHKプロデューサーの杉江義浩さん。


NHKの人気番組、番組「週刊こどもニュース」をお父さん役の池上彰さんと一緒に立ち上げ、8年間ディレクターを努めた杉江さん。通常、ニュース番組は報道局が制作するが、杉江さんは「お母さんといっしょ」などの教育番組を担当していたディレクターである。

「週刊こどもニュース」は、もともとは局の上からのお達しでスタートした番組ということだが、報道局で記者をしていた池上さんがその後、一躍テレビメディアの寵児になったのは番組を制作していた杉江さんの力も大きいに違いない。

正直言って、僕はNHKのニュース番組ほどつまらないものはないと思っている。しかしそうは言いつつ、夜7時のニュースは毎日ビデオに撮って夜中に早まわしに見ている。つまらなくても、それが日本の最大公約数的なニュース報道だろうと考えているから、いちおう抑えておくため。

「街角の声を聞きました」的な、新橋の機関車広場でのサラリーマンへのインタビューや、銀座4丁目での奥様へのインタビュー、何か催し物があった会場での小さなこどもへのインタビュー(?)には、毎度首を傾げてしまう。対象に媚びている様子が見えて、ジャーナリズムとはまったく異質なものを感じるからだ。

その点、「週刊こどもニュース」は番組として毎週ひねりが利いていた。こどもたちのキャスティングもよかった。彼らは、総理大臣と大統領はどう違うのか、貧しい人たちを救うには国がお金をどんどん刷って渡せばいいんじゃないかとか、大人たちが分かった気になっている素朴でいて興味津々な質問を投げかける。

杉江さんら番組スタッフは、限られた時間で子どもたちのそれらの疑問にどうやって分かりやすい回答をするか、毎週ずいぶん頭を悩ましたらしい。

視聴者に的確に分かりやすく伝えようという意欲と細心の注意が垣間見える、きわめて優れた教育娯楽番組だった。


今朝の一曲に選んだのは、ランディ・ニューマンで Sail Away。


2015年10月27日

境界を越える、結ぶ

最近、学生と面談する機会が多い。

仕事をしながら大学院に通っている彼らなので、授業がない曜日の夕方に研究室や街中のカフェで会う。そして彼らに今どんな仕事をしているのかとか、これからどんなキャリアを考えているのかなど聞く。

そうした場でときおり、彼らからどうしてビジネススクールの教授がラジオ番組のパーソナリティをしているのか質問を受ける。好きだからやっているという答えだけではどうも納得してくれないようだ。

ぼくの狙いは、大学とメディアを結ぶこと、またアカデミズムとビジネスをつなぐこと。だからラジオ番組を持ったり、企業の社外取締役を引き受けている。思い返せば、昔からマージナルな領域に立つことでひとつの立場に縛られない自分なりの考えを得てきたように思う。

一所懸命というのはどうも性に合わない。自分で自分を揺さぶりながら、その時々の目標を設定していくのがいい。

2015年10月17日

好きだからこその、辛口コメント

今朝の「木村達也 ビジネスの森」は、『イギリス人アナリストだからわかった日本の「強み」「弱み」』(講談社)の著者、デービッド・アトキンソンさん。


 4月に続いて2回目のゲスト出演である。相変わらず、歯に衣着せぬ歯切れのいい日本への辛口のコメントをうかがった。

彼はいろんなエピソードを語ってくれたのだけど、煎じ詰めれば彼が感じている「おかしい日本」というのは次の2つかな。それらは、日本人の一貫性のなさ(ご都合主義)と生産性の低さ。

もちろんそうしたところって日本だけの話ではないことを彼はよく知っているのだけど、彼が気になってしかたないところは、それらについていつまでたっても日本人が気付かず、変えようとしないこと。

この本を出した後、ずいぶんと読者から「大きなお世話だ」という反応が帰ってきたそうだ。だけど彼は真の確信犯、それで口をつぐんだりしない。自分はしつこいタイプの人間だと入ってはばからない。そうした点が、僕が強く共感を感じるところだ。


今朝の一曲は、スティービー・ワンダーの「迷信」。


2015年10月6日

多住居生活のススメ

10月3日(土)放送の「木村達也 ビジネスの森」には、『週末は田舎くらし』(ダイヤモンド社)の著者、馬場未織さんにゲストに来てもらった。


彼女は東京生まれ、東京育ち。ご主人も同様らしい。都会で生まれ育ち、帰郷する田舎を持たずに育ったわけだが、そのことで残念に思ったり、悲しいと感じたことはなかったという。

ところが、彼女の長男が無類の生き物好きで、どうもそうした彼を自然の中に「戻してやりたくて」南房総の中山間地の土地と農家を手に入れたという。

家族5人、平日は自由ヶ丘近くの家で過ごし、金曜日の夜になると家族プラス猫2匹がクルマに乗り込み環状八号線を羽田方向へ向かい、アクアラインを抜けて南房総のもう一つの家へ。

8700坪という広大な土地には小川が流れ、ちょっとした山もあるらしい。田んぼや畑だけでなく、ほとんど手つかずのような自然に溢れている。

今後は、子どもたちが大きくなるにつれて家族5人で毎週南房総へ、とは行かなくなるかもしれない。その時は、馬場さんご夫婦2人だけでその地を訪ねることになるのだろう。しかし、その時はその時でいいように思った。

家を複数持つというと、なんだか金持ちっぽくて贅沢に聞こえるかもしれない。だが、これから人口の減少と高齢者の暮らし方の変化によって、全国津々浦々で大量の無人住居が出てくることが予想される。

そうした家は、これまでになく安く購入することができるようなるはずだ。あるいは、買わずに借りるという手もある。田舎の家だと田んぼや畑が付いてくることも多いだろう。都会人たちは、週末や休みをそうした土のある場所で過ごせばいい。

そして逆に、田舎で普段暮らし、仕事をしている人たち、特に若い人たちは週末を都会の空き屋をうまく使いながら楽しめばいいのだ。


そうして、誰もが多住居生活をもっと簡単にできるようになればといいと僕は考えている。誰も住まなくなった家はあっという間に荒れ果て、一旦そうなるとなかなか人が暮らそうと思う状態には戻せない。

それに何よりも、生活空間を変えるといとも簡単に人の気持ちは変わる。これは僕自身、実証済みだ。リフレッシュできるし、新しい刺激をそのなかで確実に得ることができる。

国は、そうしたセカンドハウスの取得と利用を促すよう税制などを改定すべき時に来ていると思うのだが、どうだろう。もっと多くの人たちが、週末は田舎暮らしを楽しむようになればいいし、あるいは田舎にこだわることもなく、週末はもう一つの暮らし、となればそれはそれでいい。


今朝の番組での選曲は、Jessey Norman Sings Michel Legrandから「おもいでの夏」。


2015年9月19日

全盲の弁護士さんは、勇気と正義のひとだった

今日の「木村達也 ビジネスの森」は、ゲストに『全盲の僕が弁護士になった理由』(日経BP)の著者、大胡田誠さんをお招きした。

大胡田さんは先天性の緑内障の罹患者として生まれ、12歳の時には完全に視力を失った。盲学校の中学生時代に見つけた一冊の点字本と出会ったことから、弁護士を目指す。絶望感の中で見つけた一冊の本が、大胡田さんを今へ導いた。

その本は、日本で最初に全盲で弁護士になった人が書いた本である。現在、大胡田さんは、その弁護士さんが所長を務める法律事務所に所属している。

日本の社会は盲人の方にとって生きやすい社会ですか、との僕の問いに、彼は点字ブロックなどハードな面での支援は進んでいるが、ソフト、つまり人の気持ちの面はまだまだそうではないと答える。

ひとつの例として、彼が同じく全盲の友人とドイツを旅したときのことを話してくれた。白杖を視覚障害者が使用するのは諸外国でも同じ。だから、その時もドイツの町を白杖を頼りに歩いていて、道に迷って困っていると多くの人が寄ってきては手助けを申し出てくれたという。

その旅先でのあるホテルでのこと。浴室に同じ形状のボトルが3つあることに気がついた。触っただけでは違いが分からない。フロントに相談すると、スタッフがすぐにやって来て、シャンプーには輪ゴム、リンスにはクリップをつけて触らせてくれた。そうしたことを自然にやってくれることに嬉しくなったという。

こんな感じで、大胡田さんはどんどん外に出ていく。たくさんの案件を常に抱えながら、精力的に人を救うことに情熱を傾ける頼りになる弁護士さんだ。


今朝の一曲は、オーティス・レディングの The Dock of the Bay。



2015年9月5日

バカにならなきゃ、見えてこないものがある

今朝の「木村達也 ビジネスの森」は、日産でGT-Rの開発責任者だった水野和敏さんにゲストに来てもらった。


彼が書いた『バカになれ!』(文藝春秋)は、とても威勢のいい本。水野さんのクルマづくりの哲学をひとことでいえば、「モノをつくるな。感動をつくれ」ということ。

そして、人(会社)から言われたとおりにやって中途半端なものを作るなということ。自分の頭で「バカになって」本気で考えろと。その結果を否定され、叩きのめされる経験を乗り越えろと叱咤する。それが本当のプロになるための必要条件であり、「いい失敗をした人間にしか未来は開けない」と断言する。

水野さんは一昨年に日産を退社し、いまは台湾の自動車会社の役員を務めている。僕は台湾に自動車会社があることを知らなかった。だから、彼の名刺に書かれていた企業名も初見だったのだが、あの水野さんのこと、限られた人と金と時間できっとプロジェクトを実現するだろうと期待している。


番組中の今朝の一曲は、ジョージ・ハリスン「My Sweet Lord」


2015年8月22日

銀座でミツバチ

今朝の番組(木村達也 ビジネスの森)のゲストは、銀座ミツバチプロジェクトの田中淳夫さん。

銀座のビルの屋上でミツバチを飼い始めてもう10年。収穫する蜂蜜は、年間で1トンにものぼるという。ミツバチが生息するのは、その近くに自然が残っている証拠。

地図をながめると、銀座から南に飛べば浜離宮庭園が、北に向かえば皇居、西に進めば霞ヶ関の並木道があり、それらの緑がミツバチにたっぷりの蜜源になっている。もちろん、銀座の街路樹もそのひとつである。

蜂、と聞くと刺されるから危険と連想しがちだが、決してそんなことはない。むやみに蜂は人を刺したりはしない。その意味で決して危険な生き物ではない。

ミツバチは、環境指標生物と言われている。ミツバチは環境の変化に弱い。農薬などにも弱い。豊かな自然が残る里山には、ミツバチが生きている。しかし、ミツバチがいなくなった地域は、環境が良くない方向に進んでいることを示している。


今朝の一曲に選んだのは、デイビッド・フォスターとオリビア・ニュートン=ジョンのデュエットで、The Best of Me でした。

2015年8月13日

避難はしごで避難する

お盆で大学は一斉休業である。図書館などすべての施設が閉まっており、仕方がないので自宅でいろいろと作業を進める。こういう日は、仕事だけでなく家の中の雑用などもやりつつである。

この時期は、マンションの避難はしごの点検の時期でもある。正しくは「消防設備点検の実施」という。年2回、2月と8月だ。防災管理の会社がやって来て、非常ベルの点検やら、ベランダの避難ハッチの開け閉めの確認をしてくれる。

避難ハッチ、つまり避難はしごの動作確認は人に任さないで、いつも自分でやっている。何かのときに利用するのは点検会社の社員じゃなく、住んでいる住人本人だからね。彼らは仕事としてハッチの開け閉め程度しかやらないらしいが、僕は実際に避難用はしごで下の階まで降りてみる。で、降りたら、そう、昇る。自分で実際にやってみる。

年に2回、もう15年だから慣れたものである。そして、それが実際に役に立った経験がある。昨年2月の寒い日のことだ。

その日は、間近に控えた国際学会での報告の準備を自宅でしていた。部屋の中で暖房を効かせていたため、途中で冷たい空気を吸うためにベランダに出た。その時、冷気が部屋に入らないよう、ベランダ側のガラス戸を後ろ手にしめた。冷たい空気をおなか一杯吸い込み、冷気で目をさまし、しばし一息ついたあと部屋に入ろうとしたら、ガラス戸が開かない。

いくら力を入れて引いても動かない。よく見ると、内側のロックがかかっている。ガラス戸を閉めた拍子に、カギがストンと落ちて閉まってしまったのだ。

家の中には他の住人はいない。平日だから、お隣さん宅も誰もいない。どうするか、しばし考えた。中に入るにはガラス戸を破るしかない。そうすれば中に入ることはできるが、割れたガラスの処理をどうするか、この寒い時期に寒風に室内をさらし続けるのか、思いが巡った。何といっても、手元に道具もなくてガラスを割るのは危険だと思い、そのアイデアはやめた。

次のアイデアは、とにかくこの建物から脱出して、誰かに救助を求めること。幸いに、駅前にマンションの建物管理をしている不動産屋がある。そこに行けば、合い鍵があるかもしれないと考えたのだ。

避難はしごのハッチを開け、これまで練習した通りにスルスルとはしごを降ろし、スタスタと降りる。それをいくつか繰り返して、1階までたどり着いた。着ているものはといえば、ほとんど部屋着のようなペラペラの情けない格好で足下はベランダ・サンダルだったが、人目を気にしている場合ではなかった。ポケットには何もない。当然、携帯電話もなければ、10円玉ひとつ入っていない。

駅前の不動産会社にたどり着き、事情を話し、合い鍵を求めたのだが、建物管理用のカギ(屋上に上るためのカギとか、貯水槽を開けるためのカギ)はあるが、部屋のカギは預かっていないと言われた。住居のカギは、建物の大家である郵船不動産という会社にしかないと。

とにかく、部屋のカギを持って来てもらわないことには、家の中にもどれない。大至急郵船不動産に連絡を取って、カギを持って来てくれるように伝えて欲しいと頼んだ。

話を聞いてくれた女性は、カウンターから少し奥まった席に戻り、電話をかけ始めた。だが、なかなか終わらない。「どうしたんだろう」という疑問と少しばかりの苛立ちが起きる。15分くらいたち、彼女が僕のところにまた来て、申し訳なさそうに「私がこれから行って、カギを借りてきます」と言った。

どうしたのか尋ねると、事情を説明しても郵船不動産の担当者は「いま立て込んでいて行けない」と譲らないらしい。なので、自分が取りに行ってきますと。

親切な申し出ではあるが、何かおかしい。僕は、自分の過失でカギをなくしたわけではない。ガラス戸をしめた折にカギがかかったのは、建物のせいだ。その建物の管理責任は貸し主にある。だいいち、こちらから行って返ってくると、時間が倍かかる。郵船不動産の担当部署はどこにあるのか聞いたら、横浜の馬車道だとか。片道1時間、往復だと2時間くらいかかる。2時間も待てないし、待たされる理由もない。

私が取りに行ってきますと申し出てくれた彼女に丁寧にお礼を述べ、「だけどそれはあなたがする仕事ではないから」と伝え、もう一度電話をしてカギをすぐに持ってくるように言ってくれるように頼んだ。部屋のカギを持って来るだけだ。誰かを使いに送ればすむはなしだ。

彼女も自分が行くより、相手の会社がカギを持ってくるべきだということはよく分かっていたので、また自分の席に戻って電話をかけてくれた。だが、今度もやけに時間がかかっている。

カウンターで待つ僕のところに再度やって来た彼女は、「これからカギを持ってきてくれるそうです」とほっとしたような顔で僕に伝えた。

それから待つこと1時間半、やっと郵船不動産の担当の男性がやって来た。どんな顔をして現れるかと思っていたのだが、平然と、いや「しょうがねえなあ」とでも頭の中で思っていそうな面倒くさそうな顔つきをして現れた。彼は「では行きましょう」とだけ言って歩き始めた。

そのまま何も話さず僕の住むマンションまでたどり着き、玄関のロックをはずして立ち去った。本当に何も言わなかったのだ。「お待たせしました」とも「すみませんでした」とも「ご迷惑をおかけしました」とも。まるで、非は完全にこちら側にあるかのように。非常識。驚くともに、怒りが沸いてきた。

部屋に戻り、気持を落ち着かせるために熱いお茶を一杯淹れて飲んだ。その後、ふと気になって建物の外に出てみた。あ、やっぱりだ。僕の部屋からその真下の1階の部屋まで、各階の避難はしごがすべて吊り下がったままになっている。ため息が出たが、自分がやったことで仕方がないので、今度は建物の1階から避難はしごをよじ登り、各階で回収していった。

もちろん、その時は忘れずにベランダ側のガラス戸のカギは開けておいた。

2015年8月11日

東京が壊滅する日は、日本が壊滅する日である

鹿児島県の川内原発1号機が再稼働を始めた。川内原発2号機も10月中旬の再稼働を目指すらしい。

本当に原発が必要か。原発は一旦稼働すれば簡単には止めることはできない。稼働すれば、放射性廃棄物が発生する。放射性廃棄物は、ゴミの日にゴミ捨て場においておけば回収されて処分されるというものではない。処分不能な廃棄物である。

経済発展のために安定的で安価なエネルギーが求められている、というのが、今も昔も原発推進派の理屈だが、本当か。僕はそうは思わない。

運営企業である九州電力が、今回の再稼働にあたっての安全対策にかけた費用は3000億円強にのぼっているとの報道を読んだ。そもそもそれほどの莫大な費用をかけなければならないという事実が、原発の危険性を物語っている。

放射能という目に見えず、味も匂いもなく、被曝してもすぐには自覚症状がないやっかいなオバケの正体を冷静に科学的に知れば知るほど、「パンドラの箱」と誰かが呼んだ理由が腑に落ちる。

福島の原発事故では大量の放射性物質が広く放出され、福島を中心に東日本に降り積もった。田畑や住宅地に積もったこれらの汚染物は、表面だけがはぎ取られ集められた。

削り取られた表土である放射性廃棄物は、フレコンバッグと呼ばれる黒い袋に詰められて、福島県内に置かれたままになっている。そのバッグが積み上げられている場所は、福島県内でなんと8万カ所を越えている。それぞれ山をなしている何百何千ものフレコンバッグは、あろうことかすでに破れ始めている。その耐用年数が3年だからだ。

広瀬隆の『東京が壊滅する日』は、原子力や放射能についてそれまで知らなかった数々の真実を教えてくれる。ロスチャイルドやらモルガンやら、ロックフェラーなどの恐ろしく凄まじい支配者の影響力と悪行の数々。原爆開発や原子力推進の裏の決定者が彼らだったとは、まったく知らなかった。 


この本の第1章の最初にある「セント・ジョージで起こった恐怖の事件」「パズルを解いた男ポール・クーパー元軍曹」のところだけでも、立ち読みでもよいから目を通してほしい。 


2015年8月8日

自然にひとりぼっちなんだったら、それがいちばんいいのかもしれない

けさの「木村達也 ビジネスの森」は、漫画家の蛭子能収さんをお招きした。


ある日のこと、テレビをつけたらバラエティらしい番組をやっていて、ゲストのひとりが蛭子さんだった。どんな番組か内容はまったく覚えていないが、面白かったのは番組中で蛭子さんがうつらうつら眠っちゃってること。 

それを他のゲストからいじられてるわけなんだけど、テレビに映っているにかかわらずその後も何度もうつらうつらしている。その日よほど疲れていたのか、それともあまりに番組がつまらなかったのか、その両方か。

面白い人だなあ、というのがその印象で、どんな方か直接お会いしたかった。

スタジオでお話しした蛭子さんは、思っていた通りの感じの方。ほわっとした雰囲気で、相手に緊張感を感じさせない。

人に迷惑をかけないこと、そして人から嫌われないことが彼の基本。自分も他人も尊重して、傷つけない、傷つけられない自由な生き方を大切にしている。

人を傷つけるようなことでなければヘンに回りに気を遣ったりせず、自然に(当たり前に)やっていこうとする無理のない姿勢にうなずいた。

人間関係に疲れている多くのビジネスマンに、彼の『ひとりぼっちを笑うな』をお薦めしたい。


今朝の一曲は、レイ・パーカー・ジュニアで「ゴースト・バスターズ」。


2015年8月3日

マーケティングは一度解体した方がいいかもしれない

友人との待ち合わせまでまだ少し時間の余裕があったので、駅前の本屋で時間を潰すことに。いや、潰すのではなく、こうしたすき間の時間を本屋で過ごすのが、実は何よりも好きなのである。

そこは、行き慣れた地下1階にある古くからある本屋さん。本屋というより、ある程度の規模とそれなりの品揃えがあって「書店」と呼んだ方が似合っているかもしれない。

階段を下りていって、その書店に入った正面の場所にはどんな本を平積みにしていているかが自然と気になるのは、本についての番組をやっているせいか。

書店に入ると、まずは各売り場をそこにいるお客さんの層を少し気にしながら全体を一回りする。身についた習性のようなものだ。別に出版社の人間でもないのに、我ながらヘンだとも思う。


なぜだか理由は分からないが、この書店のマーケティングの書棚はある意味でおもしろい。そこに並んでいるのは・・・

『ニャンコと学ぶマーケティング』(どんな風にニャンコと勉強するのだろう?)
『風俗的マーケティング』(風俗マーケティングならなんとなく想像がつくが、「風俗的」が意味するところは?)
『3分間マーケティング』(カップラーメンができるのを待つあいだで学べるとは便利)
『矢沢永吉に学ぶ 成り上がりマーケティング』(永ちゃんはマーケターだった?!)
『ザ・サンキュー・マーケティング』(感謝の気持ちはいつも大切だよね)、など。

それにしても、マーケティングというのは融通無碍な概念で(つまり、分かったようで分からなく、分からなくても分かった気になれる)、どんな言葉だってくっつけることができる。ウソだと思うんだったら、やってみな。ほら、できちゃうでしょ。

言葉とその意味が厳密に定義されていないから、曖昧なままにどうでも使える。大学の経営学の教授なんかでも、その意味でマーケティングの概念をいい加減に使っている人がたくさんいる。僕は、そのためにも「マーケティング」は一度きちんと解体された方がいいと思っているのだが。

2015年8月2日

和のあかり X 百段階段

友人に誘われて、目黒雅叙園に「和のあかり X 百段階段」展を観に行った。


百段階段というのは、目黒雅叙園のサイトによれば以下のようなものらしい。
「百段階段」とは通称で、かつての目黒雅叙園3号館にあたり、昭和10(1935)年に建てられた当園で現存する唯一の木造建築です。 食事を楽しみ、晴れやかな宴が行われた7部屋を、99段の長い階段廊下が繋いでいます。 階段は厚さ約5cmのケヤキ板を使用。 階段で結ばれた各部屋はそれぞれ趣向が異なり、各部屋の天井や欄間には、当時屈指の著名な画家達が創り上げた美の世界が描かれています。
"昭和の竜宮城"と呼ばれた目黒雅叙園の建物の特徴は、装飾の破格な豪華さにあります。 最近の研究によると、その豪華な装飾は桃山風、更には日光東照宮の系列、あるいは歌舞伎などに見られる江戸文化に属するものとも言え、なかでも「百段階段」はその装飾の美しさから見ても、伝統的な美意識の最高到達点を示すものとされています。 平成21(2009)年3月、東京都の有形文化財に指定されました。
一直線に伸びた99段の階段。それらを7つの部屋が分けている。それぞれの部屋が独特の装飾を凝らしていて飽きさせない。

今回のあかりのテーマのひとつが「青森ねぶた祭」で、ねぶたを灯りに見立てたものが間近に見られるというのがウリのひとつである。


それ以外にも、涼しげな灯りをモチーフにした作品が展示されている。この展示会は日本では珍しく、全時間にわたり観覧客による撮影が認められている。ファインダーをのぞき込む若い女性が目立つ。カメラ女子たちはみんな、一眼レフの立派なカメラを抱えている。


僕が個人的に興味をひかれたのは、99段の階段の途中にあった広々とした便所だ。ゆったりとした広さだけでなく、便器のレイアウト、窓からの採光の具合、磨かれた床の質感など、どれもすばらしい。



2015年7月25日

農的な生活に生きる

今朝のFM NACK5「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、『農的な生活がおもしろい』(さくら舎)を書かれた東京大学大学院教育学研究科教授の牧野篤さん。


牧野さんと教え子の方たちが愛知県豊田市で行った里山プロジェクトは、農村に外部から人を入れ、その人たちを通じて新しい生き方を創造するとともに、地域社会の方にも新しい発見の機会をあたえ元気にしようというもの。

お金が第一の基準となっている企業社会とはことなる、自給自足と助け合いによる日々の暮らし、そしてコミュニティをベースにした人間関係の構築の実験である。

農村に入る若者たちは、ハローワークで「農的な生活をたのしみませんか」との触れ込みで集めた。そうしたら募集10名のところに、50名の応募があった。書類で20人に絞り、最終的には地元のおじいちゃんとおばあちゃんに「この子ならいて欲しい子を選んで」ということにした。地元の老人たちとの相性がとても大切なのである。

選ばれた10名は、ある面、都会の世界の生活に疲れていた若者たちだったらしい。1人をのぞいて、これまで正規職についた経験のない若者たちである。

彼らはその村に入ってからは、町内会のいろんな雑用的な仕事を進んでやり、運動会に参加したり、子どもたちと友だちになることを通じて地元社会に溶け込んでいった。

その結果、ほぼ10名全員が地元に定着し、メンバー同士で結婚するメンバーがいたり、地元の男性と結婚した女性がいたり、そしてその村で25年ぶりの赤ん坊が生まれる。喜んだ地元のおばあちゃんらは毎日面倒を見に来てくれる。

その後、そうした試みが広く知られるようになって、次第に村に人が集まり始めた。田舎だから、住むところは空き屋を数千円程度で借りることができ、食事は基本的には農業をやっているので自給自足。あるいは野菜などを分けてもらう。つまり、お金の支出をほとんどすることなく過ごす日々の生活。おもしろいなあ。 

僕のように農的というよりノー天気に生活をしている身には、きょうの話はとても新鮮に思えた。


今朝の一曲に選んだのは、Mike & The Mechanics の The Living Years。



2015年7月14日

文科省はどこへ行く

今日の新聞に「大学はどこへ行く」と題したコラムが掲載されていた。短い文章ながら、大学の現在の状況をうまく描いている。

(クリックで拡大)

筆者がここで引いているJ・S・ミルの言葉を持ち出すまでもなく、「本質を見失っては小手先の目標や計画をいくらつくってみても、そこから良いものは生まれない」。

日本の教育行政は、このところずっと迷走としか言いようがない。しかもそれは、確信犯的に行われている。

コラムの筆者が取り上げている法科大学院がひとつの例だ。交付金をちらつかせて音頭を取って自分たちがつくっておきながら、受験者数や司法試験の合格者率が低い大学には「お前ら、なにやってんだ」とばかりの上から目線の無責任姿勢である。

「産業界の要請に応えて」だか何だか知らないが、彼らが「金にならない」と勝手に判断をくだす文系・教育系学部と大学院に関するリストラ要請など、担当官僚はどれだけ腹をくくってやろうとしているのか。責任は取れるのか。・・・取るわけないか。

官僚が自分の在任中に、次の出世のために何か目立った「功績」を残すがための行いとしか見えない。

同じ新聞紙上に「取締役 半数以上退任へ ー 東芝新体制、社外を過半数に」の見出しがついた記事がある。不適切会計問題を指摘された東芝が、現社長や現会長(前社長)を含む多くの経営陣を退任させるらしい。社外取締役を半数以上にするなど、ガバナンスの改革に着手する。

責任という概念は企業だけでなく、役所にも当然のごとくあってしかるべきだと思うのが、責任者がきちんと責任をとったという話はとんと聞かない。

2015年7月11日

本で床を抜いちゃいけない

今朝のFM NACK 5「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、『本で床は抜けるのか』(本の雑誌社)の著者、ノンフィクション・ライターの西牟田靖さん。 

 
引っ越しをきっかけに、増殖し続ける本の始末に悩んだ西牟田さん。本の重量できしむ床や押し入れの写真をネットに載せた途端に、実際に床が抜けた現場の例がいくつも寄せられてきたらしい。

そうして、さまざまな「床が抜ける」実例を知った西牟田さんがとったひとつの方策は、書籍の電子化(自炊)。しかし、それですべてが順調に片づいた訳ではない。なくなった本への喪失感、自炊するための費用と時間。それらをどう解決していくか・・・。 

本をどう処分するかという問題は、簡単なようで簡単にはいかないから不思議だ。

まずは、番組のなかでも紹介したノンフィクション作家の内澤旬子さんの言葉を反芻してみる。
仮にあと4、5年しか生きないんだったら、いつか読めたらとか、書けたら書きたいなんて資料を持っているのがバカバカしくなってしまった。もっと身体が気持ちよくいた方がいいし、気持よくいきたい、と思ったんです。死ぬまで読めないかもしれない本に押しつぶされないようにして、せせこましい空間にいる意味がない。
これは本だけの話じゃなくて、すべてのものに当てはまることだよね。


今朝の一曲は、The Lovin' Spoonful の Daydream。 



2015年7月6日

過剰なブックカバーをやめよう

最寄り駅の中に有隣堂書店が入っている。時折、立ち寄る。これまで気づかなかったのだけど、今日、一番はしのレジで精算するとき、下記写真のパネルがカウンターにあるのを見つけた。


書店で付けるカバーの付け方を簡略化するという案内だ。最初、書店のカバーをつけるのをやめたのかと喜んだのだが、そうではないらしい。書店カバーはつけるが、元々の単行本に付いているカバー(ややこしい!)に巻き込むようにつけるのを省略するということ。

以前もこのブログで書いた覚えがあるが、そもそも出版社のカバーがついているのに、さらに書店のカバーなど必要ないというのが僕の考え。本は消耗品だ。もちろん無理に乱暴に扱うことはないが、後生大事にする類のものでもない。

以前、同じ店で体験したはなし。文庫本を2冊手にした僕は、電車の時間があったのでいささか急いでいた。レジに向かっている時、そこに見えたお客さんはひとりだけ。これならすぐ精算できるな、と並んだのはいいが、彼女の手元を見てイヤーな予感が。

当時、日本テレビで放送していた綾瀬はるか主演の「きょう会社休みます。」の原作コミック本を7冊(第1巻から第7巻)抱えている。

予感的中! 店員が(言わなくてもいいのに)「カバーをお付けしますか?」と聞いたものだから、それら一冊一冊について包装ビニールを剥ぎ、それらに書店のカバーを付け終わるのを待たされるはめに。

その時、頭に浮かんが考えは「あとでアマゾンで買おう」。思いついたらすぐに実行してしまうタチなので、本を買わないままさっさと店を出た。

本当は、できれば書店で本を買ってやりたい。だから、自分でも釈然としない気分だった。書店は、店頭で本を買ってくれるお客への「サービス」としてやっているのだろうが、優れたサービスになっていない。

この余計な(過剰な)サービスをするために、レジでは客が待たされるし、店にとってもコストがかかる。

そろそろ他の書店らと声を掛け合って、一斉にこうしたサービスの「有料化」へ進んだ方がいいんじゃないかな。

2015年7月5日

大学院生を子ども扱いしている

昨日は、この9月に大学院を修了する予定者の修士論文提出日だった。

僕が勤めている研究科は、3月と9月にそれぞれ修了式が行われる。9月に入学と修了が行われるコースは、全日制グローバルと呼ばれているプログラムなのだが、そこでは論文提出日に指導教授が学生の論文をとりまとめて大学の事務所に提出することになっている。

学生自らが修士論文を提出しようとしても、受け付けてくれないのだ。 なぜかそうした奇妙なルールがある。学生たちも不思議がっている。

知り合いの他大学の教授に話したら、ひとこと「甘やかせすぎ」と笑われた。確かにそうだろう。彼らは大学院生で、小学生ではないのだから。

対象となっている大学院生たちに失礼な気すらする。これまで何度か、なぜこうしたやり方を続けているのか担当に問うたが、これまでそうしてきたからという以上の説明はない。やれやれだ。


2015年6月27日

ガムと講義

ガムを噛むことには、多くの効用がある。歯の清浄や虫歯の予防だけでなく、顎を動かす事で脳の活性化にも効果があることが認められている。だが、それは時と場所次第だ。

昨日は、勤務先の大学の修士1年生全員に向けての講義を行った。一度きりの特別講座である。

どんな研究に取り組んでいるかを彼らに説明するのが目的である。通常の授業の場合、とにかく学生が分かるように話す、と云うことを心がけてるつもりだ。だが、今回だけは、さほどそれを気にすることなく話をさせてもらった。

ほとんどの学生は(理解しているかどうかは別として)真面目に聞いてくれている。しかし、なかに何名かガムを噛みながらこちらの話を聞いている学生がいた。

たかがガムだが、僕は気になってしょうがない。どのような状況であっても、人の話をガムをクチャクチャしながら聞くのは不作法なことだと思う。これまで企業経営者や名をなしたマネジャーの方たちに何度も話をしたが、当然ながらガムを噛んでいた人は皆無だ。そうしたことは、常識の範囲だ。

次代のリーダーを養成するビジネススクールで学ぶ学生が、授業中に平気でガムを噛んでいるというはどうも・・・。そこで、研究の話を中断し、ガムを噛むのを止めるように学生に告げた。目があった学生は、決まり悪そうに下を向いてガムをはき出した。

ところが、そのすぐ後、平気でガムをまだ噛んでいる別の学生を見つけた。すぐに止めるように注意したが、力が抜ける感じがした。

教壇は30センチほどの高さにすぎないが、そこから教室内をながめると全員が何をしているのか、どんな顔をしてこちらの話を聞いているのか、一目瞭然にわかる。ガムを噛んでいた学生は、それが分かっていないのだ。これだけ人数がいるのだから、分かりはしないはしないだろうと。想像力の欠如だ。

もう一つ驚いたことがある。そこにいた学生の7割ほどは、今期僕の授業を履修した連中で、その彼らのなかでガムを噛んでいた学生はいなかった。授業のオリエンテーションの時に「ガムはだめだよ」と伝えていたから。

しかし、他の教員はそうした注意を学生にこれまでしていなかったらしい。自分が講義をしているとき、学生がガムを噛んでいても何も言わなかったわけだ。それもまた驚きだ。