2011年10月6日

Stay Hungry. Stay Foolish.

スティーブ・ジョブズが亡くなった。最高経営責任者の座を8月下旬に後任のティム・クックに譲ったのは知っていたが、それほど彼は体を病んでいたのか・・・。

テレビのニュースでは、彼が2005年6月にスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチの一部が繰り返し流されている。http://news.stanford.edu/news/2005/june15/jobs-061505.html

そのスピーチの締めくくりで、彼は自分が若い頃に大きな影響を受けたという雑誌、The Whole Earth Catalog の最終号の裏表紙に書かれていた言葉を紹介している。学生たちへのはなむけとして送られたその言葉は、Stay Hungry. Stay Foolish.

日経など全国紙のいくつかが紙面でその言葉を「貪欲であれ、愚か者であれ」と紹介していたが、ジョブズは大学を卒業していく若者たちに「貪欲なる愚か者であれ」と語ったわけではない。これから社会人として「成長」していくはずの学生たちに「欠落感を失うな、愚か者とそしられるのを恐れるな」と言いたかったのである。

下は現在のアップルのサイト(http://www.apple.com/)である。彼以外に、亡くなった時にこうして企業サイトのトップページに掲載され、誰も不自然に思わない経営者が世界にどれだけいるだろう。

2011年9月21日

聞くな、見ろ

仕事柄、自分で調査をするし、大学院生にも論文作成の一環で調査活動を指導することも多い。何を明らかにするか、どうやって明らかにするか、どのようなデータを集めるか、サンプルをどう選ぶかなどなど、実際に自分で一連のことをやってみないと調査がどういうものかは分からない。

集めたデータを分析することだけでなく、小規模ながらも自分で調査プロジェクトを進めることが大きな学習につながる。インタビューなど定性でやるか、アンケートベースの定量でやるか。学生には、まずはその辺りからオープンに考えるよう勧めるようにしている。

ただ自分自身は、最近はあまり調査データを信用していない。特に、調査設計が分からないものは、意識的に信用しないようにしている。調査のやり方や分析の仕方をちょっと変えるだけで、簡単にバイアスをかけることができ、またそれをもっともらしく見せることができるから。世の中にそうした調査がいかに多いことか。

もともと人に、例えば「あなたはなぜこの商品を購入したのですか」などと聞いたところで、本当のことは出てこない。こちらのために、相手は「それらしく考えて」答えてくれるだけだ。言葉は信用できない、と思った方が良い。その代わりにリサーチャーがやらなければならないのが、観察である。対象者の行動を観察し、その意味を分析する。まるでシャーロック・ホームズが事件の謎解きをするかのように。

ノンフィクション作家の梯久美子さんが、新聞の文化欄に「インタビューの極意」という文章を書いていた。よいインタビューをするためのノウハウなどないそうだ。(当たり前だが)。ただ、彼女には、インタビューに向かう際に思い描く理想的なインタビューの光景がある。10年ほど前に新宿のビルの地下にある小さなロシア料理屋で1人で昼食をとっていたときに見た、近くのテーブルにいた若い2人の関係である。

賑やかなランチタイムのレストランで、そこだけ周囲と違った空気が流れていた。彼女はそう感じた。なぜ自分がそう感じたのか、彼女はしばらく観察を続けて、その意味が分かった。相手をじっと見つめるのではなく、幅のあるゆったりした視線で相手を見ている女性。そこには2人だけを包む繭のようなものが見えた気がしたそうだ。

以来、インタビューにのぞむ時、そうした繭を思い浮かべるようにしていると言う。

2011年9月20日

反証の仕方

三菱重工業のサーバーが外部から侵入された。同社の潜水艦やミサイル、原子力プラントを製造している工場などのサーバーとパソコンが狙われ、報道では「サイバー攻撃」という言葉が使われている。

侵入によって情報を抜き取られた痕跡が確認されているらしい。機密性の高い国家レベルの情報が盗み取られている可能性もある。

侵入によって見つかったウイルスは8〜10種類で、それらを分析したところ、そこには中国語簡体字が含まれていた。

それに対して中国外交部の報道官は記者会見で、「中国政府は一貫してハッカー攻撃に反対している。中国も国外からのハッカー攻撃を受けている主要な被害国であり、中国がハッカー攻撃を仕掛ける拠点との見解は根拠がない」などと述べ、中国の関与を否定したと報じられている。実に素早い反応。

しかし、こうしたことへの正しい反証は、実は大変難しいのだ。仮に中国の関与が「ある」ことの証明ならば、一例を示せばすむ。しかし、中国の関与が「ない」ことを証明するのは、あの広大な国土で13億人の国民すべてを管理し完全にモニターしていないとできない話だからだ。

それとも、中国は自分たちはつねに13億人の国民を常時モニターしているんだぞと言いたいのかネ。

そもそも「中国政府は一貫してハッカー攻撃に反対している」とか、「中国も国外からのハッカー攻撃を受けている主要な被害国」ということと、今回、中国関係機関がサイバー攻撃を行ったのではないという主張は論理的一貫性がない話。きわめて単純な理屈だが、それが分かっていない。

2011年9月19日

「IT革命は人類にとっては後退だと思う」

今年の夏季ダボスの別名(正式カンファレンス名)は、Annual Meeting of the New Championships 2011という。新興の伸び盛りの企業の経営者が集まって、これからの更なる成長を築いていこうということだ。ただ、なかには胡散臭い連中がその気になって集まっている妙な匂いもなかったわけではない。

彼らが目を向ける成長のチャンスは、新興市場とインターネット(ソーシャル・メディア)のふたつ。

帰国後読んだ本の中で、建築家の安藤忠雄さんが「私はインターネットはやらないし、Eメールもしない」と語っているのを目にしてふと手を止めた。10年前の本ではない。昨年の11月に発行された本だ。

また彼はこうも述べる。「情報機器の発達で、急速な勢いでコンピュータ社会になっていますが、人間が歩むべき方向ではない。違うところに向かっているように思えてなりません。つまり、IT革命は人類にとっては後退だと思う」と。

確かに、IT革命は人類にとって後退をもたらすものかもしれない。そして、特定の目ざとい連中にとって莫大な利益をもたらすものである。

2011年9月18日

英語人格

昨日、大連で開催された夏季ダボス会議から帰ってきた。

3日間の会議開催中には多くの人と知り合ったが、日本人で英語をしゃべると人格が変わったように見える人が結構いる。日本人同士、日本語で話していると普通なのだが、彼が外国人相手に英語で喋り始めると、これが同一人物かと思われるほどアグレッシブになり、いきなり身振り手振り混じりになり、また顔の表情も10倍くらい派手になる。

なぜかほとんどが男性だ。何故だろう。

2011年9月16日

別ルールの国

フェイスブックからメールが来た。最近アクセスしてないよとの内容である。で、そこにあったボタンを押したが、つながらない。そうだった、中国はフェイスブックが繋がらない国なのだ。



2011年9月15日

Industry visit in Dalian

今日は朝から企業見学に参加。僕が参加したのは、3つのコースの中のひとつでハイテク・エリアを訪ねるというもの。30名ほどの参加者が、バスで予定地を移動する。車中、大連外国語大学の女子学生たちがボランティアとして熱心に世話をしてくれる。

少し残念だったのは、訪問地はどこもお仕着せの見学コースのみ。説明も型どおりといった感じだ。当たり前だが、とにかくよくコントロールされている。見せたいものと見せたくないもの、聞かせたいことと聞かせたくないこと、それらが独自の基準ではっきり線引きされているのだろう。

かつての日本のつくば学園都市に似た都市開発が、つくばの時とはまったく異なる時間軸の中で推し進められている。そのスピードと勢い、また計画自体の思い切りのよさには目を見張る。

2011年9月14日

温家宝首相のスピーチ

夏季ダボスは温家宝中国首相のスピーチで開幕した。伸びゆく中国の現状を、さまざまな観点から具体的なデータを数々あげながら紹介していた。ただし中国の場合、そうしたデータの信憑性がいつも問題である。

2011年9月13日

夏季ダボス参加のため大連へ

夏季ダボス会議(世界経済フォーラム)のため大連に来た。なかなかの都会である。

街もきれい(会議が開催されるため、前の週に街をあげて清掃したという話を現地の日本人から聞いた)。街のあちこちで高層ビルが建設中である。天候のせいかもしれないが、空気はかすみ、少し淀んでいる。青空はない。

さっそく街を歩き回る。ホテルのコンシアージュに中山広場までどう行くのか尋ねると、歩くには遠すぎるからタクシーを使えと本気で勧める。だが、歩く。

 大連駅の近くを歩いていたら、真っ黒のバスが。S.W.A.T、特警とある。

2011年9月4日

「最悪の事態は避けられた」

昨日の新聞で、ノンフィクション作家の吉永みち子さんが民主党代表選の結果について「海江田氏が選ばれたら、日本人をやめたいと思ったほどだったので、最悪の事態は避けられた」と書いていた。同感である。一国の首相が、議会の中で感極まって泪を見せたりする人物では困る。また、ただ首相指名を受けたいがため、時代遅れの政治勢力と平気で手を結ぶというのも、この国のあるべき姿を考えていない証拠だ。

2011年8月28日

聞き苦しい「させていただく」

前原前外相が外国籍の人物から献金を受けていた問題で、彼はその人物が外国人だとは知らなかったと釈明し「すでに全額返金させていただいた」と述べた。

日本名で生活している人なので、外国人だと気がつかなかったとしても不思議ではない。気になったのは、「返金させていただいた」という言い方だ。なぜ「返金した」とスッキリ言えないのだろうか。こういう言い回しをする人は、思考がスッキリしていないのだろう。

2011年8月23日

携帯電話と公衆電話

今日の日経夕刊に作家の新井素子さんが書いていたが、彼女は携帯電話を持ってないそうだ。お金がないからだそうだ。というのはウソで、好きではないのか、職業柄必要としないからか、その理由は書いてないので分からない。とにかくそうした人には、ある種の勇気を感じる。

 彼女だって電話をしないわけではないので、利用するのは自宅の固定電話と公衆電話になる。ある日彼女のご主人(僕の高校の後輩)が携帯を外でなくしたとか。その携帯自体は拾ってくれた親切な人が電話帳の「自宅」に連絡してくれ、最寄り駅に届けてくれたらしい。

肝心の彼にそれを伝えようにも、本人から連絡がない。やきもきしながら電話機のあるリビングから一歩も出ずに3時間ほど待ったらしい。やっと「携帯なくしちゃった、どうしよう」と電話してきた彼。公衆電話が見つからなかったらしい。そうなんだよな。

つい先日、引き出しの中を掻き回してたらNTTのテレカが5枚ほど出てきた。2500円分也。もちろん公衆電話で使えるわけだが、そのために街なかでわざわざ公衆電話を探すのはばからしいと思い、ゴミ箱に捨てた。そうした人って、結構いるに違いない。

2011年8月21日

コーヒー豆の等級について

久しぶりに友人のS村さんと自由が丘で呑んだ。凝り性の彼が最近凝っているのが、コーヒーとワイン。ワインについてはワインスクールに通って学んでいるとか。どんな受講生が来ているのか話を聞いたが、想像するになかなか面白そう。

コーヒーについてもいろいろと教えてもらった。コーヒー豆のグレードには4つあるそうだ。上から、スペシャルティ、プレミアム、コモディティ、そしてローグレード。コーヒー好きの人にとっては当然かもしれないが、僕はそうしたことは知らなかった。

スターバックスが買っている豆はプレミアムクラスで、マックはコモディティクラス。缶コーヒーは、CMでは「引き立つ香りと味わい」だとか言っているが、原料の豆はどれも一番安価なローグレードだそうだ。

2011年8月16日

バフェットの見識

8月14日のThe New York Times紙上へウォーレン・バフェットが "Stop Coddling the Super-Rich"という文をよせて、これ以上金持ちを甘やかすべきではないと主張している。財政悪化にもかかわらず米国の富裕層への課税が不当に低く押させられていると指摘しているのである。

80年代、90年代は金持ちにはそれなりの課税がなされていたが、ブッシュ政権以来はそうではないらしい。株の売買益や配当益にも正当な課税をすべきだと彼は述べている。

以下の彼のコメントが100%真実かは測りかねるが、こうしたことを少なくとも経済的には最も不利益を被ることになるバフェット本人が明言しているところに感銘を受ける。

I know well many of the mega-rich and, by and large, they are very decent people. They love America and appreciate the opportunity this country has given them. Many have joined the Giving Pledge, promising to give most of their wealth to philanthropy. Most wouldn’t mind being told to pay more in taxes as well, particularly when so many of their fellow citizens are truly suffering.

日本でも3・11の大震災を受けて多額の金を寄附した起業家が話題になったが、黙ってやればよいものをマスコミにニュース・リリースを出すあたりが「なんだかなあ」と思わせる。それに比べて、その構想力や社会性の面で彼此の違いを感じる。

2011年8月11日

那須での夏合宿

今年の夏のゼミ合宿は那須のホテルで行った。2泊3日の慌ただしい日程だったが、集中的にケース討議を2本こなしたのが成果といえば成果か。

那須の地も3・11以来、観光客の足が遠のきホテルも営業を縮小していたらしいが、この時期にはほぼ通常の営業に戻していた。夏休みらしく、子供連れの家族が多かった。

合宿後はそのまま2日間ほど那須にある仕事場にとどまり、のんびりすることができた。ここでは普段はほとんど観光地へ行くことはないのだけど、今回はロープウェイで那須岳へ登ったり、今年宮内庁から環境省へ移管された御用地(全体の半分ほど)を少し散策した。自然が守られたまま残っているすばらしい場所だ。

大正時代に後の昭和天皇の避暑の場所として御用地になって以来、一般人は立ち入ることすらできなかった。もっと早く開放してくれればよかったのに。

2011年7月31日

アンナさん、そんな無節操な

8月4日号の週刊文春に「荻野アンナのワンダーランド・宮城」というJR東日本の記事風広告(3頁続き)が載っていた。広告だから誰が何を言おうが基本的には勝手だけど、メインタイトルが「がんばろう東北! がんばろう宮城!」で、それを荻野アンナが言っていることに憤怒する。

以前、電事連(電気事業連合会)の広告に出て、同じ文春で原発を持ち上げていたのに。そんなことはもう誰も覚えていないとでも思っているのだろうか。

検索窓に「東京電力 荻野アンナ」と入れてみれば、彼女が原発文化人と云われる連中の代表的な一人であることが容易に分かる。どの面(つら)下げて、こうしたメッセージが出せるのか。また、広告主の真意を疑う。

2011年7月29日

ホワイトハウスと首相官邸

DVDで「ザ・ホワイトハウス<セブンス・シーズン>」を見終わった。全21話と長かったが、飽きることなく全編を見せたのはシナリオも演出も俳優陣もすばらしかったから。もとはアメリカのテレビ番組である。番組製作の厚みが違う。

舞台であるホワイトハウスや大統領選挙戦の様子が事実とどれだけ同じでどれだけ演出上のものなのか僕には判断がつかないが、ドラマ上で大統領や次期大統領候補者を取り巻く連中がすばらしいのに感銘を受けた。国の最高意思決定者は、最高の能力と強いスピリットを持った多くのスタッフに支えられて初めてよい仕事ができる。

これは国という巨大な組織を動かすために不可欠なシステムである。日本はそうしたシステム作りが下手なのだろう。かつては官僚組織というシステムがそうした役割をそれなりに果たしていたのだろう。しかし、それはもういらない。そして問題は、トップマネジメントを支える今日的なそうしたシステムがないことだ。その事は、今の官邸の様子からうかがうことができる。

首相個人も問題だが、現在の状況は「システム」の問題でもある。

2011年7月25日

節電ファッショ

NTTデータの社長が新聞紙上で述べている。「ジャケット禁止の会合も増えた。会社の取り組みは本気だ」。発言の前後関係は分からない。会社の取り組みもなるほど本気なのだろう。結構である。しかし、ジャケットを羽織ろうが羽織るまいが、それは個人の自由というものだ。

彼はこうも発言している。「今はネクタイを締めて客先を訪れたら、逆にしかられる」。こういうのって、何か連想させないだろうか。戦時中、他人と違う装いをしたり行動をすると「非国民」と非難された「あれ」だ。

同社ではスーパークールビズ定着を狙って、アパレル会社を呼んで「社内ファッション・ショー」を行い、モデルを社員に務めさせたとか。社員の皆さん、楽しかったですか。ゴクローサン。

2011年7月22日

厚生労働省って、ものを考えているのか

先日、「労働経済白書」(2011年版)が発表された。そのなかで、大学進学率が上昇しているデータと、大卒者の就職率が伸び悩んでいるデータを重ね合わせて、若者の高学歴化が就職につながっていないという指摘がなされている。

で、その理由は大学の学科構成や教える内容が社会とずれているからだと分析している。どうしてそういう分析になるんだろう? そもそも今時、大学進学率の上昇、イコール若者の高学歴化と直線的に(すなおに)考えているところからしてはずしている。

大学卒業後に就職も進学もしていない人を学部別にみると理系より文系が多いことから、「大学の学科構成は社会のニーズにあっていない」とか。大学というのは、殖産興業のための装置でもなければ、就職の予備校でもないのだよ。

景気後退期に企業が雇用を抑えるのは当然の行動である。また、文系と理系の学生比率と企業の採用活動の間には、直接の関係はない。ほとんどの企業は、あらかじめ策定した採用計画に沿って採用者数を決めているのであって、「今年の入社希望者で理系の学生の割合が少なかったから、また学生が学んでいる科目が当社が期待している内容ではなかった結果、採用者数を手控えた」なんてことがあると思っているのだろうか。

2011年7月21日

「ぴあ」が廃刊に

7月21日発売の号を最後に、ぴあが廃刊になった。創刊以来39年間ということで、まずは表紙を毎号書き続けた及川正通氏にお疲れさんと言いたい。似顔絵でもなく、単なるリアリズムでもない、独特の及川ワールドを毎号見せてくれた。

ネット時代に向けて役割を終えたから、と発行元は言っているが、僕は長年の読者としてそうではないと思っている。ぴあのように、映画だけでなく演劇も、コンサートやライブの情報、美術展、スポーツイベントなど、種々雑多なライトな情報を探すのは、ネットより雑誌がはるかに優れている。

原因は編集の問題だ。僕が中心的読者層から外れているからかもしれないが、この10年くらいは内容がだんだんガキっぽくなり、アホっぽくなり、どうでもいいようなページが増えてきた。いや、編集者を責めるのは酷かもしれない。読者に合わせたらこうなっていったのかしれない。結局、われわれ全体の文化度の問題か。

平綴じが中綴じになった時は、平綴じに戻してくれるように要望を綴った手紙を編集部に送った。平綴じじゃないときれいにバラバラにできないからね。普段カバンに入れて持ち歩くのは、自分の行動範囲内の映画館情報とライブハウス情報だけで十分。

ネットはいいから、誰かまたこうした雑誌を作ってくれないかなあ。