トランプ大統領が先月、ノルウェーのストルテンベルグ財務相と電話で話した際に、関税率の話と併せてノーベル平和賞の受賞を望んでいる話したそうだ。これもトランプ流の「ディール」なんだろう。
彼がノーベル平和賞の受賞に強い意欲を示しているのはよく知られた話だが、今月12日には米国ホワイトハウスがSNSでイスラエルやカンボジアなど7か国の名前とともに「世界がトランプ氏のノーベル平和賞の受賞を求めている。トランプ氏は平和の大統領だ」と投稿しているというからその厚かましさに鼻白んでしまう。
今回のウクライナとロシア間の停戦協議の設定も、そのためのデモンストレーションに見える。トランプが真にウクライナ国民に共感や同情の念を持っているわけではないだろう。あくまで自己利益しか頭にない。
米国の為政者のそうした自己利益優先主義というか自己利益専有主義で思い起こされるのが、太平洋戦争終結後の日本国憲法制定時に見せたダグラス・マッカーサーの態度である。
早大名誉教授で評論家だった加藤典洋氏は、なぜ日本国憲法が今のようなかたちになったのか、『9条入門』でその第1条と第9条の関係に着目して興味深い考察をしている。
終戦の年の6月末時点、米国内での世論調査(ギャラップによる)に見る日本の天皇の処遇は厳しいものだった。
・処刑を求める=33%
・裁判にかける・終身刑・追放=37%
・不問に付す・傀儡として利用する=7%
当然、GHQが日本を占領統治するに際してそうした米国内の世論は無視できないものだった。
しかも、日本国憲法を制定する権限を持つ11ヵ国からなる極東諮問委員会のなか、ソ連、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンが天皇制の存続に反対していた。
それら11ヵ国は、東京裁判と呼ばれた極東国際軍事裁判の判事選任の権限を有していた。つまり、その委員会主導で戦後の日本国憲法が制定された場合、天皇制が廃止される可能性があった。
ところが、現在の日本国憲法第1条にみるように、そうはならなかったのはGHQによるウルトラCがあったから。
GHQには法理上の日本国憲法の制定権はなかったにもかかわらず、彼らが極東諮問委員会や連合国、米国国務省の裏をかいて電光石火の勢いで憲法草案を起草し纏め上げた。そして、「日本国民の自由に表明せる意志に従い」日本政府が作成した案であるという建前論をごり押しして制定化してしまった。
なぜかという理由について、加藤はマッカーサーが日本を占領統治するに際して天皇制を利用することで、占領にかかるコストと時間を劇的に削減できると考えたからだと分析する。
マッカーサーは1948年の大統領選への共和党からの出馬を狙っていた。そのために、連合国軍最高司令官として速やかに占領を完了したという統治者の実績がなんとしても欲しかった。
そして、天皇制を存続させることへの諸国からの危惧や批判を抑えるために第1条とバーターで第9条2項を作った、というのが加藤の見立てである。
つまり、日本という国の将来のこととか、世界の安定・平和とか、そうした本来あるべき統治哲学やモラルなどではなく、自分が大統領の地位へ近づくための手段として彼は日本国憲法を利用したわけだ。
人や社会への情を持たず、経済性などの(自己にとっての)合理性だけで判断する、これが米国流為政者のプラグマティズムなのだろう。
トランプもそうしたマッカーサーと同じ系譜にあると考えれば分かりやすい。
ウクライナへ侵攻し、今も多くの人命を奪っている殺略者であるプーチンをアラスカの空港にレッドカーペットを敷いて迎えたのも、彼の狙いを考えれば納得がいく。
ちなみにマッカーサーは、大統領選で大勝するだろうという当時の米国内の下馬評に反して1948年4月の予備選の場で敗れ、消えていった。