2024年10月19日

V字回復という欺瞞

企業経営について議論をしていると「V字回復」という言葉がときおり登場する。V字回復は、辞書によると「一時は落ち込んだ業績や相場などが、V字形に一気に回復すること」とある。

巷でV字回復した例としてしばしば挙げられるいくつかの企業名がある。

    日本マクドナルド
    日本航空
    良品計画
    日産自動車
    マツダ
    森永製菓
    ジャパネットたかた
    ゼンショー
    パナソニックホールディングス
    ユー・エス・ジェイ、などだ。

だが、上記の企業において落ち込む一方だった売上のトレンドが上向きに変わったあと、それらの企業の業績が今現在どうなっているが気になる。

一時的に売上あるいは利益を好転させるのは難しいことではない。例えば安売りを集中的に行えば通常売上額は上がる。しかし利益が一緒にあがるとは限らないだけでなく、店頭での価格が低位で固定されるリスクもある。また人件費や研究開発費、マーケティング費を削ればその分の利益が増すが、中長期的な競争力を自ら削ぐことにつながる。

だからこそ、重要なことはV字回復そのものではなく、根幹のところで競争力を組織が身につけることだという方向へ議論は進む。

V字回復した企業において、気がつけばまた売上や利益が下降線をたどっているという例は少なくない。というか、回復したからといってそのまま半永久的に右肩上がりを続けられると思う方がおかしい。

典型例の一つが、6年前にカルロス・ゴーンが去ったあとの日産だろう。ゴーンは、倒産寸前で青息吐息だった日産に着任するや、生産工場を3つ閉鎖するなど大胆なコスト削減をおこなって見事「V字回復」を遂げた。たしかに一時的には。だが問題は、カンフル剤の効果が切れてくるその後だ。

後継の経営者たちがとった戦略は大きく狙いが外れ、その結果はいまや死に体の同社を見ればあきらか。「V字回復」がもたらす誤謬である。

立って読むか、座って読むか

地中海にあるマルタ島で行ったレストランのトイレ。

男性用と女性用がふつうに並んで設置されている

よく見ると、扉のピクトグラムに新聞らしきものを持った人物が描かれている。

なかなか難しい姿勢だ

こちらは問題なし


トイレの中では新聞にちゃんと目を通せ、というメッセージかね。

2024年10月14日

AIコピーライター登場

電通が、明日からラジオCMの制作費を半額にするというサービスを始める。ChatGPTをベースにしたAIに、過去のラジオCMのコピーを一万件ほど学習させることで広告コピーを書かせる。

すでにオフィスの中で、AIが会議や打合せの議事録をまとめたり、プレゼン資料をつくったり、企画案を練ったりしている時代、そのうち広告会社のクリエーターの9割は世の中から消えていくと思っていたら、やはりその通りになってきた。

それにしても、コピーをAIに書かせるというだけで制作費が一気に半額になるとは、どういうことだ。もともと制作費をどれだけ上乗せして広告主に請求していたのか、ということになる。

いずれコピーだけでなく、ナレーションもAIが、広告にかぶせるBGM制作もAIが、SE(効果音)もAIが、そして編集やダビングもすべてAIがやってくれるはず。ラジオCMはテレビCMと違い、基本的にロケなど必要ないのでAI向きなのだ。

となれば、広告会社にCM制作を発注する必要などなくなる。それなりのスキルとセンスがある社員がいれば、広告主が社内でささっとつくれる。

今回の新サービスには、それが分かってて一刻も早く手を打たなければという代理店側の思わくが見える。

2024年10月13日

政治家は目と口だ

政治家は「目」と「口」だと思っている。

人として何を考えているか、政策立案能力はあるか、倫理観はあるか、リーダーシップはあるか、などなど、国民の視点で判断基準とするものは数多いが、いかんせんそうしたものは外から見えづらい。

だが、テレビやネットの画面上に映る彼らの「顔」は一目瞭然だ。そのなかで一番相手を引きつけるのは、間違いなく目。目にどれだけ力があるか、目が光っているか、誠実さを映し出しているか、それとも常に何かを隠している目か、われわれはほぼ直感的に理解する。

そして、現総理大臣のように目が死んでいる場合、つまりそこから多くのことを感じられない場合、われわれの目は彼らの口に向く。真実を語っている口か、情熱をもって相手に思いを伝えようとしている口か、人間としての清潔感を表している口か。

石破首相の場合、目が死んでいる。そして口元が不潔。どうする。

2024年10月9日

試合終了のゴングは鳴ってるはずだ

いわゆる袴田事件で、最高検が控訴をあきらめた。事件が起こって58年、容疑者とされた袴田巌さんに死刑判決が出て44年が経っている。その間、彼は日々、次の朝には死刑執行が下されるのではないかという恐怖のなかにいた(はずだ)。

今年7月に検事総長になった畝本直美は、袴田さんの無罪を言い渡した再審判決を「多くの問題を含む承服できないもの」「強い不満を抱かざるを得ず、控訴すべき内容だ」という異例の談話を出した。

初の女性検事総長として内部に向けて強いところを見せたかったのだろうが、客観的に見れば事実関係を理解していないとしか思えない。自分たちの権威を守らんがために往生際の悪いおかしな言い訳を繰り出すのはためにならないという事が分からないのだろうか。目が組織の内側にしか向いていない。

58年前の事件発生後、袴田さんは突如逮捕された。当時の捜査記録には「ボクサーくずれの被疑者を検挙し、県警の威信を高揚した」と記されている。なんたる職業的偏見か。

また捜査記録によると、犯行時間帯に現場付近を27人と120台の車両が通っていて、無灯火で走った車や止まっていた車2台もあったが、すべて究明されないまま警察は容疑者を袴田さんに絞り、袴田さんが犯行に及んだ動機を金目当てとした。なぜなら、袴田さんが怨嗟をもとに被害者家族4人を殺害する動機が見つからなかったからだ。

しかし、被害者宅で貴金属などの入ったタンスなどに物色跡はなく、多額の貯金通帳は手つかずのままだった。警察側が考えた犯行動機は一貫性を欠いていた。やがて、捜査機関が捏造したとされる衣類5点が、事件から1年以上もたって味噌だるから発見される。

繰り返すが、今回、検事総長は既に無罪判決を受けている袴田さんを今も犯人視し、判決を「承服できない」「強い不満」と述べた。どの面下げてそんなことが言えるのだろうか。試合終了のゴングが鳴ったあとも、ジャブを打ってきている。検察庁は有罪立証の判断の誤りを自ら率直に認め、袴田さんにきちんと謝罪すべきだろう。

畝本は女性初の検事総長を逆手に取られ、組織内の男たちから追い込まれたのかもしれず、そうすると確信犯はその男の検事らとなるが、まあどっちもどっちだ。いずれにせよ、定年を数年後に迎える彼女は、検事総長として社会正義や国民理解なんかより今自分がいる組織の中で「仲よく」やっていくことの方が大切と考えたわけだ。

https://www.kensatsu.go.jp/kenjisouchou/

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(付)

検事総長の談話は次の通り(全文)(令和6年10月8日)

○結論
 検察は、袴田巖さんを被告人とする令和6年9月26日付け静岡地方裁判所の判決に対し、控訴しないこととしました。

○令和5年の東京高裁決定を踏まえた対応
 本件について再審開始を決定した令和5年3月の東京高裁決定には、重大な事実誤認があると考えましたが、憲法違反等刑事訴訟法が定める上告理由が見当たらない以上、特別抗告を行うことは相当ではないと判断しました。他方、改めて関係証拠を精査した結果、被告人が犯人であることの立証は可能であり、にもかかわらず4名もの尊い命が犠牲となった重大事犯につき、立証活動を行わないことは、検察の責務を放棄することになりかねないとの判断の下、静岡地裁における再審公判では、有罪立証を行うこととしました。そして、袴田さんが相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも配意し、迅速な訴訟遂行に努めるとともに、客観性の高い証拠を中心に据え、主張立証を尽くしてまいりました。

○静岡地裁判決に対する評価
 本判決では、いわゆる「5点の衣類」として発見された白半袖シャツに付着していた血痕のDNA型が袴田さんのものと一致するか、袴田さんは事件当時鉄紺色のズボンを着用することができたかといった多くの争点について、弁護人の主張が排斥されています。
 しかしながら、1年以上みそ漬けにされた着衣の血痕の赤みは消失するか、との争点について、多くの科学者による「『赤み』が必ず消失することは科学的に説明できない」という見解やその根拠に十分な検討を加えないまま、醸造について専門性のない科学者の一見解に依拠し、「5点の衣類を1号タンク内で1年以上みそ漬けした場合には、その血痕は赤みを失って黒褐色化するものと認められる。」と断定したことについては大きな疑念を抱かざるを得ません。
 加えて、本判決は、消失するはずの赤みが残っていたということは、「5点の衣類」が捜査機関のねつ造であると断定した上、検察官もそれを承知で関与していたことを示唆していますが、何ら具体的な証拠や根拠が示されていません。それどころか、理由中で判示された事実には、客観的に明らかな時系列や証拠関係とは明白に矛盾する内容も含まれている上、推論の過程には、論理則・経験則に反する部分が多々あり、本判決が「5点の衣類」を捜査機関のねつ造と断じたことには強い不満を抱かざるを得ません。

○控訴の要否
 このように、本判決は、その理由中に多くの問題を含む到底承服できないものであり、控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容であると思われます。しかしながら、再審請求審における司法判断が区々になったことなどにより、袴田さんが、結果として相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも思いを致し、熟慮を重ねた結果、本判決につき検察が控訴し、その状況が継続することは相当ではないとの判断に至りました。

○所感と今後の方針
 先にも述べたとおり、袴田さんは、結果として相当な長期間にわたり、その法的地位が不安定な状況に置かれてしまうこととなりました。この点につき、刑事司法の一翼を担う検察としても申し訳なく思っております。
 最高検察庁としては、本件の再審請求手続がこのような長期間に及んだことなどにつき、所要の検証を行いたいと思っております。

以上

2024年10月7日

こんな人権説がまかり通っていいのか

元文部官僚の前川喜平氏が、石破茂が唱える日本国民にとっての人権説を書いていて、その内容に驚かされる。


人権というものは、人が人であることによって与えられているものだと思っていたのだが、新しい総理大臣はそう考えてはいないようだ。国家権力の意に沿わない者は国民としての義務を果たしていないと判断し、そこに人権はないとする。
 
そんな考えの人物が国家の最高意思決定者に就いてしまった、なんという危うさ。

2024年10月5日

NHKはカスハラを勘違いしている

東京都議会で、カスタマーハラスメント(カスハラ)の防止に向けた条例が全会一致で可決したというNHKのニュース。freeeという都内にあるネット企業の顧客からその会社の窓口にかかってきた電話の録音が番組内で紹介されていた。

その乱暴な話し方の方に意識が向いてしまうので、音声を消してみた。通話の内容は画面に表示されているとおりだ。

NHKの画面作成担当が何を思ったのか、ご丁寧に文字を躍らせるような演出をしているのが余計だが、この客が言っている内容そのものが果たしてハラスメントにあたるものだろうか。

ぼくには、彼が相手(企業の担当者)を傷つける暴言を吐いたり、彼(女)のプライバシーを犯すことをしているとは思えないのだ。彼は、ただとにかく腹を立てて、猛烈に怒ってどなっているだけだ。いささか常軌を逸しているが。

私が気になったのは、電話で強烈な苦情を言っているこの客がなぜこれほどまでに怒っているだろうということ。ここまで彼に強い怒り引き起こした原因が必ずあるはず。それを知りたいのだが、何も説明はなし。番組内で客の音声を流し、これはカスハラだ、と決めつけているだけ。報道としては片手落ちで明らかに配慮に欠けている。

先の都条例では、カスハラを「顧客から就業者に対し、業務に関して行われる著しい迷惑行為であって、就業環境を害するもの」と定義している。

また現在では、一般的な定義として、カスハラとは「顧客や取引先が立場を利用して店員や公務員に暴力をふるったり、理不尽な要求をしたりする迷惑行為」とされている。

例えば店員に土下座による謝罪を求めるなどは、明らかに就業環境を害する迷惑行為といえる。だが、このfreee社への電話で男が言っている内容は、そうしたものとは異なる。

この男性キャスターは、客からの通話の音声を紹介したあと、「こうしたカスタマーハラスメント、いわゆるカスハラを防ぐ全国初の・・・」と、さも当然のように言ってるが、自分の頭ではものを考えていない典型だ。

東京都は議会での制定を受け、本年度中に対策を盛り込んだ指針を示すとしているが、さてどんな指針が役人から提示されるのか。また、それを社会はどう受け取るのか、興味があるところだ。

そもそも暴力や暴行はハラスメントではなく、違法行為。それが誰からであろうが、警察にすぐに通報すればいい。スタッフが我慢する必要も、また我慢させられる必要もない。

また理不尽な要求に対しては「ノー」とはっきり言うことだ。ここにもハラスメントの入る余地はもともとないはずである。

僕自身は、カスハラ(Customer Harassment) という 、日本独特の概念がこれほど一般化するところに現在のこの国のオカシサを強く感じるとともに、日本企業が提供するサービスの品質が全体的に明らかに低下していることが一方で気になっている。

先日、あるカード会社が送って寄こしたサービス改定の文書に不明な点があり、問合せをした。電話番号をその企業のサイトで探したが、なかなか見つからない(見つからないようにしているとしか思えない)。やっと見つけて電話したら「ただいま電話が大変混み合っており・・・」で通じない。

何度もかけ直してやっと通じたら、「本人確認」とやらで、姓名、本人かどうか、生年月日、住所、引き落とし先の銀行名と支店名を言えと言われた。確認したかったのは彼らが送ってきた文書に印刷された文言についてであって私個人の取引内容とはまったく関係がないのだが。

しかたなく「名前は・・・、住所は・・・」とすべて答えてゲートキーパーは越えたものの、こちらが求める回答を出せる担当にはたどり着けない。なんとももどかしい。やっとそれらしい部署に電話が回っても、担当者が席を外しているので後でかけ直させるといわれ半日以上待つも一向に折り返しがないままその日が終わってしまったーー。 

自分たちが客に送った手紙の内容について問われ、容易に回答ができない。これをお粗末といわずして何という。

文書の発送日を9月吉日とするものどうかと思う。結婚式の招待状じゃないんだからさ。 日付を書けよ。

2024年10月4日

社員の幸福は何がもたらすのか

2023年3月期から、日本の上場企業は有価証券報告書への人的資本に関する数値の開示が義務づけられた。

その背景の一つには、幸福度の高い従業員はそうではない者たちに比べて創造性や生産性が大幅に高く、欠勤率や離職率が低いというデータがあるようだ。

そこで、企業の経営者は社員の幸福度を高めるようにしなくていけない・・・・と。幸福度が上がる → 創造性と生産性が高まり、欠勤率と離職率が下がる。という図式か。

だがちょっと待った。何をもって「幸福」と感じるかは、人によって千差万別だし、人の気持ちは移ろいやすく、その時々で何に幸福と感じるかは状況次第で変わる。

給料やボーナスの額か、休みの日数か、信頼できる上司か、良好な職場の人間関係か、与えられている役割か、企業の将来性への展望か、オフィス環境か、などその要因はいくつもある。真面目に考えれば、抽象度の高い「幸福」を経営者が満たすのは不可能といえる。

経営者が取り組むべき対象は、社員の創造性や生産性だ。経営者は社員の「幸福」を考える前に、そこで働く人たちが創造性を振るえて効率的に仕事を進められていると感じられる環境をつくることが先決なのではないか。

そうすれば、社員の幸福感はそのひとつの「結果」として現れてくる。

大切なのは、従業員の幸福感だとかウェルビーイングだとか、つかみ所のないフワフワした抽象概念を目標としないことである。

2024年10月2日

せいぜい頑張ってくれ、石破君よ

先週末の自民党総裁選、一瞬、高市早苗がトップになりそうな風向きで、「よしよし」と期待していたのだが、最終的には彼女は敗れてしまった。

彼女が自民党総裁になれば、安倍派の流れを継ぐ彼女は裏金問題や旧統一教会の問題で野党から集中砲火を受けることは必至で、結果として高市自民党政権は崩壊するのは間違いなかった。だから、リザード高市が自民党総裁選で負けたのは実に残念。

と思っていたのだが、買いかぶっていたようだ。総理大臣になった石破茂は思っていたほど頑強な人物ではないことがすぐ明らかになった。組閣の内容しかり、あっという間に衆院解散で総選挙など、その自信のなさ不甲斐なさを国民に露呈している。

「納得と共感の内閣」だとか。中学校の生徒会か?

これなら石破も高市と大差はない。せいぜい頑張ってくれよ、石破君。どうせ遠からず引きずり下ろされるんだろうから。

それにしても、石破が日本の総理大臣になったというのに、爆笑問題の太田の本音のコメントが聞こえてこないのはなぜだろう。