2021年9月29日

もっと自然に語っていいんだよ

「嵐」の櫻井クンと相葉クンが、それぞれ結婚することを公開した。同じ日に事務所のホームページを通じて発表するというのは、ファンや世の中での騒ぎを最小化するための配慮なんだろうね。

相葉クンは、そこで「結婚させて頂くことになりました」「日々、状況が変化していく中で、それでも頑張れる場を頂き、そしてお仕事をさせて頂いています」と コメントしていたという。

ずいぶん丁寧だなあ。「頂く」のオンパレードだ。結婚は当事者の合意でするものだから、結婚します、でいいと思う。それが自然な表現。

2人は超有名人で社会への影響力が大きいからこそ、妙にかしこまった不自然なものの言い方などせず、当たり前の表現を心がけた方がいい。


2021年9月28日

雲間から光

 
夕刻近く、西の空。赤い光のシャワーが雲の間から降り注ぐ。

 

これからの季節、南の夜空にはシリウス

南の空に輝くシリウス

23夜の月

今日は23夜で南の夜空は結構明るいのだけど、それでも雲がないおかげでいくつもきれいな星が見える。

書斎の窓からは、真正面におおいぬ座のシリウスが輝いている。これからの季節、しばらくのあいだずっと付き合うことになる。そしてシリウスと共に冬の大三角形を形作るオリオン座のベテルギウスとこいぬ座のプロキシオンもきれいに見える。オリオン座の三ツ星もまたたきを見せている。

ベランダに三脚を持ち出し、つい撮影してしまった。

2021年9月25日

映画「MINAMATA」から考えること

水俣病は過去の人災ではない。いまも多くの人が水俣病に苦しんでいる。しかも、いまだに水俣病であることを国から認められていない被害者たちがいる。

熊本県水俣市にある化学会社、チッソ株式会社は32年間にわたってメチル水銀を含む工場排水を無処理で水俣湾に垂れ流していた。32年間である。チッソと国と県の無責任さぶりを示してあまりある期間だ。

熊本大学医学部が水俣病は原因不明の奇病ではなく、チッソが垂れ流す排水が原因だと報告したのは1963年のことーー日本中が翌年の東京オリンピックに沸いていた頃。しかし、国が水俣病の原因をチッソの工場が流す排水に含まれる有機水銀が原因であると認めたのは1968年になってから。1963年以降も5年間、毎日毎日、水俣病の原因である有機水銀は水俣湾に流され続けた。

水俣病の原因は過失ではなく、見まがうことない国と県の犯罪だったわけだ。なぜそれがなされたのか。為政者が見るべきものを見ようとしなかったからだろう。もし見ていたとしたら、人間として感じるべきものを頭の中で完全に封鎖していたからだと思う。

2011年に原発事故を起こした東京電力福島第1発電所をあげるまでもなく、企業などによる人災によって被害を受けた住民への補償や原因追及においては、住民の中に被害者と加害者が混在することで地域社会が分断されるケースが多い。

産業に乏しい地域でその企業に雇用され生計を営む人たちが多く存在しているからだ。それが企業にとってはある種の安全弁となっている。住民からすれば足下を見られ、取られた人質である。

水俣病をめぐる闘争においても訴えについての賛成派と反対派のいざこざがあり、この映画でもそれが描かれている(真田クンがカッコいい)。根の所にあるのは仕事と金である。

映画の中で、ジョニー・デップが演じるユージン・スミスが妻のアイリーンの手を借りながら、あの「入浴する智子と母」を撮影する箇所がある*。日系アメリカ人で、ユージンの通訳として一緒に水俣で過ごすことになるアイリーンがいたからできた撮影であることがよく分かる。

米写真誌「LIFE」誌によって世界中に水俣病をしらしめることになった一連の写真のなかのこの一枚が、被写体となった智子の母親の強い思いから撮影されたことに強く心がふるえた。緊迫のシーンである。 

ユージンとアイリーンが日本に来たのは、1971年。三波春夫が歌う「世界の国からこんにちは」が日本国中に流れ、「人類の進歩と調和」をテーマにした大阪万博が開催された翌年のこと。

当初数ヶ月の予定だったのが、彼らはそれから3年間水俣の地に滞在して不条理としか言いようがない現地の姿を撮影した。 


化学会社であるチッソの事業は、2011年にチッソが設立したJNC株式会社という別会社に移転して運営されている。そのサイトにアクセスすると、トップページに「よろこびを化学する」というコーポレート・スローガンが表示される。悪い冗談かと苦笑するしかない。

帰宅後、書斎の本棚から彼の写真集を引っぱりだした。映画を思い出しつつ、モノクロの数々の写真にしばし見入ってしまった。 


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* その写真は1998年から新たな著作物への使用が認められていなかったのが、今年新たな写真集で使用が認められた。https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/634576

以下の西日本新聞の記事参照
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/451786/
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/451978/
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/452161/
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/452445/
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/452733/

2021年9月22日

神話と歴史の境界

現在行われている自民党総裁選に私は関係ない。総裁選で投票できるのは日本国民の1%。

そう、われわれのほとんどは蚊帳の外の "We are 99%" である。アメリカの大統領選挙のような首相公選制がわが国でも本気で議論されるべきだが、ここではそれは置いておく。

僕は自民党の4人の候補が総裁になるために何を主張しようが気にしないことにしている。99%のわれわれには関係ないからね。関係があるのは、実際に総理大臣になった議員がその後何をやるかだけ。

だが、高市早苗議員が天皇家の皇位継承策について「126代続いた男系の血統は天皇陛下の権威と正統性の源であり、多くの国民の誇りと敬愛の情の源。私は男系維持で、その中でも旧ご皇族の皇籍復帰を希望いたしております」と訴えたことは聞き流せない。

天皇制を支持しようがどうしようが、それは個人の価値観。ただ、歴史と作り話(神話)の区別がつかないような人物が日本のリーダーになってはいけない。

高市が言う126代とは、初代の神武天皇から数えた歴代の天皇を言っているのだろうが、これは事実ではなく作り話である。

初代の神武から第15代の天皇と言われている応神天皇までは、実在したかどうか分かっていない。存在が確認されているのは、第16代とされている仁徳天皇以降である。

もし初代天皇から存在したと国が主張するなら、天皇墓とされている各地の古墳を考古学者に公開し、きちんと発掘させて歴史的な事実を明らかにすればいい。しかし宮内庁は調査を絶対に認めない。

そもそも紀元前7世紀から始まるとされる神武、綏靖(すいぜい)、安寧(あんねい)、懿徳(いとく)・・・と続く代々の天皇に漢字名がついているのはおかしな事である。

日本に漢字が伝えられたのは、3世紀終わり頃のこと。漢字文字が日本に伝わる1000年も前、どうやってそれらに漢字の名前がつけられたのか? 誰が考えたっておかしいことが分かるだろう。

実はこれらは江戸後期になって水戸藩が雇った中国人学者である朱舜水が徳川光圀から『大日本史』の編纂を依頼されて「整えた」もの。だから、綏靖、懿徳なんていう日本人には誰も読めないし使えない漢字が使われている。

つまり、126代というのは事実ではない。以前のこのブログで歴史(ヒストリー)と物語(ストーリー)の線引きの曖昧さについて書いたが、そのまさに典型のひとつ。

神武天皇が天照大神の子孫であると『古事記』『日本書紀』で記されているが、それらは当時の朝廷が自分らの権威を既成事実化するために作った「物語」なんだから何をか言わんやだろう。

神話と歴史の区別がつかない人は、特徴として自分が信じたいことだけを信じるようなところがある。そうしたタイプが元総理大臣に何人もいたが、もう結構、こりごりである。

2021年9月16日

私の個人情報は高い、という訳ではないが

「フォーラム」と称するものへの案内メールがたくさん来る。主催は新聞社やリサーチ会社、コンサル会社、IT企業などさまざまだ。

ほぼ全てスルーだが、ごくたまにちょっと気になるスピーカーがいたりして、予定が合うかどうか分からないが、まずは参加申込みだけでもしておこうと思うことがある。

ただ詳細を読んでみて思うのは、フォーラムと称しておきながら、まったくフォーラムらしくないものばかり。Forumとは、本来は公開討論会、討論の機会、討論の場の意味。つまり双方性の高い議論の場である。だが、開催要項に書かれているのは、完全な一方通行のプレゼンか説明である。

しかも申込時に記入を求められるのは、なぜここまで書かせるのかと頭をひねる質問事項だ。名前とメールアドレスに加えて、生年月日、性別、現住所、勤務先名、所属部署名、連絡先電話番号、携帯の番号、これらの欄がすべて<必須>となっている。

開催内容からはどう考えても郵便物を送ってくることはないし、電話でやり取りする必要もない。だから本来は、名前とメールアドレスだけで事足りるはず。

そうした主催企業の意図は、ただこちらの個人情報を「可能な限り」集めたいということだけ。一応、個人情報に関してのきまりのようなものは参照できるようにしているが、ほとんどの人は読まない。

こうした個人情報泥棒にまともに付き合う必要はないので、適当にアバターを作る。フリーメールのアドレスを追加で作成し、なりすまし用のいい加減なプロフィールをつくったうえでメールの転送設定をする。

面倒臭そうに聞こえるだろうが、慣れれば数分とかからないし、こうした別人格を何人かもっておくと他のサイトや企業相手にも使えるからね。

相手がどう感じるかよく考えて、合理的で節度のある態度でこちらに質問してくれば、それなりにちゃんと回答してやるのだけど仕方ない。

2021年9月14日

無力感

自民党総裁選が熱を帯びてきたようだ。これで日本の首相が決まる。

報道では、その現状とゆくえが第一に取り上げられている。だが実質的には、そうしたニューズ・バリューはない。

どうせ投票できるのは、自民党議員と自民党員だけ。一般の市民は完全に蚊帳の外だ。

それに候補者は、どれも似たようなもの。自殺した元財務省職員の赤木さんが関わされた公文書改ざんの実状を明らかにしようと考えるものはいないし、モリカケ問題と言われている森友学園、加計学園の開学認可に関する疑惑を再調査しようと考える候補もいない。だから、どの候補も五十歩百歩だ。

それらのなかから総裁を選ぶ自民党議員の最大の関心は、次の選挙で自分が当選できるかどうかだけだろう。それと、誰にくっつくことでより大きな権力を得られるかだけ。

まだ今は小康状態だが、これからの日本は間違いなく長期的にとんでもない状況に陥るのは明らかなのに、それに向けた議論が政府からもメディアからも出てはこない。

自らの決定権がまったく及ばないところで、自分の国にそれなりの影響を与えることがきまってしまうことに無力感のようなものを感じるいたたまれなさ。

2021年9月10日

27歳のチーフ・デジタル・オフィサー

来年度の国の予算策定に向けた概算請求の総額は、111兆円を超えた。またまた膨大な額の国債を発行してまかなうのだろう。

特に要求金額が大きいのが、9月1日に発足したばかりのデジタル庁。その要求額は5,426億円にのぼるが、なんてことはない、各省庁内の情報システムの整備と運用費用がその98%を占めるという。


役所同士がデータをやり取りできるようにするのだろう。紙をデジタルデータにし、ハンコを不要にし、どの省庁内からでもデータの検索ができるように・・・なんてことを計画している。業務効率は上がるが、そこには戦略性は感じられない。

総務省は、マイナンバーカードの普及と促進に1,230億円を要求している。金がいるのも分かるが、普及と促進に一番必要なのは知恵と工夫だ。

これらはすべて国民の税金。

先日、デジタル庁の事務方トップに72歳の女性(元大学教授)が就いた。高齢だからだめだとは言わないが、彼女が自分のサイトで商用イラストを無断利用していたと報じられた記事を読むと、そうした感覚の人でほんとに大丈夫かなと思う。

2012年、僕がニューヨークのコロンビア大学で在外研究をしてた時のこと。マイケル・ブルームバーグ市長(当時)によって、ニューヨーク市の初代CDO(チーフ・デジタル・オフィサー)が任命された。当時27歳の女性、レイチェル・スターンだった。


その後、彼女はニューヨーク市での仕事を評価され、3年後の2015年にはニューヨーク州のクオモ知事に乞われて州政府のCDOに就任した。

27歳と72歳。彼我のなんと大きな違いだろう。本人の問題というより、任命した人間(役人)のセンスの問題ともいえる。72歳の元大学教授、さてこれから1年もつかどうか。


2021年9月7日

五輪が終わった。余韻などない。

五輪は終わった。国民生活のレベルで語るならば、この時期にやる必要性はなかったのにやっちまった五輪である。

「安全安心」という言葉が何百回と念仏のように唱えられただけで、総理大臣も五輪担当相も組織委員会の責任者も、最後までそれが何かを誰もきちんと説明しないままにだった。

成田に到着する選手団や五輪関係者だけでなく、各国からのメディアへのコントロールはほとんど利かなかったと聞いた。現場にいるのはアルバイトやボランティアの人たちばかりで、正規の担当者は姿を見せないのだからそうなって当然の様相だったらしい。だからクラスターが発生したのも当然の成り行きである。

「復興五輪」とか「新型コロナに人類が打ち勝った証」とか、今にして思えば見え透いたウソで固められたオリンピックとして人々の記憶に残ることだろう。

いずれにせよ、今回のオリンピックがどうだっかかなんて、今後話にのぼるのは日本だけだ。もちろん、全体の予算や当初の目的がどう達成できたのかなどについては、ちゃんと総括をやってもらわなくては困る。

でも外国は状況がまったく違う。例えばパリではメディアや人々の口にも9月6日以降は東京五輪の話などまったく出なくなった。オリンピック・パラリンピックと云えば、パリ2024なのだ。他国も似たようなものだろう。

観客を入れずに試合が行われた数々の新設施設はこれからも残る。

2021年9月6日

ジャパニーズ・タリバン

先日、東京オリンピックの開会式に絡めてLGBTQのことを書いたら、知り合いからLGBT理解促進法案の提出が、この5月に自民党によって見送られていたことを知っているかと聞かれた。
https://tatsukimura.blogspot.com/2021/08/blog-post_11.html

調べて見ると、その法案は足かけ5年かけて議論されてきたにもかかわらず、自民党内で意見の統一が見られず提出が見送られてたものだ。

7月下旬から始まった東京オリンピックは、そのオリンピック憲章で性的指向による差別を明らかに否定している。また、同性婚やそれに準ずる法制度が国のレベルで整ってないのはG7の国の中で日本だけである。

全体の話のつじつまが合っていない。 

この法案の最終的な取扱いは、最終的に二階ら自民党の党三役の判断に一任されたとあった。それじゃあ絶望的だ。

結局、日本は性的指向による差別が法的に規制されていない、つまり差別が認められている国家の1つということになる。タリバン支配のアフガニスタンと同じだ。

2021年9月5日

この国のこれから

こんなニュースを目にした。

同じ神奈川県選出で信頼する麻生派の河野太郎行政改革担当相を要職に起用できないか―。だが、麻生氏は声を荒らげた。「おまえと一緒に、河野の将来まで沈めるわけにいかねえだろ」(西日本新聞 9月4日配信)

2日夜、菅首相が党役員人事に関して麻生副総理と話したときのやり取りだ。この記事の通りなら、一体どちらが総理大臣で、どちらが副総理か分からない。これはガバナンス上の大問題である。

もし国に万が一のことがあって最高意思決定者の総理大臣に重大な判断が求められても、こんな状況では速やかかつ適切な意思決定ができるのか。

いつ首都圏直下型の大地震なんかがが起こっても不思議ではないなかで、どうかしちゃってるね、この国は。

戦後70数年。敗戦後の混沌の中からの復興への意欲とその後の人口増加をもとに少なくとも経済的には成長してきたこの国は、今やもう完全にガス欠である。より良くなろうと高みを目指す貪欲な意欲はなく、足下の日々の些事に一喜一憂している。つまり、目的も資源も戦略も意欲もない。

今日、パラリンピックは閉幕する予定。この13日間、スーパーマン、スーパーウーマンとしか言いようのないような選手たちのパフォーマンスに目を見張った。

だが、これで祭りは終わり。これから日本の長い長い落日が始まるのだろうーー。

2021年9月4日

歴史とは、そもそもが物語

唐辛子味のとっても辛い「暴君ハバネロ」(東ハト)というお菓子がある。

その商品名は、ローマ皇帝の暴君ネロから取っているのだろうが、ネロは実際に暴君だったのか。

今、ロンドンの大英博物館で「Nero: the man behind the myth」(ネロ:俗説に隠れた男)という展示会が開催されている。さまざまな出土品をもとに、ネロが実際はどういった皇帝だったかに想像力が刺激される。

https://www.britishmuseum.org/exhibitions/nero-man-behind-myth

第5世ローマ皇帝ネロというと、稀代の暴君として歴史にその名が残っている。ただ、彼のもともとの胸像や碑文は死後に削り取られ、多くの痕跡は消されている。ネロが今日暴君とされているもとになったのは、歴史家のタキトゥスらの著作に残された記述である。

ところが、ローマのコロッセオに隣接する地から掘り起こされ、復元がなされている当時の遺跡からはネロがきわめて有能な君主だった多くの証拠が見つかっているという。

また、ベスビオ火山の噴火で埋没してしてしまったポンペイの遺跡からは、その地を訪れたことがあるネロについての落書きが見つかっていて、そこには市民がネロを称える多くの言葉が書き残されていた。

ネロがとんでもない暴君だったとして挙げられる理由に、キリスト教徒への激しい弾圧がある。また、彼は市民からの受けはよかった一方で、元老院との関係が良くなかった。

先に書いたように、彼に関する碑文などは削られ消されてしまっているが、残っている他の記録によればネロの死後には丁重な葬儀が行われ、墓前には花が途切れることなく市民から手向けられていたという。

もし、ネロが当時の誰もが認める暴君であれば、葬儀などなされなかっただろうし、絶えず花が供えられることもなかったのではないか。

ネロの公式な評価は歴史家タキトゥスの著作によるものだが、タキトゥスはネロの存在を苦々しく思っていた元老院議員のひとりだったし、その後ローマの歴史を書き残してきたのは、のちにローマの国教として認められたキリスト教徒だった。

キリスト教を公認したコンスタンティヌス大帝は聖人として歴史に刻まれているが、実は自分の長男と2番目の妻、義父を殺害したような男だった。

ネロが非道な暴君で、コンスタンティヌスは聖人というのは一体どういうことだろうか。想像するに、ネロに関しては後にフェイクニュースが作られ、それが唯一の歴史になってこれまで残ってきた可能性があるということだ。

英語のHistory(歴史)は、His story(彼、つまり時の権力者の物語)だと言われる。ギリシャ語では、「歴史」も「物語」も 同じ ιστορία(イストリア)である。さすがはソクラテスを生んだ国だけあり、ギリシャ人はそのあたりをよく分かってる。

そういえば、我々が学校で教えられてきた「歴史」のなかにも、冷静に考えてみるとありえない話がたくさんある。