2014年9月28日

コスモスの一画

多摩川沿いに市民が自由に花を植え、育てている一画がある。その脇を通り過ぎるたび、季節折々の草花を楽しむことができる。いまは秋桜が咲き誇っている。ありがたく、なんだか申し訳ないような気分になる。

2014年9月20日

下町ボブスレーは、技術と心意気でできている

今日の「木村達也 ビジネスの森」(FM NACK5 毎週土曜日朝8:15から)のゲストは、下町ボブスレーネットワークプロジェクトのGM(ジェネラル・マネジャー)細貝淳一さん。


下町ボブスレーとは、東京都大田区の町工場が集まり、国産初のボブスレー製作に挑戦しているプロジェクトだ。そのスタートは、2012年の5月。大田区に数多く存在してる金属加工や樹脂加工を営む中小企業の技術を結集できると考えたひとりの若い大田区職員の発案で始まったというのが愉快である。

それに「乗った」細貝さんや他の大田区の町工場の主人たちもすてきだ。ものづくりの街、大田区には「仲間まわし」の文化があるという。それぞれが得意な分野に特化していて、それを活かすために他の仕事はほかの会社に回すことで、全体として高品質な製品を納期を遅らせることなく作り上げることができる仕組みである。

ボブスレー競技に用いられるそりは、欧州では名うての自動車メーカーであるBMWやフェラーリが製作しているというから、びっくりだ。確かにボブスレーは、氷上のF1とも呼ばれる競技。そりは時速130キロで氷の斜面を滑り降りていく。

現在は、いくつかのレースなどで調整を重ねつつ、2018年の韓国の平昌(ピョンチャン)冬季オリンピックを目指してプロジェクトは進行中である。 

今日の一曲は、ジミー・クリフの I Can See Clearly Now。ジャマイカのボブスレーチームの実話を元にした映画「クールラニング」(1993年)の主題歌である。この映画、ジャマイカ人の大らかさとユーモアに溢れていて、ほんと面白かった。



2014年9月13日

顧客に聞く、顧客を観る

今朝の「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、先週に引き続き、大阪ガス行動観察研究所所長の松波さん。

はきはきと元気で、よーくしゃべる関西のおじさん(といっても僕より年下)。学生時代は建築を専攻したという、好奇心一杯で行動観察にはうってつけのキャラクターである。


マーケティングの仕事は、いろんな事を知ることからスタートする。顧客のこと、競合のこと、世の中の動向のこと。もちろん自分たちの製品や企業のことも。そうしたミクロとマクロの環境分析のベースとなる一つがマーケティング調査によって得るさまざまな情報である。

だから当然のごとく、マーケティングの講義でもマーケティング調査について説明をする。自分自身がいくつもの業種でブランドを中心とするマーケティングの責任者を務める中でその意味と重要性は実感し、理解しているつもりだ。

だがその一方で、常にそこにある「リアリティ感」にはすっきりとは行かない感触を感じていた。正しく云えば「リアリティ感のなさ」にであるが。

それらの元は、調査会社が行う調査設計自体の信頼性や結果の分析の正確さ、妥当性もあるが、そもそも顧客への聞き取りなどで集めたデータ自体が実態にそくしたものかどうかに疑問が付きまとう。

調査主体であり、顧客から情報を得たい企業の思いとそうしたことに興味も関心もない顧客。企業はいろいろと聞きたがるが、顧客は面倒に感じる。自分を被験者の身におけばそれはしごく当たり前のことだと理解できる。

分かっていながら、時には小難しい言い回しで彼らの頭を混乱させ、ストレスを与え、投げやりな気持を増幅させる。多くの調査には、こうした課題が付きまとっている。これぞといった解決法はない。

行動観察では、通常、対象は数名と少ないが、その対象にじっくり寄り添い、深いところで彼らが意識していない行動からその奥底に秘められている意識を読み取り解釈しようとする。

行動は正直である。言葉は容易にウソをつくが、行動は裏切らない。ただし、そこで何を見、何を感じ、何を連想し、どう解釈するかは、一筋縄ではいかない。広く深い知識に加えて、そこでは相手への共感力が求められる。

松波さんは自己実現に対して他己実現という言葉を使われていたが、観察者のなかに相手の役に立ちたい、何か支援してあげたいという気持ちがなければ、観察からいい発見はできない。

行動観察はきわめて科学的であろうとする一方で、人間くさく、文学的なのである。

今朝の番組で紹介した一曲は、ニール・ダイヤモンドの "I Am... I Said" 。


数多くのヒット作をもつ彼であるが、その代表曲の一つ "Sweet Caroline"は、暗殺されたJFKの長女キャロライン・ケネディ(現駐日大使)をイメージして1969年に書かれたものだ。

2014年9月9日

熊楠の森へ分け入る

熊野那智大社と那智の滝につづく石畳の大門坂。南方熊楠はこのあたりで那智原生林の研究をしていた。熊楠は、途方もない人。森羅万象的な広い関心を持ち、興味を持ったものを克明にノートに記録する。書くことで覚え、考え、思考を固めていった。エコロジー(彼は当時エコロギーと表記)を日本で初めて唱えた人でもある。

2014年9月8日

中辺路(なかへち)を抜ける

この熊野古道を、これまでに一体何人が通り過ぎたのだろう。道の両脇にはまっすぐ伸びた杉の木立と緑あざやかなシダが茂っている。あたりの空気がなぜか濃い感じがする。ひらがなでもカタカナでもない、漢字の空間。

2014年9月7日

熊野神社の総本宮

熊野信仰の中心地が、熊野本宮大社。着いたのが夕方だったせいか、そこにはほとんど人気がなかった。足下で玉砂利が擦れるザザッという音だけが響く。うっそうと茂る樹林とお社が絶妙に一体化している不思議な空間である。

2014年9月6日

Kitano par Kitano

『Kitano Par Kitano』(早川書房)は、リベラシオンの日本特派員であるミシェル・テマンの手による北野武へのインタビュー本である。テマンには、他の著書に『アンドレ・マルローの日本』がある。


偶然にも近くに住んでいたことから、ある日思い切って声をかけ、取材を申し込み、「じゃ、近いうちに」と取材を受ける約束を取り付けてから待つこと2年。それから5年にわたる取材をへて、まとめられたのがこの本である。

ビートたけしは僕が気になる人のひとりで、彼について書かれた本は何冊も読んでいる。だが、この本はその対象とするテーマも話の内容の掘り下げも格段にちがう。あからさまな「たけし」の姿が浮かび上がっている。

自分の生い立ちから語る家族のこと、仕事、女、映画、メディアから政治や環境問題まで、その関心の領域の広さにあらためて驚くとともに、彼のあたまの良さにため息が出るほどだ。

そこまでたけしに語らせたミッシェル・テマンの取材者としての手腕はすばらしい。

たけしとフランスはきわめて相性がいい。実際、彼の映画や表現者としてのさまざまな作品を最も高く評価し、称賛しているのはフランスである。それに加えて、本書を読めば分かるが、たけしにはフランス人的な感性と意識の持ち方がある。根っこは浅草下町の日本人だが、感覚はフランス人である。

だから、日本人のジャーナリストでは聞き出すことができなかった多くことが、本書では語られている。話を聞き出したテマンには刺激的な連続だっただろうが、語るたけしにとっても幸せな時間だったはずだ。

 

2014年9月3日

建物は高くなったが、志はどうだ

大阪からお客さんがあった。お昼前の時間だったので、研究室で少し話をした後、昼食に出ることにした。

彼は早稲田大学へ来たのが初めてのようだったので、せっかくだと思い、少しだけキャンパスツアーのようなことを考えた。演劇博物館を案内した後、本部キャンパス(早稲田キャンパス)の一番のメインの通りを歩きながら、いま早稲田は古い校舎の建て直しで高層ビルが次々にできていると彼に話した時、「少子化時代なのに、どうして?」と問いかけられ、一瞬「うっ」と言葉を詰まらせてしまい、その素朴で的を付いた問いに笑ってしまった。

言葉には出さなかったが、胸の中では「そうだよな」と呟いていた。18歳人口は、1992年に205万人だったのが2002年に150万人、2012年には120万人を割っている。

都心の一等地だから、土地の有効活用のためにも高層でできるだだけ容積の大きな建物にすべきだという考えなのだろうか。土建屋の発想である。教室や研究室がたくさん取れることはいいのだが、それが有効活用かといえば疑問が残る。大学の教室は、年の半分近くを占める休みの間は鍵がかけられて使用できないままにされている遊休資産である。

校舎が軒並み高層化され、空が小さくなった。大学らしい開放感がここでもまた削られてきている。

大学は現在、ネットを使った遠隔授業を推進しようとしている。各学部は、先に高層校舎を建てた他学部にまけないような「格好いい」新校舎を建てたいと考え、大学本部はネットを使った場所や空間に縛られない教育環境を進めたいと計画している。その両者が長期的な視点で調整されないまま、部分最適だけが最優先されている。