2023年2月9日

15年後のギブアップ

三菱重工が旅客機開発から事業撤退すると発表した。国産初のジェット旅客機として期待されていた「スペースジェット(SJ)」だ。

これまでにかけた開発費用は1兆円で、税金が500億円投入されているなどの報道がなされている。

カネのことはここでは置いておくとして、流れてくるニュースからはいかにも日本人らしい思考スタイルと意思決定が明らかすぎるほど見て取れる。

そもそもの発端は経済産業省の旗振り。そこが今から20年前に小型航空機の開発プロジェクトを起ち上げたことに端を発している。それを受けて三菱重工が子会社として三菱航空機を設立し、「三菱リージョナルジェット(MRJ)」の名称で事業をスタートさせた。

戦後に日本で開発された旅客機はプロペラ機のYS11のみ。それも今から50年前に生産終了になっている。MRJ、今のSJへの期待は否が応でも高まるというものだろう。それがまず良くなかった。

日本人というのは、期待が高まり気分が高揚してくると判断があまくなる。太平洋戦争での悲惨な戦歴を振り返ればあきらかだ。これにさえ成功すれば・・・、という思いが強くなればなるほど、希望的観測だけがふくらみ、慎重な計画と合理的な判断ができなくなる傾向にある。

今回の撤退に至った要因を専門家らが指摘しているので、いくつか拾ってみたい。

日本は開発が途切れていたのだから、もっと小さい飛行機から試せば良かったのだが、航空会社の要望もあって、一足飛びに90席クラスの旅客機に挑戦した。

三菱重工というと、あの零戦を製造した企業というのがすぐ思い浮かぶ。社内なら尚更のことだろう。資源が限られた大戦中ですら自分たちはあのような優れた航空機を開発できた、という自負があった。その頃と今をつなぐ具体的なものはほとんどないにもかかわらず。「自分たちならできる(はず)」という無謀な自信の存在。

顧客(航空会社)の要望を優先させたというのも、いかにも日本企業らしい。それぞれの航空会社にあわせた外装のペインティングや機内設備のカスタマイズならともかく、製造機メーカーの基本戦略に関わることを目の前の客の声で決定する愚かさ。本当の意味での「顧客主義」とはそうした考えとは別ものだ。

当初、ボーイング社とコンサルタント契約した際に、同社737製のコックピットの使用を提案されたが三菱は断った。一緒に開発していれば、型式証明もうまくいっただろう。

型式証明取得を甘く見ていたからだろう。経験がないにもかかわらず、うまくやれると無根拠に考えていた。肝心の型式証明を出すかどうかは相手次第。つまり、アメリカさん次第なのである。その是非を言ってもしかたなく、とにかく相手の求める線で認めてもらうほかないのが現実だった。

そもそもエンジンはプラット&ホイットニー社製を採用しておきながら、コックピットはなぜ自社製にこだわったのか。

もう日本では国産のジェット旅客機は現れることはないのだろう(ホンダ・ジェットは日本産ではない)。 日本の各重工メーカーは、これからも米ボーイングと欧エアバスの下請け企業として機体の一部を生産し続けるだけだ。

15年かけて結局ギブアップした要因は、貧困なマネジメントにあると見ている。詳細はこれから専門家とジャーナリストがまとめてくれるだろう。

2023年2月8日

女性の感性、男性の感性

経団連が、その副会長の1人に63歳の女性を選定したとの報道を目にした。

誰を選ぼうが知ったことではないが、気になったのはそこに示されている理由だ。

経団連会長の十倉雅和という72歳のオジさん、日本を代表する化学会社の会長さんらしいが、選定の理由として語ったことには「野田氏が・・・の経験もあり、女性の感性に加えて豊富な経験を生かしてほしい」とか。

女性の感性? 今もそんなものがあるのなら、会長職のおじさんにはそれがどういったものか説明してほしい。また、女性の感性があるなら、当然男性の感性(つまり、あなたの「感性」だ)というのもあるのだろうけど、それはいったい何? 

日本を代表するはずの経営トップが、女性だからどうのとか、感性がどうのとか。そんなことで大丈夫なのかネ。

2023年2月6日

缶切りのひとりとして

映画「猫たちのアパートメント」(Cats' Apartment)は、ソウル市江東(カンドン)地区にある巨大なアパート群を舞台にした人と猫のものがたり。


そこは143棟ものアパートが建っていたマンモス団地。かつては6000世帯、2〜3万人が暮らしていたが、再開発のために建物はすべて取り壊されることになった。

低層住居のビルを高層ビルに建て替えるためだ。それまで建っていたアパートは5階建てか10階建て。それらの建物間のスペースもゆったりしていて、植栽や公園のスペースも多かった。だからおよそ250匹と推測される猫たちが、そこに暮らす人たちに面倒を見てもらながらゆったりと生きていた。

建物の取り壊しが決まり、徐々にだが人びとがこの地から去って行く。やがて住む人がいなくなり、もとからいた猫たちだけが取り残される。もちろん、そうした事情を猫たちは知る由もない。

このままだと野垂れ死にしかねない野良たちを死なせないために、団地に住む作家やイラストレーター、写真家などの5人の女性が立ち上がり、ニャンを移住させる活動を始めた。

相手は勝手気ままな猫。捕獲ひとつとってもなかなか思うようには行かない。時間がかかる、手間もかかる。でも彼女らは手を休めない。

賛同してくれる元住民らも多いが、地域猫についての考えはそれぞれ。これが絶対という解決策にいたらないままに動く彼女らにはストレスものしかかる。


画面では、地面すれすれの低位置に構えたハンディカメラが猫を追う。その猫の映像とそこにかぶさるピアノは、われわれにお馴染みの岩合さんの「世界ネコ歩き」と雰囲気がどこか似ている。

いまではネズミを捕まえることを期待されているわけでなく、害虫退治を求められるわけでもない、実利的には役に立つことのない猫と人が、それでも一緒に生きていくためにはどうしたらいいのか。

登場人物の一人の女性は「猫はご近所さんだ」という。ほどよい距離で見守りたいと考えている。

途中、集まった猫ママ(この映画中で猫たちの面倒をみている女性)たちが、猫たちは(こうやって世話を焼いている)自分らをどうみているんだろうねえって話す場面がある。

そこにいた一人の女性が、「彼らにとっちゃ、私たちは体のいい缶切りみたいなもんよ」って言う。ハハハ、うまく的を付いている。

イスタンブールの街を舞台にしたネコ映画「猫が教えてくれたこと」を思い出した。

2023年1月24日

この眉毛のかたちがいい

「日本人とは何か」を考え続け、日本中を旅した日本民俗学の開拓者は、ニューヨーク・マンハッタン生まれのナンセンス・ジョークの天才コメディアンだった。

 

2023年1月22日

Tito's ウォッカ

これくらい自由にやれるのは(酔っ払った)マーサ・スチュワートだからか、それともテキサス産ウォッカのテレビCMだからか。


それにしても、人は歳を取ると声が低くなるんだ。

2023年1月21日

隠れミッキー

東京から南へ1800キロ。

プールサイドのデッキチェアで本を読んでいたら、休憩時間らしいホテルのスタッフがふたりやって来て何やら探しものをしている様子。

「このあたりに隠れミッキーがいるって言われて」と言うので、彼女らと一緒に探すことに。

ほどなく、それらしいのが見つかった。

2023年1月20日

犯人の顔にボカシがいるか

関東周辺で3人組に店舗などが襲われる事件が続いている。

NHKのニュースでその事件が取り上げられていたが、防犯カメラに写った犯行現場の映像で、なぜか押し入った犯人らの顔に「ぼかし処理」が施されているのが気になった。

 
せっかく防犯カメラに記録された映像で、犯人逮捕のための貴重な手がかりだ。押し入って犯行を働いているのは明らかで、その犯人はまだ捕まっていない。

であれば、少しでも多くの人にその映像を見てもらい、犯人についての情報が警察に寄せられるようにすべきはず。その犯人らの映像を放送するときに、肝心の顔にわざわざ手を加えてボカすのはなぜ?

顔にボカシを入れる一般的な理由は2つ。ひとつは、人権やプライバシーに考慮して。ということは、今回の場合、容疑者たちのプライバシーにNHKが考慮したのか。

ふたつめは、肖像権侵害で訴えらえないように手を打って。相手が誰であれ、訴えられないようにするため最大限注意を払っておくというのがNHKの習性。

あるいは、さらに考えられる別の理由としては、写ってる犯人が自分たちだからというのもあるな。

とにかく、NHKの報道局の人たちは、こうした見せ方を誰もおかしいと思わないのか。

頭のなかが輻輳している日本の副総理、副総裁

ニュージーランドのアーダーン首相が辞任することを発表した。

彼女は昨日、「もはや私にはきちんとこなせるだけの力がない。満タンの状態で、かつ予期しない課題に備えて余力がある状態でない限り、国を率いる仕事はできないし、するべきでもない」と述べたという。外国のメディアでは「burn-out(燃え尽き)」という言葉が用いられている。

彼女はまだ42歳。2017年の総選挙で政権交代を実現し37歳で首相に就いた。首相として産休を取得したり、国連総会へ赤ちゃんを連れて出席するなどが話題になっていた。

一国の首相というトップの仕事は、超ハードなんだろう。そうかと思うと、日本にはこんなボケた老政治家がいまも重要なポジションに長々としがみついている。

麻生太郎という日本のフクソー理、自民党のフクソー裁が、地元である福岡県で行われた講演会で「少子化最大の要因は女性の晩婚化」と訴えた。自分の財布の中身など気にしたことがないボンボンが、無神経な浅慮の発言をまたしでかした。

それに対して各方面から異論や批判が噴出した。まあ、そりゃそうだろう。例えばネットの掲示板での「1番の理由は女性も馬車馬のように働かないとやっていけないからです。馬車馬のようにストレス社会で働き、家の事もし、子育てをするのは無理ゲーです」という女性からのブーイングはその一つで、当然である。

年齢の問題ではない。実際、たとえばスウェーデンやフランス、英国といった日本より出生率が高い国の女性の平均結婚年齢は日本より高いのだ。

このオッサンの頭は輻輳(フクソー)している。脳みその中身がこんがらがった、こうした手合いこそが、一刻も早く辞任してもらいたい。

ガキの頃からお坊ちゃん育ちで好き勝手言い放題。周りの大人がきちんと咎めたり、たしなめたりしないまま育てるとこうなる。

2023年1月9日

「多様性」への姿勢をカタチにする

白杖を手にしたマージェリーという女性が登場するマスターカードのコマーシャル。彼女が自分の家を出て、周囲のいろんな人たちと挨拶をかわし、いつものお気に入りのカフェでラテを注文する。

広告会社のMacCannが制作したこのコマーシャルでは、視覚障がい者である彼女の世界をスポットライトを使って効果的に表現している。

彼女の財布に収められたTouch Cardと呼ばれるカードの脇には、小さな刻み目が付いている。四角い刻み目はクレジットカード、丸はデビットカード、三角はプリペイドカードだ。

ちょっとした工夫で、健常者の便益を何も損なうことなく視覚障がい者の手助けとなっている。いいね。

世の中の多くの企業、いやほとんどの企業がダイバーシティ(多様性)の大切さを語り、自分たちはそれを心がけていると声高に謳っているが実際は口先だけ。

そうした企業の経営者が思うところの薄っぺらなダイバーシティは、せいぜい会社の女性管理職比率を少しばかり上げることに終始している。経営者が真剣に考えていないから、消費者に何も響かない。

このコマーシャルは、ちょっとした工夫が大きな効果と共感を生むことを教えてくれる。必要なのはイマジネーションだ。

何たらPayといったアプリと違い、実際に手に触れることができるクレジットカードならでは。 

ところで、CM中でマージェリーが訪ねたカフェはバニラ・ラテが4ドル50セント(約600円)する。日本でも物価上昇が叫ばれているが、米国に比べればいかにまだ安いか分かる。給料も安いが。

2023年1月7日

おとぎ話のような実話

映画『ドリームホース』の舞台は、ウェールズの小さな村。昼間はスーパーのレジ係、夕方からはバーで働くかたわら、近くに住む両親の世話に追われている一人の主婦が主人公。連連と過ぎる日常にどこか鬱々とした気持ちをかき消せない日々を送っていた彼女が、たまたまバーで馬主の話を耳にし、村の連中を巻き込んで馬主組合を立ち上げて馬を育てることになる。 

これ、作り物の話ではない。もとのドキュメンタリー映画があり、それをベースに本作がつくられた。お話は実話ということもあって、筋書きはシンプル。だけどシンプルだからこそ、多くの人たちの琴線に触れるものになっている。主人公の彼女(ジャン)は私であり、あなただからだ。

舞台になっているウェールズの風景が美しい。映画を観たあと、偶然、ウェールズに暮らす学生時代からの友人Pからメッセージが来た。

音楽好きな息子とSohoのレコードショップにいて、Japanese Ambientというコーナーを見つけたが何がいいのか分からないのでアドバイスしてくれという。

日本の環境音楽について僕にはすぐに返信できるような知識はない。彼らがいる店に在庫があるかどうかしらないが、とりあえず坂本龍一と武満徹はどうかと返信した。たまたまこのところ、仕事しながら彼らの音楽を聴いていたというだけの理由なのだけど。

映画『ドリームホース』では、むかし彼からもらったManics(Manic Street Preachers)のCDに収められてた曲が劇中で使われていたこともあって、映画を観たよ、と伝えたら、今度よかったら厩舎に案内してやるよって返ってきた。いまもそのままその村に残っているらしい。


2023年1月4日

神曲か、カニカマか

元旦、暦が2023年に変わってまもなく、ニューヨークの友人Dからニューイヤーメールが届いた。そのなかで、彼がいま読んでいる本としてダンテの『神曲』をあげていた。神曲!

彼とは35年を超える付き合いだが、「最近、何か面白い本は読んだか。自分はダンテの『神曲』にはまっている(I’m doing a deep dive into Dante’s Divine Comedy)」というメールを受け取るとは思ってなかった。

僕は『神曲』は読んだことがないし、これまで読もうと思ったこともなかった。だが彼が、

It feels like I’m visiting another planet for the first time. This is something I never thought I’d be able to tackle but I’m having the best time with it.

と書いているのを読んで、ネット書店に注文した。別の惑星を初めて訪れているような読書体験ってすごいじゃないか。これは読んでみなければと思わせる。

日本語訳には、イタリア文学者の須賀敦子さんがその<地獄篇>を訳している版もあるのを知ったという理由もある。

今朝、宅配便が届き、箱を開けてみると、そこには『神曲<地獄篇>』とその翌日に注文した清水ミチコ『カニカマ人生論』が入っていた。

さてどっちから手に取ろうか。ダンテの神曲か、みっちゃんのカニカマか。


2023年1月3日

ミルトン・グレイザーのイラストレーションが出てきた

最近では音楽を配信サービスで聴くことが多くなったが、毎年正月の休みにはレコードを聴いて過ごすことにしている。

むかしは当たり前のことで何でもなかった、ターンテーブルを操作したり、レコードを裏返したりするのがなんとなく面倒で、普段はなかなかその気にならないからだ。

もう忘れていたようなLPを棚から取り出し、ターンテーブルに載せ、ライナーノーツに目を走らせる。ときどき意外な発見があり、得した気分になる。Bob Dylan's Greatest Hits を聴いていたとき、ジャケットに付録として挟まれていたミルトン・グレイザーが描くディランのイラストを発見した。イラスト面を内側に折りたたまれて収納されていたので、これまで気がつかなかった。

出てきたミルトン・グレーザーのイラストレーション
 
このレコードが米国で発売されたのは1967年のこと。その日本版を手に入れたのは、僕が高校生だったときだろうか。

ディランの初めてのベスト・アルバム。
グラミー賞(デザイン部門)を受賞したLPジャケット
 
ミルトン・グレイザーは2020年に91歳で亡くなっているが、間違いなく「超」がつく優れたグラフィック・デザイナーでイラストレーターだった。いわば、アメリカの和田誠。彼の仕事で誰もが知っているものが、以下のロゴマーク。


このアイデア、彼がマンハッタンのなかをタクシーで移動しているときに頭に浮かんだものだという。彼のそのときのスケッチはこんなものだった。


この手書きのスケッチがもとになって、上の4文字のタイポグラフィと文字組みがデザインされた。


これがボブ・ディランをモチーフとした、グレイザーのもとのイラスト。アールヌーボー風でカラフルに色分けされたディランの髪は、いくつもの才能を発揮する彼の多彩さを表現しているんだろう。そして右下のDYLANの書体が、当時のポップ・カルチャーの雰囲気を感じさせる。

2023年1月2日

擬(もど)きとしてのカニカマ

正月2日は、清水ミチコ リサイタル@日本武道館。今年のテーマは「カニカマの夕べ」。

ばかばかしくも楽しく、大いに笑った。ユーミンならぬユーミソなど、擬き(カニカマ)としての自信あふれるステージだった。

2023年1月1日

日本のビジネスマンに最も必要なスキルとは

毎年、元旦に経済団体のお偉いさんへの年頭インタビューが公開される。

今年のそれだが、 経団連会長の十倉というおっさんが「企業の研修や教育だけでなく、個々人に届くようなリスキリングのやり方も考える必要がある」と述べていた。

かつては、経団連の会長は何かと言えば「イノベーション」と威勢よく言っていたのがいささか様変わりしたものである。イノベーションからリスキリングへ、大言から足下への転換か。ただどちらにしても意味をちゃんと理解しているようには思えないけど。

一方、経済同友会代表幹事のおっさんは、日本の「失われた30年」と言われる長期の経済低迷から脱却するには「成長に必要なイノベーションに果敢に挑戦し、価値を生む企業が生き残る」という話をしたらしい。
 
イノベーションは挑戦する<対象>ではない。イノベーションは<結果>だ。前にも同様の事を書いた気がするが、経営者が社員に「イノベーションを生み出せ」と命じ、「はい、分かりました。今期末までに生み出します」 といくものではない。
 
イノベーションは狙ってつくれるものではなく、成果として出てきたものがそのように評価されたもの。だから、組織がイノベーションを結果として生み出せるようになるための必要条件があるとしたら、それは社員がイノベーティブでクリエイティブであり続けることだけ。経営者が、ただ「イノベーション」と念仏でも唱えるように繰り返しても詮無いことだ。
 
ところで、経団連会長が言った「リスキリング」だが、それに関してはひとつはっきり言えることがある。それは、日本のビジネスマンに一番必要とされるスキルは、自分に必要とされるスキルが何なのかを理解するスキルだということ。
 
リスキリングとやら、まずはそこから始めてみてはどうだ。

『夢の砦』

大晦日に年越し蕎麦を食いながら読んだ(我ながら行儀がわるいね)2022年の最後の本が、矢崎泰久と和田誠の『夢の砦』だった。

稀代のジャーナリスト・編集者と天才イラストレーターが作った雑誌『話の特集』にまつわるさまざまな話や、そこに集った多彩な才能溢れる人たちを描いたゴキゲンな本だ。

『夢の砦』という名の本には、小林信彦が(たしか)1980年代の初頭に書いたものがあり、こちらも雑誌の編集と制作をめぐる素敵な本だったけどまったく別もの。

矢崎らのその本の最後に、矢崎が2019年に亡くなった和田への追悼文を書いている。もとは『ユリイカ』2020年1月号に掲載されたものだが、雑誌を一緒に作ってきた同志である和田への愛情溢れる文章と語りにほろりとしたと思ったら、けさの新聞で矢崎が暮れに亡くなっていたことを知らされた。

『夢の砦』の著者紹介には「卒寿を目前にした現在も生涯現役のフリーランス・ジャーナリストを志して健筆をふるう」とあったのに、残念である。

2022年12月27日

君はKFCを食べたか

学生時代からの友人であるシンガポール人のHから、日本人のクリスマスの過ごし方についての記事が送られてきた。

「クリスマスにKFCで食事をするという、日本人のこの習慣は本当なのか。実に面白い」と彼のコメントがついていた。

BBCのウェブサイトの記事だ。そこには、毎年、日本では360万もの家族がクリスマスにケンタッキー・フライド・チキンの店に押し寄せると紹介されている。

日本人はKFCが大好きらしく、クリスマス・シーズンには何週間も前から店を予約しておかねばならず、予約がないと何時間も彼らは列にならぶことになる、とも書いてある。

日本にある1100店あまりの中にはそうした店もあるのかも知れないが、それが一般的とは思えない。KFC1店あたり平均3300家族がクリスマスに訪れるというのは、誇張されてないか。

英国人にしてみれば、キリスト教徒ではない日本人が宗教的意味を考えることもなくクリスマスを単なる商業主義の行事にしているのが不可解、そして不愉快なんだろう。

彼らのそうした感情は分からないではないが、こう誇張して面白おかしく書きたてるようなものではないと思う、とHに返信しておいた。

2022年12月26日

おにぎりの形をした時計を買ったわけ

自動車ディーラーに行き、これからの季節に備えてタイヤをスタッドレスに替えてもらった。

ガレージで作業をしてもらっている間、いつもすぐ近くにある園芸店で買い物がてら時間を潰すことにしている。

その店の雑貨コーナーに展示していたおにぎりを逆さにしたような形の時計に目がとまり、面白いなと思い、つい購入した。

 
時計を探していたわけでもないのに、どうしてそれが気になって購入したのか自分でも分からなかったのだが、あとでその理由に気がついた。

ディーラーでタイヤ交換の受付を待っている間、テーブルの上にあったメーカー発行の冊子をめくっていたところ、そこにそのメーカーがかつて開発していたロータリー・エンジンの特集記事が掲載されていたのだ。

その独特のおにぎり型をしたエンジンのローターが無意識のうちに頭の片隅にあり、園芸店で時計に手を伸ばさせたのだろう。なるほどである。

2022年12月25日

Glass Onion

ネットフリックスで「グラス・オニオン」が公開されている。ばかばかしくも目が離せないジェットコースター気分が味わえる映画。

舞台はギリシャのとある島。イーロン・マスクをモデルとしている超富豪が所有するそのプライベート・アイランドへ8人の男女が招かれ巻き起こるさまざまな騒動が描かれている。

ストーリーの節々で使われる「アイテム」が気になる。FAX、昆布茶、ビートルズ、D・ボウイ、ヒュー・グラント、ヨー・ヨー・マ、セリーナ・ウィリアムズ、ジャージパンツ、iPad、Googleアラート、The Innovator's Dilemma、紙ナプキン、Disruption、そしてモナリザ。

世の中的にはもう終わってしまった通信機器と考えられているファクスが効果的に使われている。これはSNSやDXなんて考え方へのカウンターなんだろうが、この映画を観ていてファクスの面白さ、使い勝手をあらためて再確認した。 ファクス、いいじゃない。

そんな点も含め、この映画にはジョン・レノンが「グラス・オニオン」の歌詞に込めた諧謔と悪戯の精神がたっぷり込められている。

2022年12月23日

電子マネー時代に托鉢僧はどこへ行く

クリスマス気分で賑わう横浜。高島屋の前を通った際、托鉢をする坊さんを見かけた。新型コロナの感染拡大以来、そうした人は見かけたことがなかったので珍しかった。

2時間ほどのちに再度見かけた彼は、先ほどと寸分違わぬ場所に寸分違わぬ様子で立っていた。

脇にはキャリーバッグがある。どこから来たんだろうという興味がわき、幾ばくかの布施を喜捨し話しかけたところ、長野県の小布施町の臨済宗の寺からだという。

人々がスマホで支払いをするようになってきている今の時代に、托鉢で金を受け取れるのかどうか訊ねてみた。(余計なお世話だ)

彼は「お気持ちだけで」と応えた。それはそうなんだろうが、托鉢僧に紙幣を渡す通りがかりの人は多くないはず。実際、彼の持っていた器には紙幣はなく、100円玉と500円玉だけがそこにはあった。なぜか10円玉、50円玉は1枚もなかった。

・・・なんてことを考えながら帰宅後、托鉢について調べてみると、今日出会った坊さんはほぼ間違いなくニセ者だということが分かった。

まずは彼の装い、禅宗の僧が托鉢する際に身につける袈裟をまとっていなかった。着物の下にタートルネックのセーターを着込んでいた。読経をまったくしていなかった。そして、そもそも彼が言った臨済宗の寺は小布施町に存在しなかった。

この男は、何か理由があって托鉢僧を装って小遣い稼ぎ、あるいは生活費稼ぎをしていたのだろう。

騙されて金を渡してやったことになるが、寒風のなか立ち続けていたあの男には何か訳があったはずで、それを思うとそうしてやってよかったと思っている。

よく見ると、なりがおかしい。東京の合羽橋で買った托鉢セットだろう


ところで、お金が電子化されていく時代に托鉢僧が存在し続けるのか気になったことがきっかけだったのだが、托鉢はあくまで修行が目的の行為であることを考えれば、本来はお布施の有無など関係ないのだろう。つまり、本当の托鉢はなくならないってことだ。

今度は本物の托鉢僧にヒアリングしてみたい。でも、話しかけると修行の邪魔か。