2016年1月7日

平成28年のオフィーリア

1月5日朝刊の新聞広告、中面見開き全面広告で目が止まった。目が釘付けにならない方がおかしい。表現の巧妙さ、メッセージの先鋭さ、1月5日というタイミングで掲載した戦略性、新聞という媒体を使ったスマートさ、広告主の思いきり。

これまで無数の広告を目にしてきた。しかし、これほど唸らされた広告がいままであったか、なかったか・・・。


ヘッドラインは「死ぬときくらい 好きにさせてよ」。合成写真は、ラファエル前派の代表的作品であるミレイの「オフィーリア」をもとにしたパロディである。モデルは樹木希林。広告主は宝島社。

コピーは、なかなかの文明時評になっている。科学技術の(ありがたい)進歩のお陰で昔のように悠々と死ねなくなった時代に、死ぬときくらい自分の意思で静かに逝かせてというのだ。

病気を治し、命の炎を消さないようにすることが医学の本来的な使命である。生物としての人間の適正な寿命(あるとして)がどのくらいなのかは、僕は知らない。しかし、医学の進歩によって人が自分の生を生きるのではなく、生物として生かされ続けることが増えていることは知っている。さて、それをどう考えるかだ。哲学の問題である。

広告を見てしまったからというのもあるが、樹木希林さん以外にモデルは思い浮かばないのも、「負けた!」という感じだ。
 

2015年12月29日

行動を数値化すると、やる気が起きる例

先日から使用している運動量計が、一週間のサマリーをメールで送ってきた。

毎日の自分の体重を計測して書き留めていくだけで減量に成功した物書きの話を読んだことがあるが、なるほど具体的な数値を記録することで何よりも実態がつかめ、それをどう変化させてやろうかという意欲がわいてくるものである。


2015年12月28日

落語の奥深さ

先日の「木村達也 ビジネスの森」は、ゲストに落語家の立川談慶さんをお迎えした。

噺家の方を番組のゲストにお迎えしたのは初めて。今回は、主に彼の『いつも同じお題なのに、なぜ落語家の話は面白いのか』(大和書房)をもとにお話をうかがった。



ところで、たまた今夜、TBSテレビでビートたけしが立川談志に扮するドラマ「赤めだか」が放送されていた。
 
原作は、立川談春の同名の本。そのドラマで描かれた談志が実際の談志であるのなら、破天荒でいて思慮深く、独善的でいて繊細、我がままの固まりのようでいて誰より弟子想い。
 
個性とはこれくらいでなくては個性と言えないと思わせる、不世出の天才である。観ているものを笑わせる、ほどよい楽屋ネタも織り込んだ良くできたドラマだった。
 
番組内の選曲は、ポール・マッカートニー&ウィングスのアルバム Band on the Run から「Jet」 。
 
 

2015年12月24日

Born to Run(明日なき暴走)から40年

ブルース・スプリングスティーンの「明日なき暴走」がリリースされたのが、1975年。いまから40年前だ。あれから何度このアルバムを聴いたか分からない。もっとも多く針を落としたアルバムの一枚であることは間違いない。

FM NACK5で土曜日の朝にやっている「木村達也 ビジネスの森」のなか、いつもゲストとの対談の途中でブレーク替わりに音楽を一曲かける。番組スタート以来、毎回その選曲をやらせてもらっている。

当日のゲストや対談の内容をイメージしながら選ぶのだけど、基本的には自分の好みの曲しかかけない。ほとんどはオールディーズというかクラシックロック(ロックの古典)だ。自分を育ててくれたロックの名曲といってもいい。

2年近くそうした選曲をしていたところ、日経新聞から「ロックタイムズ」欄で話して欲しいとの依頼が来た。ロックとの出会い、そしてスプリングスティーンについて語って欲しいと。

ギャラはなし。だけど、受けたよ、それは。70年から80年代のロックについて話するなんて、最近なかったからね。普段、そんな相手は近くにいないし。

というわけで、出来上がったのが今年のクリスマス・イブに発行された以下のインタビュー記事である。

日本経済新聞 2015年12月24日夕刊


2015年12月20日

4冊目のパスポート

現在のパスポートが失効間際になったので、新しいパスポートを申請した。4冊目のパスポートである。つまり、初めてパスポートを手にしてから30年が経ったということになる。

1冊目のものの表紙には「数次旅券」とあるが、2冊目からはただの「旅券」となった。3冊目からサイズが小さくなっている。そして、4冊目にはICチップが入った。確か3冊目の切替の時にはICチップ入りに選択があったが、その際は断った覚えがある。

中をめくると、海外に行き始めたころには米国に行くにもオーストラリアにも韓国もフランスも、もちろん中国にもすべてビザが必要だったのが分かる。それに航空券も高価だったし、海外に行くにはそれなりの覚悟がいった。

1987年に訪ねた現ミャンマーのスタンプは、ビルマ(Burma)と綴られている。



2015年12月19日

旅と歌とギターで過ごした2年4ヵ月

今朝の「木村達也 ビジネスの森」(FM NACK5 8:15〜)は、先週に引き続きシンガーソングライターの金丸文武さんをゲストにお招きした。


2年4ヵ月かけて、路上で歌を歌いながら彼は60カ国をまわった。ひとりでそれだけの国と地域を回るだけでたいへんだけど、彼の場合は路上ミュージシャンで稼ぎながらの旅である。野宿もよくしたということだし、危険な目にもあったらしい。

日本に戻ってきた感じたことは、「日本はほんとうにいい国」という気持だったと話してらした。食べ物は旨いし、安全だし、何をやっても生きて行けそうな国だとか。

帰ってきて涙もろくなった、という話が番組のなかであった。バスのなかで若者がお年寄りに席を譲っているのを見ただけでじーんとしてしまう。平和で安全で豊かな国を実感するのは、そうしたところからかもしれない。

彼はインドを再訪することを計画している。インドへ行った折、路上でたくさん見かけたストリートチルドレン。チューンガムなどを売って日銭を稼いでいる、そうした子どもたちにまた会うためである。

いま日本の各地から寄せてもらっているリコーダーを抱えていき、路上で子どもたちと演奏するためだ。ストリート・チルドレンを中心としたリコーダー楽団! 路上ミュージシャンである彼が思いついた、子どもたちのもう一つの「稼ぎ方」である。

今日もスタジオで金丸さんに一曲歌ってもらった−−−彼のCD「アンダルシアの風」に収められている曲「ワンモアタイム」。

 
彼のCD「アンダルシアの風」

2015年12月15日

それでも13,196歩

今日は、普段とあまり変わらぬ1日。午前中は知り合いの会社で会議。午後から夕方まで、大学の研究室で修論作成中の学生3名と話をする。夕方からは高田馬場で卒業生と会食。

それでも13,196歩、歩行距離9.14キロ、階段の上り下り27階分。駅をひとつふたつすっ飛ばして歩けばこのくらいになる。


2015年12月10日

がんばって、15,939歩

夕方から「ジビエ料理の会」という集まりのお誘いを受けて、文京区の千石まで出かけた。そこで出てきたのは、鹿肉と猪肉を使った料理の数々。僕はどちらも初めてだったのだけど、思っていたような臭みなどまったくなく、シコシコしていて味わい深く素朴にうまかった。今日もよく歩いた。

iPhone上のFitbitのアプリ画面が今日の「成果」を称えてくれる

2015年12月6日

日曜日、9576歩

一人の時間を持つこと、本を読むこと、考えること、そして歩くことで考えをたたみ込む。パソコンに向かっていたのでは、たいした知恵は獲得できない。デジタルかアナログかということではない。アタマを使うということは、本来そういうこと。

今日は日曜日だったので9576歩。階段12階分昇降、歩行距離6.64キロ。まあこんなものか。

2015年12月5日

天気がよかったから、11,303歩

今日の歩行数は、11,303歩。距離、7.83キロ。上り下りした階段は、13階分。まあまあ。

学ぶより、自分で考える方が大切だ

今朝の「木村達也 ビジネスの森」は、先週に引き続き、毎日新聞社の元欧州総局長・笠原敏彦さんをゲストにお迎えし、彼が書かれた『ふしぎなイギリス人』(講談社現代新書)をもとに話をうかがった。



英国に行っていつも思うのは、緑が豊かなこと。ロンドン市内であっても、きちんと公園や庭の緑が確保されている。土地があるから開発すればいいというものではないのだ。

そうした点については、厳しい規制を敷いている。規制することそものものがいいとは思わないが、何が大切で、守らなければならないかをそうやって明確にしていることは好ましい。

笠原さんは、日本は英国から学びすぎてきた、学ぼうとする必要はもうないのではとおっしゃる。二大政党制、マニフェスト、小選挙区制、いずれも英国から日本は「学び」、導入したがうまくいっていない。歴史や制度、国民のメンタリティがそれぞれ背景にあって英国では導入されたものだからだ。

日本で何か問題があると、官僚は対応策を外国に求める。自分の頭で考えるよりその方が得策らしい。探し集められた諸外国の制度のリストが作られ、政治家がこれがよさそうだと「選ぶ」。 だが、そうした輸入品は機能しないことがやがて露呈する。責任はだれも取らない、と。

確かにその通りである。彼の話にもあったように、メンタリティの問題だ。それをどうやって変えていけばいいのか、果たして変えることはできるのか・・・・・・。

今朝の選曲は、The Who の "My Generation"。



2015年12月4日

今日は、11,997歩

今日の歩行数は、11,997歩。通勤と学内の移動だけだが、けっこう歩く。


2015年12月3日

1日11,940歩なら上出来だろう

転居をし、通勤経路が変わった。以前の住まいからだと合理的なバリエーションは3つのほどしかなかったが、いまは5つほどのルートを使い分けている。

天気がいい日は、乗換が少ないルートを選び、その代わり駅までの歩行距離が伸びる。幸いスクールゾーンで道はクルマが少なく、しかも起伏がまったくなくとても歩きやすい。雨が降っていない限り、自然とこのルートを使うようになってきた。

先日、fitbitという活動量計を買った。これまでも万歩計の類をいくつか持っていたが、fitbitは簡単にパソコンやスマホアプリと同期し、その日の活動量がわかるのが気に入っている。

今日は、歩行歩数11940歩、階段の上り下りが36階分、歩行距離8.27キロだった。

数値化すると実感が持てる。自然と明日もまた歩こうと思うようになるから不思議だ。



2015年12月1日

規制できるものは何でも規制しようという役人の根性

先月十数年ぶりで引っ越しをした。いろいろと面倒だった。若い頃はだいたい2年おきに引っ越しをしていたが、その頃は大した仕事ではなかった。

しかし、この歳になるとその頃に比べて圧倒的に身の回りの物量が増し、また人間関係を含めいろいろ複雑なことが増えていることにあらためて気付く。人生のオリがたまってきているということだ。

転入転出の届け、パスポートの切替、銀行や証券会社への連絡などいずれも面倒くさいがやらざるを得ない。

ほとほと厭になったのは、電話会社の変更である。建物に架設されている回線の都合で、インターネットを含めた電話会社をプロバイダーは継続したままでK社からN社に変更した。その手続きは、バカバカしいほど手間がかかった。

以前の電話番号に入電した際に、新しい電話番号を流してもらうようにするだけのことで、K社に電話すると「そうした手続きはプロバイダーのソネットに任せている」と伝えられ、ソネットに連絡すると「新しい電話会社のN社に連絡してください」と言われ、N社に電話すると「以前にご使用になっていたK社に依頼してください」となる。

こうした訳の分からない循環を3回はまわっただろうか。まったく人の時間を何だと思っているのだろうか。

しかも、どこに連絡しても「ただいま電話がたいへん混み合っており、おつなぎできません。しばらく経ってお掛け直しになるか、そのままお待ちください」というメッセージを聞かされるのには心底アタマにきた。

こうした場合、電話をわざわざかけた身として腹立たしいのは、その相手の状況がわからないことである。こちらは、平日の午後という、忙しくないだろう時間帯に連絡しているにもかかわらず、毎度同じ「ただいま・・・」という音声メッセージを聞かされる。

混み合っているのではなく、対応をギリギリまで絞ったスタッフでやらせているからに違いない。そんなところで少々の人件費をガリガリ削ってどうすのか。本来のマネジメントができていないのだ。

あ、それと呆れたことをひとつ。引っ越しは、ある大手の業者のお任せパックのようなものを頼んだのだが、洗面所の洗濯機の設置が彼らではできない(認められていない)といわれた。電気工事業者に来てもらわなければならないことになっていると。それには4500円ほどの別料金がかかる。

設置といっても、やることは水道の蛇口の金具、ならびに排水菅を繫ぐことだけである。どうも以前、ある引っ越し業者がそれをやって、なにかの不具合で洗濯排水がうまく排水溝に流れなかったことがどこかであったらしく、それを契機に役所が引っ越し業者がそれをやってはいけないという規制を設けたというのだ。

コネクターを繫ぐだけだから、不器用な僕がやっても1分もかからない。ということは、今では誰だってできるのに。

2015年11月14日

アートによる地域再生をすすめる秘訣とは

今朝の「木村達也 ビジネスの森」は、『ひらく美術 〜地域と人間のつながりを取り戻す〜』(ちくま新書)の著者でアート・ディレクターの北川フラムさんをゲストにお迎えした。



彼が行っている多彩なアート関係の仕事の中のひとつが、越後妻有の「大地の芸術祭」の総合ディレクターである。

大地の芸術祭は、2000年から新潟県の越後妻有(新潟県十日町市、津南町)の里山を舞台に開催されている世界最大級の国際芸術祭であり、美術による地域再生を目指して3年に1度開かれている。この夏、3年ぶり(トリエンナーレ)6回目の開催が行われた。

http://www.echigo-tsumari.jp/about/overview/

僕はこの8月の末、金沢で行った大学院のゼミ合宿の帰り、朝5時半起きでJRに飛び乗り十日市駅に向かった。そこを起点に、一日だけだったが中心的な展示物を駆け足で見て回った。開催地域がとても広く、本当は2泊3日くらいで回るのがよかったのだけど。

当日のスタートであるJR十日町駅の駅前にはテントがならび、ボランティアをしている地域のおばさん、おじさんたちがお茶とお饅頭を振る舞ってくれた。地域で芸術祭をつくっているという想いが伝わってきて、とてもいい感じだった。

国際的な芸術祭を何ヵ月にもわたって開催するには、多くの人の協力と関与が不可欠だ。参加するアーティストはもちろん、会場を提供する地域の住民たち、行政の人たち、全国から集まったボランティア・・・。

そうした実に多様な人たちを「アート」の名の下だけでまとめていくのは、本当に大変そう。国家や企業が主導して、権力や金の力に任せて上意下達でやっていくのとは原理が違う。

フラムさんは、何といっても多様さがゆるされていることが最も重要だと主張する。その例として、彼らは芸術祭の事務局を毎回変えていく。プロを作らない。書記局のようなものができないようにすることで、官僚的にならないように心がけている。

つまり、1回ごとに事務局をご破算にするのだ。固定化しない。ベテランを作らず、専門化せず、毎回、大学生が中心で最初から作り上げていく。経験者は周りからながめながら、ちょろちょろと手伝う程度に抑える。

200人のサポーターより20人のプロの方が経済的には効率がいいが、それはまずい。できるだけ手間暇かけて、素人がかかわって行くことの方がいいという考え方である。

なんという非効率! ボランティアのなかには熟練のビジネスマンややり手のOLの人たちもいて、彼ら彼女たちからすれば何をやっているのか、ということになる。だが、フラムさんよれば、美術とは赤ちゃんのようなもの。本来とても手間がかかるし、面倒くさいもの。そして、回りが一緒になってケアしていくなかでみんながつながっていく。この喩えはとてもおもしろい。

ものごとを手早く片付けられのが、デキるビジネスマンとされている。効率さが、その人や組織の評価の重要な指標になっている。確かにビジネスは競争であり、他にまさるスピード感で走り続けるのが、競争優位を築くひとつのポイントである。

だからこそ、ビジネス的な効率性ではなくて、多様性と手作り感、そしてみんなの納得感を積み上げながら開催されている芸術祭が人の気持ちの奥底に届いてくるのだと思う。

今朝の選曲はドアーズで、Light My Fire 。


2015年10月31日

ニュース、見てますよ

今朝の「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、『ニュース、みてますか?』の著者でNHKプロデューサーの杉江義浩さん。


NHKの人気番組、番組「週刊こどもニュース」をお父さん役の池上彰さんと一緒に立ち上げ、8年間ディレクターを努めた杉江さん。通常、ニュース番組は報道局が制作するが、杉江さんは「お母さんといっしょ」などの教育番組を担当していたディレクターである。

「週刊こどもニュース」は、もともとは局の上からのお達しでスタートした番組ということだが、報道局で記者をしていた池上さんがその後、一躍テレビメディアの寵児になったのは番組を制作していた杉江さんの力も大きいに違いない。

正直言って、僕はNHKのニュース番組ほどつまらないものはないと思っている。しかしそうは言いつつ、夜7時のニュースは毎日ビデオに撮って夜中に早まわしに見ている。つまらなくても、それが日本の最大公約数的なニュース報道だろうと考えているから、いちおう抑えておくため。

「街角の声を聞きました」的な、新橋の機関車広場でのサラリーマンへのインタビューや、銀座4丁目での奥様へのインタビュー、何か催し物があった会場での小さなこどもへのインタビュー(?)には、毎度首を傾げてしまう。対象に媚びている様子が見えて、ジャーナリズムとはまったく異質なものを感じるからだ。

その点、「週刊こどもニュース」は番組として毎週ひねりが利いていた。こどもたちのキャスティングもよかった。彼らは、総理大臣と大統領はどう違うのか、貧しい人たちを救うには国がお金をどんどん刷って渡せばいいんじゃないかとか、大人たちが分かった気になっている素朴でいて興味津々な質問を投げかける。

杉江さんら番組スタッフは、限られた時間で子どもたちのそれらの疑問にどうやって分かりやすい回答をするか、毎週ずいぶん頭を悩ましたらしい。

視聴者に的確に分かりやすく伝えようという意欲と細心の注意が垣間見える、きわめて優れた教育娯楽番組だった。


今朝の一曲に選んだのは、ランディ・ニューマンで Sail Away。


2015年10月27日

境界を越える、結ぶ

最近、学生と面談する機会が多い。

仕事をしながら大学院に通っている彼らなので、授業がない曜日の夕方に研究室や街中のカフェで会う。そして彼らに今どんな仕事をしているのかとか、これからどんなキャリアを考えているのかなど聞く。

そうした場でときおり、彼らからどうしてビジネススクールの教授がラジオ番組のパーソナリティをしているのか質問を受ける。好きだからやっているという答えだけではどうも納得してくれないようだ。

ぼくの狙いは、大学とメディアを結ぶこと、またアカデミズムとビジネスをつなぐこと。だからラジオ番組を持ったり、企業の社外取締役を引き受けている。思い返せば、昔からマージナルな領域に立つことでひとつの立場に縛られない自分なりの考えを得てきたように思う。

一所懸命というのはどうも性に合わない。自分で自分を揺さぶりながら、その時々の目標を設定していくのがいい。

2015年10月17日

好きだからこその、辛口コメント

今朝の「木村達也 ビジネスの森」は、『イギリス人アナリストだからわかった日本の「強み」「弱み」』(講談社)の著者、デービッド・アトキンソンさん。


 4月に続いて2回目のゲスト出演である。相変わらず、歯に衣着せぬ歯切れのいい日本への辛口のコメントをうかがった。

彼はいろんなエピソードを語ってくれたのだけど、煎じ詰めれば彼が感じている「おかしい日本」というのは次の2つかな。それらは、日本人の一貫性のなさ(ご都合主義)と生産性の低さ。

もちろんそうしたところって日本だけの話ではないことを彼はよく知っているのだけど、彼が気になってしかたないところは、それらについていつまでたっても日本人が気付かず、変えようとしないこと。

この本を出した後、ずいぶんと読者から「大きなお世話だ」という反応が帰ってきたそうだ。だけど彼は真の確信犯、それで口をつぐんだりしない。自分はしつこいタイプの人間だと入ってはばからない。そうした点が、僕が強く共感を感じるところだ。


今朝の一曲は、スティービー・ワンダーの「迷信」。


2015年10月6日

多住居生活のススメ

10月3日(土)放送の「木村達也 ビジネスの森」には、『週末は田舎くらし』(ダイヤモンド社)の著者、馬場未織さんにゲストに来てもらった。


彼女は東京生まれ、東京育ち。ご主人も同様らしい。都会で生まれ育ち、帰郷する田舎を持たずに育ったわけだが、そのことで残念に思ったり、悲しいと感じたことはなかったという。

ところが、彼女の長男が無類の生き物好きで、どうもそうした彼を自然の中に「戻してやりたくて」南房総の中山間地の土地と農家を手に入れたという。

家族5人、平日は自由ヶ丘近くの家で過ごし、金曜日の夜になると家族プラス猫2匹がクルマに乗り込み環状八号線を羽田方向へ向かい、アクアラインを抜けて南房総のもう一つの家へ。

8700坪という広大な土地には小川が流れ、ちょっとした山もあるらしい。田んぼや畑だけでなく、ほとんど手つかずのような自然に溢れている。

今後は、子どもたちが大きくなるにつれて家族5人で毎週南房総へ、とは行かなくなるかもしれない。その時は、馬場さんご夫婦2人だけでその地を訪ねることになるのだろう。しかし、その時はその時でいいように思った。

家を複数持つというと、なんだか金持ちっぽくて贅沢に聞こえるかもしれない。だが、これから人口の減少と高齢者の暮らし方の変化によって、全国津々浦々で大量の無人住居が出てくることが予想される。

そうした家は、これまでになく安く購入することができるようなるはずだ。あるいは、買わずに借りるという手もある。田舎の家だと田んぼや畑が付いてくることも多いだろう。都会人たちは、週末や休みをそうした土のある場所で過ごせばいい。

そして逆に、田舎で普段暮らし、仕事をしている人たち、特に若い人たちは週末を都会の空き屋をうまく使いながら楽しめばいいのだ。


そうして、誰もが多住居生活をもっと簡単にできるようになればといいと僕は考えている。誰も住まなくなった家はあっという間に荒れ果て、一旦そうなるとなかなか人が暮らそうと思う状態には戻せない。

それに何よりも、生活空間を変えるといとも簡単に人の気持ちは変わる。これは僕自身、実証済みだ。リフレッシュできるし、新しい刺激をそのなかで確実に得ることができる。

国は、そうしたセカンドハウスの取得と利用を促すよう税制などを改定すべき時に来ていると思うのだが、どうだろう。もっと多くの人たちが、週末は田舎暮らしを楽しむようになればいいし、あるいは田舎にこだわることもなく、週末はもう一つの暮らし、となればそれはそれでいい。


今朝の番組での選曲は、Jessey Norman Sings Michel Legrandから「おもいでの夏」。


2015年9月19日

全盲の弁護士さんは、勇気と正義のひとだった

今日の「木村達也 ビジネスの森」は、ゲストに『全盲の僕が弁護士になった理由』(日経BP)の著者、大胡田誠さんをお招きした。

大胡田さんは先天性の緑内障の罹患者として生まれ、12歳の時には完全に視力を失った。盲学校の中学生時代に見つけた一冊の点字本と出会ったことから、弁護士を目指す。絶望感の中で見つけた一冊の本が、大胡田さんを今へ導いた。

その本は、日本で最初に全盲で弁護士になった人が書いた本である。現在、大胡田さんは、その弁護士さんが所長を務める法律事務所に所属している。

日本の社会は盲人の方にとって生きやすい社会ですか、との僕の問いに、彼は点字ブロックなどハードな面での支援は進んでいるが、ソフト、つまり人の気持ちの面はまだまだそうではないと答える。

ひとつの例として、彼が同じく全盲の友人とドイツを旅したときのことを話してくれた。白杖を視覚障害者が使用するのは諸外国でも同じ。だから、その時もドイツの町を白杖を頼りに歩いていて、道に迷って困っていると多くの人が寄ってきては手助けを申し出てくれたという。

その旅先でのあるホテルでのこと。浴室に同じ形状のボトルが3つあることに気がついた。触っただけでは違いが分からない。フロントに相談すると、スタッフがすぐにやって来て、シャンプーには輪ゴム、リンスにはクリップをつけて触らせてくれた。そうしたことを自然にやってくれることに嬉しくなったという。

こんな感じで、大胡田さんはどんどん外に出ていく。たくさんの案件を常に抱えながら、精力的に人を救うことに情熱を傾ける頼りになる弁護士さんだ。


今朝の一曲は、オーティス・レディングの The Dock of the Bay。