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2023年3月15日

ウェブサイトを閉じることにした

Jimdoというツールを使ってウェブサイトを作ってきた。先日、その運営会社のKDDIが利用料金を改定すると言ってきた。

料金がいきなり24%上がる。理由の説明はない。あるか・・・「今後も安全に安定したサービスを提供し続けるため」だというが、やはり説明になってない。

サイトは2012年4月に開設したものだから、開設して11年。長期割引で利用料を安くしてくれるのなら分かるが、逆にこれほど値上げするとは。現在の料金ですら、開設当時と比べて2倍以上になっている。

開設済みのサイトを他社サービスに移行するのは簡単ではない。こうした料金改定は利用者の足下を見てる。

もともと学生に資料を配付するために作ったサイトだが、所属している大学が3年ほど前からオープンソースの学習システムである Moodleを導入したので当初の目的としての用途はなくなっていた。

ということで、今回の値上げを機に有料契約を切ることにした。

2023年3月14日

42、57、87、88、89、90、98

朝刊一面で見つけた年月を示す数字。

87歳の袴田巌さんを巡る「袴田事件」について、東京高裁は裁判のやり直しを求める再審請求を認めた。

事件発生から57年がたつ。彼は死刑判決を受けた後、執行への恐怖から解離性同一性障害になり、自己を否定するようになったという。でっち上げられた証拠で不当な判決がなされ、国という権力から「お前を殺す」という、殺人予告を裁判での死刑確定から42年間受けてきたのだから。その彼を支えてきた姉のひで子さんは90歳だ。お元気だ。

ささやかながら個人的に袴田巌さんを支援してきた身としても、やっとという感慨がある。

袴田さんのひとつ年上の88歳で、訃報が報じられていたのは作家の大江健三郎さん。

同じく訃報として掲載されていたのが、元宝塚で元参院議長の扇千景さん。大江よりひとつ上の89歳。60年代、当時の富士写真フイルム製の8ミリカメラのテレビCMに出ていたのを憶えている。懐かしい。

イトーヨーカドー堂創業者の伊藤雅俊氏は98歳だった。敗戦後、千住の2坪あまりの洋装店の建て直しから、現在の巨大流通グループを作った経営者。戦後以降の高度成長期という時代もあるが、もう彼のような経営者は日本には現れない気がする。

昭和を強く思い起こさせる5人の方々である。

2023年3月9日

「右向け、右」

来週月曜日(3月13日)からマスク着用への政府の指示が変わる。これまでの「推奨」だったものが「指針の見直し」とかで「個人の判断」になるらしい。 

厚労省のサイトには「令和5年3月12日までは、これまで同様に場面に応じた適切なマスクの着脱をお願いします 」と書いてある。

よくわからない。13日になると医学的、医療環境的に何が起こるからというのか。12/13日の区切りの根拠がない。

「右向け右」と号令をかけるには、タイミングを一にして一斉に、ということなんだろう。

2023年3月1日

6ヵ月か、3年か

政府が今月13日から屋内屋外を問わずマスク着用を個人の判断に委ねると発表した。

「日本でみんながマスクをしなくなるまで、どのくらいかかるかね〜?」

友人のN沢氏は、6ヵ月くらいじゃないかと言う。ぼくは、最低でも3年かかるんじゃないかなと返す。

酒の上での賭けである。

2023年2月17日

意味を解せない証券会社からの手紙

証券会社から文書が届いた。開封すると、「金融商品取引法違反行為の発生を受けた今後の対応への決意」と題した手紙が出てきた。


その証券会社が行った取引が東京地検から金融商品取引法違反だとして起訴され、東京地裁が違反行為を認定する判決を出したらしい。

そうした事実があることは調べて分かった。分からないのは、「金融商品取引法違反行為の発生を受けた今後の対応への決意」というタイトル。 「金融商品取引法違反の判決を受けた今後の対応への決意」なら分かる。

違反行為を犯したのはその証券会社で、その結果、違法という判決が下った。「違反行為が発生した」という表現には、まるで人ごとのような印象がある。責任の所在は自分たち経営者にはなく、まるでお天道様のせいで発生したとでも言いたいかのよう。そこに経営者の逃げが見えるが、それが経営者の「決意」か。

それはそうと、僕はこの証券会社には口座を持っていない。なぜ送ってきたのか不明だ。

2023年2月10日

さよなら、バート

バート・バカラックが2月8日、ロスで亡くなった。94歳。長きにわたり燦然たる光を放った巨大な音楽界の星だった。いや、太陽といっていい。

3Bと呼ばれる大音楽家がいる。バッハ、ベートーヴェン、ブラームス(もしくはビートルズ)らしいが、僕はむかしから、なぜバカラックが入ってないのか不思議でならなかった。

物心がついた頃には彼の音楽があった。そのことを幸せに思う。10代のはじめからアメリカン・カルチャー(とりわけ映画)やポップ・ミュージックへ自然と関心を持ったのは彼がいたから。

この映像はオバマ大統領の主催でホワイトハウスで行われた、バート・バカラックとハル・デイビッドへのトリビュート・コンサートの様子。 バカラックの曲はもちろんだが、そのもととなったハル・デイビッドの詩も素晴らしい。

ディオンヌ・ワーウィックのために書かれ、実際はジャッキー・デシャノンが唄ってヒットした「世界は愛を求めている(What the World Needs Now Is Love)」は、アメリカがベトナム戦争の泥沼に入っていた時期の作品。社会に大きな影響を与えた。

ところで、ホワイトハウスの中では時折こんなコンサートが行われているんだろうナ。一方、永田町の首相官邸では夜ごと・・・?

それにしても、スティービーが演奏するAlfie は圧巻。彼の吹くクロマチック・ハーモニカ(よく見ると鈴木楽器製だ)にはしびれる。

2023年1月24日

この眉毛のかたちがいい

「日本人とは何か」を考え続け、日本中を旅した日本民俗学の開拓者は、ニューヨーク・マンハッタン生まれのナンセンス・ジョークの天才コメディアンだった。

 

2023年1月22日

Tito's ウォッカ

これくらい自由にやれるのは(酔っ払った)マーサ・スチュワートだからか、それともテキサス産ウォッカのテレビCMだからか。


それにしても、人は歳を取ると声が低くなるんだ。

2023年1月21日

隠れミッキー

東京から南へ1800キロ。

プールサイドのデッキチェアで本を読んでいたら、休憩時間らしいホテルのスタッフがふたりやって来て何やら探しものをしている様子。

「このあたりに隠れミッキーがいるって言われて」と言うので、彼女らと一緒に探すことに。

ほどなく、それらしいのが見つかった。

2023年1月9日

「多様性」への姿勢をカタチにする

白杖を手にしたマージェリーという女性が登場するマスターカードのコマーシャル。彼女が自分の家を出て、周囲のいろんな人たちと挨拶をかわし、いつものお気に入りのカフェでラテを注文する。

広告会社のMacCannが制作したこのコマーシャルでは、視覚障がい者である彼女の世界をスポットライトを使って効果的に表現している。

彼女の財布に収められたTouch Cardと呼ばれるカードの脇には、小さな刻み目が付いている。四角い刻み目はクレジットカード、丸はデビットカード、三角はプリペイドカードだ。

ちょっとした工夫で、健常者の便益を何も損なうことなく視覚障がい者の手助けとなっている。いいね。

世の中の多くの企業、いやほとんどの企業がダイバーシティ(多様性)の大切さを語り、自分たちはそれを心がけていると声高に謳っているが実際は口先だけ。

そうした企業の経営者が思うところの薄っぺらなダイバーシティは、せいぜい会社の女性管理職比率を少しばかり上げることに終始している。経営者が真剣に考えていないから、消費者に何も響かない。

このコマーシャルは、ちょっとした工夫が大きな効果と共感を生むことを教えてくれる。必要なのはイマジネーションだ。

何たらPayといったアプリと違い、実際に手に触れることができるクレジットカードならでは。 

ところで、CM中でマージェリーが訪ねたカフェはバニラ・ラテが4ドル50セント(約600円)する。日本でも物価上昇が叫ばれているが、米国に比べればいかにまだ安いか分かる。給料も安いが。

2023年1月4日

神曲か、カニカマか

元旦、暦が2023年に変わってまもなく、ニューヨークの友人Dからニューイヤーメールが届いた。そのなかで、彼がいま読んでいる本としてダンテの『神曲』をあげていた。神曲!

彼とは35年を超える付き合いだが、「最近、何か面白い本は読んだか。自分はダンテの『神曲』にはまっている(I’m doing a deep dive into Dante’s Divine Comedy)」というメールを受け取るとは思ってなかった。

僕は『神曲』は読んだことがないし、これまで読もうと思ったこともなかった。だが彼が、

It feels like I’m visiting another planet for the first time. This is something I never thought I’d be able to tackle but I’m having the best time with it.

と書いているのを読んで、ネット書店に注文した。別の惑星を初めて訪れているような読書体験ってすごいじゃないか。これは読んでみなければと思わせる。

日本語訳には、イタリア文学者の須賀敦子さんがその<地獄篇>を訳している版もあるのを知ったという理由もある。

今朝、宅配便が届き、箱を開けてみると、そこには『神曲<地獄篇>』とその翌日に注文した清水ミチコ『カニカマ人生論』が入っていた。

さてどっちから手に取ろうか。ダンテの神曲か、みっちゃんのカニカマか。


2023年1月3日

ミルトン・グレイザーのイラストレーションが出てきた

最近では音楽を配信サービスで聴くことが多くなったが、毎年正月の休みにはレコードを聴いて過ごすことにしている。

むかしは当たり前のことで何でもなかった、ターンテーブルを操作したり、レコードを裏返したりするのがなんとなく面倒で、普段はなかなかその気にならないからだ。

もう忘れていたようなLPを棚から取り出し、ターンテーブルに載せ、ライナーノーツに目を走らせる。ときどき意外な発見があり、得した気分になる。Bob Dylan's Greatest Hits を聴いていたとき、ジャケットに付録として挟まれていたミルトン・グレイザーが描くディランのイラストを発見した。イラスト面を内側に折りたたまれて収納されていたので、これまで気がつかなかった。

出てきたミルトン・グレーザーのイラストレーション
 
このレコードが米国で発売されたのは1967年のこと。その日本版を手に入れたのは、僕が高校生だったときだろうか。

ディランの初めてのベスト・アルバム。
グラミー賞(デザイン部門)を受賞したLPジャケット
 
ミルトン・グレイザーは2020年に91歳で亡くなっているが、間違いなく「超」がつく優れたグラフィック・デザイナーでイラストレーターだった。いわば、アメリカの和田誠。彼の仕事で誰もが知っているものが、以下のロゴマーク。


このアイデア、彼がマンハッタンのなかをタクシーで移動しているときに頭に浮かんだものだという。彼のそのときのスケッチはこんなものだった。


この手書きのスケッチがもとになって、上の4文字のタイポグラフィと文字組みがデザインされた。


これがボブ・ディランをモチーフとした、グレイザーのもとのイラスト。アールヌーボー風でカラフルに色分けされたディランの髪は、いくつもの才能を発揮する彼の多彩さを表現しているんだろう。そして右下のDYLANの書体が、当時のポップ・カルチャーの雰囲気を感じさせる。

2023年1月2日

擬(もど)きとしてのカニカマ

正月2日は、清水ミチコ リサイタル@日本武道館。今年のテーマは「カニカマの夕べ」。

ばかばかしくも楽しく、大いに笑った。ユーミンならぬユーミソなど、擬き(カニカマ)としての自信あふれるステージだった。

2022年12月26日

おにぎりの形をした時計を買ったわけ

自動車ディーラーに行き、これからの季節に備えてタイヤをスタッドレスに替えてもらった。

ガレージで作業をしてもらっている間、いつもすぐ近くにある園芸店で買い物がてら時間を潰すことにしている。

その店の雑貨コーナーに展示していたおにぎりを逆さにしたような形の時計に目がとまり、面白いなと思い、つい購入した。

 
時計を探していたわけでもないのに、どうしてそれが気になって購入したのか自分でも分からなかったのだが、あとでその理由に気がついた。

ディーラーでタイヤ交換の受付を待っている間、テーブルの上にあったメーカー発行の冊子をめくっていたところ、そこにそのメーカーがかつて開発していたロータリー・エンジンの特集記事が掲載されていたのだ。

その独特のおにぎり型をしたエンジンのローターが無意識のうちに頭の片隅にあり、園芸店で時計に手を伸ばさせたのだろう。なるほどである。

2022年12月19日

瀬戸内海の豊島へ

日本中が大寒波に覆われた日、瀬戸内海をいくフェリーで豊島に渡った。さすがに風は冷たいが、空気が澄んでいて空はきれいだった。唯一無二の豊島美術館を訪れていた外国人観光客たちもこの寒さに口数が少ない。

2022年11月30日

センスは技術、技術はセンス

俳句は技術だと俳人・夏井いつきは言う。

すぐみんな言うんだよ
「感性」とか「感覚」とか「センス」とか
それの部分がないとは言わないけど
でも言葉を組み立てていく作業というのは
もう単なる技術
技術は身につけられるんです

先日見たNHKの番組のなかでの彼女のコメント。その通りと膝を打った。俳句だけじゃない。詩も短歌も技術がいる。どれもセンスだけじゃだめだろう。

だけど、その技術を身につけられるかどうかは、センスのあるなしに左右される。

一方、経営はセンスだ。マーケティングもセンスだ。知識は基本的なところで必須だが、知識をいくらノー味噌に詰め込んでもセンスのない奴はやっぱりだめ。

だから、記憶力自慢の偏差値秀才が経営学をどれだけ学んでも、それだけでは優れた経営者にはなれない。輝くマーケターにもなれない。

もし知識と技術だけでいい経営やいいマーケティングができるなら、早晩、生身の人間はいらなくなるはず。だけど絶対そうはならない。だから面白い。

2022年11月25日

バイバイ、ネクタイ

昨日、誕生日だった。カッパ年齢で36歳になった。カッパ年齢は、わが家が用いている独特な年齢の数え方。https://tatsukimura.blogspot.com/2012/11/k46.html

毎年の誕生日には、その記念というか記録のひとつとして本を買うことにしている。その時その時に何を考えていたか、後で知ることができる。今年選んだのは、金子光晴とロレンツォ・ヴァッラと竹原潔。
 
同じ誕生日の著名人に、あの『エチカ』を書いたスピノザやアンリ・ロートレック、スコット・ジョプリンがいる。
 
わが師、スピノザ

昨日は、夕方からゼミ。学生たちがバースデーケーキを用意してくれていた。嬉しいね。クリームが温まらないよう、それまで冷蔵ケースに入れて大学のなかを持ち歩いていたらしい。
 
誕生日を迎えることと同様、時間の流れを感じたといえば、今朝がた洋服ダンスからセーターを何枚か取り出した折に、そこにかけられていたネクタイをすべて取り出して整理したこと。実は以前から、そろそろネクタイを片付けなければと思いながら、手を付けずにいた。

取り出し並べたネクタイは42本。これが多いのか少ないのか。一般的なネクタイの所有本数なんて聞いたことないので分からない。

ネクタイをしなくなってずいぶん久しい。そもそもが、僕はネクタイをするのが嫌いで企業勤めをやめ、大学研究者という個人商店稼業を始めたところがある。今ではネクタイをするのは年に数回あるかどうか。冠婚葬祭の時と大学の卒業式に参列する時くらい。
 
そうしたこともあり、冠婚葬祭時にするネクタイは別として、それ以外のネクタイをこの機に一気に処分しようと思った。ブランド物なんかもあったが、自分で選んだネクタイは1本もない。つまり、どのネクタイも誰かからもらったもの。それでも中には大剣の先が少しすり切れてるのもあって、「あー、このネクタイは気に入っててサラリーマン時代にはよくしていたなー」と思い起こさせるものもあった。

その時々で、といってもネクタイを日々締めていたのは遥かむかし、今から20年以上前のことだけど、その時の気分や携わっていた仕事がネクタイを手にしながら頭に浮かんでくるのは不思議だ。ネクタイ姿というのは、必ず鏡で見て確認する。そのときの自分の表情と一緒に。だからネクタイは「気分」と一緒に記憶されているんだろう。

もうネクタイをこんなにたくさん必要とすることはないだろうと、今回その半分余りを処分した。本当は20本も残しておく必要などなく、3本、いや1本だけ残しておけばそれで済むかもしれないが、そこまで踏ん切りが付かなかったということか。
 

来年の誕生日には、今年残したネクタイの数をまた半分にしよう。

2022年11月13日

関東大震災が起こって来年で100年

今日夕方、地震があった。震度3で結構揺れたが、幸いに長くは続かなかった。気象庁によると震源地は三重県南東沖。震源の深さは350km。地震の規模を示すマグニチュードは6.1だった。

震源地は東海エリアだったにもかかわらず、この地震での最大震度を記録したのは福島県と茨城県で震度4。

震源が100㎞程度より深い場所で発生した地震は深発地震と呼ばれ、沈み込むプレートに沿って地震波が伝わるために、震源の近くよりも震源から離れた場所の揺れが大きくなることがあるらしい。

これじゃあモグラ叩きみたいなもんで、深発地震が起こった場合、揺れというモグラがどこに顔を出すかわからないわけだ。

地震といえば、あの関東大震災が起こって来年で100年になる。その大震災が起こって2週間後、天変地異に見舞われ世の中が動転し、しっちゃかめっちゃかになっているのに乗じて甘粕正彦率いる憲兵隊に惨殺された伊藤野枝(享年28歳)についての本『村に火をつけ、白痴になれ』(岩波書店)を読んだ。

著者の栗原康はアナキズムの研究者らしいが、野枝とその愛人だった大杉栄を中心とする人間関係や、鬱屈とした時代の中で女性の自由な生き方が初めて日本に登場したころの社会の空気がいきいきと描かれている。

その文体は奔放で自由、というか、ある意味ハチャメチャ、乱暴。心底野枝に心酔し惚れていなければ書けないような文体なのだが、それにしても岩波書店がよくこの本をこの文体のままで出版したなと妙な感心をしてしまった。岩波も変わった。

日本では1920年に第1回の国勢調査が実施されており、当時の男性の平均寿命は42歳、女性は43歳だった。現在の平均寿命はそれぞれ81歳と87歳だから、当時は今のほぼ半分の寿命である。

それを知るとなんだか納得してしまうのだが、当時の人たちのその年齢に比べての成熟度には驚嘆する。いまでは「人生100年」が叫ばれているが、長けりゃいいってもんじゃないって事を野枝の人生をしると痛感する。

今のわれわれの生き方は、まるで安さだけが売りの居酒屋のハイボールのように、どうしようもないくらい薄味に思えてくる。