2025-11-11

10年に1度だからと、こんな対応に我慢すべきか

パスポートの更新のため、センター南駅構内にある県のパスポートセンターへ出かけた。

そこは申請用と受付用で合計7つの窓口があるのだが、どの窓口もガラガラ。これなら、さっさと手続きが済みそうだと嬉しい予感。ところが・・・

あらかじめ外務省のサイトで作成し、自宅でプリントしておいた申請書を窓口に出す。すると、係りの女性が物差しを取り出して申請書類にいろんな角度で当てだした。一体なにをやっているのかと思って見ていたら、「上の白紙部分が3ミリ長いです」と言う。

何のことか分からず説明を求めると、書類の書き始めまでの余白が3ミリ長いため申請書を受け付けられないと言う。24ミリでなければならないのが、27ミリあるからだからダメだと。

上を3ミリ分縮める必要があるのであれば、その分カットしてくれと言ったら、それはできないと言う。

カットできないのであれば、コピー機で101%に拡大してくれといったら、コピー機は使えないと返ってくる。まったくお手上げ、木で鼻を括ったような対応。

忙しくて人手がないというわけではない。7つある窓口には僕以外の客はいないのだから。閑すぎて、物差し片手にミリ単位で書類のチェックをするしか仕事がないのだろう。

仕方なく、その場で新たに紙の申請用紙に必要事項を記入し直す羽目になった。

と思ったら、今度は写真だ。写真に写る顔が2ミリ小さいので受け付けられないと言う。ここの窓口担当も物差し片手にしゃべっている。写っている顔写真の頭の部分から顎までの長さが2ミリ足りないので、写真の撮り直しが必要だと言う。

顔の長さが2ミリ小さいと、パスポートとして出入国の際に不都合が出るとでもいうのだろうか。これまた中身のない、お役所仕事の典型。かつ、閑な職員の時間つぶしなのだろう。

仕方ないので、同じ建物の2フロアー上にある証明写真のインスタント撮影機に再び1000円札を滑り込ませて撮影した。

すると、窓口の女性曰く、今度のも小さいと。苦虫をかみつぶしたこちらの顔に気づいたのか、「奥で確認してきます」とその写真をもって裏の事務所スペースへ消えた。

こちらが待つカウンターへ戻って来て、「再撮影されたものなので、これで受け付けます」と。どういうこと? 再撮影だろうが、再々撮影だろうが、それは関係ないことである。

そうしたことを判断の基準にしていること自体が、完全に不適切なことすら分かっていないみたいだ。

さらには、「受け付けます」といったかと思いきや、写真を詳細に眺め、「頬の横あたりが少し緑がかっていますがいいんですか」とか「眼鏡のフレームの影が頬に映っているようですが、いいんですか」と訊いてくる。

想像するに、パスポートセンター付属の写真スタジオで撮影をやり直させたい模様。見合い写真じゃあるまいし。写真スタジオと何か利害関係でもあるのか。 

最後、「書類内容を審査して26日以降の受取になります」と言われたが、平気で「審査」という言葉を使う神経に怒りを感じる。

審査とは「詳しく調べて適否や優劣などを決めること」。パスポート申請の書類には名前とそのローマ字読み、住所、本籍、生年月日、緊急時の連絡先しか書かれていない。それを「審査」するというのは言葉遣いが間違っている。確認なら分かるが、審査には「発給してやる」というお上根性がベースにある。明らかに上下関係の存在を前提にしているわけだ。 

とにかく彼らの仕事は、県民が提出した申請書類に書かれた名前や住所などを住基ネット上のデータと照合するという単純なもの。正規職員をオフィスに何人も配置してやらせる仕事ではなく、AIで完全に代替できる。

10年用のパスポートなので、県のパスポートセンターでそれを受け取ったら、もう人生のなかで二度と行くことはなさそうだし、行きたくもないと思っている。 

ところで写真のサイズと云えば、先日、運転免許証の更新をしたとき、こちらは逆に写真に写っている顔が大きすぎると言われて、最初、受付を拒否された。 

警察署の担当窓口の女性に言わせると、肩幅がちゃんと分かるような写真でないとダメだと。その理由を尋ねたら、両肩が写ってないと「体格」が分からないからだと言う。

免許証に貼られているようなサイズの写真で体格まで見ようというのが、どだい無理なのではないか。

写真で体格が分からないとダメだというなら、シャツやジャケットを着たままの写真ではもともと無理なのは明らか。警察は、体格を言うのであれば男であろうが女であろうが上半身裸の写真を免許証に要求すべきだ、なぜそうしないのかと迫ったら黙ってしまった。

そして、運転免許証用の写真は撮り直さずに済んだ。やれやれ。

どちらも仕事は閑な奴らにやらせてはダメだという見本。 

2025-11-09

米国内の風向きが変わってきた

米国の企業で人員の削減が本格化してきた。今年の1月から9月までの統計で約95万人、昨年同期比で5割も増した数字が報告されている。

主要な理由は2つ。まず、AIの本格的利用が進み、プログラミングなどをしていたエンジニアや一般のホワイトカラーが不要になってきたこと。

この傾向は間違いなく加速し、AIにとって変わられる職種や能力はますます拡がって行くことが予想されている。

もう一つの理由は、トランプ関税の影響である。消費関連分野の不況感によって小売りや物流関係で人員削減された数がそれぞれ3倍、2倍と増えた。

例えば、フェデックス・エクスプレスやDHLと並ぶ貨物運送会社であるUPSは先月末、4万8千人を削減した。関税の強化によって国際物流の取扱量が減少、とりわけ中国からの小包数が激減したためだ。


そして、マイクロソフトやアマゾン、シティグループといった大手IT企業、大手金融グループがAIによる効率化を睨んで人員整理しているのは、ちょうど今、トランプ関税の影響で他の分野で人減らしが行われているのをうまくカモフラージュにしているように思える。

今年の1月から9月に行われた米国のこの人減らしが第一弾だとすると、これから第二弾、第三弾と続いていくのは間違いない。

先日の米国での選挙で、ニューヨーク市長、ヴァージニア州知事、ニュージャージー州知事にそれぞれ民主党の議員が選ばれたのは、こうした米国内の雇用に関する潮流の起こりを人々が肌で感じ始めているから。

 大口を叩いてきたトランプの数々の政策も、その嘘っぱちさとその綻びが一般国民にも見えてきたことの証明だろう。 

AI解雇、AI離職に話を戻せば、これは米国内の企業だけの話ではもちろん済まない。

タカ市政権のもとで、日本企業も徐々に同じ考えに舵を切り始めるようになると僕はみている。自民党への企業献金は、そうした時のためになされているのだから。 

2025-11-02

原稿用紙60枚分、誰が読むのか

あるサプリを探して製薬会社のサイトを見ていたら、ちょうどそのサンプルパックの販売をしていた。

通常品の三分の一以下の価格。ならば、まずはそれを試しに頼もうと注文フォームに記入をはじめた。

送付先などを記入したあと、「個人情報の取扱い」についての文面へのチェックを求められる。自分では読まずに印だけつける。

次にクレジットカード情報の記入を求めてきたあとは、その会社の「ショッピング規約」だ。こちらも「読んだ」とのチェックが必要だ。

どちらも長文だ。AIを文面を読ますついでに文字数を調べて見ると、それぞれ14,500文字と9,800文字だから両方で24,300文字。400字の原稿用紙だと61枚分、A4のワード文書だと20枚くらいか。

これらをちゃんと読もうとすると大変だ。少なくとも2、30分はかかる。だから、誰も読まない。何が書いてあるか分からないまま皆「読んだ」、つまり「了解した!」と表明する。

考えてみれば、これってとても危険なこと。個人情報をどう扱われようが不満は言えず、後で文句を言っても完全に無理。

本来、消費者保護のために制定された法令に沿って企業がこうした文書を作成しているはずなのにやっていることは形だけ。運用の仕方が間違っている。 

AIにこの手の文書を代わりに読ませチェックさせると、必ず注意が必要との問題点をいくつか指摘してくる。本来は不用意に✓するべきものじゃなさそうだ。 

形式だけで実態など皆無。企業と消費者、こんなことやってちゃダメなんじゃないのかね。 

2025-11-01

日本企業はアマゾンを模範とするか、他山の石とするか

アマゾンが1万4,000人の従業員を削減すると発表した。半端な数じゃない。業績は好調なのに、なぜ今アマゾンはそうした多数の人員整理をするのか、各方面から疑問の声があがったのも当然だ。

アマゾンの作業員で思い出すのは、映画「ノマドランド」(クロエ・ジャオ監督)で描かれた巨大倉庫で働く人たちだ。様々な理由から住む家を失ったり、家族と別れて暮らすようになった人たちが、ノマドのようにバンでアメリカ大陸を流れながら生きていく姿が描かれた映画で、アマゾンの倉庫は彼らの命綱ともいえる職場だった。 
https://tatsukimura.blogspot.com/2021/04/blog-post.html

同社の社長、アンディ・ジェシーはCNNのインタビューに応え、今回の人員削減は金銭上の理由ではなく、アマゾンの企業文化のためだと説明していた。

彼によれば、アマゾンは以前よりもはるかに多くの人員を抱えるようになり、階層も増えていった。その結果、気づかないうちに(気づけよ!)実際に仕事をしている人たちの主体性が弱くなっきたからだと。
 
で、それを改めるためにに今回人員削減をするというが、それは本当だろうか。アマゾンの今四半期売上は前年同期比で10%増えて1,800億ドルに達している。

日本企業であれば、少なくともこうした好業績を上げている時期に大量の人員整理は行わない。ただし、それが企業経営として良いことなのかどうかという話はまた別だ。
 
僕は、アマゾンの経営者が言った人員削減が財務的な理由ではなく、アマゾンのカルチャーを保つためのものだという説明を信用はしていない。カルチャーという、取ってつけた理由はあっても一部だろう。

アメリカの企業の強さは、経営者がこうしたドラスティックな人員削減を臆さず行えるところにある。日本の多くの経営者は、こうはいかない。アマゾン経営者の今回の意思決定は、日本企業の温情主義ともいえる経営スタイルの是非を問いかけている。

日本の企業経営者は、アマゾンのこうした意思決定を模範とするのか、それとも他山の石とするのか。
 
もし日本企業が、一部のアメリカ企業のような強烈な競争力を身につけようとすると、今回のような意思決定をしていくこともまた必要となっていく。