2018年11月26日

Ghosn(ゴーン)has gone.

これまでの在任中に好き勝手放題、し放題で私腹を肥やし、社会と社内を欺き通してきた日産自動車の会長だったカルロス・ゴーン(Carlos Ghosn)が解任された。ゴーンがついに行っちゃったわけだ。

経営学者やビジネススクールはゴーンが好きだ。苦境に陥っていた世界的な自動車会社・日産を立て直した経営者として名が知られているからという理由。コストカッターと呼ばれてもひるまず、工場を畳み、社員を解雇し、取引先を大胆に整理していった。

企業における優れた改革の実例としてこれまでも頻繁に語られ、多くのビジネスケースにもなっている。企業人を対象にしたセミナーでも、彼がスピーカーとして登壇するとなると集客効果も絶大だ。

それまでの日産の日本人経営者たちには頭では必要性が分かっていてもできなかったことを彼がやった功績は大きい。非日本人のゴーンだったからこそ、日産という企業に情緒的な繋がりを感じることなく、目的合理性だけで意思決定ができた。また彼は、仏ルノーから送り込まれていた立て直し屋だから、日産内でどう思われようが関係なく、ルノー内で「よくやっている」との評価が得られればよいとの割り切りもあったはず。

ハロー効果というのがある。ハローというのは後光の意味であり、その光に目がくらみ実態を見失わせてしまうことを表す。彼はどこどこ大学を出ているから、、、彼女のお父さんは誰々さんだから、、、あの人はどこそこの企業の部長さんをやっていたから、、、だから立派なひとに違いない、と勝手にある特定の状況や視点から全体を光り輝くものと勘違いし、本質を見間違えてしまう。

早稲田大学は2005年、彼に対して「日本企業の経営者に勇気を与え、日本経済の復活に大きな貢献をした」として名誉博士号を授与した。これまでに名誉博士号を授与したのは、アジア初のノーベル経済学賞受賞者のアマルティア・センら142人。そのなかで逮捕者がでたのは、今回が初めてだ。大学は今後、学位を剥奪するのだろうか。

2018年11月25日

何十年ぶりかに聞いた「四当五落」

今朝のファイナンシャルタイムズ(FT)の記事。冒頭で、日本の生徒たちは入学試験の準備のために伝統的に「四当五落」の信条(credo)に沿って生きるように諭されている、としている。


yontougoraku と綴られ、"sleep four hours , pass; sleep five hours, fail" と説明が付いている。いつの話をしてるのだろう。

今の受験生や親たちが、いまだにそんなこと考えてるとは思えない。僕が受験生だった頃(大昔)にはそうした話も聞いたことがあるけど。受験地獄なんて言葉がマスコミにまだ踊ってた頃だと記憶している。だが今では死語。まともな受験生や親は、そんな非科学的な信条(credo)など信じない。

この記事を書いたのは、推測だけど、かなり年配で、かなり不勉強な日本人記者だろうね。今では誰も口にしないような言葉を(英文紙の読者だから分からないだろうとたがを括って)さも現代の日本人たちが使っているように書いているのは、われわれ日本人にもFTの読者にも失礼なこと。

僕の経験則からだけだけど、英国のメディアはこうした日本人のエキセントリックさを紹介する記事が大好きだ。それこそ、そんな日本人ってどこにいるの? そんなのいても10万人に一人いるかどうかといった、かなり奇妙で外れた日本人をもってしてあたかも今の日本人の一般像のように見せかけて表現することをやる。

読者がそうしたものを好むから、というのが最大の理由なのだろうけど。いまだに「日本人というのは奇妙でおかしな連中」と思いたがる英国人読者性向がその背景にある。そして、そうしたものが結果として国のイメージを形成していくのだ。いやはや。

2018年11月12日

秘密は秘密じゃない

仕事柄、企業の人から事業の内容について話をうかがうことが多い。話していて熱がこもってくると、彼らの口から「ここだけの話ですけどね・・・」といった話が時折飛び出してくる。
それらには色々と面白い話があったりするが、そのうち「今のことは他に話さないでくださいね、会社の秘密ですから」というところに落ち着くことが多い。
もちろんそうしたときは「大丈夫ですよ、口外はしませんから」と申し上げる。これは気休めでもなんでもなく、相手が話して欲しくないことを他に話すことはしないのは当然のこと。
だが、彼らと別れた後でふと思うことに、彼らが言った秘密情報というのは本当に秘密にすべきことなのか考えさせられることがある。本人たちにとっては、外には決して漏れてはいけない大事な情報なのかもしれないが、社会常識からすれば取り立てて大騒ぎするほどの情報というわけでもない。
むしろ、そうした話をオープンにしてそこから何か話を他者につなげていくことで新たなビジネスチャンスを見つけたり、新規顧客に出会える可能性を手にすることができる。
そうした考え方をした方がいいと思うのだけれども、とかく日本の企業は僕から見れば大して秘密でもないことも「これは秘密だから決して外に漏らしていけない」とあまりにも厳密に考えすぎるきらいがあるような気がする。
どの企業にも機密情報はあるし、外に漏らしてはいけない話があるのは承知してるが、あまりにも何でもかんでも秘密にするがために発想が縮こまり、オープンなイノベーションを阻害している場合も多い。

境界線の見極めが微妙なところはあるけど、オープンにしていい情報はむしろ早く、そして広くオープンにすることで、いろんな新しい展開を生むきっかけになるはず。

日本の企業に欠けているのは、そうした判断力と思い切りの良さと軽やかな精神じゃないだろうか。

2018年11月9日

のら一匹

西早稲田2丁目、教龍寺近くでみかけた路地裏の野良猫。このあたりは表通りからちょっと離れ、人通りもそれほど多くなく、地域の猫ボランティアが交替で餌をやっているみたいだ。

2018年11月8日

前提が示されなければ、意味をなさない

先日の新聞に「副業、兼業を含めた広義のフリーランスは日本に1,119万人いるといわれ、労働力人口の17%にあたる」とあった。

しばしばニュースで「○○すれば、○○○億円の経済効果が期待できる」とか「○○する人は、全国に○○万人いるといわれる」といった記述を目にする。

その度、「ホントか?」と思う。そこに書かれていることが事実かどうか、あるいは推定上の数字だとしたら、その算定根拠をメディアは示してほしい。

例えば、2020年の東京五輪の経済効果は、報道によれば7〜32兆円となっている。また、2019年開催予定のラグビーワールドカップ東京大会の経済効果は4400億円と試算されている。

当然ながら、数字はいくらでも作ることが可能なので、大切なのはどういった前提が据えられているかを我々が知ること。そうでないと、それらを信頼することはできない。

問題なのは、根拠のわからない数字をそのまま記事に使っていたり、そもそも書き手が疑問に思っていないことーー。役所から配られた文章は正しいもの(あるいは文責は自分たちにはない)と考え、確かめることなく記事に載せる。
 
記者として何か書かなきゃいけないから、取りあえず使えそうな数字を引用して仕上げて・・・ということかもしれない。

今年ノーベル医学生理学賞を受賞した本庶佑先生は「教科書を信じるな」と記者会見で訴えていたが、今われわれに必要なのは裏付けのない数字や主張を容易に受け入れることなく、疑問を習慣的に持つ態度である。

メディアには数字の裏付けを取り、根拠を国民に示すことを求めたい。それができなければ、いずれれは戦中の「大本営発表」がそうだったように国民を欺き大きな過ちを招くことにもつながりかねない。

紙の新聞の場合、これまで紙幅の都合でデータの詳細や調査手法などを詳しく説明することはできなかったが、いまはネットで補足すればよい。紙の新聞の該当部分に<注番号>をふり、それをもとに読者がウェブ上で注釈として読めるようにすればいい。難しいことは何もない。

新聞社にとっては、そうすることで読者にウェブを訪ねてもらうよいきっかけにもなるし、読者のリテラシーも確実に向上する。

ぜひ実現して欲しい。主要紙のどこかがやり始めれば、他紙もそれに倣うようになるはずだから。

2018年11月7日

『華氏119』と中間選挙

11月の第1火曜日だから、きょう米国では中間選挙の投票が行われているはず。どうなるか結果を気にしていてもしかたないので、レイトショーで映画『華氏119』を観に行った。


ドキュメンタリー監督、マイケル・ムーアの最新作。11/9は、トランプが米国の大統領に選ばれた大統領選で勝利宣言をした2016年11月9日を指している。

なぜトランプが大統領選に出馬することになったか、どうしてほとんどの人がその時まで信じて疑わなかったヒラリー大統領が実現しなかったのか、民主党がどうやって変節を遂げるに至ったか、オバマが我々が知っているだけの姿ではないことなど、他国のことというのもあるが、いままで知らなかった米国政治の状況を知ることができた。

一言で言えば、共和党だけでなく、民主党も腐っているということ。民主党は、実は先の大統領選で負けるべくして負けたことが分かった。その間違いの源は、大御所と言われる古株の民主党の有力議員たちだった。

既得権を持った彼らには、イデオロギーよりも自らの利益誘導と保身が最優先されたからだ。これって、米国の話だけじゃないよな。

ただこの映画の中で詳細に、かつしつこい位に描かれているのは米国の若者、それも大学生ではなく高校生たち!の賢く勇気ある行動の数々。この点では彼我の違いにため息がでる。アメリカが凄いな、と思わされるのはこうした若者たちの姿を見るときだ。

明日には選挙結果の趨勢は決していることだろう。さて、どうなるか。とりわけ映画に出ていたNY州の候補、アレクサンドリア・オカシオ=コルテスとミシガン州の候補、ラシダ・トリーブの結果が気になる。

-----
後記(11月7日)

コルテスさんもトリーブさんも当選したね。
http://www.afpbb.com/articles/-/3185455
https://www.mashupreporter.com/alexandria-ocasio-cortez-ny-primary/

2018年11月6日

失われた8年を取り戻せるか

昨日、早稲田大学の第17代総長に田中愛治教授が就任し、彼から「教職員のみなさんへ」と題する一斉メールが送られてきた。

当然ではあるが、やる気満々の様子で今後に期待している。彼は早稲田出身だが、早稲田で教授になる前に複数の他大学で働いてきた経歴を持っている。それがどうしたと言われそうだが、これまでの総長はいずれも早稲田大学の「純粋培養」だった。

つまり、早稲田大学で学部の課程を終え、そのまま同大学院の修士課程、博士課程へと進学し、その後覚えめでたく助手として採用されれば、あとは歳を経ることで専任講師、助教授(現准教授)、教授となってきた人たち。

18歳で大学に入学したとしたら、同じ組織のなかだけで(途中で留学とかしなければ)半世紀近く生きてきた人たちということになる。それってどうなんだろう・・・? 他所のメシを食ったことがなければ、自分が食べているメシの味を相対化することは難しい。

そうしたなか、彼は他のいくつか大学での研究と教育の経験を経て早稲田に戻ってきた人物だけに、これまでの総長とは違う判断ができることを期待している。

前総長の8年間は、まるで時間が止まっていたようだった。20年後を想定して「Waseda Vision 150」とやらを学内の多くの資源を投入して策定させたが、それだけのように思える。

詳細な長期計画を作るのはいいが、企業でもコンサル会社に大金払って気の利いた長期計画書を作成してもらい、それで何か将来の業績が約束されたかのような気分になっている経営者が多いのを思い出す。

組織として守り信じる基本的理念を徹底しさえすれば、あとは環境に柔軟かつ先行的に適応することの方が、定型的な長期計画をシコシコ作って満足するよりよほど大切だと思う。

失った8年を彼がどうやって取り戻すかが、大学のこれからの明暗を分ける。

2018年11月5日

村上春樹の記者会見

11月4日、作家の村上春樹が早稲田大学での記者会見に出席して、自分の原稿や蔵書、世界各国で翻訳された著作や2万点近いレコードコレクションなどの資料を大学に寄贈すると発表した。
彼が国内で記者会見するのは37年ぶりらしい。大学は資料を活用して国際的な研究センター「村上ライブラリー」の設置を検討しているという。 
大学の本部キャンパスにある演劇博物館に近くにそのセンターは造られるらしい。村上が自分の学生時代を振り返り、授業にはあまり出なかったが、演劇博物館で古いシナリオを夢中で読んでいたと語っていたのが印象に残る。
演劇博物館は研究室から近いこともあり、気が向いたときにぶらっと立ち寄ったりするが、イベントなんかがないときは実に閑散としている。早稲田大学が誇る、数少ない貴重な場所なのに。これを機に、若い人たちがこちらにももっと足を運ぶようになるといい。
ところで、報道で公開された写真で村上と早大総長の鎌田教授が並ぶ写真が写っていたが、現総長は4日で退任する。翌日の5日からは新しい総長がその任に着く。そのギリギリのタイミングで大学が村上春樹の記者会見を早稲田大学で開いたというのはなんともニクイというか、無理矢理という感じ。
なんだか彼(村上)もすっかり歳をとった感じだなあ

2018年11月4日

思考の芸術

上野の東京国立博物館で「マルセル・デュシャンと日本美術」と題した展覧会が開催されている。デュシャンは20世紀の美術に多大な営業を与えたフランス出身の美術家。



男性用小便器を「泉」と題した芸術作品と定義したことで有名だが、この作品の原題 Fountain は日本語では泉より噴水とした方がイメージがわくと個人的には思うのだが、どうだろう。


僕は大学のマーケティング授業のなかでポジショニングについて学生に説明するとき、実体を変えずにそのものの位置づけや意味を変えた一つの例として彼のこの作品を紹介することがある。

デュシャンはそこに描かれた表現よりも、それが帯びている意味や思考、解釈を芸術の根幹と捉え、すこぶる自由にアーティストとしての活動を行った。

やがては絵画制作を放棄し、大量生産品から彼が選んだものを「レディメイド」という名で作品化するにいたるーーただし、今回の展覧会には彼の初期の絵画作品も十数点飾られていたが、それらはどれも技巧的に優れたものだった。

キャンベル・スープの缶のデザインをモチーフとして取り上げたアンディ・ウォーホルは、デュシャンの価値の転換を換骨奪胎したことに気づく。

2018年11月3日

夜明けまえ

タイムラプスで月を撮ってみた。
夜明け前の空の色がきれいだ。


2018年11月2日

地上350メートルからの眺め

今日は大学が学園祭で全校休業ということもあり、 秋らしい晴れ渡った青空に誘われて浅草までやって来た。


スカイツリーを今日初めて訪れた。2012年春のオープンだから、もう6年以上が過ぎている。いつでも行ける、はいつまでたっても行かない、の典型的な例だ。

展望デッキは地上350メートル。そこへ昇るエレベータの速度と、それを感じさせない制御技術は素晴らしい。東芝製のエレベータだった。

平日にもかかわらず賑わう展望デッキ
荒川に向かって伸びるスカイツリーとイーストタワーの影を展望デッキから撮影

帰りは吾妻橋近くの神谷バーに寄ったあと浅草鷲神社の酉の市へ向かう。凄い人混みである。