2010年12月10日

頭打ち

5歳から17歳の日本人男子の身長の伸びが頭打ちになった、という新聞の記事を読んだ。国の2010年度学校保険統計調査の結果から。1948年の調査開始以来初めてとある。

文科省によると「遺伝や骨格から考えると、日本人の身長は頭打ちになった」らしいが、遺伝的に身長が規定されているのだろうか。骨格の変化もないということか。だが待てよ、遺伝が決定要因だとしたら、今後混血の日本人が増えるようになれば状況は変わるかもしれない。「日本人」とは国籍のことである。

それにしても、純血で勝負するのはやはりもう限界なのだと、あらぬ連想をしてしまう。日本企業も日本人にこだわらぬ経営が喫緊の課題になっている。

2010年12月9日

あれから30年

ジョン・レノンがニューヨークの自宅前で殺されてから、今日で30年になる。1980年12月9日夜、就職祝いを友人と新宿の飲み屋でやった帰途、駅のホームで号外を読んでいる人の紙面で知った。何か自分のなかに大きな穴が空いたような気がした。あの日、その後どうしたのか、まったく思い出せない。

2010年12月8日

一日何時間働くか

手帳の季節になってきた。書店や文具屋の店頭に種々の手帳がならび始めた。

勤務先から今年も大学名入りの手帳が配布された。歴史のある能率手帳だけあって良くできていている。見開きの左ページが一週間分のスケジュール記入欄になっていて、右側は自由に書き込める白紙ページになっている。

だけど、ある一つの理由から今年もこの手帳を使うことはないだろう。それは、スケジュール記入欄に事前に振られた時刻が朝8時から夜中の12時までだからだ。16時間!

つまりは、ほぼ寝ている時以外のすべての時間帯がカバーされているということ。この手帳を重宝する人ってどんな人か、ふと考える。自分はそうはなりたくないな、と思いつつ。

2010年11月30日

バースディ・ケーキ

今日はゼミが始まったとき、学生たちがサプライズで誕生日を祝ってくれた。

近くのケーキ屋からゼミの開始時間に合わせて大学まで配達してもらったという作りたてのケーキ。上には長いロウソクが5本と短いのが2本立ってた。
 

2010年11月27日

美術館?宇宙船?

瀬戸内海に浮かぶ豊島に美術館ができた。建築家の西沢立衛が、内藤礼の作品を展示するためだけに設計した美術館である。
http://setouchi-artfest.jp/artwork/26_rei_naito_ryue_nishizawa/

屋根に大きな穴があいていて、光はもちろん、風が入ってくる。周囲の梢の音も聞こえる。雨が降れば、当然雨が入ってくる。それでもれっきとした美術館。この美術館のコンセプトは、僕も中に入るまで分からなかった。
体験型の展示をしているために入館の人数を制限をしている。風に吹かれながら並んで待つ。
こちらはカフェ&ショップ。これも西沢立衛が設計。

2010年11月14日

明神ヶ岳へ

昨日は、スカッシュ仲間だった鈴木さんと箱根の明神ヶ岳へ。小田原駅から箱根登山バスで登山口へ向かったが、車中でお喋りしているうちに目的の停留所を乗り越してしまい、結果、予定外のルートで山頂に向かう。道程は長くなったが、富士山を背にすすきの揺れる気持ちのいい尾根を歩くことができた。

天気もまずまずで快調。紅葉もきれい。途中、山中を駆け抜けるトレインランナーや自転車で山頂までやってきたバイカー、わんこ同伴の登山グループなどに会う。残念ながら、近頃流行りの(若い)山ガールとは出会わなかったが、いろんな登山客に会うことができた。

帰りは強羅から登山鉄道で箱根湯本まで。その車中で、仕事でお世話になっているM食品の鈴木女史に偶然出会う。お互いにびっくり。



2010年11月10日

ニューロ・マーケティング?

昨日、早稲田大学の小野講堂でカリフォルニア工科大学の下條信輔さんのパブリックレクチャーがあった。講演内容は、彼が以前出版した本の内容をもとに情動と潜在認知を中心にしたものだった。

マーケティングの観点からも、いくつも面白いエピソードが紹介されていた。CMの効果を巡る議論や消費者が自ら取った行動を正当化するように判断する認知心理学からの知見は興味深かった。あと、店頭での商品の選択肢の過剰が消費者の不満足度を高めているという議論は、以前Scientific American誌でも似た記事を読んだことがあるが、消費者としての実感からも納得だ。

今年米国でアカデミー賞を受賞した映画「ハートロッカー」の印象的なシーンを思い出した。映画の主人公はイラクに出兵している兵士で、米軍きっての爆弾処理のスペシャリストである。テロによって巧妙に仕掛けられた爆弾を自らの手で処理をするのが彼の任務。専門知識と経験、的確な判断力と決断力が問われる仕事である。

その彼が任務を解かれアメリカへ一時帰国し、家族と一緒につかの間の休息の時間を与えられる。そんななか、彼は奥さんと行ったスーパーマーケットのシリアル(コーンフレーク)売り場の前で呆然と立ち尽くす。シリアルを購入しようと思うのだが、あまりの銘柄の多さにどれにするか決めることができないのだ。戦場で誰よりもタフな判断力を持って生きている彼がである。

このアイロニカルなシーンは、戦場と日常の違いを何にもまして鮮やかに描いていた(それにしても、アメリカの大型スーパーは本当に巨大だ。シリアルや缶スープの売場は、自分の好みのブランドが決まっていない客にとっては、迷宮に迷い込んだも同然かもしれない)。

今回の講演者の下條先生に初めて会ったのは、3年前の秋だったろうか。米国出張のついでに彼が勤務するカリフォルニア工科大のオフィスを訪ねた。その時は、fMRIのデモなどを見せてもらい、そしてニューロ・マーケティングの話などを聞いて帰ってきた。

今回、講演後に彼と少し話をしたが、ニューロ・マーケティングについては彼も僕と同様にその実用展開に関してはまだ現時点では懐疑的だった。企業のマーケティング担当者が飛び付くのを心配していた。その通りだと思う。とかくマーケティングをやっている連中は(僕もだが)おっちょこちょいというか、新しいものにすぐ飛びつこうとする。そうした連中からニューロ・マーケティングは、まるで魔法の杖のように勘違いされないとも限らないから。

2010年10月19日

学歴ロンダリングというヘンな言葉

大学の近くの書店の店頭に、少し前の週刊ダイヤモンドが今も高く平積みされていた。特集のタイトルは「壊れる大学」。その中に「驚愕の学歴ロンダリング」という記事があった。これは、有名校の大学院へ進学することでそれまでの最終学歴を変えることを指している。

記事はそのような事に対して多分にシニカルな論調だが、いったい何が問題なのだろう? 問題ないではないか。実際、低偏差値校といわれている大学の出身者でも優秀な奴は結構いる。たまたま15歳から17歳あたりで受験勉強しなかっただけだ。そうした連中が社会に出て、学びの必要性を本当に感じて大学に戻ってくる。僕は結構なことだと思う。

マネーロンダリングは違法行為だろうが、学歴ロンダリングをしたと指摘されている彼らは大学院の正規の入学試験を受けた上で入学しているはずである。そのどこに問題があるのか。学歴ロンダリングという言葉には、上からの侮蔑的な視線を感じる。

2010年10月14日

元気はもらうものか

「元気をもらった」という言葉をいつから耳にするようになったのだろう。

ニュース番組の終わりあたりでちょっといい話が紹介され、そこで一般市民へマイクが向けられるシーンが続く。人々は言う。「元気をもらいました」。わくわくした、心が躍った、いい気分になったという意味で、さほど深い思いが込められていないのが判る。「感動を分けてもらいました」というのも同じだ。が、そうした言葉が当たり前の表現になるにつれて、僕たちは元気やら感動というのは、どこかから与えられるものといつの間にか思い始めてはいないだろうか。

自発的に何かを発見するのではなく、元気や感動という「サービス」や「快楽」の消費者になりつつあるようにも思える。

2010年10月4日

商標権にまつわる経験

昨日、用語について書いたが、先日こんなことがあった。N村総合研究所のサイトに、マーケティング関連の提案書が掲載されていた。内容は、企業に対するセールスシートだ。

そのなかに、僕が商標権を持つ用語が複数回使われていた。一般の人に新しい情報や知識を広めるための論文や研究報告書なら構わないが、料金表まで載っているコンサル提案書に商標を勝手に使われるのはちょっと困る

ネット上の提案書に掲載されていた担当者3人に、メールでサイト内容が商標権に触れている旨を連絡した。ややあって返事が来た。「弊社法務部、知的財産部と協議の上、ご回答さしあげますので、少しお待ちください」。

そして数日後、「ご指摘いただきました、商標についてですが、弊社提案書の表現を「●●●●●●●」に変更いたしましたので、ご報告いたします。以後、ご指摘の商標については利用いたしませんので、ご理解ください」と連絡してきた。

サイトを確認してみると、掲載されているpdfファイルはすでに修正されていた。まあ、これで問題解決なのだろうが、気がつかなかっただけとはいえ他人の商標権を侵害してたのだから「スミマセンでした」の一言も添えるのが礼儀だと思うが・・・。ごめんさないと言うと、金でもせびられると思っているのかもね。

2010年10月3日

文科省の就職支援

大卒者の就職率の低さに対応するため、文科省が財政支援を始める。新聞の報道によれば「就業力」(何にでも「〜力」をつければいいというものではないだろうに)の育成に取り組む大学・短大に対し、一件当たり年間2千万円程度を援助するらしい。

学業を終えても職に就けないのは、確かに大変な事である。しかし、これは大学卒に限った話ではなく、高校を卒業した後も職に就けない生徒も増えている。そして、高卒で就職できそうもなかった、あるいはできなかった生徒たちの多くは大学に進学しているのかもしれない。

数の上ではすでにわが国は大学全入という環境下で、ことさら「大卒でも」とか「大学を出たのに」といった発想は転換した方がいい。

2010年10月1日

木田元と独習

昨日まで、日経朝刊の「私の履歴書」欄に哲学者木田元さんのことが取り上げられていた。彼は、英語、ドイツ語、ギリシャ語、ラテン語、フランス語を農業専門学校と旧制の大学で独習した。

「・・・テレビもない、貧しくて酒も呑めない、そんな時代だからこそできたことなのかもしれない。考えようによっては、いい時代だったことになる」という言葉を噛みしめる。

2010年9月28日

「おひとりさま」と「独居老人」

朝刊を読んでいて、雑誌広告のなかに見つけた「おひとりさま」という言葉。東大上野センセイの本『おひとりさまの老後』から拡がった言葉だが、ネット書店で検索してみると「おひとりさま」をタイトルに据えた本は彼女以外にもいろいろあるようす。

ところで「おひとりさま」って誰のこと? 「独居老人」あるいは「一人暮らし」と何が違うのだ。同じなら、なぜわざわざ言い換える必要があるだろう。「少女売春」が「援助交際」と言い換えらえた時のように、実態は変化しないにもかかわらず言葉の違い一つで我々が受け取るイメージは一転する。本質を隠蔽しかねないこうしたレトリックには注意が必要だ。本田由紀らが『「ニート」って言うな!』でニートという言葉の不適切さを指摘していたが、「おひとりさま」にも同様のものを感じる。

そういえば、経営学の分野にも実態はほとんど変わらないのに、まるで新しいコンセプトであるかのような新しい用語やフレーズがしばしば登場してくる。たいていはコンサル会社が「創造」したものだが、こちらも注意が必要だ。

2010年9月26日

野坂昭如

野坂昭如と野田秀樹の対談集を読んでいたら、野坂が「日本はやがて没落します。そういう時に否応なく差別が出てくると思う」と語っていた。平成3年、19年前のことである。

2010年9月24日

Bizスポ

BizスポというNHKの夜の番組がある。平日の夜間に帯で流れている。内容は経済情報とスポーツ情報だから、Bizスポらしい。対象はサラリーマン。とりわけ中心ターゲットは、おじさん。

おじさんってのは、仕事に関係する経済ネタと息抜きのスポーツニュースにしか興味がない連中と思われているから、こうした番組(ビジネス&スポーツ)ができるんだろうな。番組コンセプトの割り切りの良さにはある面で感心するが、文化的な雰囲気は微塵もない。ならばいっそのこと、ビジネス&セックスにしたらどうだ(ま、無理か)。

2010年9月23日

富士山と中秋の名月

ようやく空気が澄んできたのか、朝霧高原のススキのむこうに富士山が全体を見せている。

今日は十五夜、中秋の名月である。

2010年9月22日

早稲猫(わせねこ)

6号館の端っこで見かけた早稲猫2匹。もっと近くで撮ったアップの写真もあるのだけど、近づいても人に慣れているのか逃げない。「早稲田大学地域猫の会」のみんなからいつも世話を焼いてもらっているからだろうな。幸せ者である。

2010年9月21日

学位授与式

敬老の日の昨日は、大学院の秋の学位授与式だった。僕のゼミからは、Ivan、Andy、Wendyの3人が無事修了式を終えた。式典の後は、大会議室で乾杯式を行い、その後僕の研究室でIvanがアルゼンチンからお土産に持って帰ってきてくれたワインで4人で乾杯。2年間という大学院の期間はあっという間だったと思う。これからが、彼らにとっての本番だ。

2010年9月15日

3年前はどのくらい過去か

これまでやろうと思ってながらできなかった、正式にはやらなかった部屋の片付けを始めた。

まずは床やテーブルに積み重ねたままで放置されてる本や雑誌を片付けることから手を付ける。古い雑誌はページを開かずにそのまま処分、と自分に言い聞かせて始めたもののついつい気になりページをめくってしまう。

積み重ねられた雑誌の山のいくつかはビジネス関係の雑誌だ。ある山は、3年くらい前のもの。めくってみると、わずか3年ほどしか経っていないのに注目の成長企業と持ち上げられた会社がすでに業界でほとんどプレゼンスを無くしていたり、ヒット商品として取り上げられたもののなかに今では完全に店頭から消えたものも少なくない。

なぜだろうかと、つい考えてしまう。あれからわずか3年。消費者の嗜好の変化(飽き)や競合製品の登場など要因はさまざまだが、それにつけても疑問は「なぜ変化に対応できなかったか?」の一点につきる。

歴史に学ぶというほどたいそうなものではない。近未来という言葉あるとしたら、3年前は近過去といえるかもしれない。その近過去を振り返ることで、僕たちは多くのことを学習できる。マーケティングの分野では、どうやって新市場を創造するかという「将来に向けた」テーマが重視される。それは当然のことだが、そのためには近過去に目を向けた考察が有効だろう。捨てるはずだった3年前のビジネス雑誌を教材に用いて行う授業「マーケティング・リフレクション」でも考えてみようか。

当初の目的だった片付けは今も遅遅として進まず。でも、あれやこれや考える事ができたから、まあ良しとしよう。

2010年9月12日

直島の「村プロジェクト」

フェリーで直島に渡る。まだ訪ねたことのない地中美術館を見たくて出かけたが、美術館の入り口で手に入れた整理券は入場(チケット購入)まで1時間45分待ち。汗がしたたる暑さに、根性が折れる。http://www.benesse-artsite.jp/chichu/

この島では、今回の芸術祭の作品以外にも常設の作品を数多く見ることができる。「村プロジェクト」という名の、古い民家をアーティストの創作のモチーフとして自由に仕立て上げてもらうという活動だ。大竹伸朗の作品もいくつかある。かつて歯科医院だった建物を舞台にした「はいしゃ」のなかでは、巨大な自由の女神が吹き抜けにスックと立っていた。(建物の内部は撮影禁止)


同じく大竹伸朗の手になる直島銭湯「 I ♥ 湯」と名づけられた美術施設がある。彼が得意とするスクラップブックの手法が建物の内外で展開されている。しかも、ここは本物の銭湯。なかに見学だけの目的で入ることはできない。つまり、500円入って入浴する。楽しい。