昨日、ZOOMなどを用いて打合せをする際に、その相手とは初めてであるにもかかわらず画面をミュートにして参加する連中がいると不快に感じると書いた。
自分がどうしてそう感じるのか考えていたのが、分かった。ベンサムが考案したパノプティコン(panopticon)を頭のどこかで連想していたのだ。一望監視施設、あるいは一望監視塔と訳されている刑務所施設のことだ。
その監視塔にいる看守は独房内のすべての受刑者の様子を見ることができるが、看守の姿は受刑者からは見えない仕組みになっている。
フランスの哲学者ミシェル・フーコーは、『監獄の誕生』のなかでこのパノプティコンを「『見る/見られる』という一対を分離してしまう機構」であると分析している。
画面ミュートの参加者がいるZOOM打合せの不快感は、まさにそこにある。こちらからは顔の見えない看守から「監視」されている、なんとも言えない気持ち悪さだ。そうした状況、ほかの人たちは平気なんだろうか?
ベンサムの構想図 |