2022年9月25日

非行少年たちを必要以上におとしめてはいないか

「ケーキを切り分けられない少年たち」ということばがキーワードとして流布されはじめたのは、いつの頃からだったろう。

今朝の新聞に『ケーキの切れない非行少年たち』(新潮社) という本の書籍広告があった。下図は、その広告内に掲載されていたものだ。

これを見る限り、非行少年らに与えられた問いは「ケーキを三等分せよ」で、次の図か添えられていたはずだ。

あなたはこの丸を見せられ、「ケーキを三等分せよ」と問われて質問者の意図に応えるかたちで正確に回答できるだろうか。

僕は無理かも知れない。なぜならば、上の図は質問者が勝手に「これはケーキなんだぜ」と思っているだけで、僕にはケーキには見えないからだ。(実際、ケーキじゃない、単なる線画のマルだ)

被験者である少年たちは、ケーキという言語情報と与えられた線画が認知的に結びつかず、おそらく何について回答したらいいのか戸惑っただけではないか。 

もし与えられた図が以下のものだったらどうだろう。


そして問いが「三等分せよ」ではなく、意味が容易に分かるように「このケーキを3人に平等に分けるように切り分けよ」なら回答は変わったのではないかな。

その際、少年の回答はこうなったはずだ。


相手をミスリードさせるような 質問をあたえ、彼らの回答についてセンセーショナルに大変だ、大変だと世間をあおり立てているように思える。

そもそも表だって反論してくる可能性がほとんどゼロの「非行少年たち」を対象にして、彼らを侮辱しおとしめて本を売ろうとしているようにしか思えてならない。

非行少年少女たちのなかにこれまで適切な教育を受ける機会を持たなかったり、家庭や社会から受けるべきケアを欠いていた人たちがいて、それが認知機能上の問題の理由だと言いたいのだろうが、限定的な調査結果と訴えたい主張を短絡的に結びつけすぎてはいないか。

単純な質問票調査をやって、それだけで何か分かった気になるのは危険だ。