彼の『「本が売れない」というけれど』(ポプラ新書)によれば、決して日本人は本離れをしているわけではなさそうだ。新刊書の刊行点数はむしろ増えている。ただし、新刊書の売上自体は長年にわたって減少傾向にある。
これは取りもなおさず、新刊書一点あたりの販売部数が減っているということを示している。書籍の一般消費財化だ。あえてはっきり言うが、今の時代、コンテンツの良し悪しを別に語るならば、パッケージ商品としての「本」は実に簡単に作って出せる。
コンビニやスーパーの店頭の清涼飲料やお菓子となんら変わらない。いや、そう言ってしまうと飲料メーカーや菓子メーカーに失礼になる。それらとも比較にならないほど粗製濫造がはびこっているのが、書籍ビジネスの現場。ヒットした本が出ると、あからさまにその二番煎じ、三番煎じを狙った本が平然と店頭に並ぶのもそのひとつだ。
人類の遺産とも言えるような限りなく貴重な価値を持つ本と、まったくそれとかけ離れた駄本が店頭で同じ「本」という存在でもって併存している。
だから、何を読むかが問われる。当たり前だけどね。
日本の本は、諸外国と比較するとずいぶん値段が安い(と僕は思っている)。しかも最近では、ネット上の青空文庫などを利用すれば、著作権が切れた本を無料で読むことができる。 永江さんは、そうした日本の国内状況を「知的天国」状態と呼ぶ。
それはありがたいことだ。だけど、「知」がいつでもタダで手に入ると考えるのはいいことではない。読みたい本が読みたい時に読めるようになった分、書き手に対しての「応援」を忘れてはいけない気がする。
つまり気に入った本は、お金を払って買うということが大切。もし最初図書館で借りて読んだとしても、それが本当にいい本だと思ったら、自分で買って友人にプレゼントするとかね。
ちょっと大げさかもしれないけど「知」の創作者に対する敬意を忘れてはいけないと思っている。それは思いや気持を持つことだけではなく、やっぱり行為として対価を払うことにつながっていなければいけないのではないか。
今朝の一曲は、ゾンビーズで Time of the Season。