2009年9月28日

人に会いに行くということ

ゼミの学生が修士論文作成のために、企業へのインタビューを計画していて、そのための依頼状を書いたので見て欲しいと言ってきた。独りよがりなところや分かりづらい点を修正。うまく、相手企業が協力してくれるといいと願いつつ。

マーケティングや経営関係の研究にはインタビューがつきものだ。文献だけをもとにした理論研究や、実証研究でもアンケート等による定量調査ももちろん大切だが、現場感を擬似的にでも掴むためにはインタビューや取材が重要だと考えている。つまり、社会科学分野の研究者は、ある意味でジャーナリスティックな面を持っていないと現実に対応できる研究ができないというのが僕の持論だ。

共同通信社の記者だった斎藤茂男さんがこんなことを書いていた。狙った相手に取材を受け手もらうために「恥をかく、いやな思いをする。そういう”税金”を納めなくては、よい仕事はできないぞ、と自分に言い聞かせながら歩くのだが、なかなか慣れるものではない」。ベテランの名記者をして、こうだ。僕たちは彼らのように日常的に取材やインタビューをするわけではないし、また彼らほどハードな取材も通常は求められない。でも、人から思いもしなかった事実などを聞き出すことの楽しさや興奮は、ジャーナリストだけのものではないはず。

2009年9月27日

前を向いて歩け

この夏、米国へ出張で出掛けた。わずか2週間ばかりだったが、日本に帰った時にまず気になったのは、電車のなかで多くの乗客がケータイをながめていることだった。宇多田ヒカルの歌じゃないが、おとうさんも、おかあさんも、お兄さんも、お姉さんも、みんなケータイのちっちゃな画面に目をこらしている風景は、ちょっと異様に感じた。

電車の中はまだいい。困るのは、駅のホームや階段を歩く時までケータイを眺めていることだ。ちゃんと前を向いて歩かないから、人にぶつかる、足を踏む。本当に迷惑だ。

もう3年ほど前になるが、ゼミ生の一人が駅の階段から落ちてケガをした。何をやってたのか尋ねたら、「階段を下りてたら、上から人が落ちてきたんです」と言う。ヒールの高い靴を履いた娘がケータイを扱いながら階段を下りていて、足を踏み外したらしい。つまり、彼は巻き添えを食ったわけである。これって傷害罪に問えるかどうか分からないが、いずれにせよいい迷惑である。

歩く時は、前を向いてあるくこと。これ、当たり前。

2009年9月25日

アカデミック・ガイダンス

昨日は9月入学生へのアカデミック・ガイダンス。修了要件などを中心に、40分ほど説明を行う。質問がまったくなかったのがちょっと心配。

2009年9月23日

新刊の書評(日経ビジネス)

この連休を使って読み残していた新聞や雑誌に目を通していたら、日経ビジネス誌2009年9月21日号の新刊紹介欄に、この夏に出した『実践CRM』が取り上げられているのを見つけた。
http://www2a.biglobe.ne.jp/~kkimura/tk2.jpg 

この本は、今秋開講の「顧客関係性マネジメント論」のテキストとして利用予定。

2009年9月22日

サービス・マーケティング研究のテキスト

僕の大学の所属は早稲田大学ビジネス・スクールなのだけど、3年ほど前から商学研究科一般コースというところでも教えていている。科目は「サービス・マーケティング研究」。

テキストはどれにしようか考えて、C. GronroosのService Management and Marketingを選んだ。ただ、日本では扱われていない。以前はアマゾンジャパンで購入できたのだが、最近は検索してもタイトルが現れない。僕の授業以外は需要がないみたいだ。

仕方がないので、大学生協に頼んで教科書指定で外国から取り寄せてもらうことにした。

2009年9月21日

9月生入学式

昨日の修了式に続いて、今日は9月生の入学式があった。

毎年、このタイミングでの入学者は留学生がほとんど。今回も8割ほどが海外からの留学生。みんなこれから勉強を頑張って欲しい。

2009年9月20日

学位授与式

今日、2009年度9月修了生の学位授与式(修了式)があった。僕のゼミからは、ソニーから企業派遣で来ていた猪狩君が優秀な成績で修了した。

彼の修士論文の研究タイトルは、「サービス品質の評価と顧客満足に関する研究 ~企業向け通信サービスの事例をもとに~」というもので、先行研究を基に新たな分析のための想定モデルを構築し、収集した定量データを多変量解析や構造方程式モデリングによって検証するというもの。結論として、今回の研究対象に対しての実務上の含意を提示してる意欲的な研究だ。

修了式後、彼と息子さん(小3)の勇樹君が研究室を訪ねてきてくれた。

2009年9月19日

新教室で

今春、僕たちのビジネススクールは19号館から新築の11号館へ引っ越した。その中にビジネススクールらしい、シアター形式の教室が2つある。今年の前期はその1つを使ってMarketing Managementの授業を行った。写真は、最終授業後の記念写真。

2009年9月18日

夏のゼミ合宿

 













9月のはじめ、ソウルにゼミ合宿で行ってきた。


ゼミ生以外の参加者が2名いて、その他にもゼミのOBや他ゼミの留学生たちが日替わりで加わり、連日賑やかだった。

前回韓国に行ったのは、約3年前。高麗大学で開催された学会に参加するためだったのだが、やはりガイドとして現地の人がいると動きがまったく違う。観光客では行けない場所もどんどん訪ねることができるので嬉しい。

マーケティング研究会9月定例会

17日、マーケティング研究会の9月定例会を汐留で開催。ゲストは凸版印刷株式会社取締役広報本部長の広村俊吾さん。先月下旬に研究会のメンバーで、小石川にある同社ビルを訪問し、印刷博物館やらショールームを見学していたので、それと併せて同社の事業や今後の展開などについて議論をする。

印刷博物館といえば、VRシアターが面白かった。特に江戸城とシスティーナ大聖堂のプログラムには息をのむ。
 
今の館長は、歴史学者(西洋中世史)の樺山紘一先生。大先生なのに気さくな方で「近くなので、いつでも早稲田の学生を連れてきてくださいね」とお願いされた。

2009年9月6日

天変斯止嵐后晴(てんぺすとあらしのちはれ)

昨日は国立劇場小劇場で「天変斯止嵐后晴」の初日を観る。

シェイクスピアの「テンペス」をもとに、舞台を中世日本に置き換え、浄瑠璃に翻案したもの。原作の世界との違いに最初は違和感があったが、見終わってみると、空を飛ぶ妖精や魔法が登場する不思議な世界は人形浄瑠璃の世界に結構フィットしていて十分楽しめた。

2009年3月13日

盤石の文化と地震の文化

鉄道でセゴビアへ。昨日の朝、アヴィラに行く際にのプラットフォームを教えてくれたマドリッド駅のおばさん(駅員)に、プラットフォームで会った。ボニート!と声をかけられた。

セゴビアの水道橋は紀元1〜2世紀にローマ人によって築かれたもの。漆喰などは用いず、石だけを組み合わせて高さ28メートルもの橋が築かれている。



アーチの下に立ってみると、今にも岩が頭の上に落ちてくるのではないかと冷やっとする。2000年近くの間、雨や風にさらされながら、微動だにしていないことにヨーロッパの本質の一つを感じる。築いたものは、そのままでは壊れないということだ。石を積み上げれば、それは数千年単位でそのままの姿を保つ。

日本は木と紙の文化である。地震があるからだ。石で家を造ったのでは危なくてしかたない。気候の問題と併せて、木の家屋が日本人が選択した理由の一つが地震の多さである。

もしヨーロッパ(例えば、ここスペイン)が、日本と同様に頻繁にかつ大規模の地震に見舞われる場所だとしたら、ヨーロッパ人の精神構造はどう変わっていただろう。

日本人は地震を受け入れてきた。受け入れざるを得なかった。人間にはそれを予見することも、防ぐこともできなかったから。地震を受け入れるということは、自然をそのまま受け入れるということ。征服する対象などにならない。地震(自然の脅威)と折り合いをつけ、かつどこかで諦観の念を胸に生きてきたのが日本人である。

ヨーロッパにも日本同様に地震があったとしたらだが、ヨーロッパ人は今ほど神を信じることはなかったのではないか。少なくとも現在僕たちが目にするような教会建築は発達しなかったはずである。高きを求める塔への憧れも、現在のものとは異なったかたちになっていたはずである。

Avilaへ

マドリッド駅から鉄道で城壁の街、アヴィラへ行く。世界遺産の街である。



スペインの古い町はたいていどこでもそうだが、宗教的な色合いが今も強く残っている。こちらで宗教(キリスト教)が残したものは、建築と絵画と音楽と文学である。日本語でいうところのしつけを教えるのも宗教で、整備された法ができる前にその役割を果たしたのも宗教である。

宗教に必要とされるものは型だ。型は権威となり、防具となる。強く信じた人は疑う心を失い、作られた型に疑問を持つことはなくなるのだろう。これが宗教の仕組みである。

そのための演出が建築、音楽、絵画などである。Avilaのカテドラルで、司教たちの法衣が大切そうにガラスのケースで展示されていたのを観た時に、そんな考えが頭に浮かんだ。

豪華な法衣に何の意味があるのか。妙ちくりんな先の尖った帽子に何の意味があるのか。意味などない。あるのは型だけ。それらの衣装を作るのに、一体どれだけの多くの人の労働と金が使われたのだろう。

2009年3月12日

マドリッドの路上芸

バレンシアでの学会で発表を終え、マドリッドへ戻ってきた。夕食後、市内中心街で見かけた夫婦とおぼしき芸人。投げ銭をもうらうと動いて感謝を表す。