2020年6月7日
50日ぶりの電車乗車
駅でSuicaの使用履歴を調べたら、電車に乗るのは50日前に使用して以来のことだった。
4月の利用履歴は、これ1回だけ。外出自粛から緊急事態宣言発令、そして解除。その間、何回か大学の研究室に機材や資料を取りにいってはいるが、車で行ったのを思い出した。
これほど移動しなかったのは、自分の一生でも初めてのことだと思う。そして移動しなくても日常生活が送れ、仕事もこなせ、むしろ空いた時間のゆとりを楽しめることを知った。 移動しなくてもよいというのは、実は楽だ。
かつて狩猟・採集で移動しながら生きていた人々が農耕・牧畜を行う技術を身につけ、土地を見つけた結果定住するようになった。一旦動かなくなった人たちは、狩猟生活には戻らない。
それと同様とまでは行かないだろうが、人々の移動性は以前に比べ低くなっていくに違いない。今回の新型コロナウイルス感染が引き金だが、インターネットが我々の日常を変えたことがもちろんその背景にある。
2020年6月4日
うちのアレクサは中国人だったのか?
早口の中国語で、電話か何かでしゃべっているような感じの口調だった。何をしゃべっているのかは分からないまま、それが30秒ほど続いた。何だったのか。
いずれにせよ、これからは家で電話するときやZoomするとき、アレクサやグーグル・ホームのマイクは切ることにした方が良さそうだ。
2020年6月2日
フェイスブックの本性はどこに
ジョージ・フロイドという名の黒人男性が、5月25日に米国ミネアポリス近郊の地で警官から暴行を受けて死亡した。暴行が死因であることは、医師が確認している。
すぐさま全米で「Black lives matter(黒人の命だって大切だ)」というプラカードを掲げた多くの米国人が各地でストに入った。その速さと勢いは凄まじいもので、1960年代の公民権運動を思い起こさせるほどだという。
そうした抗議活動が広がるなか、米国のトランプ大統領がよりによって「略奪が始まると銃撃も始まる」とフェイスブックに書き込んだ。これは、1960年代の人種間対立が深刻化したとき、警察幹部が口にした言い回しらしい。これが火に油を注いだ。
トランプによって同じ書き込みがされたツイッターは、その書き込みが暴力を賛美しているとして掲載時に注記を加えた。
一方でフェイスブックはトランプのメッセージを容認し、CEOのザッカーバーグはFOXテレビやフェイスブックを通じて「表現の自由を尊重する。書き込みをそのままにする」と表明した。
フェイスブック社では社員も含めて抗議が起こり、社員の一部が仕事を拒否する「バーチャルスト」に突入した。フェイスブック社にもそうしたまともな神経を持った社員がいたということだ。
といっても、あのザッカーバーグが率いるフェイスブックという企業ほど油断も隙もない悪辣企業はないことに変わりはない。
2020年6月1日
税務署らしくない不始末
提出先の税務署は自宅から自転車で5分の距離。昨年は、申告書類一式を封筒に入れ神奈川税務署を訪ねたのだがすぐには受け付けてくれず、「列に並んで」と言われ、ただ書類を渡すだけだと思ったのに他の申告者と同じ列で1時間近く待たされた。
郵便で送るのと一緒だから置いて行かせてくれと頼んだが、中身を担当が確認した上で受け取るので列に並べという。郵便や宅配便で送られてくれば、そのまま受け取るのにヘンだ。
列に並んでいた他の人たちは、多くが申告内容の相談だったり、その場で書類を作って提出しようという人たちだった。申告書類を提出するだけだからと言ったにもかかわらずこの扱いにほとほと呆れ、今年はわざわざ税務署より遠い郵便局まで足を運び、簡易書留で書類を送った。
今年、3月下旬にその税務署の職員から修正が必要がある旨の文書が送られてきたが、緊急事態宣言が解けるまで放っておいた。
そこでの相手の言い分は、医療費支出の証明書が付いてないから提出せよというもの。長年やっているこの申告で、今さら手続きを間違えるはずはないという自信がある。既に提出はなされているはずだと主張して、彼らに税務署内の倉庫を探せたら、やっぱり税務署内の別の場所に保管されていた。
彼らに「お前らが探せ」と主張せず、相手の言う通りにこちらがその書類を自宅内で探していたらどうなっていたか。「ある」ものなら時間をかけて探せば見つかるが、「ない」ものをいくら時間をかけて探しても見つかるはずはない。
そうした自滅プロセスへ入って行かなくて、つくづくよかったと安堵した。
僕に書類の不備を指摘し、既に提出済みの書類の提出を求めてきていた神奈川税務署の職員は、今年の3月31日付で定年退職していた。
退職を一年以内に控えた職員に、こうした現場の仕事をさせるべきではないな。仕事が荒れる。モラルハザードが起きる。今回は、その典型例である。
新型コロナウイルスの残滓
感染防止という面から不安はある。どこにウイルスが潜んでいるのか、誰にも分からないから。
だが、心理面ではそろそろ限界に近い頃で、その面では誰もがほっとしているんだろうと思う。これからバック・トゥー・ノーマルと言われているが、社会全体が以前の状態にうまく戻っていけたらいい。第2波が来なければと願っている。
人は、喉元過ぎればなんとかで、すぐ忘れてしまう生き物。自分もだから、この2ヵ月の記憶が残るカタチを残そうと考えている。
これを機に坊主頭にしようかとか、車をスポーツカーに買い換えようかとか(なんで?)考えたが、髪の毛はすぐ伸びるし、車も車庫に入れたままでほとんど乗らないから止めにして、家の中を以前とははっきりと印象が違うカタチでものを減らすことで変えようと思う。自分自身が、後にあれは(第一次)新型コロナウイルス感染の時だったなと思い起こせるように。
自分が忘れないようにということに加えて、ものを減らしておきたいとの考えもある。今回の感染被害者の実際の例だが、その人は発熱して3日後に入院。検査でコロナウイルス陽性と判明。すぐに隔離。誰にも会えないまま17日間治療後、死亡。死体は即刻焼却。翌日に骨壺が家族に届けられた。
あっという間のことで、残された人たちは言葉にならなかったことだろう。こうしたことが、実際に起こりうる。
感染し、症状が進むと肺の中にガラスの破片を吸い込んだような凄まじい痛みがあるという。その痛みに襲われ、家族とも対面できないままやがて息絶えるなんて、地雷を踏んで吹っ飛ぶより悲しい。
もしものこと、万一のことを考えて、身辺は軽くしておいた方がいいように思っている。
2020年5月31日
グローバルと言うほど、グローバルから遠ざかる
そうした用語自体が間違っているわけではない。それらをよく使う人たちが、大抵はヘンなのだ。
経験的に言えば、これからはグローバルな視点でビジネスを考えていかなければいけない、などという連中にかぎってグローバルのグの字もその経験にも頭にもない連中が圧倒的に多い。
同様に、イノベーションという言葉を金科玉条のごとく振りかざす経営者や経営学者に限って、まったく創造性のかけらもない。これだけは断言できる。
えっ、なに? あなたの所属している部署の名称が今度「グローバル・イノベーション推進部」に変更されたって? 困ったね。
2020年5月30日
来た、アベノマスク
ありがたいような、どうでもいいような。たまたまエレベータで一緒になった犬の散歩帰りのご近所さんと、お互いが手にしたアベノマスクを見て苦笑いである。
このマスク、ガーゼに厚みがあってしっかりしているが、なぜかすごく小さい。これじゃ飛沫がもれもれだろうに。
誰かが、テレビに映る安倍晋三のマスク姿を見て「小学校の給食当番みたいだ」と言ってたが、確かにサイズや形がその通りだなと納得する。
2020年5月29日
思考の積み重ねと展開性
本を読み、それについて語ることは、その人のものの考え方、生き方、人との関わり方が実に反映されると思う。
どういった理解の仕方や感じ方が正しいとか正しくないとか、そうしたものはなく、捉えるべきものはそれが自分が考え、思い当たったものとどれだけ違うかだけ。そしてそれはなぜかと思いを巡らせ、互いに質問し、議論する。
他者の考えを聞いていて、それまでの己の思考が裏切られ、新しい光が差してくる。そしてまた、自分の思考が新たな展開とともに深まっていく。
とりわけ、これまで研究会で取り上げてきたニーチェやスピノザ、パスカルなどとの関連が語られると、はっとさせられる。
2020年5月27日
企業に所属するか、参加するか
JR東日本の元社長だった松田昌士氏が亡くなった。84歳。彼は1993年から2000年まで7年間、同社の社長だった人物。
報道によると、同氏のお別れの会の連絡先はJR東日本(東日本旅客鉄道株式会社)の総務部・法務戦略部となっている。
社長を辞めて20年が経っている。故人の業績を称えてということだろうが、違和感が強い。
日本人の就職は「所属」だ。それは就社と言い換えられる。一方、欧米では所属するのではなく「参加」であると言われる。組織とのより対等で柔軟な関係である。だから、組織のために命を捧げるなどまずあり得ない(あるとすると軍隊くらいだ)。
冷静に考えれば、そうした対等な関係が当たり前だとわかるはず。だとすると、20年前に社長だった人物のお別れの会を、その人物が元いた会社が執り行うのはどう考えても奇妙と云わざるを得ない。
そこにあるのは、組織と人に染みついた「会社社会・日本」の姿である。
誰が「ニップン」に入社したいだろうか
その会社が、製粉事業以外にも事業を拡大し、総合食品会社を目指すことを目的に社名を4月1日から変更するという。その新社名は、ニップン。日本製粉からとったニップン(日粉)である。
これからその名前で、どうやって新入社員を集めるつもりだろうか。自分が新卒大学生だったら「ニップン」という名と響きの会社には入りたくないナ。
社名変更という大切な意思決定をする前に、調査のひとつもやったのだろうか。たいして金も時間もかかりはしない。
2020年5月26日
匿名でものを言うのは、カッコ悪いぞ
2020年5月22日
これを犬と思う感覚が分からない
新型コロナウイルスの感染拡大防止のために人々が適切な距離を保っているかをチェックするためらしい。
それはいいが、これが犬だろうか!? ロボット犬と言われているようだが、犬好きとしてはどうしても犬には見えない。
4本足で移動し、大きさが大型犬程度だからか? 不気味だ。
2020年5月17日
放送大学はどこへいく
最初はどうなるかと思ったところもあったが、何とかなってる。確かに相手が社会人大学院生だから、というのはある。
学部の1年生(18歳)の授業を担当している先生などは、いろいろ苦労が多いという話を聞く。授業の中身をどう伝えるかという以前に、学生によってはネット環境が整っていなくて遠隔のクラスになかなか参加できないとか。
教員もほとんどが自宅からだから、相手の状況を手に取るように分かるわけではなく、そうした授業以前の問題の解決に時間と労力を取られている。
セキュリティの問題が取り沙汰されたりはしたが、Zoomがほぼ一般的なツールとして利用されているようだ。懸念はメンバー以外が紛れ込むことことで情報が漏洩するリスクがあるというのだったが、もともと所詮は大学の授業だ。秘密などない。まあ、あるとすれば、学生の個人情報(誰々は勉強ができない、とか)くらい。
遠隔教育といえば、日本では放送大学がすぐ頭に浮かぶ。それが設立されたのは1981年だから、40年の歴史がある。
しかし不思議なことに、今回日本中の大学教育機関がキャンパスを閉じ、遠隔授業の実施を迫られたとき、僕が知る限りではどこからも放送大学を手本にしようといった考えはみじんもなかった。
40年の遠隔教育の歴史があるのであれば、本来はそこが日本の司令塔として様々なノウハウを各機関に提供するのが道理なのだが。放送大学には実質的なノウハウや教育の技術は何もないのを皆が見て取っているということか。
2020年5月11日
9月入学が始まるかもしれない
その断ち切れない一例が、学校への4月入学、3月卒業、企業への一括採用による4月入社などだ。そこでは真の合理性はほとんど考慮されていない。
毎年、2月や3月になると、大雪の中を長靴を履き、顔一杯にマフラーを巻いた受験生が受験場である大学に向かう様子がニュースで流れる。電車などの交通機関の遅延で受験に間に合わなかった高校生の話なども。
またその時期は、例年インフルエンザの流行時期とも重なる。それまで一所懸命準備してきて、インフルエンザや風邪に罹患して目的の大学の入試が受けられなかった若者も多数発生する。
本当に時期が良くないとおもう。学期の始まりを9月にすることで、そのあたりは大いに改善できるはずだ。
9月入試の考えに対しては、全国の多くの教育委員会が反対している。混乱を招くとか、社会全体の仕組み中で考えるべきだとか、もっともらしい事をいっているようだが、要は変化を好んでいないだけだ。 変化に対応するのが億劫なのである。おじさん、おばさんらは。
9月入試に関して、ある新聞社が世論調査を行った記事を目にした。 9月への移行への賛成は56%、反対は32%。ただ、重要なのは若い人ほど賛成への意向が強かったということである。
18〜39歳では、賛成=66%、反対=28%
40〜59歳では、賛成=59%、反対=32%
60歳以上では、賛成=50%、反対=35%
それぞれのグループの標本数は分からないが、もしそれぞれの標本数が同数であるとしたら18〜59歳での賛成者率は63%、反対は30%でダブルスコア以上になる。
60歳以上の意見などは、ただ参考程度にするだけで十分だろう。
コロナ禍で生徒たちが学校に行けない特殊な状況下での調査結果であるが、9月へ入学時期を移行するメリット、デメリットを整理し、移行するなら早々に実行した方がよい。
2020年5月10日
配信解除からみる顧客志向度
授業はZoomでやっている。個人的なコミュニケーションはメールである。トラフィックが増え、種々のやり取りを整理しておいた方が良さそうに思い、これまで放置していた広告メールを処理することにした。
広告だけでなく、いろんな企業から勝手に届くメールも当然含めてのことである。一度会って名刺交換をしただけで、ずっと毎週個人のメールニュースを送ってくる自称コンサルタントも結構いる。
不要な受信メールを一気に減らそうと考え、迷惑メールのフィルタ強度を上げ、勝手にメールニュースを送付してくる企業のものはオプトアウトすることにした。今では日本企業のものでも、「配信解除」や「unsubscribe」のボタンを押すことでメールの配信を止めることができる。
ただ、なかにはそのために登録IDとパスワードでログインすることを求め、その後も面倒臭い手続きをわれわれに要求するところもある。そうすることで現受信者の解除手続きを減らす目的だろう。相手がメールを読もうが読むまいが関係なく、広告掲載料金のために送付先数をなんとか保っていたい企業だ。
そうした考えが、結局のところどんな感情を相手にもたらすのか、そしてどう彼らのビジネスに跳ね返ってくるかをどうして考えないのだろう。
2020年4月25日
パスカル『パンセ』から
多くの時間を家の中で過ごし、感染者拡大の数字の移り変わりを見聞きし、いつの間にかそうした目先の情報へ意識が振り回されていると感じているときに、こうした古典をじっくり読み、深く議論をするのは極めて良質な浄化であるように感じた。
『パンセ』は924(編纂によって異なる) の断章からなる一冊だが、そのなかにこうした一節があった。
われわれは絶壁が見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方に置いた後、安心して絶壁の方へ向かって走っているのである。(断章183)この本が出版されたのは17世紀のこと。 だがこれって、今の状況と変わらない。
恐怖と不安
ひとつは、自分が感染者になってしまうのではという恐怖感。もう一つは、すでに自分がもう感染者になっていて、そのため知らず知らずに周りを感染させてしまうのではという不安感である。
前者は意識してコントロールできる。外出を最小限にひかえる、人との距離を確保しておくなど。だけど、後者は厄介だ。すでに感染しているかどうかは、熱が出るとか、嗅覚に問題があるとか何らかの身体的な症状が発症するまで分からない。
その不安感を払拭するのは検査して確認するより他ない。にもかかわらず、検査が容易に受けられない。この国では。
すでに機動的に大規模検査を実施済みの他国に比べて、医療行政の問題が大きいように思う。何かやる際に、やけに慎重なのだ。役人は、やったことがないことをやって何か問題が発生すると責任を問われちゃうと思い、すぐ自己保身のブレーキが働くから。
役人、あるいは「官」という人間たちにとっては、国民の命より責任回避の方がよっぽど大切。だからわれわれの命などはいつも置いてけぼり。3・11の対応も、先の大戦での終結までの過程もそうだった。
行政は国民の顔色をうかがいつつも、全身やけどした患者に一枚一枚バンドエイドでも貼るかような対応しかしていない。効果的ではないし、それらは「ありがたい国からの施し」に見えて、実はすべて国民がかかえなければならない負債(将来の税)として積み上がる。
2020年4月11日
人口単位あたりの新型コロナ死亡者数
見ているうちに、多いのか少ないのか、分からなくなってきた。自分が住んでいる町内の話ではなく、国家レベルだったり、あるいは全世界でという話だからである。
仮にだが、日本国内で100人が亡くなったとすると、それは人口比では100万分の1以下である。統計的には誤差の範囲である。もちろん人一人の命はそれぞれかけがえのないものであることは分かっているが、その数値のインパクトをどう捉えるかは冷静になった方がいい。
下記のグラフの元は、札幌医科大学が公表している人口あたりの新型コロナウイルス死亡者数の国別の推移を示したグラフである。https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/death.html
縦軸に対数を取り、その変化がとても分かりやすく見て取れる。イタリア、フランス、英国が圧倒的に死亡者比率が多い。イタリアは国民3,300人に1人がこのウイルスで亡くなっている。日本は15万人に1人だから、その差の大きさに驚く。
また注目したいのは、その伸びの変化率である。ヨーロッパ諸国を中心にその伸びは大きく、また似通っている。 そうした中で、日本と韓国だけが相対的に緩やかになっている。
もう一つ特筆すべきなのは中国だ。世界で最も早く新型コロナウイルスによる死者を出してきたが、3月5日時点でイタリアがその死亡者数を抜いた。中国のそれはというと、それ以降ほとんど数値はフラットのまま。これをどう考えるかだが、個人的にはあの国らしく正直に数字を公表していないのが理由だと考えている。
日本においても注意を怠ることなく、少しでも早く終息の方向に持っていく必要があるのは言を俟たない。しかし、毎年インフルエンザだけで3,000人以上が亡くっていることを考え合わせれば、いまの騒ぎというか、国民の不安の度合いは度を超していると言えなくはないか。
2020年4月4日
C.D.Cが一転、マスクを推奨
わざわざ cloth masks(布マスク)とうたっているところを見ると、どんなマスクでもいいからしたほうがいい、という感染が急拡大する切羽詰まった米国内での状況がうかがい知れる。