2019年12月2日

答えを教えるか、問いを立てるか

大学で教育をする際に心がけていることが一つある。それは常に学生にむけて問いを続けること。

問い続けることで、彼らに常に考えることを促すことが最も大事なことだと考えてる。さらにはそこから進んで、彼ら自身が自らに問いを立て、そしてそこからその答えを見つけるために努力をするように仕向けること。
しかしその一方で、分かりやすい答えを先んじて示してやることが教育であるという考え方もある。その場合は、こうやって問題を解決した、という事例をどんどん示してやる方法である。一般的に、学生はこちらの方が何か学んだような気になる。前者がプル型とすれば、こちらはプッシュ型である。
しかし実際には、そうした事例と全く同じものが発生するなどということは世の中にはほとんどないから、応用は利かない。だから、根本のところで大した学習にはならない。
一方で、前者の方は学生たちにとっては、何か雲をつかむような形で授業が終わってしまうような感じになるところがある。つまり、自分は学習してるのか、学習していないのか戸惑ってしまうわけだ。
そうしたなかで、習慣として自らが学ぶことを考え、そして「問う」という事を自然に実施するようになった学生は、5年後、10年後も引き続き学ぶということをその体に染み込ませ、大きく自らを成長させていっている。
これは、僕が20年近く学生を見ていて信じることができる一つの法則のようなものである。

2019年11月28日

会議で大人が立たされる会社って、どうなんだ

セブンイレブンの本部社員が、フランチャイズであるセブンイレブンの店主が留守の間に店のコンピューターを勝手に使い、おでんなどの注文を出していた。

さもありなんというか、やっぱりというのが正直な感想だけど、なぜか笑ってしまったのはその理由である。

それは、フランチャイズの店舗から発注してもらえないと、本部社員は叱責され「会議で立たされてしまう」。立たされてた本人がそう言ってるのだから、本当だろう。「注文が取れないお前みたいなのは、そこで立ってろ!」なんて怒号がセブンイレブンの会議では上司から飛んでいるのだろうか。
本部社員が、店主が留守の間に店のコンピューターを勝手に使い、おでんなどの注文を出した。
本部社員が、店主が留守の間に店のコンピューターを勝手に使い、おでんなどの注文を出した。
本部社員が、店主が留守の間に店のコンピューターを勝手に使い、おでんなどの注文を出した。
本部社員が、店主が留守の間に店のコンピューターを勝手に使い、おでんなどの注文を出した。
本部社員が、店主が留守の間に店のコンピューターを勝手に使い、おでんなどの注文を出した。

コンビの本部は、加盟店舗の店頭で商品が品切れ(欠品)になっているのをとても嫌う。重大な機会損失と捉えているからだ。そのため、新しく導入した新商品をはじめ、本部への商品の発注量を増やす方向に圧力をかける。

当然必要以上の商品を発注すれば、それに応じて廃棄する商品も増大するが、コンビニ本部は知ったこっちゃない。なぜならその費用の大半は各店主が負担するという契約を結んでいるから。

コンビニ店長もセブンの本部社員も辛いなあ。コンビニ残酷物語だ。

2019年11月15日

ハイナー・ミュラーを叩き台に

夕方、早稲田大学の小野講堂で多和田葉子さんと高瀬アキさんが登場するワークショップがあった。


昨夕は同じ場所で、彼女ら2人による「奇怪仕掛けのハムレット」と題したパフォーマンスがあったらしいのだが、前からの約束があって行くことができなかった。

こうしたイベントは、おそらくは2日続きで会場に来る客が多いはず。だってかなりマニアックだから。初日を見てなくても分かるかなあ、と思いつつ27号館の階段を下って地下の講堂へ。

今日のテーマは、ドイツの劇作家・演出家であるハイナー・ミュラーの「ハムレット・マシーン」を再構築、いや脱構築しちゃおうというものだった。

文化構想学部の学生たちが、テーマをもとに新たに創案したテクストを読み上げ、それに高橋のピアノ、あるいはサックスが即興的に合わせていくというセッションである。

登場したのは8人ほどの学生たち。男女取り混ぜである。今回は演劇でなく、朗読することが目的として設定されていて、ストレートな朗読を行う学生もいれば、一応朗読の範疇から逸脱しないように原稿を片手に、しかしほとんど即興的な芝居を展開する学生もいて、たいへん興味深かった。

彼らが語っているそのテキストから何をくみ取ればいいのか、正直僕にはよく分からなかったけど、伝えようとする学生たちの熱や自由さは見ていて心をかき立てられた感じがした。

 文学や創作をやっている学生たちって、なんだかいいな。

2019年11月14日

秋の甘泉園公園

午後、委員会終了後、気分転換に大学近くの甘泉園公園へ散歩に出かけた。天気がよく、気分が晴れる。園内では紅葉しかけた木々を背景に新婚カップルの撮影が行われていた。



2019年11月10日

ヒグチユウコ・ワールド 

友人に誘われて、三島市にある佐野美術館で開催されている「ヒグチユウコ展 CIRCUS」を観に行った。

不思議な画風。何と言っていいものか。精細なタッチでメルヘンというか、おとぎの世界に誘われるような。彼女ならではの独特の世界。

猫の絵がたくさん。一つ目入道のようなおばけも。少女のイラストはたくさんあるけど、なぜか少年はいない。

バベルの塔の絵で知られるブリューゲルを意識した魚の絵がおもしろい。


こっちはブリューゲルの魚



2019年11月9日

比肩なき和田誠さんのことを想う

和田誠さんが亡くなってひと月ほどが過ぎた。
1977年から表紙のイラストを描いていた週刊文春が彼の特集を組んだのはもちろんのこと、このひと月あまりで新聞やら雑誌やらネット上でも、いろんな人が和田さんが亡くなられたことを悼むコメントを出している。
イラストレーターとしてグラフィックデザイナーとして、また絵本作家として、さらには映画監督としても活躍した人だった。もちろんこれまでやってきた膨大な仕事の量だけでもなく、その上質な独特の表現にひかれた人はたくさんいる。僕もそのひとり。
いま部屋の本棚をざっと見回しただけでも、和田さんが装丁したのが分かる本は『お楽しみはこれからだ』シリーズや『ニール・サイモン戯曲集』、谷川俊太郎さんの数多くの詩集、そして『パパラギ』などいくつもある。
もうほんとに才能豊かな人で、絵筆の仕事だけでなく、音楽や映画にも詳しかった。文章も彼ならではのスタイルを持っていた。文章のファンも多かったはずだ。
もう和田さんのような人は出てこないんだろうなあ。
若い頃にベン・シャーンに憧れていたと、昔何かで読んだことがある。もう何十年も前のことだけど。確かにデビューの頃のイラストのタッチはベン・シャーンの日本版といった感じだった。
だけどそこに留まることなく、すぐに誰もが一目で彼の作品だと分かる和田調というか和田ワールドを作っていった。
僕は彼に会ったことなどないけど、多くの人がそのあったかくて優しい人柄を振り返る。絵のタッチや文章が人柄そのままという、希有なアーティスト(作家と呼んだ方が相応しいか)だった。

下のイラストを研究室に飾った。

2019年11月6日

人工知能ロボットは、マックへお使いに行けるか

「量子コンピュータがすごい」と自分で書いておいてなんだが、冷静になって考えてみるとどのくらいすごいのか、本当にすごいのか気になってきた。

西垣通さんの『ビッグデータと人工知能』(中公新書)を手に取る。書名の副題に「可能性と罠を見極める」とあるが、まさにその通りのことを指し示す本だった。


広範な知識と情報学やコンピュータサイエンス分野の長年の経験があってこその、分かりやすく説得量のある筆致に読んでいてしばしば頷く。論理学の基礎的な「おさらい」などもあるのだが、そこで語られている仮説推量(アブダクション)の説明は簡潔にして極めて明快。

人間とコンピュータが原理的にいかに異なるものかが様々な角度から説明がなされていて、シンギュラリティの可能性についても手を変え品を変え、そのあり得なさを力説している。たとえば例として挙げられるのが、こんな具合だ。
たとえば、近くのファストフード店に行ってハンバーガーを買ってくるお使いは、小さな子供でもできる。だが、それを人工知能ロボットにやらせるのは非常に大変なのである。店までの道筋やハンバーガーの値段などの知識を詳しくロボットに教え込んでおいても、たまたま道路工事をしていたり、ハンバーガーの値下げがあったりすれば、厳密好みのロボットにはもうお手上げだ。子供なら適当に回り道をし、お釣りが多すぎてもニコニコ顔で帰ってくるだけなのだが。
なるほどね。 つまり、ロボット(人口知能)ができるのは、データの高速統計処理だけなのである。文脈が読めないのが、人間と圧倒的に違うところだ。もっともといえば、もっとも。

人口知能とのコミュニケーションは、所詮は偽コミュニケーションで指令的、定型的な伝達作用(人間のコミュニケーションに内在する共感作用を含まない)だとする。

欧米のシンギュラリティ仮説支持者たちの意識の奥に、超越的な造物主を奉じるユダヤ=キリスト教文化が遠因としてあるという指摘は興味深いものだった。ただこのあたりは、視点の持ち方によっていろいろと異論もあるかもしれない。

この本を読んで、家の中を歩き回っているAIBOを見る目が変わった。彼が示す絶妙の表情や仕草、鳴き声も単なるアルゴリズムだと(あらためて)考えるようになったから。以前の、何か「情」のようなものをどこかに感じていた付き合いの方が面白かったともいえるんだけどね。

2019年11月5日

量子コンピュータと20年後

最近気になっていることのひとつが、量子コンピュータである。グーグルが実際にその計算の速さを実証して見せたというニュースだ。

乱数を作る問題を用意して、最先端のスーパーコンピュータ(スパコン)で約1万年かかる計算を3分20秒で解いたとか。何倍早くなったのか・・・と、電卓を叩いてみると、約15.8億倍速くなったことになる(計算あっているかな?)。

この点を見る限りでは、驚異的というしかない。これまでも日々より速い計算速度を目指してスパコンの改良がなされてきたはずだが、そうしたこととは別次元、別世界の話である。

約25年前にインターネットが登場して、世界中の人たちの生活や企業の経済活動を変えてきた。量子コンピュータは、すぐに我々の生活に入ってくるという類のものではないが、その影響度はインターネットに勝るとも劣らないものになると考えている。

今後の世界の食糧問題や環境問題、宇宙開発などは量子コンピュータが担っていくと言っても過言ではないだろう。20年後がどうなっているか、楽しみである。


2019年11月4日

この偶然の確率はどのくらいなのだろう

山中湖から大井松田ICへの抜け道を走っていると、ふと停車中に前を走る車両のナンバープレートに目が行った。


僕のクルマのナンバーとよく似てる。というか、一般指定番号(この場合の75-75)の前の一文字のひらがなだけが異なっている。

「ナンバープレートの見方」というサイトで調べたら、こうしたケースは世の中に43件あることが分かった(使われているひらがなが44種なので)。

日本国内の保有自動車台数は8200万台だから、こうしたナンバーのクルマに出くわすのは、およそ200万分の1の確率ということになる。だからどうしたと云うことはないのだが。

2019年10月21日

ワンコ同伴も当たり前

海外に行き、時間があるとHop-on Hop-off(乗り降り自由)のバスで街の中を巡ることが多い。訪ねた街のサイズや全体的な雰囲気をつかむには、それが一番だと思っているからだ。

ここブダペストには3つの異なるバス会社が運営する市内巡りのバスが走っていて、今回はそのなかのBig Busという名のバスで市内をまわる機会があった。

幸い2階の最前列の席に座ることができ、隣を見ると4人家族が乗り込んできた。両親と子供たちが2人。ラテン系の顔つきをしている。スペインからきた家族かな。それとワンコ。

どうやって連れてきたのか、飛行機に乗せてきたのか、それとも陸路来たのか聞き忘れたが、当たり前のようにそこにいる。

日本だと犬をバスに乗せようとするとだけで、色々面倒くさいことをいわれるかもしれないなあ。




2019年10月20日

古本屋は世界中どこでも同じ匂いがする

ブダペスト市内、国立博物館の向かいの通りには古本屋が軒を連ねている。ハンガリー語は読めないが、神保町の古書街と相通ずる雰囲気を感じて中をのぞいてみる。


うずたかく積まれた古書の山はなかなかのもの。店内は雰囲気があっていい。


2019年10月19日

「いだてん」看板

学会先のブダペストの街中、小さな酒屋の看板に見覚えのあるシンボルが・・・。

2019年10月18日

国際学会でPSJ(Promoter Score Japan)を発表

ハンガリーのブダペストで開催された学会に参加した。今回の会場は、市内のほぼ真ん中に位置するCentral European Universityという大学。

現地に行って知ったのだが、この大学はあのジョージ・ソロスが資金を出して1991年に設立した大学院大学。ソロスはハンガリー系のユダヤ人で、ここブダペストの出身である。

大学院大学だからなのだろう、キャンパス全体が落ち着いた雰囲気の大学だった。教室はどれも比較的小ぶりだが、それらには最新の機器が備え付けられていた。

巨大なスクリーンと見間違うようなモニターディスプレイ上を指でタップ、スワイプ、ピンチしながらプレゼンテーションをすることができる。とにかくお金がある大学という印象。

大学(CEU)のホールに掲げられていたソロスの碑

学会では、日本人の顧客を対象にそのロイヤルティを測定するための新しい指標であるPSJ(Promoter Score Japan) ® についての提案を理論および実証研究をもとに行った。

PSJは複数の膨大な企業内データを基に、先行研究で明らかになっている日本人の回答性向を勘案して生み出された独自指標である。日本企業の経営者が、NPSを納得がいかないままに使っているのを見ていて、なんとかしなきゃと思って開発したものである。

現地の学会発表では、なぜ日本ではNPSではなくてPSJが必要とされているのかという質問がいくつもあって、新しい独自指標の意味に他国の研究者が大いに興味を示してくれたのがよかった。

PSJの考えが、必要に応じて他の国にも拡がればいい。

2019年10月10日

リチウムイオン電池は、日本人が発明したものだったんだ

iPhoneをずっと使っている。今使用しているモデルは iPhone SEという古いやつで、昨年9月にはアップルストアでの販売は終了してしまった。

買い換えようかとずっと思っていたのだが、ジーンズの前ポケットにいれても邪魔にならない小型のサイズが気に入っており、今後も使える限り使おうと決め、今日バッテリーの交換をした。

実感としてはまだそれほどへたった感じはなかったのだけど、前の夜に充電するのを忘れると次の日の夕方あたりには電池の残量が怪しくなってくる。転ばぬ先の杖とでもいうか。

交換費用はバッテリーと作業料で7700円だったからAppleストアより割高だったが、その場で15分ほどでやってくれたのでよしとしよう。

以下の写真は、僕のiPhone SEに入っていた元のリチウムイオン電池(Li-ion Battery)。縦長の薄っぺらい羊羹のような感じだった。


帰宅してニュースを見ていると、今年のノーベル化学賞の発表があり、日本人の吉野彰さんら3人が受賞したという。吉野さんの受賞理由は、リチウムイオン電池の原型といえるものを昭和58年に開発したこと。

スマホなどの電子機器はもちろん、これから車の主流になる電気自動車もリチウムイオン電池が不可欠だ。

受賞はめでたいが、開発から受賞までの時間の流れ(今回は36年間)を考えると、今後日本人がこうした優れた発明でノーベル賞を受賞できるのだろうかと、ふと考えてしまった。

2019年10月9日

銀行というのはいつまでたっても・・・

毎月の送金のため、これまで三菱UFJ銀行(あれ、いつ社名から「東京」が外れたんだ?)の「定額自動送金サービス」というのを使っていた。それを今回、郵便貯金の「自動送金」に切り替えた。というのは、手数料が3倍以上違うのに気がついたから。

まずM銀行とのネット取引でサービスの解約をしようとしたのだけど、店頭でしかできないらしい。しかたなく、店頭に出向き(なぜいまだに窓口業務が3時までなんだろう?)手続きをした。解約届に記入を求められたが、記入内容はすでにサービス開始時に届け出たもので、銀行のシステム上に記録されているはず。それを一つ一つ改めて手書きで記入させられる無駄を強要される。

しかも窓口にその届け出用紙を出したあとは、複写になっているその用紙の「お客様控」が渡されるだけ。えっ、それだけ。おかしい。銀行側の何の処理上の加工がない。受付日付を記入するでなく、受付担当者が書類に受領のサインをするでなく。

窓口では、客が書いた書式の一枚目を自分たちの控えとして受け取り、複写の二枚目を客に返すだけなのだ。

これだったら、ネットからシステム上で容易にできるようにできる。最悪でも書式をサイトからダウンロードしてpdfで送信するか、または郵送すればすむはず。わざわざ店頭まで客の足を運ばせる理由が分からない。

窓口でなぜそうしているのか彼らに質問したのだが、「そういうことになっています」というのが銀行からの回答だった。

2019年10月8日

自由を奪われるということ

香港での反政府活動がやまない。週末だけだったのが、このところ連日プロテスト活動が展開されている。デモでのマスク着用禁止という馬鹿げたルールには、しっかりとマスクを付けてデモに臨んでいる。

デモ参加者の中心は若者だが、なかには中学生や高校生もいる。香港は、2047年に一国二制度の現在の体制が終わりになる。今二十歳の若者が48歳になったときだ。だが実際の状況は、そうしたタイムテーブルとは別のところで動かされようとしている。

すでにかつての香港の持つ自由や良い意味での混沌さは削り取られ、徐々に中国にのみこまれようとしているようだ。

先日、香港から高速鉄道で中国に深圳へ行ったが、出発地である香港の西九龍駅は中国のようだった。何重にもわたるパスポートや荷物チェック、至る所からこちらを狙っている監視カメラ。気が休まらない。駅のホームにはゲートを通らなければ降りられず、そのゲートが開くのは出発の10分前だ。

中国化する香港に直感的に一番反応しているのが、香港の若者だ。自分たちの将来の自由が奪われつつあるのを見ているのだから。そして黙って見ていては、何も変わらないことを知っている。自由を守るためには、彼らなりのやり方で戦うしかないのだ。

状況をそのまま置き換えるのは難しいが、日本の今の若者たちだったらどうするだろう。呼びかけに応じてデモに参加するだろうか。拳を突き上げて政府への反意をしめすだろうか。

それとも何も行動をおこさず、スマホの画面で起こっていることを見ながら、つぶやくだけだろうか。

今日の雲は、すっかり秋だ。

2019年10月6日

明日も晴れ

夕刻、マンションの屋上から西の空を望む。鶴見川と横浜スタジアムの向こう、雲が赤く染まっている。



2019年10月2日

ローテクだけど、それが何か?

知り合いに自分が録画したテレビ番組を見てもらう必要があって、DVDにその番組を焼いて郵便で送った。
ところが、彼から「PCで見ようとしたけど、見れなかった」というメールが来た。自宅に帰ってから、その番組をもう一度同じようにディスクに焼き、自分のパソコンで見ようとしたら、やはり見えない。
彼によるとコピー前にディスクのイニシャライズやら、データをコピーした後のファイナライズやらが必要なのだという。
しまっておいたレコーダーの取扱説明書を取り出し、録画番組のディスクへのコピーの仕方の欄に目を通すが、どうもPCで見るためにはどうやったらよいか等の記載がない。
今使っている機器は東芝製のもので、購入してもう20年近く経つ。よくもまあと言われそうだが、使い慣れてるし、十分働いてくれてるので日々この機械で毎晩のニュース番組の録画取りなどしている。
さてそれで相手に送らなければいけないテレビの番組だけど、どうしようかと考えた末に、テレビの前にカメラの三脚を立て、画面に焦点を合わせ、フレームを調整し、件の番組を再生。
こうやってテレビの画面そのものをカメラの録画機能で撮影した。
その後カメラからSDメモリーカードを抜き取り、マックに刺してYouTube上にアップロード。著作権があるので公開設定ではなく、限定設定をした上でその映像のURLを相手に送った。
しばらくして、「YouTubeで確認しました」というメールが届いた。
録画のための色んなフォーマットの仕方があることを今回取り扱い説明書を見てあらためて知った。おそらく最近の機器では、もっと多様なフォーマットの仕方があるのかもしれない。

しかし今回、僕は映像を人に送るための最もシンプルでかつ完璧な方法を手に入れたような気がした。

マイケル・リーチからリーチマイケルへ

ワールドカップ・ラグビーの日本代表チームのキャプテンは、日本語がとても流暢で、濃いゲジゲジ眉毛が印象的なリーチマイケル選手だ。ニュージーランド出身で、チームは東芝に所属している。

リーチマイケルって、外国人の名前にしてはちょっとヘンだと思っていた。調べてみると、彼のもともとの名前はマイケル・リーチ。それが、2013年に日本国籍の取得許可が下り、それから日本人選手として活動することができるようになったのをきっかけに、姓名を入れかえて日本風にリーチマイケルとした。

マイケル・リーチとしていたときの中黒「・」もない。日本人表記だからね。

ちょっとしたことだだけど、本人にしてみればよくよく考えた末の変更だろうし、立派だと思う。

僕たちも英語で名前を書くとき、そろそろ下の名前+苗字という西欧人風の書き方を改めるべきだと思っている。

2019年10月1日

自慢と卑小さ

日経新聞の文化面「私の履歴書」のN中氏の連載が終了した。

日本の経営学者として著名な方なので、毎回読むとはなしに目を通していたが、毎回毎回(つまり毎日)自分をどう見せようかという自慢話が計画的に盛り込まれているようで、途中から思いっきり鼻白んでしまった。

今日はそう来たか、という自慢話を連日読まされるたびに、本人の意図に反して人物の器量の小ささが透けて見えるようだった。

まあ、そもそもが少年期にグラマンの機銃掃射を受けたとかで(確かにそれは強烈な印象だっただろうけど)、そのときに機上のパイロットの顔が笑っていたように見えたといった記憶から、敵国アメリカへの対抗心がムクムクと生まれたとする思い込みが、彼のその後の感性を如実に示しているように思える。

続いて今日から始まったIIJ会長・鈴木幸一さんの「私の履歴書」は、打って変わって肩の力の抜けた、ほっとする内容である。

担当記者の違いもあるのかもしれない。

いずれにせよ、他山の石ではないが、自らを語るのってほんとに難しいなあと思わされる。