夜7時から40丁目にあるニューヨーク市立図書館の分館で映画の上映会があったので出かけた。作品はヴェルナー・ヘルツォークの「Stroszek」。2月末から週1回のペースでヘルツォークの作品を上映している。今日は5回目で、初回には「アギーレ 神の怒り」を上映したらしい。
参加者は、およそ25名ほどだった。学生らしい男女から中高年まで、さまざまである。ちょっと驚いたのは、フィルム(DVD)の上映前に、世話役らしい30歳くらいの男性(図書館の映像部門で働いているスタッフか、近くにあるNYUで映画を専攻している大学院生のような感じ)が簡単な説明をしてくれたこと。そして、上映後は、彼を中心にディスカッションがなされたこと。
彼の質問に呼応して、会場の人たちが自由に意見を述べる。とんちんかんな発言もあるが、感心させられる見事な意見もある。とにかく途切れることなく、次々と意見が出るのにびっくり。そして、15分ほどのそうしたセッションの後お開きとなり、「グッドナイト」とそれぞれの帰途へ向かう。なかなか気持ちがいい。早稲田の学生より、よっぽど活発である。
日本の大学の授業での質問(発言)の少なさを思い起こした。授業の終わりに質問の時間を設けるが、あまり質問や意見が出ない。意見がないわけではなく、みんなの前で言いたくないのだ。質問についても同様だ。書いて提出させると、それぞれ出てくる。また、授業が終わってから、個別に質問をしに教卓に寄ってくる学生がいる。内容は一般的な質問である。授業中に発言するように何度言っても変わらない。
みんなの前で意見を述べたり質問をするのは、彼らにとってそれほどカッコ悪いのだろうか。
2012年3月29日
2012年3月25日
自転車のブレーキが逆?
一昨日ハドソン川沿いを散歩した際、気持ちよさそうに歩行者を抜いていく自転車に目を奪われ、その帰り、ほとんど衝動的に自転車を購入した。組み立てを自転車のおじさんに頼み、昨日受け取りに行った。ヘルメットなどの荷物を下げていたので、自転車はアパートまで押して帰った。
今日、天気がいいので初乗りに出かけた。「ん?なんか変だぞ・・・」。左のブレーキレバーを握ると前輪にブレーキがかかる。右のレバーは、後輪だ。ブレーキ・ケーブルが逆に接続されている。「自転車屋のおじさん、何やってんだ」と独りごちながらも、そのままリバーサイドパーク沿いの自転車道をマンハッタンの南端まで走った。
途中、ワールド・トレード・センター跡地に建設中のビルが見えた。One World Trade Center という名のビルだ。
しかし、自転車屋がブレーキの接続を間違えるだろうかと思い、止めてある自転車を何台か観察したところ、どれも右レバーが後輪ブレーキに繋がっているではないか。つまり、米国ではこれが標準らしい。自転車屋のおじさんが僕の自転車の組み立てを間違えたのではなかったわけだ。これって、右側通行と関係があるのかもしれない。
このまま米国式に慣れるようにするか、それとも長年乗り慣れた日本式にケーブルをつなぎ直すか・・・。
今日、天気がいいので初乗りに出かけた。「ん?なんか変だぞ・・・」。左のブレーキレバーを握ると前輪にブレーキがかかる。右のレバーは、後輪だ。ブレーキ・ケーブルが逆に接続されている。「自転車屋のおじさん、何やってんだ」と独りごちながらも、そのままリバーサイドパーク沿いの自転車道をマンハッタンの南端まで走った。
途中、ワールド・トレード・センター跡地に建設中のビルが見えた。One World Trade Center という名のビルだ。
しかし、自転車屋がブレーキの接続を間違えるだろうかと思い、止めてある自転車を何台か観察したところ、どれも右レバーが後輪ブレーキに繋がっているではないか。つまり、米国ではこれが標準らしい。自転車屋のおじさんが僕の自転車の組み立てを間違えたのではなかったわけだ。これって、右側通行と関係があるのかもしれない。
このまま米国式に慣れるようにするか、それとも長年乗り慣れた日本式にケーブルをつなぎ直すか・・・。
2012年3月22日
2012年3月21日
2012年3月20日
ジーザス・クライスト・スーパースター
3月1日からニール・サイモン劇場で「ジーザス・クライスト・スーパースター」がリバイバル公演されている。テレビでスポットCMを流していることもあってか、入りは上々だ。
今日の公演は夜8時から。席は前から3列目で、役者たちのつばきが舞台から飛んできそうな距離だった。
ブロードウェイやロンドンで何度も再演されてきた作品だが、僕は舞台はこれまで観たことはない。1973年公開のノーマン・ジュイソン監督の映画「ジーザス・クライスト・スーパースター」は、かつて繰り返し観た。だから個人的にはその影響が強い。イエスと云えばテッド・ニーリーで、ユダはカール・アンダーソン、マリアはイヴォンヌ・エリマンである。
ストーリーは、聖書をもとにキリストの最後の7日間を描いていて、その斬新な解釈で最初の公開の時から敬虔なクリスチャンやキリスト教原理主義者から「神に対する冒瀆」と痛烈な批判を浴びてきた。ブロードウェイで今回再演が行われたのも、ブッシュ政権の影響を気にしなくてよくなったからかもしれない。
初演から40年たっているというのに、アンドリュー・ロイド・ウェーバーの音楽はいまも圧倒的である。舞台に70年代の残滓を感じたのは、ノスタルジーか。
今日の公演は夜8時から。席は前から3列目で、役者たちのつばきが舞台から飛んできそうな距離だった。
ブロードウェイやロンドンで何度も再演されてきた作品だが、僕は舞台はこれまで観たことはない。1973年公開のノーマン・ジュイソン監督の映画「ジーザス・クライスト・スーパースター」は、かつて繰り返し観た。だから個人的にはその影響が強い。イエスと云えばテッド・ニーリーで、ユダはカール・アンダーソン、マリアはイヴォンヌ・エリマンである。
ストーリーは、聖書をもとにキリストの最後の7日間を描いていて、その斬新な解釈で最初の公開の時から敬虔なクリスチャンやキリスト教原理主義者から「神に対する冒瀆」と痛烈な批判を浴びてきた。ブロードウェイで今回再演が行われたのも、ブッシュ政権の影響を気にしなくてよくなったからかもしれない。
初演から40年たっているというのに、アンドリュー・ロイド・ウェーバーの音楽はいまも圧倒的である。舞台に70年代の残滓を感じたのは、ノスタルジーか。
2012年3月19日
セントパトリックスデー
昨日はセント・パトリックス・デー(St. Patrick's Day)だった。5番街の44丁目から79丁目までを使っての大パレードが行われていた。パレードに参加するのは、アイリッシュ系であろうがなかろうが、街中のみんながお祭り気分である。
この日は、街中がアイルランド共和国のナショナルカラーである緑色に染まる。アイリッシュ系の文化と宗教観がアメリカでしっかり継承され根付いているのを痛感する。
街角のあちこちに警官が動員されていたが特に騒ぎもなく、賑やかな歓声が夕方まで続いていた。
この日は、街中がアイルランド共和国のナショナルカラーである緑色に染まる。アイリッシュ系の文化と宗教観がアメリカでしっかり継承され根付いているのを痛感する。
街角のあちこちに警官が動員されていたが特に騒ぎもなく、賑やかな歓声が夕方まで続いていた。
2012年3月16日
日本人について、少し考えた
午後、この5月にコロンビア大学のビジネススクールを修了する予定のK藤君とお茶をする。2年間で11万ドルという授業料のことやら何やら、ビジネススクールのこと、そしてこちらでの生活について話を聞かせてもらう。
いまコロンビアビジネススクールには日本人が少ない。2年生が5人、1年生が2人である。人口で云えば日本の4割程度の韓国からの留学生は30人ほど、中国からも同じくらいの数の留学生がいるらしい。台湾からも結構な数の留学生が来ている。実際、別の機会に大学のスタッフからも日本人が減少している現状を懸念しているという話を聞いた。
円が対ドルで少し安くなってきたとはいえ、まだ80円台そこそこである。中長期のトレンドのなかでは間違いなく円高だ。日本人が外国(特に米国)に行って勉強するのに、またとない機会だと思うのだが。
先のK藤君、最初は英語で苦労したらしいけど、いまは英語でのディスカッションもこなし、MBA修了後はグローバルな環境で仕事をしたいと熱く語っていた。
いろんなところで語られているが、確かに日本の若者は外国に出なくなってしまったと痛感する。自分にとっての心地よい空間から離れるのが怖いのか。しかし、実際は案ずるより産むが易しなのである。特に若けりゃ、基本的な能力と折れない意欲があれば、たいていの道は切り開いて行けるはずだ。
個人的にはいろんな課題を抱えながらも、将来の自分と日本のあるべき姿を見据えながら厳しい勉強を続けている彼のような日本人がもっと増えてくれるといい、と思いながらキャンパスで分かれた。
いまコロンビアビジネススクールには日本人が少ない。2年生が5人、1年生が2人である。人口で云えば日本の4割程度の韓国からの留学生は30人ほど、中国からも同じくらいの数の留学生がいるらしい。台湾からも結構な数の留学生が来ている。実際、別の機会に大学のスタッフからも日本人が減少している現状を懸念しているという話を聞いた。
円が対ドルで少し安くなってきたとはいえ、まだ80円台そこそこである。中長期のトレンドのなかでは間違いなく円高だ。日本人が外国(特に米国)に行って勉強するのに、またとない機会だと思うのだが。
先のK藤君、最初は英語で苦労したらしいけど、いまは英語でのディスカッションもこなし、MBA修了後はグローバルな環境で仕事をしたいと熱く語っていた。
いろんなところで語られているが、確かに日本の若者は外国に出なくなってしまったと痛感する。自分にとっての心地よい空間から離れるのが怖いのか。しかし、実際は案ずるより産むが易しなのである。特に若けりゃ、基本的な能力と折れない意欲があれば、たいていの道は切り開いて行けるはずだ。
個人的にはいろんな課題を抱えながらも、将来の自分と日本のあるべき姿を見据えながら厳しい勉強を続けている彼のような日本人がもっと増えてくれるといい、と思いながらキャンパスで分かれた。
2012年3月15日
サービス品質についての実感
ニューヨークで生活を始めたばかりだ。日々の些細な事ではあるが、いろんな経験をしていてその都度考えることが多い。
昨日まで僕の部屋にはヤカンがなかったので、中華鍋でお湯を沸かしてお茶を飲んでいた。illyのコーヒー豆とメリタのペーパーフィルタは近くの食料品店で買って来ているものの、フィルターサーバー(こちらではコーンと呼ぶ)は随分探したがどこの店にも売っていない(不思議)。
そこで、そのコーンも含め、大手の生活日用雑貨店のサイトで買いそろえることにした。Bed, Bath & Beyond という品揃えのよい店である。食器のセットとヤカン、ヘアドライヤーなどを注文する。代金は68ドルほど。配送料はExpedited shipping(急送)を選択したので26ドル! それでも実際に届くまで5日もかかった。
ところが、一緒に注文したはずのヘアドライヤーが届いた箱に入っていない。ネットでカスタマーサービスの連絡先を探して電話し、彼女が倉庫の在庫を確認する間ずっと電話口で待たされ、週末までには別の商品が届くはずだから待っててねと言われて「分かった。それまで頭洗わずに待ってるからね!」と言って電話を切る(こちらの配送業者の仕事ぶりは経験済みで、週末に届かないことはもう直感的に分かるのでなかば諦めている)。
日本のヤマト運輸や佐川急便のサービス品質のすばらしさを痛感する。どちらも間違いなく世界一だ。
日本では数年前から、サービス生産性の向上が経済産業省によって唱えられている。製造業に比べてサービス業の生産性が低いのを問題とし、解決すべきだという考えである。ある種の統計データを眺めれば、残念ながらサービスセクターの生産性は低い。だが、だからいって単純に製造業と比べて「劣っている」というふうに考えていいものだろうか。
サービスサイエンスを唱えている研究者らしき人たちがいて、彼らはサービスの現場を効率化するためにそこに製造業のシステム、ノウハウを導入すべきと主張する。例えば、日本旅館で仲居さんやスタッフが板場から宴会場へお膳を運んでいたのを、レール上を動く機械に載せて自働で運ぼうといった発想だ。それはそれでいい。ものを決まったある場所から別の場所に運ぶのは機械で構わない。だが、そうした工夫を「サービスサイエンス」と呼ぶのは大げさだろう。
アメリカでは、サービスに対しての対価が高い。タクシーに乗ってもレストランで食事してもチップを払う。当然ながら、これはメニューには載っていない。結局、結構どこでも金を払うことになる。
ケーブル会社にテレビと電話の開通を頼んだ時は、部屋に埋め込まれている同軸端子に業者が持って来たチューナーをケーブルでつなくだけ、そして壁の電話端子に前もってこちらが用意しておいた電話機をつなぎケーブル会社の電話センターにつながるかどうかの確認の電話を一本入れただけで、それぞれ機器設置代と電話開通料が後日請求書に載って届いた。 両方で45ドル+税金である。
家具の配送を頼んだ時は、基本の配送料が270ドル。さらに土曜日だということで週末の追加料金が別に200ドルかかった。それにチップだ。日本はなんて安くて、早くて、正確で、しかも全体的なサービス品質が高いことか。
「サービス」というものをどう定義するかで、その意味と経済性の評価は異なってくる。それらをしっかり考えずに、表面的な数値の比較で日本のサービスは生産性が低いからダメだと決めつけるのはいかがなものか。国ごとのサービスの中身と、それらの受け手の期待品質をもっと多角的に分析する必要がある。
昨日まで僕の部屋にはヤカンがなかったので、中華鍋でお湯を沸かしてお茶を飲んでいた。illyのコーヒー豆とメリタのペーパーフィルタは近くの食料品店で買って来ているものの、フィルターサーバー(こちらではコーンと呼ぶ)は随分探したがどこの店にも売っていない(不思議)。
そこで、そのコーンも含め、大手の生活日用雑貨店のサイトで買いそろえることにした。Bed, Bath & Beyond という品揃えのよい店である。食器のセットとヤカン、ヘアドライヤーなどを注文する。代金は68ドルほど。配送料はExpedited shipping(急送)を選択したので26ドル! それでも実際に届くまで5日もかかった。
ところが、一緒に注文したはずのヘアドライヤーが届いた箱に入っていない。ネットでカスタマーサービスの連絡先を探して電話し、彼女が倉庫の在庫を確認する間ずっと電話口で待たされ、週末までには別の商品が届くはずだから待っててねと言われて「分かった。それまで頭洗わずに待ってるからね!」と言って電話を切る(こちらの配送業者の仕事ぶりは経験済みで、週末に届かないことはもう直感的に分かるのでなかば諦めている)。
日本のヤマト運輸や佐川急便のサービス品質のすばらしさを痛感する。どちらも間違いなく世界一だ。
日本では数年前から、サービス生産性の向上が経済産業省によって唱えられている。製造業に比べてサービス業の生産性が低いのを問題とし、解決すべきだという考えである。ある種の統計データを眺めれば、残念ながらサービスセクターの生産性は低い。だが、だからいって単純に製造業と比べて「劣っている」というふうに考えていいものだろうか。
サービスサイエンスを唱えている研究者らしき人たちがいて、彼らはサービスの現場を効率化するためにそこに製造業のシステム、ノウハウを導入すべきと主張する。例えば、日本旅館で仲居さんやスタッフが板場から宴会場へお膳を運んでいたのを、レール上を動く機械に載せて自働で運ぼうといった発想だ。それはそれでいい。ものを決まったある場所から別の場所に運ぶのは機械で構わない。だが、そうした工夫を「サービスサイエンス」と呼ぶのは大げさだろう。
アメリカでは、サービスに対しての対価が高い。タクシーに乗ってもレストランで食事してもチップを払う。当然ながら、これはメニューには載っていない。結局、結構どこでも金を払うことになる。
ケーブル会社にテレビと電話の開通を頼んだ時は、部屋に埋め込まれている同軸端子に業者が持って来たチューナーをケーブルでつなくだけ、そして壁の電話端子に前もってこちらが用意しておいた電話機をつなぎケーブル会社の電話センターにつながるかどうかの確認の電話を一本入れただけで、それぞれ機器設置代と電話開通料が後日請求書に載って届いた。 両方で45ドル+税金である。
家具の配送を頼んだ時は、基本の配送料が270ドル。さらに土曜日だということで週末の追加料金が別に200ドルかかった。それにチップだ。日本はなんて安くて、早くて、正確で、しかも全体的なサービス品質が高いことか。
「サービス」というものをどう定義するかで、その意味と経済性の評価は異なってくる。それらをしっかり考えずに、表面的な数値の比較で日本のサービスは生産性が低いからダメだと決めつけるのはいかがなものか。国ごとのサービスの中身と、それらの受け手の期待品質をもっと多角的に分析する必要がある。
2012年3月14日
Spring holidays
今週の月曜日から金曜日までは、Spring Holidays でビジネススクールは休みである。前週がFirst Final Exam の期間だったので、学生たちにはつかの間の休息期間だ。
大学はその分静かで、図書室でもゆったりスペースをとって調べものなどできるのがありがたい。ただこの間、17時になったら早々と追い出されてしまう。
大学はその分静かで、図書室でもゆったりスペースをとって調べものなどできるのがありがたい。ただこの間、17時になったら早々と追い出されてしまう。
メートル法とヤード・ポンド法
2週間前に来た時はコートが手放せなかったのに、今のNYは夏のような気候である。そこで、ショートパンツを買いにデパートに出かけた。
こちらは、寸法はインチ表示だ。日本でもジーンズはインチ表示なのでだいたいのところは分かるが、ショートパンツではウエストの位置も異なる。商品のサイズを確認するためにレジに持って行き、スタッフにセンチではいくつになるか尋ねたがそこにいた誰も分からないという。「試着しろ」と主張するだけ。
急いでいたので時間がもったいないと思ったが、仕方ないので試着室に行った。大勢が順番待ちしている。それぞれの試着室は実にゆったりしたスペースだ。日本のデパートの試着室と比べると4〜5倍の広さがある。が、その分、数が限られる。しかも、一旦自分の番がまわってきたら、後ろで待っている人の事を考えて少しでも早く次の人に譲ろうなどとはこちらの人は考えないらしい。
だから、時間がかかる。だが、待たされている人を見ても、別にいらいらしている風はない。これが当たり前なのだろう。こうしたなんでもない場面で、効率性と妙な気遣いをつねに求められている日本との違いを感じる。
ところで、試着室コーナーの入口に「試着室は、カメラを通じて同姓の監督者によりモニターされています」とあった。万引き防止のためだろうが、試着室で上の方をくまなく見回してみてもカメラらしいものは見あたらなかった。その存在が分からないような超小型のものが埋め込んであるのかもしれないが。
それはそうと「同姓の監督者によって・・・」と掲示にはあるが、試着室は男女兼用で、並んだ順に入っていく。次に入って来た客の性別を見分けて、モニター画面の前で担当者が入れ替わっているのだろうか。まさか。
おそらく実際は、カメラもなければ、男女別の監督者もいないのだろう。先の掲示さえしておけば、かなりの万引きは防げる。多少の万引きは起こるだろうが、カメラの設置費用や人件費を考えると、その方が理にかなっている。
こちらは、寸法はインチ表示だ。日本でもジーンズはインチ表示なのでだいたいのところは分かるが、ショートパンツではウエストの位置も異なる。商品のサイズを確認するためにレジに持って行き、スタッフにセンチではいくつになるか尋ねたがそこにいた誰も分からないという。「試着しろ」と主張するだけ。
急いでいたので時間がもったいないと思ったが、仕方ないので試着室に行った。大勢が順番待ちしている。それぞれの試着室は実にゆったりしたスペースだ。日本のデパートの試着室と比べると4〜5倍の広さがある。が、その分、数が限られる。しかも、一旦自分の番がまわってきたら、後ろで待っている人の事を考えて少しでも早く次の人に譲ろうなどとはこちらの人は考えないらしい。
だから、時間がかかる。だが、待たされている人を見ても、別にいらいらしている風はない。これが当たり前なのだろう。こうしたなんでもない場面で、効率性と妙な気遣いをつねに求められている日本との違いを感じる。
ところで、試着室コーナーの入口に「試着室は、カメラを通じて同姓の監督者によりモニターされています」とあった。万引き防止のためだろうが、試着室で上の方をくまなく見回してみてもカメラらしいものは見あたらなかった。その存在が分からないような超小型のものが埋め込んであるのかもしれないが。
それはそうと「同姓の監督者によって・・・」と掲示にはあるが、試着室は男女兼用で、並んだ順に入っていく。次に入って来た客の性別を見分けて、モニター画面の前で担当者が入れ替わっているのだろうか。まさか。
おそらく実際は、カメラもなければ、男女別の監督者もいないのだろう。先の掲示さえしておけば、かなりの万引きは防げる。多少の万引きは起こるだろうが、カメラの設置費用や人件費を考えると、その方が理にかなっている。
2012年3月13日
アバクロ@五番街
五番街で、低音が強調された音響と不思議な匂いを発する店の前を通りかかった。外からでは中はよく分からない。見ていると、観光客などがどんどん吸い込まれていく。Abercrombie & Fitchだった。入口近くには、上半身裸のモデル(店員?)が立っていて、客と一緒にカメラに収まっている。う〜ん。
店内はアパレルショップにしては薄暗く、その音楽や香りと相まった独特の雰囲気。アバクロらしさというか、そういう少しいかがわしいセンスのブランドなのだろうけど、そうした店内で個々の商品をどう見せるかに結構苦労している感じだ。
店内はアパレルショップにしては薄暗く、その音楽や香りと相まった独特の雰囲気。アバクロらしさというか、そういう少しいかがわしいセンスのブランドなのだろうけど、そうした店内で個々の商品をどう見せるかに結構苦労している感じだ。
2012年3月11日
夏時間、始まる
アメリカは今日の午前2時(東海岸時間)から夏時間へ移行。その時間から、時計の針を1時間進めるわけだ。
少し汗ばむような気候のなか、午後からセントラルパークへ出かけた。日曜日とあってか、多くの人で賑わっている。僕のアパートからセントラルパークへの最短距離をとると、Jacqueline Kennedy Onassis Reservoir という名が付けられた貯水池にぶつかる。
ここはニューヨーカーにとって格好のジョギングコースのようだ。ジョガーたちに混じって一周歩いてみた。約35分ほど。距離にすると2キロ半弱といったところだろうか。ジョギングには、2周ほどがちょうど良さそうだ。
公園では多くの人が、何をするわけではなく、ベンチに座り新聞を読んだり、おしゃべりをしている。犬を連れた人が多いのが、ニューヨークの特徴の一つかもしれない。
下の写真は、公園のベンチでルードヴィッヒという名の犬と一緒にただ日向ぼっこをしていたおじさん。飼い主とわんこがあまりによく似ていたので、つい一枚撮らせてもらった。
少し汗ばむような気候のなか、午後からセントラルパークへ出かけた。日曜日とあってか、多くの人で賑わっている。僕のアパートからセントラルパークへの最短距離をとると、Jacqueline Kennedy Onassis Reservoir という名が付けられた貯水池にぶつかる。
ここはニューヨーカーにとって格好のジョギングコースのようだ。ジョガーたちに混じって一周歩いてみた。約35分ほど。距離にすると2キロ半弱といったところだろうか。ジョギングには、2周ほどがちょうど良さそうだ。
公園では多くの人が、何をするわけではなく、ベンチに座り新聞を読んだり、おしゃべりをしている。犬を連れた人が多いのが、ニューヨークの特徴の一つかもしれない。
下の写真は、公園のベンチでルードヴィッヒという名の犬と一緒にただ日向ぼっこをしていたおじさん。飼い主とわんこがあまりによく似ていたので、つい一枚撮らせてもらった。
2012年3月8日
Barnes & Noble でのイベント
83rd Streetにあるバーンズ・アンド・ノーブルの3階で、アレクサンドラ・スタイロンの講演会があった。彼女が新しく出版した本「Reading My Father」の一部を読むというイベントである。彼女の父親は、ウィリアム・スタイロン。
この本は、Darkness Visible(「見える暗闇ー狂気についての回想」)に描かれているように強度の鬱病に悩まされた彼を、娘の視点から描いた作品である。
夜7時からの開催だったが、会場に学生らしい姿はほとんどなく、またビジネスマンの姿も見かけなかった。参加者のほとんどは、リタイアしている感じの年配の人たち。それでも熱心な質問が途切れることなく続いていた。
終わってから本にサインをしてもらい、彼女の父親も気に入って何度も観ていたという映画「ソフィーの選択」について少し話を交わした。
この本は、Darkness Visible(「見える暗闇ー狂気についての回想」)に描かれているように強度の鬱病に悩まされた彼を、娘の視点から描いた作品である。
夜7時からの開催だったが、会場に学生らしい姿はほとんどなく、またビジネスマンの姿も見かけなかった。参加者のほとんどは、リタイアしている感じの年配の人たち。それでも熱心な質問が途切れることなく続いていた。
終わってから本にサインをしてもらい、彼女の父親も気に入って何度も観ていたという映画「ソフィーの選択」について少し話を交わした。
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