2024年2月26日

規制以前の問題

東京都が条例でカスハラに関して規制を制定するらしい。

こうしたことが「カスハラ」の例だと紹介する、厚労省が作成したビデオがこれだ。

 
よく起こりそうな店頭でのやり取りだが、これが客による店や店員に対する迷惑行為という根拠は何だろうか。誰に対してどういう迷惑をかけていると認定できるのか。たぶん、この状態では無理だろう。

ではこれは許されるかというと、それはまた別の問題。相手を傷つけている点で、問題だと考えられる。ではどうしたらよいのか。

どうも今後は、こうした行為が東京都内で行われると条例違反ということになるらしいが、誰がどのようにそれを適用するのかがイメージできない。

それを適用してそうした客を規制や処罰の対象とするためには、その人物が誰かを特定し、その客が現場で何をどのように言ったか、何を行ったかを証明しなければならないはず。音声も含めて店内の出来事をすべて録画録音しておけというのだろうか。

ところでこのビデオで気になるのは、問題はレジ前の客だけじゃないことである。やりとりを背中で聞きながら黙ったままで手を貸そうとしない他の店員、割って入ろうとも口を挟もうとせず、後ろでただ顔を歪めているだけの他の客らも問題だ。

少なくともレジが止まり待たされているのだから、堂々と声を上げて注意すればいい。「都の条例」だとか面倒なことを振りかざしても現場での実効性はないに等しいんだから。

もっとシンプルに、一人ひとりがその場でおかしなことに対して声を上げ、そうした客を追い出せばいいだけの話である。そうした当たり前のことができないことが、残念なこの国を象徴している。

カスハラなんて奇妙な言葉を振り回し、しかも役所による規制に頼って問題を解決しようという考えが間違い。

2024年2月18日

これが国のシンボル?

ホテルのあるClarke Quayからシンガポール川沿いの遊歩道をたどって河口へ下る。日差しがとても厳しい。なぜ帽子を持って来なかったのかと後悔する。

小1時間ほどでマリーナベイに出た。突端にシンガポールのシンボルとされているあの「有名な」マーライオン像がある(写真)。高さは7〜8メートルほどだろうか。キッチュと言えばキッチュだが、造形的にも意味的にも何も面白くない。端から期待はしていなかったが、あまりの馬鹿馬鹿しさに脱力する。

観光名所か。あたりは、中国から春節に合わせてやって来た観光客で溢れかえっている。

2024年2月17日

シンガポール、チャイナタウン

シンガポール市内のチャイナタウン。路上は、旅行ケースを転がす中国人観光客がたくさん。

2024年2月16日

Coca Cola

シンガポールの街中を走っていたコカコーラ社のクルマ。車体にペイントされたコークのロゴマークがやけに歪んでいる。暑さのせいという訳ではあるまい。どうしたのだろう。

2024年2月15日

人気のない街中の公園は、きれいだが寂しい

ここ、シンガポールの街を歩いていると気がつくのは、意外と公園が多いということ。しかもどの公園もきちんと整備されている。それはとてもいいことだと思う。

ただいささか不思議なのは、そうした公園に誰も立ち入っていないことである。これが(日本も含めて)他の国だったら、芝の上に寝転んでいるひとがいるのは必至だし、犬を散歩がてら引いて歩いている周辺の住人やボール遊びに興ずる子どももいるはず。

それが、そうした人(や犬)をまったく見なかった。きっと公園の芝生に立ち入ったら、行政から罰金が科されることになっているんだろう(未確認)。 

街の中心部にあるホン・リム・パーク

2024年2月8日

学びたければ、退職すること

「退職は一番のリスキリング(学び直し)」という言葉を新聞に見つけた。なるほどそうだな、と膝を打った。

転職などで辞めていく同僚の姿を見ていたのがきっかけで2020年に退職、その後起業し経験を積み、22年にメルカリに再就職したという女性の話が載っていた。

彼女は、会社を離れていたときに多くの事を学んだ、と語っている。そして、いまは充実した気持ちで日々の仕事に打ち込んでいる。

何をやってようが毎月給料をくれる会社というありがたい場所を辞めるのは、誰だってそれなりの覚悟がいる。不安もあることだろう。だからこそ、それを押して辞めたとなれば、ぼんやりとはしていられない。自分を見つめ直しつつ、何をやるべきか高速で考えるようになる。

そこに意味ある学び直しが存在する。会社組織に身を沈めながら言われたことをやってるようでは、本当に何を学び、どう自分を高めていけばいいかなんてそう簡単に分かるものではない。それが一般的な会社ってものだ。

成長したければ、勇気を持ってリスクを取る。多少の賭けにすら出られないようなら、どうせ今いる組織の中でも大したことはできやしないんだから。

2024年2月3日

桐島聡とされる人

1月29日、自称「桐島聡」とされる人物が死亡した。70歳。1974年ごろに起こした企業爆破事件の容疑者として指名手配されていた。

彼は神奈川県鎌倉市の病院に内山洋というクールファイブのような偽名で入院していて、1月25日に病院側に「私は桐島聡だ」「最後は本名で迎えたい」と話したという。警察がそれから捜査に入って、わずか4日後になくなった。末期の胃がんを患っていたらしい。

爆破事件に関与したのは、彼がまだ20歳の学生だった頃。共犯者が海外逃亡しているために時効の適用が止まっていた。

それから逃亡生活を始め、50年である。その間、本名を誰にも明かせず、免許証や保険証、銀行口座を持たず、住民登録などもできず、裏の日常をひっそり生きてきたのだろう。

警察に出頭しようと何度も考えたに違いない。けれどそうしなかった理由は、彼にしか分からない。

ネットには「今頃になって、のこのこと出てくるな」とか「目立ちたいだけだろう」などといった言葉が流れている。本人の50年間の思いを想像したこともない他人が、一知半解な理解でものを言うべきではない。

本名を病院で明かしたのは亡くなる4日前のことになったが、その気持ちたるや察するにあまりある。日々葛藤のなかにいて、さまざまな思いのなかで生きていたはずだ。

彼が20歳の時に行ったことは明らかに犯罪である。では何がその時の彼をそうさせたのか。おそらくそれは、学生時代の人との出会いではないだろうか。もともと本人のなかにいささか歪んだ正義感のようなものがあったのだろうが、その当時の人との出会いが彼をしてこの事件に巻き込まさせ、残りの人生を決定づけたと思っている。

違う出会いがあれば、桐島はまちがいなく違う人生を歩んでいたに違いない。手配写真に写った彼の写真を見て、そう思う。

死を覚悟した彼は、50年間のあいだ封印していた本名を最後の最後に明かして、死ぬ直前にやっと表の世界へ戻ってきた。おおきな胸のつかえが取れた思いがしたことだろう。

2024年2月2日

「他者」への憎しみは、自分自身への憎しみから生じる

パレスチナの人たちを殺し、痛めつけているイスラエル首相のネタニヤフが、どうにもヒトラーに思えてきてならない。イスラエルが殺傷しているのは、あきらかに戦場のウクライナ兵だけではない。街中で、学校で、病院で、なんとか生きのびているウクライナ人の子どもが女性が多数犠牲になっている。

ジェノサイド(集団殺戮)であると世界中の人たちが批判しているにもかかわらず、その発言と行動を止めることをしないのはなぜだ。

ヒトラーは、ラウシュニング(ポーランド生まれのナチス政治家)との対話の中でこう言ったとされる。「私たちの心の中にユダヤ人がいる。しかし、目に見えない亡霊と闘うよりも身体的なかたちでのユダヤ人と闘う方がやさしい」。ヒトラーの人間性の一部が「ユダヤ人」なるものであり、それゆえに彼はユダヤ人を絶滅したかった。ユダヤ人という「他者」への憎しみは、自分自身への憎しみから生じていた。

ネタニヤフのなかにも似た感情があるように思う。長い歴史のなかでユダヤ人を痛めつけてきた数々の国や民族は、今のパレスチナ人ではない。