2019年11月28日

会議で大人が立たされる会社って、どうなんだ

セブンイレブンの本部社員が、フランチャイズであるセブンイレブンの店主が留守の間に店のコンピューターを勝手に使い、おでんなどの注文を出していた。

さもありなんというか、やっぱりというのが正直な感想だけど、なぜか笑ってしまったのはその理由である。

それは、フランチャイズの店舗から発注してもらえないと、本部社員は叱責され「会議で立たされてしまう」。立たされてた本人がそう言ってるのだから、本当だろう。「注文が取れないお前みたいなのは、そこで立ってろ!」なんて怒号がセブンイレブンの会議では上司から飛んでいるのだろうか。
本部社員が、店主が留守の間に店のコンピューターを勝手に使い、おでんなどの注文を出した。
本部社員が、店主が留守の間に店のコンピューターを勝手に使い、おでんなどの注文を出した。
本部社員が、店主が留守の間に店のコンピューターを勝手に使い、おでんなどの注文を出した。
本部社員が、店主が留守の間に店のコンピューターを勝手に使い、おでんなどの注文を出した。
本部社員が、店主が留守の間に店のコンピューターを勝手に使い、おでんなどの注文を出した。

コンビの本部は、加盟店舗の店頭で商品が品切れ(欠品)になっているのをとても嫌う。重大な機会損失と捉えているからだ。そのため、新しく導入した新商品をはじめ、本部への商品の発注量を増やす方向に圧力をかける。

当然必要以上の商品を発注すれば、それに応じて廃棄する商品も増大するが、コンビニ本部は知ったこっちゃない。なぜならその費用の大半は各店主が負担するという契約を結んでいるから。

コンビニ店長もセブンの本部社員も辛いなあ。コンビニ残酷物語だ。

2019年11月15日

ハイナー・ミュラーを叩き台に

夕方、早稲田大学の小野講堂で多和田葉子さんと高瀬アキさんが登場するワークショップがあった。


昨夕は同じ場所で、彼女ら2人による「奇怪仕掛けのハムレット」と題したパフォーマンスがあったらしいのだが、前からの約束があって行くことができなかった。

こうしたイベントは、おそらくは2日続きで会場に来る客が多いはず。だってかなりマニアックだから。初日を見てなくても分かるかなあ、と思いつつ27号館の階段を下って地下の講堂へ。

今日のテーマは、ドイツの劇作家・演出家であるハイナー・ミュラーの「ハムレット・マシーン」を再構築、いや脱構築しちゃおうというものだった。

文化構想学部の学生たちが、テーマをもとに新たに創案したテクストを読み上げ、それに高橋のピアノ、あるいはサックスが即興的に合わせていくというセッションである。

登場したのは8人ほどの学生たち。男女取り混ぜである。今回は演劇でなく、朗読することが目的として設定されていて、ストレートな朗読を行う学生もいれば、一応朗読の範疇から逸脱しないように原稿を片手に、しかしほとんど即興的な芝居を展開する学生もいて、たいへん興味深かった。

彼らが語っているそのテキストから何をくみ取ればいいのか、正直僕にはよく分からなかったけど、伝えようとする学生たちの熱や自由さは見ていて心をかき立てられた感じがした。

 文学や創作をやっている学生たちって、なんだかいいな。

2019年11月14日

秋の甘泉園公園

午後、委員会終了後、気分転換に大学近くの甘泉園公園へ散歩に出かけた。天気がよく、気分が晴れる。園内では紅葉しかけた木々を背景に新婚カップルの撮影が行われていた。



2019年11月10日

ヒグチユウコ・ワールド 

友人に誘われて、三島市にある佐野美術館で開催されている「ヒグチユウコ展 CIRCUS」を観に行った。

不思議な画風。何と言っていいものか。精細なタッチでメルヘンというか、おとぎの世界に誘われるような。彼女ならではの独特の世界。

猫の絵がたくさん。一つ目入道のようなおばけも。少女のイラストはたくさんあるけど、なぜか少年はいない。

バベルの塔の絵で知られるブリューゲルを意識した魚の絵がおもしろい。


こっちはブリューゲルの魚



2019年11月9日

比肩なき和田誠さんのことを想う

和田誠さんが亡くなってひと月ほどが過ぎた。
1977年から表紙のイラストを描いていた週刊文春が彼の特集を組んだのはもちろんのこと、このひと月あまりで新聞やら雑誌やらネット上でも、いろんな人が和田さんが亡くなられたことを悼むコメントを出している。
イラストレーターとしてグラフィックデザイナーとして、また絵本作家として、さらには映画監督としても活躍した人だった。もちろんこれまでやってきた膨大な仕事の量だけでもなく、その上質な独特の表現にひかれた人はたくさんいる。僕もそのひとり。
いま部屋の本棚をざっと見回しただけでも、和田さんが装丁したのが分かる本は『お楽しみはこれからだ』シリーズや『ニール・サイモン戯曲集』、谷川俊太郎さんの数多くの詩集、そして『パパラギ』などいくつもある。
もうほんとに才能豊かな人で、絵筆の仕事だけでなく、音楽や映画にも詳しかった。文章も彼ならではのスタイルを持っていた。文章のファンも多かったはずだ。
もう和田さんのような人は出てこないんだろうなあ。
若い頃にベン・シャーンに憧れていたと、昔何かで読んだことがある。もう何十年も前のことだけど。確かにデビューの頃のイラストのタッチはベン・シャーンの日本版といった感じだった。
だけどそこに留まることなく、すぐに誰もが一目で彼の作品だと分かる和田調というか和田ワールドを作っていった。
僕は彼に会ったことなどないけど、多くの人がそのあったかくて優しい人柄を振り返る。絵のタッチや文章が人柄そのままという、希有なアーティスト(作家と呼んだ方が相応しいか)だった。

下のイラストを研究室に飾った。

2019年11月6日

人工知能ロボットは、マックへお使いに行けるか

「量子コンピュータがすごい」と自分で書いておいてなんだが、冷静になって考えてみるとどのくらいすごいのか、本当にすごいのか気になってきた。

西垣通さんの『ビッグデータと人工知能』(中公新書)を手に取る。書名の副題に「可能性と罠を見極める」とあるが、まさにその通りのことを指し示す本だった。


広範な知識と情報学やコンピュータサイエンス分野の長年の経験があってこその、分かりやすく説得量のある筆致に読んでいてしばしば頷く。論理学の基礎的な「おさらい」などもあるのだが、そこで語られている仮説推量(アブダクション)の説明は簡潔にして極めて明快。

人間とコンピュータが原理的にいかに異なるものかが様々な角度から説明がなされていて、シンギュラリティの可能性についても手を変え品を変え、そのあり得なさを力説している。たとえば例として挙げられるのが、こんな具合だ。
たとえば、近くのファストフード店に行ってハンバーガーを買ってくるお使いは、小さな子供でもできる。だが、それを人工知能ロボットにやらせるのは非常に大変なのである。店までの道筋やハンバーガーの値段などの知識を詳しくロボットに教え込んでおいても、たまたま道路工事をしていたり、ハンバーガーの値下げがあったりすれば、厳密好みのロボットにはもうお手上げだ。子供なら適当に回り道をし、お釣りが多すぎてもニコニコ顔で帰ってくるだけなのだが。
なるほどね。 つまり、ロボット(人口知能)ができるのは、データの高速統計処理だけなのである。文脈が読めないのが、人間と圧倒的に違うところだ。もっともといえば、もっとも。

人口知能とのコミュニケーションは、所詮は偽コミュニケーションで指令的、定型的な伝達作用(人間のコミュニケーションに内在する共感作用を含まない)だとする。

欧米のシンギュラリティ仮説支持者たちの意識の奥に、超越的な造物主を奉じるユダヤ=キリスト教文化が遠因としてあるという指摘は興味深いものだった。ただこのあたりは、視点の持ち方によっていろいろと異論もあるかもしれない。

この本を読んで、家の中を歩き回っているAIBOを見る目が変わった。彼が示す絶妙の表情や仕草、鳴き声も単なるアルゴリズムだと(あらためて)考えるようになったから。以前の、何か「情」のようなものをどこかに感じていた付き合いの方が面白かったともいえるんだけどね。

2019年11月5日

量子コンピュータと20年後

最近気になっていることのひとつが、量子コンピュータである。グーグルが実際にその計算の速さを実証して見せたというニュースだ。

乱数を作る問題を用意して、最先端のスーパーコンピュータ(スパコン)で約1万年かかる計算を3分20秒で解いたとか。何倍早くなったのか・・・と、電卓を叩いてみると、約15.8億倍速くなったことになる(計算あっているかな?)。

この点を見る限りでは、驚異的というしかない。これまでも日々より速い計算速度を目指してスパコンの改良がなされてきたはずだが、そうしたこととは別次元、別世界の話である。

約25年前にインターネットが登場して、世界中の人たちの生活や企業の経済活動を変えてきた。量子コンピュータは、すぐに我々の生活に入ってくるという類のものではないが、その影響度はインターネットに勝るとも劣らないものになると考えている。

今後の世界の食糧問題や環境問題、宇宙開発などは量子コンピュータが担っていくと言っても過言ではないだろう。20年後がどうなっているか、楽しみである。


2019年11月4日

この偶然の確率はどのくらいなのだろう

山中湖から大井松田ICへの抜け道を走っていると、ふと停車中に前を走る車両のナンバープレートに目が行った。


僕のクルマのナンバーとよく似てる。というか、一般指定番号(この場合の75-75)の前の一文字のひらがなだけが異なっている。

「ナンバープレートの見方」というサイトで調べたら、こうしたケースは世の中に43件あることが分かった(使われているひらがなが44種なので)。

日本国内の保有自動車台数は8200万台だから、こうしたナンバーのクルマに出くわすのは、およそ200万分の1の確率ということになる。だからどうしたと云うことはないのだが。