2018年12月31日

落成した興福寺中金堂

昨年10月に300年ぶりに再建された興福寺中金堂。どんなものかと大晦日に訪ねてみたのだが、これがなんというか、朱塗りの鮮やかな建物は写真の通り立派なのだけど、内部は安っぽいとしか言いようがなかった。


中央の釈迦如来像は別として、コンクリートの台の上に無造作(にしか見えない)に配置された何体かの菩薩像。展示の仕方とライティングのお粗末さが相まって、キッチュな感じしかしなかったのが残念。取り合えず落成しました、といったところか。


一方、その後で訪ねた新薬師寺はさすが。小さな寺ではあるが、本堂内部の雰囲気といい、ぐるりと輪を描いて配置された十二神将といい、見事だった。

こちらはデビューして55年

横浜市中区にあるシネマ・ジャック&ベティで映画「エリック・クラプトン 12小節の人生」を観にいく。

神奈川県内では、そこと川崎市アートセンターアルテリオ映像館の2館でしか上映していない。もっとも、都内でも有楽町、渋谷、池袋でそれぞれ1館で上映されているだけだ。

映画館の最寄りの地下鉄駅を降り、改札を出たところにある駅周辺地図の前に行くと70歳くらいの中年男性が3人ほど立っていたのでどいてくれるように頼んだら、「ジャック&ベティですか?」と聞かれた。なんでそこに行こうとしているのが分かったんだ? 自分たちも仲間が到着したらこれから行くのだとか。


クラプトンについては、ウィキペディアでは以下のような紹介がされている。
イングランド出身のミュージシャン、シンガーソングライター。 「スローハンド」と呼ばれるギターの名手として知られ、ソングライティングも優れた世界的なアーティスト。ジェフ・ベック、ジミー・ペイジと並ぶ世界3大ロック・ギタリストの一人とされている。 『ロックの殿堂』を3度受賞。
現在73歳。デビューして55年になる。

実の母親から捨てられ、孤独で屈折した少年時代にブルースに出会い、衝撃を受ける。その大きなきっかけは、B.B. キングの音楽だった。映画の冒頭で、クラプトンがカメラに向かって「もしまだブルースのことをよく知らなければ、私自身の出発点となったこのアルバムを探して聴いてほしい」と語りかける。2015年に亡くなったB.B.キングの死を悼む言葉である。そして映画は、ステージ上のB.B.キングが、そのステージの袖に立っているクラプトンへ向けて敬愛の言葉を語るシーンで終わる。

しかし、なぜブルースがまだ少年だったクラプトンの心を捉えたのか。彼はその理由を語らない。ただ見るものには、複雑な少年時代の家庭環境や学校での鬱屈した日々が背景にあったのだろうと想像させる。

1991年、彼は当時4歳だった愛息を亡くす。ニューヨークの53階のアパートの窓からの転落死である。失意の底にたたき落とされた彼だが、音楽がその痛みを和らげた。

映画の最後のナレーションだったと思うが、少年時代にブルースに出会い、ブルースに心奪われてギタリストの道に進まなかったら、彼は労働者階級の一人として祖父と同じレンガ職人か、父親と同じタイル職人になっていたかもしれないと語られていた。

ブルースに出会わなかったらどうなっていたかなんて誰にもわからない。ただ、心に強く響いたものを自らに引きつけ、成功するかどうかなんて考えずに没頭することしか偉大になる道はないことは確かだ。

そういえば今月は、音楽に関係のある映画として他に「アリー スター誕生」と「ボヘミアン・ラプソディー」を観たが、いずれも上出来の作品だった。

こちらはフィクションではあるが、愛する者の死を経験し、それを乗り越えることでアーティストとして成長していくというのは、レディ・ガガが主演して製作された4度目のリメイク版「スター誕生」の重要なモチーフでもある。


また死といえば、「ボヘミアン・ラプソディー」は、エイズが原因で1991年に亡くなったフレディ・マーキュリーと彼のバンド、クイーンの物語。


フレディを演じた主演のラミ・マレックが、好演している。入念に施されたメイクもあるのだろうが、フレディがそこにいるような感覚になった。最後、ライブエイドのステージングには興奮した。


2018年12月20日

岡林信康50周年コンサート

岡林信康が「山谷ブルース」でデビューして50年。それを記念した彼のコンサートが六本木であった。


観客は60代以上の男性がほとんどだ。白髪、白髭、禿頭のオンパレードである。笑っちゃうよ、まったく。連れの女性に体を支えられて、何とかかんとか歩いているかつてのロッカーもちらほら。

コンサートは、岡林がステージに現れ、「どうも、沢田研二です。今日は満員じゃないけど、心を入れかえて歌います」と言ってまず一曲。いやはや、関西人である。

途中の休憩時間には、男性用のトイレからあふれた男たちの列がホールにもずらっと続いていて。初めて見た珍しい風景。

ゲストの予定だった山下洋輔がケガのため出演できなくなったのは残念だったけど、岡林がギター一本で歌う姿は懐かしく、中学生時代の自分がふっと頭に浮かんできて不思議な感覚だった。


2018年12月15日

日本は本当に出遅れたのか

ある新聞社がキャッシュレス決済について調査したところによると、日本人の8割がQR決済について知らなかったらしい。で、記事の見出しは「日本の出遅れ鮮明に」とある。
これは中国やインドなどと比較しての評価だ。中国では10億人がQR決済を利用し、すでに都市部の実店舗決済全体の7割近くをQR決済が占め、現金による支払いをはるかに圧倒してる。中国でアリババやテンセントのスマホ決済が市場を独占している様子がうかがえる。
この背景には、中国の現金決済のこれまでの環境がある。日本のように、すぐ近くに銀行や郵便局、さらにはコンビニのATMがあっていつでも現金を引き出すことができるわけではない。

また、現金で買い物した時におつりがよく間違っていたり、またごまかされたりするという。偽札が頻繁に出回っているため、おつりをもらった時には高額紙幣の場合それを光に透かして本物かどうか確認したりする必要もあるらしい。さらには、日本と比べて古い紙幣が中央銀行によって交換されないまま流通しているために、異常に汚れ、ヨレヨレで触るのも憚れるようなものが一般的にまだ用いられているという状況だ。
そうした中で電子的に処理で済ませられるスマホ決済は、きわめて安全で安心、そして清潔な決済手段だ。利用者にとって利便性は高く、また流通業者や決済機関にとっても大きなメリットがある。
そうしたものがスマホとネットワークの普及、そして情報処理スピードとコストの改善によって実現され急速に普及してきたというわけだ。
インドにおいてもスマホでの決済を使う人は3億人に上るという。その普及の理由は、中国とさほど変わるところはないだろう。つまり、どちらにしても日本とは基本的に貨幣を巡る社会環境が全く異なっていることが指摘される。
にもかかわらず、日本が中国やインドの後塵を拝してるとか、出遅れてるという判断はどうなんだろう。有り体に言ってしまえば、日本人の多くは必要がないから使わない、ただそれだけなのである。遅れているとか、進んでいるとう話ではない。

2018年12月14日

NHKもキャラクター商売

今朝、東京駅日本橋口地下で見つけた行列。「最後尾」と書かれたプラカードを持つ女性に何の列か尋ねたら、「チコちゃんに叱られるグッズが今日から発売になるんですよ」とのこと。


知らなかったが、この地下にNHKキャラクターショップなるものがあり、そこへ向かう行列だった。
http://www.nhk-character.com/chara/chico/images/chico_catalogue.pdf

並んでいたのは、いい年をした(失礼!)おじさんとおばさんがほとんどなのが、ちょっと意外。

チコちゃんとは、着ぐるみで顔の表情をCG加工したあの「ボーと生きてんじゃねーよ」と大人を叱咤する少女のキャラクターである。ボイスエクスチェンジャーで変換した独特の声が耳に残っている。

僕と同年代の男女が列をなしてキャラクターグッズの発売を待つほど人気とは知らなかった。


2018年12月13日

ソーセージパテは、オクラホマから

駅前の定食屋の階段を降りると、そこはマクドナルドのバックヤードの入口だった。

台車に積まれた段ボールが所在なげにおかれていて、それにふと目をやると、ソーセージパティ Manufacutured By Lopez Foods Inc. Oklahoma City と書いてあった。

マックは、食材をわざわざ北米から輸入してる。冷凍輸送しても、その方が安価なんだ。



2018年12月12日

横文字経営

ある新聞社系ビジネス雑誌の記事。その最初のページに、EGS、SDGs、CSVという文字が躍っていた。サステナブル経営がその記事のテーマだ。

EGSは環境、社会、ガバナンスのそれぞれの頭文字。SDGsは「持続可能な開発目標」と説明があり、CSVはCreatng Shared Value=共通価値の創造のことである。

今さらながらだが、書き手も読者もこうしたアルファベットを並べた文書を読んでどれほどの理解をしているのか疑問に感じる。

環境を考え、社会的にきちんと適応し、ガバナンスに沿った経営が求められていることは常識のレベルだ。

SDGsは、2015年の国連サミットで設定された17のゴール(目標)のこと。


大切なのは、そこで掲げられている個別の目標であり、その実現のための活動や施策だ。SDGsという<標語>ではなく。

Creating Shared Valueは、米国の有名な経営学者が唱えたことで日本企業の経営者の口にものぼることになった考えだが、これとて近江商人が持っていた「三方よし」の理念と本質的にどれだけ違うのか。

自らの足下すらよく見ず、舶来ものの考え方を即物的に有り難がる傾向は明治時代以来変わらぬの日本の伝統か。こうした言葉を軽々に振り回す人たちほど、何かというとイノベーション、イノベーションと五月蠅い。

2018年12月11日

没後50年の藤田嗣治展

この夏に東京(東京都美術館)で見逃した藤田嗣治展を、やっと京都(京都国立近代美術館)で見てきた。こちらも来週末で終わりだ。


今回は没後50年ということでの大回顧展とうたっており、100点以上の作品が展示されていた。

おかっぱ髪に丸眼鏡、ちょび髭の藤田は、その独特の風貌と画家として活躍したフランスでレオナール・フジタと呼ばれていたといったことから、繊細で女性的なパーソナリティだと勝手に思っていたのだが、今回の回顧展で知った藤田は明治半ばに生まれた極めて日本的で男性的な人物だと思った。

画家としては大変精力的で、フランスを中心にヨーロッパ、日本やアメリカ(ニューヨーク)、南米各国を旅しながら数多くの作品を制作していて、それらの土地の空気やそのときの時代性がキャンバスに描かれている。

藤田といえば女性の肖像と自画像というイメージがあったが、僕は彼が南米のペルーやボリビアで描いた現地の人たち、つまりインディオと呼ばれている人たちを描いたものがひときわ印象に残った。


2018年12月9日

嵯峨野の紅葉

京都にはまだ紅葉が残っていると聞いて、週末の嵯峨野へ。嵐山駅から北へ散策し祇王寺を訪れた。