牧野さんと教え子の方たちが愛知県豊田市で行った里山プロジェクトは、農村に外部から人を入れ、その人たちを通じて新しい生き方を創造するとともに、地域社会の方にも新しい発見の機会をあたえ元気にしようというもの。
僕のように農的というよりノー天気に生活をしている身には、きょうの話はとても新鮮に思えた。
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これは本だけの話じゃなくて、すべてのものに当てはまることだよね。仮にあと4、5年しか生きないんだったら、いつか読めたらとか、書けたら書きたいなんて資料を持っているのがバカバカしくなってしまった。もっと身体が気持ちよくいた方がいいし、気持よくいきたい、と思ったんです。死ぬまで読めないかもしれない本に押しつぶされないようにして、せせこましい空間にいる意味がない。
最寄り駅の中に有隣堂書店が入っている。時折、立ち寄る。これまで気づかなかったのだけど、今日、一番はしのレジで精算するとき、下記写真のパネルがカウンターにあるのを見つけた。
書店で付けるカバーの付け方を簡略化するという案内だ。最初、書店のカバーをつけるのをやめたのかと喜んだのだが、そうではないらしい。書店カバーはつけるが、元々の単行本に付いているカバー(ややこしい!)に巻き込むようにつけるのを省略するということ。
以前もこのブログで書いた覚えがあるが、そもそも出版社のカバーがついているのに、さらに書店のカバーなど必要ないというのが僕の考え。本は消耗品だ。もちろん無理に乱暴に扱うことはないが、後生大事にする類のものでもない。
以前、同じ店で体験したはなし。文庫本を2冊手にした僕は、電車の時間があったのでいささか急いでいた。レジに向かっている時、そこに見えたお客さんはひとりだけ。これならすぐ精算できるな、と並んだのはいいが、彼女の手元を見てイヤーな予感が。
当時、日本テレビで放送していた綾瀬はるか主演の「きょう会社休みます。」の原作コミック本を7冊(第1巻から第7巻)抱えている。
予感的中! 店員が(言わなくてもいいのに)「カバーをお付けしますか?」と聞いたものだから、それら一冊一冊について包装ビニールを剥ぎ、それらに書店のカバーを付け終わるのを待たされるはめに。
その時、頭に浮かんが考えは「あとでアマゾンで買おう」。思いついたらすぐに実行してしまうタチなので、本を買わないままさっさと店を出た。
本当は、できれば書店で本を買ってやりたい。だから、自分でも釈然としない気分だった。書店は、店頭で本を買ってくれるお客への「サービス」としてやっているのだろうが、優れたサービスになっていない。
この余計な(過剰な)サービスをするために、レジでは客が待たされるし、店にとってもコストがかかる。
そろそろ他の書店らと声を掛け合って、一斉にこうしたサービスの「有料化」へ進んだ方がいいんじゃないかな。